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ロベリアが起こした不祥事から、スクロ公爵家のタウンハウスでは個人の部屋に新しい鍵が取付けられた。
その鍵は金庫室に厳重に管理されており、公爵と執事長の許可がなければ持ち出すことはできない。またその人物も限られ、公爵夫妻と執事長、メイド長以外はよほどの理由がなければ使うことすら許されなかった。
そんな中、ヴァイオレットの学園卒業が三か月後に迫った。彼女は卒業と同時に王城に移り、その一年後に結婚式を挙げることが決まった。その引っ越し準備で多くのメイドや従僕がヴァイオレットの部屋を出入りすることが増えた。
姉を妬み憎んでいるロベリアはこの時がチャンスとばかりに、下っ端の従僕と新人メイドを脅して作業中のメイド長から鍵を盗ませ、密かにヴァイオレットの部屋の合鍵を作ったのだった。
その日の夜、両親と兄はそろってパーティーに呼ばれており、屋敷にはロベリアだけが残されていた。
いつもは屋敷内を巡回している従僕や護衛兵はそちらに割かれており、今夜は人手が少なかった。
ロベリアは自室で食事をした後、早めに休むと言って侍女とメイドたちを下がらせた。
ベッドに入ってしばらくすると、屋敷の明かりは少しずつ落とされていく。
使用人の多くが使用人棟に与えられた自室に下がり、夜番の者達だけが母屋に残っていた。だがその彼らも公爵夫妻とスクワードを出迎えるために一階に集まっており、プライベートエリアになるこの三階は静かだった。
ロベリアはベッドから降りると自室を出て、二つ離れた先にあるヴァイオレットの部屋に向かった。
手には合鍵を握っている。
それを使って姉の部屋に忍び込んだ。
引っ越し準備が進められているヴァイオレットの部屋には、荷物が詰められたトランクがいくつも並んでいた。だがまだ相当数のドレスや宝飾品はクローゼットの中に残されているようだ。これまではそちらから借りていたのだが、ヴァイオレットの部屋だけはクローゼットにまで鍵が付けられている。その鍵は作った合鍵では無理だった。そのため、ぬいぐるみや小物類が並んでいる棚に近づいた。
そこにはヴァイオレットが大事にしている宝箱が置いてあるのを、ロベリアは知っていた。
有名菓子店の綺麗に装飾された空き箱がそれである。
蓋を開けると、中には庶民が買うような店で売っている安物のブレスレットや、かわいらしいデザインの便箋、来訪した孤児院でもらったらしい手作りの押し花の栞などが入っていた。
公爵令嬢の宝物にしては質素な物ばかりだ。
―――お姉様って貧乏性なのかしら
いつもは見ただけで一級品とわかるドレスや宝飾品を身に付けているヴァイオレットからは想像もできないそれに、ロベリアは鼻で笑った。
箱の中を漁っていると、底の方に刺繍されたハンカチに包まれたそれを見つけた。
金細工でできた蝶の小さな髪飾りだった。
蝶の翅にはアメジストやガーネット、ペリドット、サファイア、シトリンなどの小さな宝石があしらわれている。宝石の質はかなり落ちる物だったが、翅の細工は見事だった。
「綺麗……」
ロベリアはその髪飾りを月明かりに照らして眺めた。
ロベリアの本当の目的はそれではなかった。
今日の昼間、ヴァイオレットに贈り物が届いたのだ。送り主はもちろん王太子のジークフリードだ。
あの事が起こってから、ヴァイオレットに送られたものはすべて金庫室に運ばれるようになっていた。 そこは執事長が厳重に管理している。さすがに金庫室の鍵は手に入れられなかった。
だが運がいいことに今日届いた物は一週間後に開かれる五大公爵家の一つ、ルミーク公爵家のパーティーで着てほしいと贈られた物だったため、すでに箱から取り出されてこの部屋に運び込まれていた。
ヴァイオレットはそのパーティーの前日に帰宅予定である。
どんなドレスだったのか見たかったのだが、クローゼットの中に仕舞われたようだった。これでは見ることはできない。そこで代わりに宝箱を開けてみたのだが、思わぬいい品が入っていた。
ロベリアは髪飾りを当てて鏡を覗く。
蝶の大きさは銅貨よりやや大きい位の物だったが、美しい細工は存在感があった。
ロベリアはその髪飾りを付けたくなった。この程度の大きさなら、自分の持っている髪飾りと一緒に使えば気付かれないだろう。
髪飾りをこっそりポケットにしまい込んで、包んでいたハンカチを箱に戻そうとして目を瞠った。
ハンカチに刺繍されていたのは王太子の紋章とジークフリードのイニシャルだった。
ロベリアの胸に嫉妬と怒りが沸き上がる。
ジークフリードとヴァイオレットは時々街へ降りることがあるという。
庶民の服を着て自分の足で歩き、好き勝手に街を歩き回れるのは新鮮で、貴族の目線からは見えない人々の暮らしが見えると、いつだったかヴァイオレットが夕食の席で話していた。
この髪飾りはその時にジークフリードに買ってもらった物かもしれない。
ロベリアも出来るのならジークフリードと一緒に街歩きをしてみたい。
一生に一度だけでいい。それ以上のわがままは言わないから。
だがそれすらもロベリアには叶わない。そんなささやかな夢さえも姉のヴァイオレットは当たり前のように享受している。
「……いつも、いつも、お姉さまばっかり……なんでよ……。なんでわたくしじゃないのよ……狡いわ……」
ロベリアは小さく吐き捨てると、髪飾りを持って自室へと戻った。
それから一週間後、ロベリアは家族と共にルミーク公爵家のパーティーに出席していた。結い上げた髪にはもちろん、あの蝶飾りを付けている。それを紛れさせるように白い薔薇を挿している。重なった花びらの中から蝶が見え隠れするような演出をした。こうすれば傍目には見えず、だが首を傾ければ花の中から少しだけ姿を覗かせる。これならば勝手に持ち出して使っていることもばれないだろう。
ロベリアはドキドキしながら、ジークフリードの到着を待った。
今回のパーティーにはヴァイオレットも参加予定だったのだが、数日前に体調を崩して急遽取りやめになったと王城から連絡が来ていた。そのため姉はスクロ公爵邸にも帰ってこなかった。
髪飾りの事がばれずに済んだロベリアはホッとした。
ルミーク公爵は宰相を務めている人物だ。その嫡男はジークフリードの従兄であり幼い頃からの親友で、側近でもあった。彼の実家が主催するパーティーにジークフリードは必ず出席する。
今日も一人で出席するらしいことを父から聞かされだが、
「殿下に近づくな。無体なことはするな。立場をわきまえて行動しろ」
ときつく言い渡されていた。お目付け役として兄のスクワードがパートナー役を買って出てくれた。兄の婚約者はそのことに理解を示してくれ、父親と参加するからと快く了承してくれたという。
兄からも「スクロ公爵家に泥を塗るようなことはするなよ」と厳しく言われている。
ロベリアは素直にうなずいたが、そっとスカートの上からポケットを撫でた。そこには密かに手に入れた媚薬を入れた小瓶を忍び込ませている。公爵邸に出入りしている商人からこっそりと買った物だった。
ロベリアはあれから何人かと見合いをしたが、ピンとくる人物は一人もいなかった。
やはりジークフリードがいい。
いつもは姉が傍にいるために挨拶をする以外で近づけないが、今日はいない。絶好のチャンスだ。
ジークフリード以外とは結婚したくない。だが彼は姉の婚約者で、二人は幼い頃から互いを想い合っている。そんな彼を手に入れるには、もうこれしか残っていない。
ロベリアは覚悟を決めた。
そしてその目論見は見事に成功した。
二つ取ったグラスの、ジークフリードに渡す方にこっそりと媚薬を混ぜた。
「お姉様とのご結婚おめでとうございます。ささやかながらわたくしからの祝杯でございます」
「ありがとう」
ジークフリードは疑いもなく、ロベリアが差し出した媚薬入りのワインを手に取った。
ロベリアはグラスを軽く掲げ、一気に飲み干した。ジークフリードも続いてワインを口にした。
それからしばらくして体調不良を訴えたジークフリードは客室に案内された。ルミーク公爵家お抱えの医師がすぐに診察したが、ワインに悪酔いしただけだと告げたため、誰もが安心した。
パーティーはそのまま続いたが、ロベリアも悪酔いした振りをして「お兄様。わたくしも少し具合が悪くなってまいりました。先に帰らせていただきます」と告げた。
心配したスクワードは一緒に帰ると言ったが、
「婚約者様がいらっしゃるのでしょう?お傍にいて差し上げてください。わたくしなら大丈夫ですわ」
と告げて会場を後にした。
だがロベリアは家には帰らず、ジークフリードが眠っている部屋に忍び込み、自分でドレスを脱ぐと彼が寝ているベッドに入り込んだ。
具合が悪いというのは、もちろん嘘である。
温かな人肌を感じたジークフリードは寝返りを打ち、熱に潤んだ目でロベリアを見つめた。
部屋は明かりが落とされており暗い。そしてロベリアとヴァイオレットは背格好が似ているのである。髪の色の違いは闇の中では見えない。
「ん…ヴァイオレット……愛している……」
そう囁いて、泉のように澄んだ淡い水色の瞳が近づいた。
柔らかな唇が触れる。厚い舌が唇を割って咥内に入ってきた。
初めてのキスは苦い味がする。
そんな話をどこかで聞いたことがある。ロベリアの咥内を蠢くジークフリードの舌からはひどく苦い味がした。
だがそんなことよりも、初めてのキスを大好きな人としていることに喜んだロベリアは、目を閉じてすべてを任せた。
翌朝、ルミーク公爵邸は騒ぎになっていた。
王太子ジークフリードが泊まった部屋で、下着姿でベッドに鮮血を散らしたロベリアの姿が発見されたのだった。
人のざわめきで目を覚ましたロベリアは、隣で服を着乱したジークフリードが呆然としているのを見て、ほくそ笑んだ。
娘が帰っていないとルミーク公爵邸を訪ねてきた父親は、あられもないロベリアとジークフリードの姿を見て顔を真っ青にし、その場に崩れ落ちた。
知らせを聞いた母はあまりの事に気を失い、兄のスクワードはロベリアを一人で帰らせてしまったことに自分を責めた。
この不祥事はルミーク公爵によって厳しいかん口令が敷かれ、外に漏れることはなかった。
しかし、起こってしまったことは決して消えなかった。
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