第2章 第8話
其れから暫く、彼女が僕の部屋を尋ねることは無くなった。僕は僕で、あの時交換したラインをかなえちゃんと始めたので、邪魔が入らずに助かっているのだが。
今度の日曜日は、幕張のイオンモールに行く事となった。僕は特に欲しい物はないのだが、かなえちゃんとアイツがゆっくりと回ってみたいらしい。
ダブルデート? いや、二人を侍らせる一夫多妻デート! 僕の『人類補姦計画』が再び起動するのだろうかー
いやいやいや。僕とかなえちゃんはアレだけど、アイツとのショッピングは…別に楽しみでない。寧ろウザい。面倒臭い。出来れば来て欲しくない、てか、かなえちゃんと二人で出掛けたい。これ本音。
だが今回はアイツとかなえちゃんの二人の友好を深める目的もあるのだから、仕方がない。何なら僕がお邪魔虫もある。
なので彼女達の決定は絶対だ。今回は大人しく彼女達に従おう。そう心に誓う。
ドアを眺める。
今夜もこのドアが開く事は、無い。
産業スパイとの同居なんて、流石の夢想家の僕でさえ考えもしなかったシチュエーションだ。一体彼女はどんな経緯でスパイなんかに成ったのだろう。中国にはそうした専門の訓練施設でもあるのだろうか。
てか、アイツ、ホントに高一か?
スパイになるって事は、少なくとも高校は卒業してんじゃね?
そんで訓練所かなんかで訓練して、其れから実地訓練とかしてー
もしかして、年齢詐称?
急にアイツに興味が湧いてくる。ちょっと話できないかな… ベッドから起き上がったそのタイミングでラインに着信音が鳴る。
アイツへの興味は一瞬にして霧散し、かなえちゃんとのトーク交換に夢中になるー
駅で待ち合わせをしたので、僕とアイツは二人駅まで歩く。無言のまま歩く。僕はポケットに手を入れ、近づいてくる夏にこれまでなかった期待を膨らませながら五月晴れの空を見上げる。
そう言えばネットのニュースで、中国の大気汚染が半端ないと読んだ記憶がある。きっとこんな青い空を眺める事なんて彼女はなかったのではないか。そう思いチラリと隣を窺う。
アイツは一心に前方を凝視し、綺麗な姿勢で歩いている。
普段着が余りにダサいので、それとなくママに伝え、今日はママコーディネートによる、まあ今風のJ Kを演じている。
髪型も今風にママがアレンジし、薄く化粧もしてもらい、その結果通り過ぎる男性が十人中十二人が振り返るほどの攻撃力を発揮している。
アイツを驚きの目で追い、其れから隣の僕をチェックし、悔しそうな表情ですれ違うのを見るのは何とも言い難い優越感だ。チョー気持ち良い。
気が付くと駅に到着していた。家を出てから、見事に一言も会話しなかった。
待ち合わせ場所にかなえちゃんを見つける。今日もアニメに出てくるJ Kの様に可愛い。服も彼女っぽい清楚感溢れる素敵なコーディだ。雪ノ下雪乃も真っ青な感じである。因みに僕はいろは推しなんだが。
…何故、女子同士で手を繋ぐのですか?
この謎の解を得ないまま、僕達は海浜幕張の駅を降りる。気候もよろしく、駅前は大変な賑わいである。人の背丈の数倍はあろう野球のボールのモニュメントが微妙だ。はっきり言えば、ダサ。この感覚、だから千葉県民は…と揶揄されてしまうのだ。
僕は比企谷何某と違い、千葉県民ながら千葉を愛せない。そもそもパパもママも千葉県民ではなかった。浮世の成り行きで世帯を持ち、何の因果か現在千葉県民と化しているに過ぎない。
そんな僕に郷土愛が目覚める訳もなく、地元民に愛を持てる筈もなく。然しながら、今僕の目の前を歩くかなえちゃんがもし地元愛に溢れているならば、僕は簡単に趣旨替えする事に吝かでない。千葉を愛そう。かなえちゃんと共に郷土に根差そう。何の問題も無い。
要はー人なんて、人が居なければ生きていけないのだ。孤高を気取っていても、其れは人恋しい思いの裏腹に過ぎない。表と裏。表裏一体。そう、僕ら人間という生き物は、人と群れていなければ生きていけない。
この事実は一昨日かなえちゃんとラインしていて気付いたんだ。この一年間、いや数年間、学校にトモダチ一人作らなかった僕は、その心内で強烈な人との触れ合いを望んでいたのだ。その証拠が今は亡きミッチだ。
アイツが家に来て、アイツと交わる様になり(変な意味の交わりじゃないよ)、ミッチはその役割を終え、あの世に行ったのだ。かなえちゃんと交友関係になり、ミッチの事を思い出すことも無くなった。
そう、思春期に入り対人関係が上手く行かない人間は二次元なり妄想なりの「友人」を心に存在させることで、人間性を保っているに過ぎない。だから対外的に「俺は一人で十分だ。友人なんて面倒臭い」と曰う彼や彼女の心にはちゃんと其れに見合ったもう一人の自分を創作し存在させている。
逆説的に、コミュ力があり友人に事欠かない人間の心に、もう一人の自分や親友なぞ存在意義が無いと言えよう。
「ちょっと… 秋田くん? 何か難しい事一人で考えてるんでしょ(笑)」
かなえちゃんがショッピングの途中で僕を振り返り、優しく微笑みかける。
「いや、ちょっと。人の存在意義とか、そんな事を、ね…」
「もー。せっかく遊びに来たんだから! 楽しもうよ!」
おう。楽しもう! コイツをどっかに放置して、二人で…




