第1章 第11話
「わかりましたか?」
彼女の顔が僕の鼻先10センチに迫る。思わず反り返りながら、
「わかりました!」
彼女は今日イチ満足そうな顔となる。
「教えてください。あなたがよく話すのは何ですか、『僕』って何ですか?」
「えっと… 『僕』って言うのは、『私』と同じ意味なんだけど…」
首を傾げる彼女。
「僕はゆーとんです。これでいいですか?」
真顔で。真剣な顔で。僕は思わず吹いてしまう。
その一秒後。僕の胃袋は外から打撃を受け、胃酸で溶けかけた人参が食道に確かに逆流した。
「何が笑うのですか?」
息を整え、人参を重力で胃に戻し、僕は彼女に説明する。
「僕、って言うのは男の人が使う言葉なんだよ。だから君が僕って言うのは、おかしい」
彼女は首を捻りながら、
「それでは、女が使うは何ですか?」
「ワタシ、かな。」
それから彼女はワタシ、ワタシと呟きながら、腕を組んで僕の部屋をゆっくりと徘徊する。
「日本語には、男の言葉と女の言葉があるんだよ。中国語も同じだろ?」
彼女はポカンとした顔になり− 冷徹無比な表情は鳴りを潜め、何とも可愛らしい表情となる。僕は一瞬にして耳まで真っ赤になってしまう。
「いいえ。チョングオ… 中国語は男も女も同じ言葉です。日本語はやはり難しいです…」
天井を見上げて小さくとんがった顎を僕の方に突き出しながら溜息を吐く彼女の姿に、不覚にもドキドキしてしまう。こんな気持ちは『イシュー事件』前の湯沢かなえ以来かも知れない。
「このように、ワタシに日本語を教えてください。わかりましたか?」
無意識の内に首を縦に振る。
「日曜日。一緒に行きます。楽しみですね」
彼女はニッコリ笑いながら言う。深く首を縦に振る。
「もし行かなかったら」
表情が一瞬にして能面と化す。ドキドキがドックンドックンに変化する。
「オメーをぶっ飛ばす」
……
三十秒は見つめ合っていたかもしれない。
「これも… 男の言葉でしょうか…」
「… ルフィー、知ってんだ…」
「ワンピース、みんな大好きです、チョングオレン… 中国人は」
意外な事実に僕は驚きを隠せない。
何なら笑顔モードの彼女への淡い想いも、隠せない…
その逆の、能面モードの彼女への恐怖も…