第4章 第6話
あの永訣…では無いな。あの訣別の日から四年が過ぎた。
この春、僕はパパと同じAラン大学の三年生となっていた。別に意図した訳ではないが、教養課程の第二外国語は中国語を選択した。今なら彼女と少し中国語で会話できるのにな、なんて思ったりする。
あの日の別れ以来、僕の周りは呆れるほど色々あって。
そう、四年前、彼女が中国に帰った翌月。ママが家を飛び出した。当時は何が何やらサッパリ分からず、ただパパと分担して行う家事に忙殺されていた。
Aラン大学に入り、パパと祝杯を上げた時にパパが全部話してくれた。それによるとー
「ママはな、俺じゃ物足りなかったんだわ。」
「へ? 収入?」
「か・ら・だ」
思わずビールを吹く。あ、ビールって言ってもノンアルだからね。ふっ。
「身体って…嘘だろ? だって、あの頃、毎週末、あんだけ…」
「は? お前知ってたんだ、バレてたのかあー」
「ま、まあな」
「そ。ユートンちゃん来て、家じゃ出来なくなって。それでラブホ行ってたんだよ」
親の口から真実を聞かされると、正直キモいし萎える。
「でもなー、俺、弱くって… 所謂、早漏ってヤツ。しかも回復力、ゼロ…」
それは…余に…
消え去ったママに少しだけ同情する。
「あの頃、ママさ、ボルダリングにハマってたろ? そこのコーチとさ…」
コーチのチーコにハマった訳だ。やっぱアホくさ。
「で。パパは彼女とか再婚相手に考えてる人とか、いないの?」
「いたら紹介してくれよお。もうやだよ俺、炊事とかもう無理。」
「は? 食品会社の部長のくせに。何言っちゃってんだよ…」
そう。ママは去っていったが、パパの出世の道は代わりにと言っては何だが、突然好転する。何でも部長昇格候補とされていた先輩と同僚が同じ時期にコロナ陽性反応が出てしまい、それがマスコミにも流れてしまったのだ。ぽっかり空いた部長の座に、そう言えば中国の友人の娘をよく世話してくれたアイツにやらせてみるか、と上司が仕方なくパパを部長に据えたのだ。
ママに逃げられ家庭の事を考えずに済んでいたパパはその後攻めに攻め、コロナ禍にも関わらず売上ナンバーワンとなる冷凍食品を生み出し、役員の道も見えて来てるんだってさ。
あれ? じゃあママって疫病神だったんじゃね? と聞くと、
「笑えない話なんだけどな、ママと駆け落ちしたボルダリングのコーチ、元々オリンピック強化選手だったんだと。でもすっかり腰を悪くして選手の道は引退したんだってさ」
笑えねえ。ぜんっぜん笑えねえ。
実は僕の学業が伸び始めたのもママが去ってからだったわ… かなえちゃんの成績は前年の夏前に追い越していたが、その年の、つまり高三の夏期講習では全国で百位以内に入り、冬季講習の頃には全国十位に後少し、って感じになっていた。
当然、現役合格。マジであと一年ママが早く家出してくれていたら、国立も夢ではなかった気がする。それをパパに言うと、
「これ以上ママの話をするんじゃない。どーする、明日家に帰ったらママが居たら…」
僕らは唾を飲み込み、その後二度とママの話題が出ることは無くなる。
そう言えば、かなえちゃんはどうしてるかなあ。
愛してはいなかったが大好きだったかなえちゃんとの仲は、ユートンが中国に戻ってから徐々に離れて行き、その夏の夏期講習は別のクラスに、冬季講習の頃には全く交友関係が絶たれてしまった。
現役で大学に入れたかどうかも分からず、本当に今どうしているのかサッパリ分からない。大学の語学で同じクラスの男に聞いてみたのだが、彼は一浪してたから彼女の存在自体知らない様だった。
東京に越してから、一度新宿の歌舞伎町でかなえちゃんそっくりの派手な女子を見かけたけれど、それが彼女なのかどうか分からないし調べる気も起きない。
越したといえば、野郎二人でこの家は広いし会社と大学から遠いよな、と言うことで僕の入学のタイミングで都内のマンションに引っ越した。テレワークがスタンダードとなり、家はビックリするほど早く高く売れ、パパの一部上場企業部長職の後光もあり新築タワーマンションの低層階に2L D Kの部屋を購入した。
頑張ればパパは歩いて会社に行け、頑張れば僕も走って大学に行ける場所は実に快適で、二年経った今、千葉での生活が遥か遠く昔の話に思えている今日この頃である。
家事全般がなんて楽チンな事! 生ゴミはガガガって台所のシンクから消えて行くし、ゴミなんか三百六十五日二十四時間出し放題。ダシホである。信じられない。
タワマンはベランダに洗濯物を干せず、然しながら浴室乾燥機があるから乾燥には全く不自由していないし、梅雨の時期なぞは寧ろ浴室乾燥様様である。
マンションの下にはコンビニとスーパーが有るし、使わないけどフィットネスジムなんかも併設されている。
こんな豊かな生活ができるのも全てママのお陰だね、ミッチ。
と、嘗て僕の心に住んでいたもう一人の僕に呼びかけても、あの頃のように返事は返ってこない。だがそれでいい。僕には大学で大勢の仲間が出来た。その誰かしらと繋がっているのだから。今もこのタワマンの便利さを共感してくれる、地方の金持ちのボンボンが
『だよねータワマンサイコー』
と返してくれる。ちなみに彼は湾岸エリアのタワマン中層階に住んでいる。景色も素晴らしい、ウチと違って。
『今度またお前ンチで部屋飲みやろーぜ』
『たまには女子連れてこいよおーお前女子に人気あんだからさあ』
『知らねーよ。お前が連れ込んどけ!』
あー面倒くさ。スマホをベッドに放り投げて、アニメの続きを見ようとした時。また着信音がスマホから…だーかーらー、女子はお前が…
全く見知らぬメアドから、メールが来ている。画像が添付されている。どうやら幼い女子の写真の様だ… ま、まさかあの野郎、こんな恐ろしい趣味があったとは…
そのメールをタップし、開いてみる。
開いて、みた。
………
思わずその写真を食い入る様に眺める。
何度も目を擦り、見間違いではないかと自分に問い直す。
だが。何度目を擦ろうと、何度深呼吸をしてみても。
其処には、玉の様な可愛い女の子を抱くユートンが、僕に微笑んでいた…




