マリールゥの幸せカフェへようこそ
残酷なシーンはありませんが一応R15をつけました。
長めですが、サクサク読めると思います。お楽しみいただければ幸いです。
それは、貴族学院の卒業パーティでの出来事だった。
「マリールゥ・シェリンガム、君との婚約は、「はい、承知いたしましたわ!婚約破棄を謹んでお受けいたします。」
わたくしは婚約者様の言葉に被せるように畳み掛けた。
「それでは準備がございますので、失礼いたしますね。皆さまご機嫌よう。オリバー様、そちらの男爵令嬢様とどうぞお幸せに。」
「お、おい、待て!話を最後まで聞け!」
聞くわけありません。どのみち婚約者様の仰りたい事はわかっている。彼の後ろでニヤニヤ笑っている男爵令嬢と真実の愛とやらを育んでいるのでしょう?
ああ、馬鹿らしい。何が真実の愛よ、と思う。愛情に真実も偽りも無いっての。
(お前が嫌いだ!と正直に言えば良いのよ。)
一目散に我が家の馬車に飛び乗ってシェリンガム邸へ帰って、かねてから準備していた鞄を取り出して、お父様お母様宛の手紙を机の上に置いた。
ちょうどその時に侍女のユリアが部屋に飛び込んできた。
ユリアは大きな布包みを背中に背負って、布袋を肩から斜めがけして、侍女服ではなく下町娘のような衣装を着ていた。わたしも準備していた簡素な衣装に着替えた。
「ユリア!」
「マリールゥ様!準備は万端、細工は流流、仕上げを御覧じろ、でございますわ。」
ユリアとしっかりと目を合わせて手を取り合ったわたくしは、屋敷内をスタスタと大股で歩く。淑女らしくない?そんなの関係ないわ。使用人達が、え?と驚いた目で見ているけど、構わないわ。
だってわたくし、マリールゥ・シェリンガム18歳は本日をもって貴族令嬢を辞めて平民として生きていくのだから。
お供は猿キジ犬ではなくて、同じ転生仲間のユリアだけ。
さあ、マリールゥの新しい人生が始まるのよ!
*
わたくし、マリールゥ・シェリンガムはいわゆる異世界転生者だ。高熱で寝込んだ5歳の時に悪夢にうなされて前世を思い出した。16歳で交通事故にあった、日本で女子高生をやってた自分を。
まず自分の体がとても小さい事に驚いて、ベッドサイドに置いてあった小さな鏡で確認してみた。見慣れた黒髪黒目の女子高生の代わりに、ピンクブロンドの巻き毛に赤い瞳の超絶美少女が映っていた。
「ぎゃあー!」思わず叫んだけど仕方ないと思う。
目覚めたわたしを見て、お父様とお母様は泣きながらわたしを抱きしめてくれた。そしてわたしは自分がマリールゥ・シェリンガム侯爵令嬢5歳だと言う事を知った。
ちなみにお父様もお母様も恐ろしいほどの美形で、わたくしはお父様譲りの赤い瞳と、お母様譲りのピンクブロンドなので、紛うことなき彼らの実子だ。
さて、どうやら異世界転生らしい、あの交通事故で死んじゃったんだとなると、その次に考えるのは、この世界がいわゆる乙女ゲームの世界ではないのか?という事。
幸いな事に、乙女ゲームにありがちな、継母による継子虐めはなく、意地悪な義妹も今のところいない。お父様とお母様は正真正銘実の両親でマリールゥはひとり娘、シスコンの兄もヤンデレな義弟も今のところはいないのである。
いずれどうなるかわからないが、これでしばらくは虐待を受けるキャラではない事が確定して、ホッとした。痛かったり辛いのは嫌ですもの。
それにしても、マリールゥという美少女が出てくるゲームなんてあるのかしら。わたしは知らない。だからユリアに出会うまでは、自分の立ち位置というものがよくわかっていなかった
*
ユリアはわたしより2歳年上で、わたしが10歳の時に遠縁の男爵家から行儀見習いとしてやってきた。
歳が近いからとわたし専任のメイド(後に侍女に格上げ)となったのだが、ある時急に
「マリールゥ様は前世を信じておられますか?乙女ゲームとか………」と、カミングアウトしてきたのだった。
その時わたしは、鼻歌で日本のアニメの主題歌を歌っていたのだ。無意識に。
ユリアはわたしの鼻歌に思いきり被せてハモってきたのだ。
わたし達は二人で見つめあった。
何という幸運。前世が同じ日本で、しかもわたしの知らないマリールゥが登場する乙女ゲームを知っているというユリアを、まるで天からの助けのように感じたわ。
ユリア・リンクスの前世は20歳の記憶まであると言う。小さい頃からの病気でずっと入院していて、そのまま亡くなってしまったそうだ。だから友達もいなくて楽しみはゲームと小説だけだったみたい。
そしてユリアはそのゲームをコンプリートしたと言うので、一番気になる事、わたしが悪役令嬢なのかどうかを尋ねると、違いますと即答された。わたしはモブ当て馬令嬢なのだと言う。
ユリアは、自分が転生者だと気がついた時に、まず調べたのがマリールゥが実在するかどうか、という事だった。
ゲームの中でほんの少ししか出てこなくて、ヒロインの罠に嵌って婚約破棄の上、修道院へ追いやられてしまう当て馬令嬢のわたし。
ユリアはそのマリールゥ推しなのだと言う。だから伝手を頼って我が家にやってきた。シェリンガム家の遠縁に生まれた事を心より感謝したと、ユリアは目を潤ませながら言い切った。
ユリアは、わたしの外見がとても好きみたいで
「マリールゥ様の御髪やお肌に触れられるなんて、興奮して手が震えますわっ!」とうっとりした顔で撫で回すので、わたしはその盲目的な愛情に若干のストーカー気質を感じてしまうのだった。
さて、ゲームのストーリーでは、マリールゥはレイヴンズクロフト公爵子息の婚約者となるけど、貴族学院の卒業パーティで婚約破棄されてしまう。
モブ当て馬なので、その後のマリールゥの消息はゲーム上では出てこない。ヒロインと攻略対象の会話の中にちらっと一行だけ出てくる。
「マリールゥ様は修道院へ向かう途中、賊に襲われてお亡くなりになったわ。」
ちなみにこれは、ヒロインがどのルートを選んでも共通との事。悪役令嬢ではないのになぜ!?修道院とはどういう事?
そして家柄が良く超絶美形で性格も良いマリールゥが何故死なねばならんのか!と、ユリアは前世で随分憤っていたらしい。
情報が圧倒的に少ない。
いつ、どこで、どういう状況でマリールゥが殺されるのか詳細がわからないし、あれ程溺愛している両親はその時どうしてたのだろう。愛娘を修道院へ送るその意図とは?
「結局モブだからじゃありません?そこら辺は省略されちゃってるんですよ。」とユリアは事も無げに言うけれど、実際この世界で生きているわたしにしたら、そんな曖昧な理由で殺されてはたまったもんじゃないわ。
絶対に生き抜いてやる!わたしはそう決めた。
そうとなれば、全ての始まりが婚約にあると推測したわたしとユリアは、対策を練ることにした。
まずは、お父様が大好きだから結婚するならお父様みたいな素敵な方じゃないと嫌だとファザコン全開で、婚約の申し込みをゴネて拒否しまくった。この世界の高位貴族となれば、子どもの頃に婚約者を決めるのが普通で、しかも我が家は侯爵家で、美少女の誉れの高いマリールゥには多くの婚約申し込みが来ていたようだ。それらを悉く断って欲しいと、マリールゥは泣いて訴えた。
「だってお父様とお母様が大好きなんですもの。一生おうちにいるのー。」
あざとい。
見た目ふわふわで甘いお菓子のような美少女が潤んだ目で訴えれば、マリールゥを溺愛する両親を落とすのなんてイチコロなのだ。
しかし、計画は思った様には進まないものだとわたしは11歳にして悟った。
義理の弟が出来てしまったのである。
親戚の子爵家の三男クリスティアンが我が家の後継養子として引き取られたのは、わたしが11歳、クリスティアン10歳の時だった。
義弟になったクリスティアン、愛称クリスは、金髪に赤い目で―どうやら赤い瞳は我が一族に多いのかもしれない―とにかくキラキラ眩しいほどの綺麗な子だった。しかも大変優秀で、10歳のくせに、勉強は元現役高校生のわたしより遥かに出来る。
そのクリスが、お義姉さまと慕ってくれる様子が可愛らしくて、最初は警戒していたわたしも一年も経つとすっかり彼と仲良しになっていた。毎日、同じベッドで一緒に寝ていたのだ。
お義姉さま、雷が怖いです……と言って涙目で抱きついてきたクリスのなんと可愛らしかった事!
そしてクリスはいつも、お義姉さま、大好きです、愛しています、どこにもいかないで、、なんて言ってくるの。美形の年下男子、しかも義弟にそんな言葉を囁かれて、応えないわけにはいかない。
「お義姉さまもクリスの事が大好きよ!どこにも行かないわ!」
クリスは安心したように微笑む。その破壊力たるや。だけど13歳になった時に、流石に同じベッドで寝てはいけませんとユリアから叱られた。小さくても男です、とユリアは言った。
クリスは若干シスコン気味だけど病んでいる程ではないし、それに味方は多い方が良い。しかし、当て馬令嬢マリールゥの義弟って攻略対象なのかしら?
ユリアは、クリスティアンという登場人物に覚えはなく、どこかでストーリーが変化しているのではないかと言う。
わたしは、クリスティアン登場というバグで、マリールゥの運命も変わるかもしれないと秘かに期待した。
そんなある日、それは唐突にやってきた。
クリスティアンがやってきて2年経過し、すっかり油断していた時に、マリールゥに遂に婚約者が出来てしまったのだ。そしてその相手が、例のオリバー・レイヴンズクロフト公爵子息なのである。
オリバー様は、同い年の王太子殿下の幼馴染で将来の側近候補、当然のごとく攻略対象者だろう。
あれだけ嫌だとお父様に訴えてたのに、人智を超えたゲームの強制力の前には為す術もない。わたしはがっくり項垂れた。
それでもなるべく会わない様に、交流を持たない様にと慎重に動いた結果、貴族学院入学までの2年間で顔を合わせたのは3回のみ。この頑張りを褒めて欲しいくらいだ。
オリバー様はこの世界では珍しく黒い髪に黒い瞳をした少年で、さすが攻略対象だけあって整った綺麗な顔立ちをしている。クリスティアンがキラキラした美形だとすれば、オリバー様は爽やかイケメンだ。
しかし初対面から彼はわたしの事が気に入らないようで、目を合わせようとはしなかった。むしろ、うっかり目を合わせてしまうと睨みつけてくる。
必要があって話しかけても返事もせず、ぷいと横を向くか席を立ってしまう。流石に失礼ではなくて?
どのみち婚約破棄してくるような不実な男だが、初めからこの態度とは、流石のユリアにも予測できなかったようだ。
「モブの婚約ですからね。製作側も手を抜いたんでしょうね。」
ユリアは考えるのが面倒になると『モブだから』で済ませてしまうけど、モブにはモブのプライドがあるのですよ。こんな奴、こちらから願い下げだわ。
どうやらオリバー様から嫌われているようなので、破棄される前に解消に持ち込めるかもしれないとわたしは秘かに願っていたが、レイヴンズクロフト家からの婚約解消の申し出は待てど暮らせども届かなかった。かといって格上の公爵家にこちらから解消を申し出るのは難しいものがある。お父様は仕事上の繋がりがあるとかで、オリバー様との婚約を手放しで喜んでいるので、婚約解消したいとは言い出せない。わたしはお父様とお母様には弱いのだ。
*
そんなわけで交流はほとんど無いけど婚約者のまま、わたしとオリバー様は貴族学院に入学した。
義弟のクリスティアンは、来年には僕も入学してお義姉様をお守りしますから、それまで頑張って!と、訳のわからないエールをくれた。
わたしとオリバー様は幸いな事にクラスも別だし、顔を合わせる事もなく過ごせていたが、ヒロインの目に余る行動は耳に入ってきていた。なんでも高位貴族の子息達を狙って纏わりついていると聞く。
ある時ユリアが有力な情報を仕入れてきた。
「どうやら転生者と思しき男爵令嬢が、自分がヒロインだと勘違いして公爵子息を含む攻略対象をロックオンした模様です。」
「どういう事?」
「真のヒロインは男爵令嬢ではなく、伯爵令嬢なのですわ。爵位が違います。それにお名前も違うようです。ゲーム内のヒロインの名前はマリア嬢でしたが、学院でやらかしている男爵令嬢の名前はマーリア。似て非なる存在です。」
「ええっ!ではあの男爵令嬢は偽ヒロインってことなの?それなのに何故、皆さん引っ掛けられちゃうのよ?」
「それは、ゲームを熟知する転生者だからでしょうね。そして、真のヒロインが現れない事で、自分がヒロインだと勘違いしてしまったのではないでしょうか。」
「そうなんだ……学院でオリバー様に全くお会いしないから全然知らなかったわ。わたくし達以外にも転生者がいるって事なのね。」
「そうですわね。ところがオリバー様は男爵令嬢が近寄ってきても、我関せずで適当にあしらってるご様子。オリバー様には密かに想うお相手がいらっしゃるようです。公爵家の使用人から情報をゲットしました。」
なんだ、好きな人がいるんだ。それなら慎重に避けなければならない。相手が男爵令嬢であろうと、他のご令嬢であろうと、不要な揉め事は回避したい。
「お相手は不明ですが、オリバー様が時々ため息をつきながら、小さな絵姿を取り出して見つめているという情報を仕入れております。」
「まあいいわ。オリバー様には想い人がいらっしゃるのなら、その線に沿って婚約解消出来るのじゃない?」
「そうであれば良いのですが、どのルートであってもマリールゥ様は婚約破棄されます。しかもオリバー様がメインルートの場合、ありもしない冤罪で断罪されて、修道院へ送られる途中、賊に襲われてデッドエンドです。」
「ほんと、マリールゥに取って厳しい世界なのね。」
「しかしながら、偽ヒロインが同じように攻略が出来るとは限りません。攻略対象も王太子(腹黒)第二王子(短絡)宰相子息(インテリ眼鏡)騎士団長子息(脳筋)辺境伯子息(熱血)公爵子息(冷徹)と、多数いらっしゃいますし、何しろニセモノでございましょう?どうも力不足なようで。
それに……わたしのプレイしていたゲームではオリバー様は王太子殿下の当て馬なんですよねぇ。マリールゥ様を婚約破棄したものの、ヒロインが選ぶのは公爵子息ではないので、お二人とも早々にフェードアウトなんですよ。」
「えー!それって理不尽すぎるわ。当て馬同志ならヒロインが狙わなくても良かったのに。」
「オリバー様は美形ですからね。好みなのではないですかね、偽ヒロインの。」
「オリバー様ルートって事は、結局、婚約破棄からの修道院コースなのね。」
わたしはガッカリして項垂れた。
そしてオリバー様に未接触のままやがて一年が経ち、優秀な義弟クリスが入学してきた。本来なら第1学年の筈だが、超優秀なクリスは入試の際に2年生への進級のテストも試しに受けてみたいと言い出し、それがまた信じられない事に満点だったので、新入生のくせに一年をすっ飛ばしてしまった。
つまり、わたしと同級生になったのだ。しかも、第2学年も最終学年もずっと同じクラスになってしまった。
クリスは学院始まって以来の天才と呼ばれ、その上きらきら眩しい容姿もあって、非常にモテるのだけど、何故か義姉大好きキャラが確立している。とにかくわたしに構うその態度が突き抜けていた。トイレ以外は片時も離れないという溺愛ぶりを発揮して、学友の皆様から生温かい目で見られている。
(義姉弟だから不貞を疑われる事はないと信じたい。婚約破棄の理由にされたら堪らないわ。)
わたしは何とかしてクリスを遠ざけようとするのだけど、そんな態度を取れば逆に詰められる始末で、クリスの距離感については早々に諦めることにしたのだった。
*
さて、学院での3年間、婚約破棄後の修道院へ移動時に命を落とすことを念頭に置いて、その前になんとか隣国へでも脱出して、一人で生きていくために何か技術を会得しようと考えて過ごしてきた。
ユリアは、どこまでもわたしについて行く、捨てないでくださいと、ドレスの裾に縋り付いて頼んできたので、当然よ貴女とわたしは一蓮托生よ!と抱き合っていたら、なんと間の悪い事に、その場面をクリスに見られてしまった。
「義姉さん、隣国へ脱出って?一人で生きて行くって?どういう事?」
クリスが執拗に追求するので、誤魔化しきれないわたしは、クリスにも計画を手伝ってもらう事にした。ただし、転生者である事は隠して、婚約者が男爵令嬢と仲が良いので婚約解消したいが出来ない事、卒業パーティで婚約破棄されるであろうこと、そして趣味と実益を兼ねた事業を始めるために物件を探しているのだと、有耶無耶に誤魔化した。
クリスは「そんな事かなと思っていました。」とため息をついた。義姉さんを蔑ろにするオリバー・レイヴンズクロフトを許さんとか何とか、普段冷静なクリスが怒っているのを見ると、胸のあたりがモヤモヤしてきた。
いや、まだ何もされてないからと宥めたが、
「その男爵令嬢、僕にも言い寄ってきて気持ち悪いので、あの女も斬罪してやります。」と言った。
これにはユリアも驚いて、後でこっそりと言うのには
「そもそもクリスティアン様がバグなのに、あの女(男爵令嬢ね)が見境なく美形に手を伸ばしている時点で、ゲーム内容が変わってしまったようですね。
マリールゥ様、これは明るい未来が待っているかもしれません。それにクリス様って義理の弟だから婚姻は可能ですわよ。
灯台下暗しとは正にこれですわね!」
何故だかユリアを喜ばせる事になった。
*
学院内ではオリバー様を避けて婚約者であることを隠し続けてきたので、わたし達の関係を揶揄する人はいない。婚約者に見向きもされない哀れな令嬢と噂されたら、目も当てられないもの。
わたしはユリアと相談して、無事卒業して生き延びた後、シェリンガム侯爵家に頼らずとも生きていける方法を考えていた。
前世の趣味だったお菓子作りを活かして、こちらの世界では見かけないおしゃれカフェをオープンさせようと考えたのだ。
こちらの世界のお菓子事情は遅れていて、どれもこれも甘すぎし可愛くない。わたしは、道具屋を回って金型を作ったり、カフェ開設の場所選びのために学院の休みの日はユリアと共に視察して回っていた。いつの間にかクリスも付いてくるようになったが、義姉さんの護衛ですからと言ってくれた。ありがたい。
それから、カフェを開いた際に顧客になってくれそうな高位貴族のご令嬢達に、手作りのクッキーなどを渡して交流を図った。
わたしの貴族学院での3年間はその為にあったと言っても過言ではない。
偶然にも王太子殿下の婚約者のエレーナ様とお友達になって、彼女を仲間に引き摺り込んで、お菓子作りサークルを作る事を学院に認めさせたのも良い思い出になった。
講師にはエレーナ様のおうち(エレーナ様は公爵家)や我が家の料理人を呼んで、他のご令嬢達も一緒になって、クッキーだのケーキだのをひたすら作ったので、どんどん手際が良くなっていった。
偽ヒロインの男爵令嬢は王太子殿下を一番のターゲットとして狙っていたようだが、エレーナ様手作りのスイーツにメロメロな殿下が偽物に落とされることはなかった。
その代わりに、わたしの婚約者のオリバー様が捕まってしまったようだ。
なんて詰めの甘い男なんだろう、オリバー様って。
学院では、2年生の時にクリスが飛び級で同じ学年になった以来ほとんど一緒に行動しているので、オリバー様の取り巻きやあの男爵令嬢に絡まれる事もない。
一度、偶々近くを通りかかった時に男爵令嬢がクリスに近寄って、「わあー、美形ねぇ。攻略対象じゃ無いけど、貴方でもいいわね!」などとほざいたが、一緒にいたスイーツサークルのお仲間の令嬢達にしっしっと追い払われてしまうのだから面白い。
「わたくし達はマリールゥ様とクリスティアン様が結ばれる会を結成しておりますの。本当に美形でお似合いのお二人ですわ。」と、彼女達は言う。
わたしはうまく受け流せなくて、あやふな笑顔で逃げる事にした。
わたしの不実な婚約者のことを知っているエレーナ様は、殿下というか王家の力で婚約を解消させましょうか?と言ってくださるけど、卒業パーティで決着が着くのだから安心して欲しい。
エレーナ様とはスイーツサークルで親しくなって、今や親友と言って良い程になった。だから思うの。あの男爵令嬢が手を出したのがオリバー様で本当に良かったって。
もし、狙い通り王太子殿下を落としていたら、エレーナ様が悲しむ。それは許せないと思った。
スイーツサークルの皆様も、クラスメイト達もクリスがわたしの事を好きだと思い込んでいる。
だけどクリスは義弟だし、シェリンガム侯爵家の跡継ぎ養子なのだ。わたしの計画に巻き込むわけにはいかない。
カフェ計画については場所探しの都合で仕方なく協力して貰ったけれど、クリスにはクリスの幸せがあるのだから、卒業パーティ後の脱出計画はバレないように、ユリアと2人きりの時にこっそりと進めてきた。
所詮モブ、そんな言葉が脳裏をよぎる。決戦の時まであと少し。大好きなクリスにはどうか幸せになって欲しい。シスコンも卒業して欲しい。義姉としては寂しいけれど、クリスが幸せならわたしだって嬉しいもの。
*
わたしは無事に貴族学院の3年間を乗り切った、と思う。
勿論、時々はオリバー様と愉快な男爵令嬢とは遭遇してしまい、その度にオリバー様は困ったように睨みつけてくる。わたしは当然無視するが、男爵令嬢は勝ち誇った様に嫌な笑顔でわたしを小馬鹿にするのだった。
もう構わないで欲しい。わたしはオリバー様に一切興味がないのです。
いよいよ最終決戦の前日、わたしはユリアと打ち合わせを済ませた。
跡継ぎ養子のクリスがいるのに、婚約破棄された娘が居座っていたら彼の縁談が纏まらない。お父様とお母様だって、婚約破棄されるようなみっともない娘は要らないと思う。
お父様お母様とそして大好きな義弟クリスティアンの為に、わたしは彼らの前から姿を消さないといけないのだ。
ゲームの力なのか、お父様もお母様も最近はわたしを避けている気がする。お忙しいようで領地と王都の屋敷を行ったり来たりしている。勿論、何ひとつ不自由のない生活をさせてくれるし、会えば、可愛いマリールゥと言って抱きしめてくれるけれど、どこか余所余所しい気がするの。
そして、クリスだけを呼んで3人で別室に消えてしまうのだ。
(あれ、こんなお話だったのかしら?いつ、マリールゥは両親に疎まれるようになったの?)
念のためにユリアに聞いてみると、「そうですわね、そこはモブゆえに何の説明もございませんね。」って!
結局ユリアにもわからないまま、時間だけが過ぎていった。
実子よりも優秀な養子の方を可愛がる、ゲームの世界ではありがちな陳腐なストーリーだけれど、実際自分の身に置き換えたら辛いものがある。
お父様もお母様も大好きだけど、それならば仕方ないと諦めがついたので、卒業パーティで婚約破棄されたら家を出て、かねてより準備してきたカフェ兼隠れ家に移り住む事にした。
その際には、わたしを貴族籍から抜き、シェリンガム家の不名誉な娘は消えるからどうぞクリスティアンとその婚約者を大事にしてくださいませ、と手紙をしたためた。
結局、モブはモブなのよ。
後はクリスが素敵な婚約者を見つけてくれれば良い。
*
卒業式の朝は晴天なのに、何故か急転直下荒れ模様になるんじゃないかと思わせる不思議な空だったわ。ついでにわたしの心も荒れ模様だった。
なぜなら1週間前に、レイヴンズクロフト公爵家から、見事なドレスが届いたのだ。ご丁寧にメッセージカード付きで。
卒業パーティにはこのドレスを着て欲しいと書いてある。
シックな黒地に赤い刺繍が一面を飾る豪華なドレス。
「これって嫌味?なぜオリバー様の色とわたくしの色を合わせたようなドレスを贈ってくるわけ?今さらどういうつもりなのかしら。」
わたしはクローゼットから金糸を加えて織り上げた布に、柔らかな赤みのレースをあしらったドレスを選んだ。
髪はハーフアップに纏め、お父様からもらったピンクダイヤモンドの髪留めを使う。
全体にシェリンガムの色合いで、わたしのピンクブロンドにも良く似合っている。
「まあ!まるで誰かさんの色ね、執着丸出しだわ。」
お母様は嬉しそうにクスクスと笑ったわ。最近お母様とお話しする事がなくて、どうも避けられている気がしたから、突然そんな言葉をかけられてわたしは驚いた。
「お母様。お身体はよろしいの?」
「ええ、今日はとても体調が良いのよ。愛する娘と息子の卒業式があるのですもの。寝込んでなんていられないわ。」
そうなのだ。お母様は少し前から気分が優れないという事で、自室に籠りがちだったのだ。
「クリス、今日はマリールゥの事をよろしくね。お父様とわたくしは卒業式には参加できないけれど、貴方がしっかりとマリールゥを守ってあげてね。」
お母様はクリスの手を取りにっこり微笑まれた。ああ、お母様ともこれで会えなくなるのね、と急に涙が込み上げそうになったわたしは、お母様に抱きついた。そんなわたしの背中をお母様は優しく撫でてくださったのだった。
*
そして卒業式が終わり、パーティが始まった。
わたしは、婚約者のオリバー・レイヴンズクロフト公爵子息に衆目の面前で声をかけられたが、最後まで話を聞く事なく一目散に逃げ出した。シェリンガムの屋敷に帰ると急いで準備をして手配した馬車に乗り、揺られること丸一日。目的の場所に着きました。
あれだけ『逃げる』と見栄を切ったわりに、たった一日の距離?と思われても仕方ない。何故そんな近場になってしまったのかというと、下見に出かけるのは往復2日が限界だったからなのだ。
おまけに護衛代わりに着いてくるクリスが隣国などとんでもない、目の届くところでないと僕が許しませんよと、将来の侯爵の権限を振り翳してきたので、仕方なく王都にまあまあ近くて、治安も良い町の、小さいけれど清潔感のある家を選んだのだった。
一階が小さなカフェで、二階はわたしとユリアの住居になる。生活に必要最低限の家具は既に運び込んであるし、内装もリノベーション済みだ。経費は手持ちの宝石を売って充当した。お父様がしょっちゅう宝石を贈ってくださるので、お金に関しては心配いらなかったのだ。
わたしとユリアは室内に入って寛いだ。ユリアがお茶を淹れてくれる。ああ落ち着くわ。本当は緑茶に饅頭が食べたいところね。
屋敷を出る時、執事も使用人達も目を丸くしていたけど、誰にも止められる事は無かった。少しだけ寂しかった。1人くらい、お嬢様何処へいかれるのです!とか言って、体を張って止めてくれるかしら?と思っていたのだけど。
むしろ、正門前に馬車が用意されていて、使用人達がやってきてずらりと並び、行ってらっしゃいませと一礼をされて驚いた。
ユリアを始めとして、侯爵家の使用人達は本当に良くできた人たちばかりだったけど、両親の留守を狙って勝手に出て行くわたしを見送るってどういう事なんだろうか。
多少混乱したけれど、ユリアが手を繋いでくれて、
「これからお嬢様と2人きりで新しい生活が始まるのですね。」と言って、繋いだ手をすりすりしてくれた時に、ああ1人じゃないのだわと安心した。
*
一週間経過したけど、シェリンガム侯爵家から誰かがやってくる、という事はない。お父様お母様、それにクリスにも見捨てられたのだと思うと悲しいが、修道院へ行く事なく、命を落とす事もなくわたしは生きている。もうそれだけで充分ではないかと思うのだ。
わたしとユリアはカフェ開設の為に、クッキーやケーキを焼いて準備をしている。店の内外に甘い良い香りが漂っている。
そうそう、カフェの名前は『しあわせカフェ』にした。深い意味も捻りも何もない。強いて言えば覚えやすそうだから。
オープンは半月後を考えている。とりあえず細々と始めて、軌道に乗ってきたら、と言うよりほとぼりが冷めたら、スイーツサークルのお友達のご令嬢達にこっそりと案内を出そうと思っている。
ユリアとの二人暮らしは快適で、働き者のユリアがいるから安心できる。夜は二人で日本のアニメの話などして盛り上がる。そんな中で驚いた事がひとつあった。
ユリアは、実は前世は男でした、黙っていてごめんなさいと謝ってきたのだ。言葉遣いの端々や好きなアニメの話から、もしかするとと思っていたのでそれほど驚かなかったけど、そうするとユリアのわたしへの好意はもしや変愛感情なの?と、確認してみた。
「マリールゥ様の事は大々大好き愛していますけれど、今は女なので、百合的展開は望んでおりませんわ。」
「じゃあ、ユリアって元男性だけど、恋愛対象は男性でいいのね?」
「以前に言いませんでしたかしら。レイヴンズクロフト公爵家の内通者、その方がわたくしの恋人ですの。」
「えっ!恋人がいたの?その人を捨ててわたしと逃げてきて良かったの?」
「ふふ。マリールゥ様、甘いですわね。そろそろ、やって来ますわよ。」
「誰が?」
「それは勿論!」
バタン!と大きな音がしてドアが開いた。
「マリールゥ!会いたかったよ。最愛の人!」
そう言って入ってきたのはクリスティアンだ。
「クリス!どうしてここがわかったの!?」
「マリールゥは詰めが甘いんだよ。こそこそ隠れて準備した事なんて全部バレてるよ。」
わたしが衝撃で驚いていると、再びドアがバタン!と開く。
「ユリアっ!会いたかったよ。」
「エドウィン!嬉しい!」
誰?と思って入ってきた男性を見ると、平民のような格好の男前がユリアを抱きしめていた。
「あ、ユリアの恋人さんですか?」
エドウィンと呼ばれた青年がこくこくと頷く。そしてその後ろから顔を出したのは……
「マリールゥ嬢、済まなかった。今まで嫌な態度を取ってしまい本当に済まなかった。あまりに綺麗で眩しい君を目の前にすると、俺は平常ではいられなかったんだぁっ!」
そう言って土下座をしたのはオリバー・レイヴンズクロフト様だった。
「おい、レイブンズクロフト子息、今さら何だ!言い訳不要、婚約は解消されたのだからすぐさま帰って貰おうか。」
片手でわたしの腰を抱いたクリスは険しい表情でオリバーを睨んだ。
「済まん。申し訳なかった。どうか話を聞いてくれないか。そして出来る事なら謝罪をさせて欲しい。あの女の事なんて初めから好きでも何でもないし、父の命令で一緒にいただけなんだ。父は騎士団の管轄をしているから、犯罪者の証拠を掴むために、あの女を誑かして油断させるようにと指示されていたのだ!」
「オリバー様の言葉は本当ですよ。だってオリバー様はマリールゥ様から貰ったハンカチを後生大事に持っていますからね。
そして絵姿を取り出してはこっそり見てため息をついて。
この人は好きな女性をまともに見る事すら出来なくて、にやつく顔を隠すためについつい睨んでしまうという、超絶ヘタレ野郎なんですよ。」
「エドウィン!黙っていてくれ!」
「乳兄弟だけあって容赦ないわねぇ、エドウィンは。」
「ほんとオリバーってヘタレすぎて見てられないんだよなあ。」
えっ!えっ?情報過多で何がどうなっているのかわからないわ。クリスは熱のこもった目でわたしを見つめているし、オリバー様は土下座したまま微動だにしない。そしてユリア達バカップルは、イチャイチャし始めた。
わたしは混乱していたが、とりあえずこの場は収めないといけない。大きな声を出したせいか、家の周りに人が集まってきたわ。いけない、ご近所さんに迷惑をかけちゃう。
だから彼らに向かって告げよう。笑顔で告げよう。
「マリールゥの『しあわせカフェ』へようこそ!
皆様が初めてのお客様です。心より歓迎いたしますわ!」
最後までお読みいただきありがとうございました!
誤字脱字等、感想など送っていただければ嬉しいです。