第1章 第15話
「パパ、ママ… とっても美味しいですよ。信じられません」
彼女が切長の目を大きく見開いて蟹焼売を頬張る。そーなん? 本場上海の方が美味いんじゃないの?
「そうかー、ほら、もっと食べなさいっ これも、それもっ」
「ちょっとパパー、そんな脂っこいものばっかり… ユートンちゃん、野菜も食べなきゃ」
「ハイ、野菜も食べます。ああ、なんて美味しいのでしょう」
パパもママも大満足だ。彼女も本当に嬉しそうだ。まあ、良かった良かった。
そんな僕は小籠包の熱々スープを啜りながら、帰りにどこの書店に寄ろうか考えている。其れにしてもここの小籠包は本当に美味い。って、他の店のを食べた事がないから比べようも無いのだが。
「上海の一番のお店よりも、ずっと美味しいです。驚きます」
そっかー。やっぱここのは本当に美味しいんだ。
だから、何?
ミッチがいなくなり、今朝くらいから自虐的な僕が出現している。
小籠包が美味いのがそんなに偉い訳?
途端、口腔から味覚が消失する。同時に深い溜息が出る。そんな僕に目もくれず、両親は彼女につきっきりだ。
テーブルをひっくり返して席を立ちたくなる衝動を必死で堪える。僕にしては珍しい、と言うか初めての暴力的衝動だ。
其れが何に由来しているか考えるのも億劫なので、味のしない炒飯を口にかき込む。
食べ終わる頃には、僕の奥歯は悲鳴を上げていた。
「でさ、この後パパとママ、ちょっとデートしたいんだよねー、だから二人で先に帰ってくれないかな〜」
パパがウインクしながら財布から五千円札を抜き出し僕に差し出す。
「ミッちゃん、この辺をユートンちゃんに案内してあげなさいよ、ね?」
「二人で、どっかカフェにでも行くといいよー」
「ほら、タピオカミルクティーの美味しいカフェあったじゃない、パルコの裏に。そこ行ってらっしゃいよ。ね、ユートンちゃん」
「行きたいです、私。ミツルさん、連れて行ってくれますか?」
満面の笑顔で彼女が僕を見る。が、目が笑っていないのを悟る。
「わかった、わかった。じゃ、ユートンちゃん、行こうか」
「ハイ、行ってきますね、パパ、ママ」
「夕飯、買って帰るからー。ゆっくり遊んでらっしゃいねー」
パパとママはこれ見よがしに手を繋いで去って行く。
今日ほど親に殺意を感じた事は無い。鉄アレイを二人の脳天に二階から落としてやりたい衝動を抑え、僕は踵を返し歩き出す。
パタパタとした足音が僕を追う。振り返ると睨み付けるような細い目で僕を追う彼女が居る。
思いっきり音を立ててタピオカミルクティーを啜る彼女を鼻で笑う。当然彼女は其れに気づき、
「何?」
「あのな。日本では音を立ててモノを食べない。飲まない。これがマナー。」
「ふん、そ」
幾分啜る音が抑えられた気がする。小さな小さな優越感に浸る。
「ミツル、私行きたいところがある。連れて行け」
僕は柄にもないブラックコーヒーを啜りながら、
「はあ? どこ?」
「ラブホテル」
僕はコーヒーを吹き出す。彼女のシャツが白でなくてマジ良かった。
激しく咳き込みながら、
「お前、バカか?」
「は? 意味不」
ほう。たった一週間でここまで上達するとは。ひょっとしてこの娘、頭良いのでは…
「何するところか知ってるのか?」
「セックスだろ」
やっぱ、馬鹿だ、この女。
徐々に店内の耳目は僕らに集中する。僕は声を潜め、
「行って、何すんだよ」
僕は務めて冷静に吐き捨てる。心の23%程はドッキンドッキンしながら。
「別に。行ってみたいだけ。お前とセックスする訳ねーだろ」
遠くのテーブルでコーヒー噴射音が聞こえる。コイツ…ヒソヒソ声の術を早急に伝授せねば…
「カラオケがあって、映画も見れるのだろ。あと大人のオモチャで遊べるのだろ」
隣のテーブルのO L風おねいさんがタピオカを喉に詰まらせ激しく咳き込む。
「日本の、伝統工芸品? こけしがあるんだろ? しかも動くヤツが」
ちょっと可愛い店員が運ぶ途中の水の入ったグラスを自由落下させてしまう。徐々に店内はカオス状態と化していくのを僕はもう止めることが出来ない…
「あと、よく効くマッサージ器があるんだろ、デンマとかいうヤツ。スゲーなラブホテル。セックスだけじゃなくリラックスできるじゃんか」
全テーブルで客が俯き震えている。中にはハンカチを取り出し涙を拭う女子も居る。
「ところで、ローションって何だ? 肌に良いのか?」
よせ、やめろ。
「其れより、あれ、なんと言ったか… 私が座りたい…」
僕はオーダー書を掴み席を立とうとする
「スケ、ベース?」
「スケベ椅子!」
どっかーん。
店内は大爆発だ。爆笑の渦に逆らい、僕は彼女の手を取りほうほうの体でカフェを後にしたものだ。
栄町に入り、そこらに鎮座するラブホを眺め、緊張感が急激に上昇してくる。この僕が、ラブホ? 有り得ない。しかもこんな可愛い女子と…
チラリと隣を窺う。好奇心に満ち満ちた目が大きく見開かれている。
「ほら、ミツル、何処にするか? いいとこ知ってんだろ、何処?」
「知らねえよ、ま、あの辺でいいんじゃね?」
新そうな一軒を僕は指差す。彼女も気に入った様で、
「よし。行こう。さ、早く!」
と言って僕の手を握り足速に歩き出す。
実は女子と手を握ったのが、これが初めてだったり。
ラブホに入る、女子と手を握る。
初物尽の僕は、手を引かれるがまま、まだ新築の匂いに満ちたラブホのエントランスを潜るのであった。