1 竜の散歩
ひゅーん。
とそれは落ちていった。
ひらいた前脚からはなれていくそれを、まるい瞳で竜はながめる。
金色の竜である。
くまの子どもほどのサイズのからだは、爬虫類めいたなりをしている。かおの輪郭はワニのようで、あたまには四本の角が、左右対称になるようにはえていた。
蛇腹とうろこで構成されたからだの下半分を、人間のあかんぼうがつけるおむつでおおっている。うまれてから十一年の歳月を経ていたが、この金の竜はまだ「赤子」だった。
人間より成長がおそいのだ。
【ハルモニア】である。
ここよりはるか、したの世界。
人間のすむその土地のなかでも、【ペンドラゴン】という国において、何百年のながきにわたり統治をつづける王家の末娘。本来なら人の世にあるはずだったが、【妖精】によって魔法にへだてられた郷につれてこられた。
ただ、さらわれたのが生まれてすぐだったため、ハルモニア自身はいまの自分の境遇にこれといった感慨はない。むしろいきなり人の世界にもどされてしまえば、そちらのほうが動揺するだろう。すこしまえに、彼女の「姉」を名乗る少女がやってきて、やたらとべたべたしてきたときの衝撃のように。
「ぎゃふ……」
しろい――霧のような、かすみのような。
崖にしたに消えていくものに、ハルモニアはちいさな鳴き声をあげた。ふだんの、かんしゃくを起こしたり、ごはんやおしめの要求につかうものではない。あきらかに「やべっ……」というあせりをふくんでいる。
まだ幼少の時期にあるとはいえ、行動のぜひについて、この竜はおそろしいほどにカンがはたらいた。でなければ人の「善性」をつかさどる神として機能できない――と機械的に語ることもできるが、真相とは、えてして単純なものである。
「ふぎゅ……ぎゃあ……」
おちて、遠のいて、ついには――――崖のはるか、はるかかなたに見えなくなってしまったものは、そだての親がだいじにしていたものだった。彼女はハルモニアを絶対的な存在として丁重にあつかういっぽうで、ときにはそのへんの子どもとおなじように、過ぎたおいたに対してきっぱりと雷を落とす。
そんな彼女がだいじにして、蔵にまで閉じこめて重宝していたものを、ちょっとした気まぐれで持ち出して、そのうえ失くしたとわかったらどうなるのだろう。
ぶるりと、竜のちいさな体躯がふるえる。
人間には「善なる神」といわれ、この世界のバランサーとしてはたらくハルモニアだが、こわいものはある。
「ぎゃっ、ぎゃっ、ぎゃっ」
崖のうえを、ふよふよと金の翼でぱたぱた右往左往して――ハルモニアは決意した。
あたりにだれもいないことをたしかめる。
まだこの失態について、気づいているものが自分のほかにだれひとりとしていないのを確信して――。
「ぎゃうっ、ぎゅっふ!」
金の竜は、そのまま素知らぬかおで、どこかへと飛んでいった。
どこか――。
自分を知る人がいないところへ。
ほとぼりが、冷めるまで…………。