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長かったので二つに分けました。こちらは後半部分です。
それは単なる出来心だった。
ジークフリードに誘われたヴァイオレットが、ピクニックに出かけた日であった。
誰もいないヴァイオレットの部屋に忍び込んだら、ドレッサーの前に菫色のリボンが無造作に置かれていた。姉の誕生日にジークフリードから贈られた物だった。
ロベリアはそれを自分の髪に結んでみたのだった。
鮮やかなエメラルドグリーンの瞳のロベリアに、菫色のリボンはあまり似合わなかったが結んだだけで嬉しくなって、鏡の前で様々なポーズをとって遊んでいた。
そこに近づいてくる足音が聞こえ、ロベリアは慌ててカーテンの中に隠れた。部屋に入ってきたのはヴァイオレット付きの侍女達だったが、幸いにもロベリアに気付かないまますぐに部屋を出て行った。
怖くなったロベリアは自分の部屋に戻ったのだが、その時リボンを付けたままだったことを思い出した。
何度か返しに行こうと思ったができなかった。
勝手に部屋に入って持ち出したことが知られて怒られるのが怖くて、返そう、返そうと思っているうちに月日が過ぎていた。その間、姉や両親から何か言われることはなかった。
それ以来、ロベリアはヴァイオレットの部屋に忍び込み、ジークフリードからプレゼントされた物を持ち出すようになった。
眺めるだけだったのが、いつの間にか茶会に付けていくようになった。
「ロベリア。なぜヴァイオレットのものがお前の部屋にあったのか、きちんと説明しなさい」
「…………ご、ごめんなさい……。とても綺麗だったから借りて……見ていただけです。盗もうとか、そんな思いは本当にありません! ただ綺麗だったから……」
「それをヴァイオレットに言ったのか? 言っていないのだろう? ヴァイオレットはそれをずっと探し続けていたのだからな。
姉妹であっても人の物を黙って持ち出すことは、絶対に許されん事だ。まして王太子殿下がヴァイオレットに贈られたお品をお前が持ち出して使うなど……。お前は自分がした事は王家への不敬に当たるということはわかっているのだろうな?」
「…………はい。……申し訳ありませんでした」
ロベリアは深く頭を下げた。
両親は深くため息を漏らした。
「お前が謝る相手は私達ではない。今度ヴァイオレットが帰ってきたら、直接謝るように。
……殿下には私の方から謝罪を申し上げよう」
「申し訳ございません、旦那様。
母親である私がもっと注意すべきでした。邸内を任されておきながら侍女達に言われるまで気付かなかったなど、監督不行きでございます」
「いや、私にも落ち度があった。スクワードとヴァイオレットの事で君も忙しかっただろうに、任せきりにしてしまい悪かった。これは私達二人の心の緩みが引き起こした事だ。君が悪いわけではない。
……私達はロベリアを甘やかしすぎたのかもしれない。ロベリアにはもう一度、淑女として公爵令嬢としてのマナーを身に付けさせる必要があるだろう」
父のその言葉に、俯いていたロベリアは弾かれたように顔を上げた。
「お、お父様……っ」
「ロベリア。お前にはもう一度、淑女マナーを学ばせる。もう二度とこの様な事を起こさぬように、今度は厳しい講師を付ける。
お前がした事は下手をすれば王家への侮辱罪にもとられかねん大きな過ちだ。それは我がスクロ公爵家への醜聞にも繋がる。
今後一切の甘えは許さん」
「そ、そんな……」
ロベリアは真っ青な顔で父親を見上げた。眉間に深い皺を刻んだ厳しい目に、父が本気であることを思い知った。
ロベリアは十五歳から貴族学園に通っている。それは国内の貴族子息、子女の全員に課せられた義務であり、必須教科の他にマナー講義も受けている。学院のそれは厳しいことで有名なのだが、家に帰った後もさらに同じことをしなければならないのか。
ロベリアは助けを求めて母を見るも、首を横に振られて愕然とした。優しい母も今度ばかりは味方してくれなかった。
「部屋に戻れ」と言われても、そこから動くことなどできなかった。
ロベリアの両目からボロボロと大粒の涙がこぼれる。そんな彼女に手を貸して立たせたのは、執務室の外にいたはずのロベリアの専属侍女だった。
侍女に連れられて部屋を出たロベリアは、扉が閉まる寸前に両親を振り返った。二人とも頭を抱えて疲れた顔で深いため息をついていた。扉が閉まるその瞬間まで、両親は彼女を見ることはなかった。
部屋に戻ったロベリアはベッドに突っ伏して泣いた。
それだけではなく、クッションに八つ当たりして殴り、両親に告口をした侍女にまで当たった。
侍女はロベリアが投げつけたクッションを避けもせず、厳しい顔でロベリアを諭した。
「お嬢様が王太子殿下に抱いていらっしゃるお気持ちには気が付いております。ですが殿下の婚約者様は姉君のヴァイオレットお嬢様でございます。
ロベリアお嬢様。ご自分のお立場を忘れないで下さいませ。お嬢様の行動でヴァイオレットお嬢様だけではなく、スクロ公爵家まで類が及ぶこともあるのです。
私はロベリアお嬢様のため、スクロ公爵家のためを思って行動いたしました。お嬢様の筆頭侍女でありながら意に沿わないことをいたました事には申し訳なく思っております。ですが私は自分が間違っているとは思っておりません」
「何よ! お前までお姉様を気にかけるのね! いつもいつも皆はお姉様ばかり! 狡いわ! お姉様は狡い! 私から何もかも奪っていって!! お姉様もお前も大嫌いよ! 二度と顔を見せないで!!」
「……今回の事でお嬢様が私をお怒りであることは、十分に理解しております。お嬢様がそうおっしゃるのなら、ご命令に従います。ですが、最後にこれだけは言わせてくださいませ。
ロベリアお嬢様はヴァイオレットお嬢様と比べることのできない素晴らしいお方だと、私は存じております。お嬢様が淑女として、スクロ公爵家のご令嬢として立派になられることを心からお祈りいたしております。
……今までお世話になりました」
侍女は深々と頭を下げると、静かに部屋を出て行った。ロベリアはわんわん泣き叫び、そのまま寝入った。
翌朝、ロベリアを起こしたのはいつもの侍女ではなかった。
幼い頃から傍にいてくれた侍女は、ロベリアの「二度と顔を見せるな」という命令に従い、昨夜のうちに辞表を出したという。スクロ公爵夫妻は引き留めたそうだが、彼女の意志は固く、夫妻はそれを受け入れた。
彼女が数日のうちに屋敷を出ていくと聞かされたロベリアは、
「あれは嘘だったの! 頭にきて八つ当たりしてしまっただけ! わたくしが悪かったわ! お願いだから呼び戻してちょうだい!」
そう叫んだが公爵夫妻は許さなかった。
侍女はロベリアに挨拶もないまま、スクロ公爵家を辞した。腹心の侍女を失ったロベリアは泣き崩れたが、雇主の公爵夫妻に強く言い渡されていたのか、使用人の誰一人としてロベリアに優しい言葉をかけてくれなかった。むしろ逆に癇癪を起して解雇にされたら堪らない、と必要以上に近づく者はいなくなった。
ロベリアには厳しい事で有名なマナー講師が付けられ、一から淑女教育を受けさせられた。どれだけ泣いて嫌がっても講師は全く気にかけない。新しい侍女はもちろんのこと屋敷内の使用人の誰一人もロベリアの味方になってくれる人はいなかった。
両親に泣きついても取り合ってもらえず、兄のスクワードからは説教された。
辛い日々の中、ロベリアの怒りと不満は、家にいないヴァイオレットへと向かった。
だが当のヴァイオレットは一向に家に帰ってくることはなく、同じ学園に通っていても二年生のロベリアと最終学年のヴァイオレットでは学舎棟が違うために顔を合わせることすらなかった。
その間も学院やお茶会、パーティーでヴァイオレットとジークフリードの仲睦まじい噂を聞かされ、ロベリアはますます姉を妬んだ。
お読みいただきありがとうございました。