第2章 第10話
「彼女いない、って言ってたよなあ、秋田あ」
名前に「あ」を付けるな。
「で? どっちが本命なんだよ?」
田沢何某は砂浜に落ちていたビール瓶をつまらなそうに弄っている。
何某に声掛けされた僕は、アイツにかなえちゃんを送らせ、二人で橋から砂浜に降りてきたのだ。
何某は怒りを抑える風でもなく、どこかぶっきらぼうに訥々と呟いている。
「田沢君は、一人だったの?」
「さっきまで連んでたんだけどよ。なんかつまんなくなってな」
一人で海が見たくなったと言う。
「俺、何やってんだか。アレだろ、オマエも受験失敗組なんだろ?」
失敗では無い。失格だ。エントリーミスだ、
「俺もな、第一志望、模試では80%だったんだけどな、本番で風邪引いちまって…」
「何処だったの?」
「幕張学園」
マジ?
僕と同じ…県内きっての私立の進学校…
「一応受けたんだけどよ、まあ全然だったわ…」
弄っていたビール瓶を遠くへ放り投げる。この金髪頭にピアスのマイヤン擬きが、まさか幕学狙いの知能を持っていたとは…
思い出したぞ、田沢。理系科目では学内最高成績の奴って、確か田沢…
「こんなクソ学校の数理なんて、勉強しなくても楽勝だって。お前だって文系科目、楽勝だろ?」
うーん、楽勝、ではないかも。
「抜け出せねーよ、もう。俺たち、Fランからは、もう…」
「そ、そんな事…」
「ないよ、ってか? こないだ塾の全国模試。俺の数理の偏差値、45前後。お前はどーよ?」
僕は何も言い返せなかった。
「ほらな。人間ってよお、やっぱ環境なんだよ。腐った水啜ってたら身体まで腐っちまうんだ。分かるだろ、お前なら」
でも… 自分さえしっかり持ち、一人目標に邁進すれば…
「馬鹿言え。お前も半分諦めてんだろ。こんなついてねえ人生、リセットしてえって」
…先週までの僕だったら、激しく同意していただろう。ついてない自分に腹が立ち、それを全て他人や社会に責任転嫁する。そうしないと自我が保てなかったのだ。
でも。今の僕は…
「僕は違うってか? 何それ。ふーん、さてはさっきのオンナか?」
急に何某は目を怒らせる。
日が傾き、目前の海に夕陽が綺麗に揺れている。その燃える様な夕陽の如く、何某の目に怒りの炎が点火する。
「あの子達、学校何処だよ?」
「総武台、だけど」
「やっぱそーか。県立の上位校だもんな、ふーん、そんな子達と僕は一緒なんだよ、ってか?」
「そ、そんな事は…」
「キミみたいに、自分を貶し社会に失望している暇はないんだよ、ってか? ああ?」
実はそうなのだが、そうとも言えず。
「そんなの、許さねえ…」
襟元を掴まれ、顔を近付けながら、
「オメエだけ、こっち側から抜け出すなんて、ぜってー許さねえ」
そんなこと言われても…
「許して欲しければ、」
いや… 別に許しを乞うてはいないのだが…
「どっちか俺に、寄越せ」
「はあ? 馬鹿じゃね?」
しまった! 思わず口に出てしまった…
後悔後に立たず。僕は砂浜に転がされ、首を締められる。其れはアイツの力とは全く違う、呪いの力が加味された、強烈な絞めである。
苦しい。痛い。わざと頸動脈を外し締めているので、気が遠くなるよりも喉骨を押しつぶされる恐怖と痛みに涙が溢れ出す。
「オレ、言ったよな。いつかぶっ殺すって。何なら今、殺してやろーか、ああ?」
僕は命懸けで首を振るーコイツは本気だ。あの時の直感は正しかった。鬱憤ばらしに殺されるかもしれないー 今のコイツの状況では人一人殺す衝動を抑える術は無い。
泣こう。泣き喚こう。そして命乞いをしよう、本気で。そう思い、声を上げようとするが喉笛を圧迫されているので、掠れ声しか出せない。溢れる涙だけではコイツの衝動を抑える事が出来ない。このまま、死ぬのか僕は…まだかなえちゃんと二人で何も…
溢れる涙で景色が歪む。
冷たい砂が背中の汗にへばり付く。
もう、駄目かな。
諦めかけた、その時―




