38 世界はそうやって回っている
〇まえの回のあらすじです。
『ユノが自分のたくらみを【セレン】にはなそうかまよう』
〇
【妖精の世界】は神聖だ。きよらかでけがれがなく、まちがいもかなしみもない。
それをして【妖精】たちは人間を『下等』とみなす。単に利己的というだけならいざ知らず、自分の『無能』のせきにんを他者になすりつけ、あまつさえ『肩代わり』してくれたものにたいして、なんの感謝もしないばかりか懲りずに『押しつけつづける』という点において。
だからかれらかのじょたちは、まず人間の来訪をかんげいしない。特に【人間の世界】と絶縁状態になってからは。
もとよりなかのよい種族ではなかったが、両者のあいだに明白な被害・加害のかんけいが生じてしまってからは、この「隔絶」という処置は、英断以前にまっとう。あたりまえの措置だった。
ただ、【里】の住民の人間にたいする嫌悪の念にかんしては、べつだん歴史的な事情をさしはさまない――『火にあぶらをそそいだ』ということはあったとしても――。もとからである。こればかりはもう、さいしょっから『ウマが合わない』。というていどのものでしかない。
あえて言及するなら、この『好き』『きらい』の感情について、ひととそれ以外の種とのあいだには大きな解釈のちがいがある。
【妖精】たちにとっては不思議なことに、人間の大多数が、「だれかにきらわれる」という現象について、その原因として「なにかきらわれるようなことをしただろうか」と考えるのである。これは片腹いたいと言わざるをえない。
なにもしなければ、「自分は好かれてとうぜんのごりっぱな存在だ」と豪語しているのだから。
また逆に、人間は「あいてにとってよいことをすれば、好かれる」とかんちがいしやす生きものであるともいえる。とうぜん、そこまで単純な思考回路をしているひとなどかぞえるほどでしかないと信じたいところだが……。
ようするに。おおいなる前提として、「自分には他者に好意を持ってもらえる価値がある」。「だれかからきらわれるのは、やりかたがまずいだけで、上手にあいてとやり取りすれば、なんらかの好意を持ってもらえる」。「いや。そこまではいかずとも、きらわれるということはないだろう」。「もし、自分がなにもわるいことをしていないのに、あいてがきらってくるとすれば、それはあいての『精神性』にもんだいがあるということで、あいてのその感情はこちらの対応によって『矯正』すべき『不当な反応』である」――。
言い換えれば。
だれかが自分を「きらう」ということを。
そんな、だれにでもあって然るべきとうぜんの権利を。
大多数の人間がみとめていないのだ。
方法論でひとの気持ちは左右できない。
そんなかんたんなことも受け入れられず、あとづけの理屈であたかも自分の意のままに他者がうごいているかのように振るまう連中が幅を利かせている種族だからこそ、【妖精】や【魔族】は人間が気色わるいのだ。
『自己』というものを、明確に世界の中心にすえたとき。『他者』というのはおのれの意のままにうごいている『傀儡』や『機械』や『人形』――ではない。
彼らもまた自分とおなじように『意志』があり、ときに『個』を抑えてこちらのわがままを聞き入れて、あるていどのがまんをして、こちらの『利己性』をみとめ、あるいはゆるしてくれて、そのうえでときに身をけずるような『痛み』をともないながら、こちらのためになるように、うごいてくれているのだ。
『世界』はそうやってまわっている。
にもかかわらず、手がらだけをかすめとり、ひとの寛容につけこんで服従を強いるやからのなんと多いことか。
かれらの性質をおもえばこそ、【妖精】たちはかれらかのじょらの訪問にまゆをひそめ、しろい目をむけ、鼻つまみものとしてかかわるのを忌避する。
セレンにあいさつをしたあと――大樹の巨大なうろから出た『人間』にあびせられるのは、【ホビット】や【ドワーフ】、【アールヴ】たちの、そんな凍てついた視線だった。
【霊樹の里】に来たときから、遠目から投げかけられていたものだ。
異界からの【勇者】であろうと、【魔王】をたおした『英雄』だろうと、そんなことはかんけいないのだ。




