第2章 第2話
月曜日の授業の準備を何もせずに落とされたので、慌てて支度をし家を出る。いつもよりバス二本遅くなってしまい、教室に到着すると授業開始直前であった。
…教室の雰囲気が、何かおかしい。何かがいつもと違う。
妙に注目されている気がする。辺りを見回すと、顔を背ける者、ニヤニヤしているヤツ、興味津々の顔で僕をガン見する娘… 何なんだよ、一体…
一限目が終わると、これまで口を聞いたことのないヤツが寄って来る。
「オマエさ、昨日栄町のラブホ行ってたって、マジ?」
思考停止。何なら呼吸停止。危なく心肺停止。
「それも、メッチャ可愛い子と入ってたって、ホント?」
「まさかなー、チョー真面目くんの…アレ、コイツ名前なんだっけ?」
「秋田。だよね?」
何故か女子も絡んでくる。
「で、どーなん? その話マジなの?」
「ナイナイ。こんなヤツに彼女いる訳がねーじゃん」
「オメエがいねーからって(笑)」
「ウッセーな、このクソドーテーが!」
「んだとこの野郎、ぶっ殺すぞ」
喧嘩はやめて、二人を止めて!
僕のために争わないで、もうこれ以上…
椅子が倒され、机がひっくり返るのを横目に僕は教室を出る。と、そこにも他のクラスの奴らが僕をU M Aでも見る目付きで遠巻きにしているではないか!
察するに。昨日彼女とラブホに入るところ、乃至は出る所をこの学校の生徒に目撃され、それが一晩で周知徹底された様だ。
何と言う低俗且つ下族的な集団なのだろうか。プライバシーと言う概念が全く無いのは許容しよう、だがよりによってあんな女を彼女扱いされる事に大いに憤慨している。
其れとも何か、あんな可愛い子を金で買ったとでも言うのか? 其れならまだ許せる。寧ろその方が都合が良い。だが、あんな裏表がハッキリし、超絶演技派の嘘つきD V女と付き合っている、などと噂されてしまう方が僕にとって痛恨の極みなのである。
有り得ない。断じて有り得ない。あんな女とカップル認定されてしまうなんて。其れならまだボッチ童貞イカ臭野郎の方がずっとマシだ。アニオタ二次元恋愛派認定の方が寧ろ嬉しい。
夜に部屋に忍び込み、首を絞めて気絶させる彼女?
人の制服を嬉々として人前で着脱する彼女?
人の部屋のゴミ箱を漁り鼻をつまみながら罵る彼女?
大人のおもちゃの電源を興味津々で入れてしまう彼女?
ラブホの風呂場で一人ローションを塗りたくり喜ぶ彼女?
僕を好奇の目で見る男子生徒に問いたい。こんな彼女、欲しいですか?
彼女が違う学校だったのが不幸中の幸いだった。其れから僕は就業のチャイムが鳴るまでずっと顔を伏せ何も喋らず、誰に何を話しかけられようと完全に無視し、授業終了と共に足早に教室を出た。
下駄箱で僕は久しぶりに捕獲される。去年何度か同様の事案があり、親が学校側に訴え出てから久しくなかった事案だ。
五人ほどの捕獲人が僕を懐かしの体育館裏に連行する。それを見ていた周りの生徒達がニヤニヤした表情で彼らを後押ししている様子だ。
「久しぶりじゃん、秋田ちゃーん」
「最近おとなしくしてたと思ったらさ、何調子こいてんのオマエ」
いきなり腹部に強い衝撃を感じる。
「んで? 栄町のラブホ行ったって、マジ?」
僕は彼女を見習い、嘘をつくことにする。そちらの方がこれから受けるであろう物理的ダメージが少ないだろうと推察し。
「い、行く訳ないじゃん。僕、彼女いないし」
「だーよーなー。オマエ如きに彼女できる訳ねーよなー」
臀部にローキックの衝撃を感じる。
「いやー、安心したわー。まさかオマエに、なあ」
背中に足跡をつけられた感触がする。
「いる訳ねーよなあ。あービックリしたあ」
頭を叩かれる。が、彼女程の衝撃は来ない。
「でもよお、火のない所に煙は立たず、って言うじゃん」
僕は衝撃を受けたーこいつ、良くそんな格言を知り正しく使うなんて… 名前を言えない彼の顔をまじまじと見てしまう。
その彼の平手打ちが体育館裏に響き渡る。口に鉄の味が広がる。知らず目から涙が零れ落ちる。
「おいおい田沢―、顔はマズイって。顔はー」
その田沢何某が向かって左の口角を上げながら、
「もしもー。オマエにリアル彼女がいたらー。マジ殺す」
鳩尾に田沢何某の右フックが入り、呼吸困難になる。
「あー、俺コイツ大っ嫌い。見てるとマジイラつく。殺しちゃっていい?」
良い訳ないだろ! と突っ込みたくなるのを抑え、
「ゴメンなさい。もう勘弁してください」
これ以上打撃を受けたら、自宅に帰り着く自信がない。ので、交渉に入る。
「彼女なんて要りませんし、作りません。だから許してください」
何某を除く四人が大爆笑する。腹を抱えて大笑いしている。
「この卑屈な態度。謝れば許されると信じ切っている傲慢さ。そして何よりー」
かつて無い衝撃を左頬に受ける。脳が揺れる。目に火花が飛び散る。膝が砕け地面に這いつくばる。
「心の中で俺らを見下してるこの態度。いつか殺すから。マジで」
頭がクラクラする中ではたと気付くーこの何某、知性を感じる。どこか僕と共通のやるせない不満を持っている。行きどころの無いやるせなさに苦しんでいる。
けど其れを暴力で晴らすのは断じて許されない。僕のようにアニメ、漫画、ゲーム、そして今は亡きミッチの様なもう一人の自分相手に晴らすべきなのだ。
彼らが立ち去り、ジンジンする左の頬を摩りながら僕は戦慄するー 何某は本当にいつか僕を殺すかもしれない。僕は彼の鬱憤ばらしに殺されるかもしれない。法治国家の日本で有り得ないと思われるかも知れないが、彼の目は真っ直ぐだった。自分への不満、社会への不満を晴らせない現状を打破するには、人一人殺すのも吝かでない。そんな目をしていた気がする。