81 旅の終わり
〇まえの回のあらすじです。
『ユノとセレンの戦いに、決着がつく』
竜が、緑の石を拾いあげる。
【善のちから】を司る女神。ハルモニア。
『……』
黄金の竜は何も言わず、鳴かず、大きな目でユノを見た。
ガサリ。
ハルモニアのうしろで、茂みが動く。
人をかくせるほどの豊かな低木のあいまから、銀髪のオカッパ頭の少女があらわれた。
武装している。
緑と白を基調とした衣装に、ミスリルの胸当てとグリープ、そしてレイピア。
かつて、【ローラン】としてユノと共に旅をした時の格好。そして先日、狩りに出た時の装備。
ユノにとっては、ワンピースよりも、こちらのほうが馴染んだ服装。
ユノの脇腹に痛みが走る。
緊張がゆるんで、感覚がもどり、卒倒しそうな激痛と失血に、あしもとがグラついた。
銀髪の少女――フローラは、ハルモニアの手を見てつぶやいた。
「こんなにちっちゃくなっちゃって」
緑の石を妹が差し出すと、もとから回収する予定だったように、受け取った。
「フローラ……どうして」
地面に膝をついた体勢で、ユノはうめく。
フローラは茂みから動かない。
ハルモニアが地上を歩いてやって来て、ユノのポーチをさぐった。
回復の魔石を取り出す。
竜がかるく握りこむと、石は割れて、癒しの光がユノを包んだ。
傷がふさがっていく。
完全な回復にはほど遠いが、出血は止まり、痛みも耐えられるほどまでに引いた。
フローラが答える。
「ハルに起こされてね。つけてきたのよ」
――剣と防具はなぜ?
なぜ、武装しているんだ。
ユノはなにも言えないまま、心のなかで疑った。
フローラは肩をすくめる。
「こーゆーなにかが起こる時ってのはね、カンが働くやつがいるのよ。ハル然り、」
ユノは身構えた。フローラの手が茂みのかげに伸びる。
「こいつ然りね」
湿った地面に、人影が投げだされた。
眠っている。
手には弓を持ったままだった。
峰打ちのあと、念を入れて魔石で眠らせたか、全身を麻痺させているといったところか。
「尾行されてたのか、ボクは」
「そ。で、私はリリコをつけていた」
眠っているのは、アールヴの少女――リリコだった。
簡素な衣類に、矢筒を背負い、ショート・ボウを持っただけの軽装。
戦うというよりは、狩猟に出る装いだが、それは準備の時間がなかったためか。
彼女が番えていた矢を、しゃがんで地面から取りあげて、フローラは切っ先を日に当てた。
黒から紫へと、光の明暗に応じて変色する液体が、キラキラ輝く。
「象も一撃でコロリの毒液ね。魔法薬の一種だから、妖精にはさほど効かないみたいだけど」
「助けてくれたの?」
状況から、ユノはフローラが、リリコの狙撃をはばむために、彼女をうしろから襲ったのだと判断した。
フローラは歯を見せて笑う。
「邪魔されたくなかったんでしょ? それとも、私はだめで、ほかのヒトは構わない?」
「そうじゃなくってさ」
ユノは、眠っているアールヴの少女に、申しわけがなかった。
セレンの末路を思えばこそ。
自分が手に掛けた罪科を背負えばこそ。
リリコの行動は理解ができた。
守りたかったのだ。
「ユノ。あんた、なーんかカンちがいしてるみたいだから、先回りして言っておくけどさ」
こめかみに指を当てて、フローラは溜め息をついた。
「セレンも私に、あんたと同じことを言ってたのよ。仮にユノと剣を交えることになれば、その時は干渉してくれるなって」
どうして――。
とユノは問わなかった。
『ぎゃっ、ぎゃっ』
ハルモニアが、羽を動かして浮上する。
セレンの残した神秘の槍――【霊樹の杖】の下半分を取り、ユノが弾き飛ばした上半分を、木々をめぐって探してくる。
ピクリ。
リリコの瞼がふるえる。
「そろそろ時間切れね」
フローラの青い瞳が、心なしか翳る。
ハルモニアが、杖の上端を、まるで鞘のように、透明な矛のついた下端にかぶせた。
ピタリ。
切断面がくっつく。
きれいな一文字に入っていた切りくちが、ウソのようになくなった。
「ユノは、人間界に帰るんでしょ?」
もどってきた妹を目で追いつつ、フローラはユノに訊く。
「うん」
「じゃあ、さっさとずらかったほうがいいわよ。ほかの連中に気づかれたら、めんどうなことになるだろうから」
フローラが、ハルモニアから、復活した【霊樹の杖】を受け取った。
振ってみる。が、なにも起こらない。
「私じゃだめみたいね」
『ぎゃぎゃっ』
ハルモニアは笑った。フローラが杖をかえし、今度は竜が、無造作に空気を薙ぐ。
空間が裂けた。
人間の世界が、アーモンド状にあいた切れ目からのぞく。
平原のうえに、外壁にかこまれた城がある。
ペンドラゴン国の王城だ。
「これ、入ってもだいじょうぶなの? 人間が通ることはできないみたいなんだけど」
「妖精の能力じゃあね。でも、ハルは神さまだから。だれだって通れるわよ。信用してちょーだい」
ユノはそっと空間のひずみに手を入れた。かつて受けたような、焼けつく電撃を受けることはなかった。
フローラに訊く。
「きみは帰らないの?」
「ええ」
返事は淀みなかった。
ユノは淋しさを堪えた。
「……また会えるかな」
「むりね。セレンが死んじゃったし、境目はこれっきり、もう開かないわよ。妖精の世界と人間の世界は断絶する。それが望みだったんでしょ?」
「きみまでいなくなることないじゃないか」
ユノは空間の裂け目の奥の、人の世の景色からフローラに視線を移し、定めた。
フローラもユノを見ていた。
彼女は言った。
ユノが、「一緒に帰ろうよ」と言うまえに。
「あんたなら、私の気持ちがわかるはずよ」
どういうことだろう。
ユノはフローラがつづけるのを待った。
彼女は一度だけ、大きく息を吸った。
「あの世界に、私の生きる意味はなかった」
空間の裂け目が閉じていく。
ハルモニアが、早くしろと言わんばかり、ぎゃあぎゃあと鳴いている。
「……さよなら、なんだね」
「そうね」
ユノは、自分の生きるべき場所に向きなおった。
剣と魔法があり、魔物が存在する世界。
人間同士がうたがい、排斥し、駆逐し合う、未だ混沌とした、理想郷とはほどとおいところ。
もう、神のちからはおよばない。
善いことも悪いことも、すべて自らの手で切り拓き、乗り越えなければならない世界へと。
「ねえ、」
踏み出すと、フローラが背なかに声を掛けた。
考えなおしたのかと期待した。
「恨まないでね」
緑の石をかかげながら、そんなことを言う。
ユノは首をかしげた。
「きみを?」
青い瞳が、うろんになる。
あきれた調子で、フローラは「そーじゃなくて」と手を振った。
「セレンのことよ。彼女にもワケはあったんだからさ」
(それで済まされるなら……)
あらゆる反論がユノの胸裏を去来する。が、頭を振って、打ち消した。
「努力するよ」
「ありがと」
フローラがそう告げたのを最後に、ユノは人間界への門をくぐった。
裂け目が小さくなっていく。
人の世界と、妖精の住む世界との隔たりが、完全なものになっていく。
境界の完成にともなって、【霊樹の杖】は、その存在を幽かにした。
杖が色を失っていく。
まるで役目を終えたように。
霊樹の杖は、【地球】より招いた少年が、【異世界】の人の地に帰ったのを見届けて――。
世界の狭間が閉じるなり、跡形もなく消滅した。
〈END〉
〇以上で、『【異世界転移】をやってみた』は、全編完結となります。
〇つぎは、連絡用の文章を投稿します。
内容は『全編完結のおしらせ』などです。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。