80 死刑宣告
〇まえの回のあらすじです。
『ユノがセレンに反撃する』
――幸村 望。
セレンは彼の名を唱えた。
それだけでよかった。
冠が弾け飛ぶ。
ユノへの魔法を退けつづけた破魔の兜が、金属質な高周波をあげて、粉々に砕け散った。
ユノの身体がピタリと止まる。
突き出していた神剣の刃先は、セレンに触れる寸前で停止した。
(な……ん……)
亡者でも目のあたりにしたかのように、ユノはひたすらに目を剥いた。
フッ。
セレンの息を吐く音。
彼女の頬に垂れる一滴の汗。
この女も冷や汗を流すことがあるのかと、ユノは硬直した頭のなかで思った。
「真の名です」
セレンは槍を持ち直し、息をととのえるついでに話した。
そうすることで、疲弊した神経が、少しでも速く回復するとでもいうように。
「ユノさま。あなたがまだ、【地球】にいたころの」
【日本】で、ユノが高校生として生きていた時。
親や教師に呼ばれつづけていた、なつかしい響きの名。
「あなたは知らなかったでしょうが、この世界では、真実の名前は重要な意味を持つ。それを知られ、命を受ければ、相手からの支配をゆるしてしまう。そして私のように魔術に精通していれば、ただ名前を唱えるだけで、それが叶ってしまうシロモノなのです」
ユノは歯噛みした。
勝負は最初から決まっていたのだ。
その気になれば、セレンはいつでもユノの動きを制することができた。
守るもののなくなった、黒髪の頭部から、血が赤い尾を引いていく。
兜のカケラで切ったのだ。
もはや、セレンの攻撃を防ぐ手立てはない。
彼女の武器か、もしくは攻撃の魔法を喰らえば、この戦いはユノの敗北で終了する。
(……)
セレンは槍を構えている。
ユノの咽喉が動く。ひゅーと音がする。くちが動く。小さな声が出る。
言葉を発することができる。
(セレンさんの本当の名前を知っていれば……)
魔法に卓越していれば、名前を告げるだけでいい。
ユノのようなシロウトでさえ、命令をつけたすだけでいい。
ユノは記憶をさぐった。
厳密には、彼は知っていた。
この瞬間まで、意識のかたすみに追いやっていただけで。
――人間界にいた時。
【パペルの塔】近郊の山で、三頭のサラマンデルに出会った。
そのうちの一頭が言っていた。
『セレンっていうと、魔王さまのおっしゃっていた―――――――』
あの時は、まったく無関係なものとして、聞き流していたけれど。
もし、ユノのカンちがいであれば、この一言は、自分へのまぬけな死刑宣告にしかならないけれど。
ユノは吠えた。
――止まれ!
と願いを短く命じ、
セ
レ
ネ
ディ
ア
ナ
――。
――――。
音が止んだ。
光に歪んだグングニルの透明な刃の輪郭が、ユノの額をかすめる。
セレンは槍を突き出した姿勢で止まっていた。
ユノへの呪縛が、この瞬間、解ける。
緑の双眸に、驚愕の色が横切っている。
彼女のくちがひらく。
もう一度。
もう一度セレンに名を呼ばれれば、ユノに好機は訪れない。
同じ手は二度通用しない。
彼女は声ごとユノの動きを封じにかかるだろう。
あるいはきっぱりと、「死ね」と命じるだろうか。
ユノは剣を振った。
裂帛の気合い。
最後のチャンス。
気絶させる――。
それとも。
ザンッ。
戸惑いと、決意のなかで、斬撃は起こった。
首が飛ぶ。
長い髪。
萌黄色の。
笹の葉状の耳が、木の葉のように、森のなかを舞う。
赤い断面の覗く胴体。
妖精の族長の、面を失った身体。
見苦しさを忌むように、彼女の肉体は、首と胴が分離するなり崩れていった。
灰になる。
これまで倒してきた、魔物たちと同じように。
儚く脆い、砂の音をたてて。
セレンという存在は、塵芥と化し、朝の空気に溶けて、泡沫のごとく無くなった。
緑の石が落ちる。
彼女の心臓があった、ちょうどその高さから。
石は、露草の上をころがった。
ころころと、さそわれるように、かすかな斜面をころがって。
それは、金色の脚に触れて、止まった。
〇つぎは、最終回です。