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長かったので二つに分けました。こちらは前半部分になります。
ロベリアが王太子ジークフリードと初めて出会ったのは五歳の時だった。
初めて見たジークフリードの美しさに一目惚れした。
自分よりもやや色の薄い金髪と、澄みきった淡い水色の瞳。整った麗しい顔は無表情で何を考えているのかわからなかったが、優雅で堂々とした姿にあっという間に惹かれた。
彼は婚約者のヴァイオレットが風邪をひいて寝込んだと聞いて、スクロ公爵家のタウンハウスに見舞いにやって来たのだった。
王太子を紹介してくれた兄にそれを聞かされた時、小さな胸にもやもやした感情が芽生えた。
この時、ロベリアは初めて「お姉様は狡い」と思ったのだった。
当時のジークフリードは王妃胎の生まれではあったが、第三王子だった。
王妃になかなか子が生まれなかったために国王は側妃を二人迎えており、彼女たちはそれぞれ男児を儲けていた。その後、王妃は念願の妊娠で二人の王女とジークフリードを立て続けに生んだのだった。
廷臣達は正統な王子の誕生に喜んだが、一部の者達はそうではなかった。
側妃達の親族とその一派の者達だった。
二人の側妃はそれぞれが別の派閥出身の貴族令嬢であったため、普段から仲は悪かったが共通の敵ができたとなれば違う。
彼らの動きをいち早く察知した国王と王妃は先手を打つことにした。
国王の末息子として生まれたジークフリードの立場をさらに盤石なものにするためには、身分確かで地位も権力も財力も持った家から婚約者を選ぶのが一番だった。そこで国王は五大公爵家の一つであるスクロ公爵家の長女ヴァイオレットに目を付けた。
スクロ公爵家は二百年ほど前、第三代王の同母弟が臣下に下った時に戴いた爵位である。長い歴史の中で何人かの王妃を輩出した名家で、王女が降嫁したこともある名門中の名門だった。
そして現当主は財務大臣として出仕しており、国王からの信頼も厚い能吏として有名だった。さらには順調な領地経営で莫大な財産を築いていた。
その長女として生まれたヴァイオレットは、偶然か神の思し召しか、ジークフリードと同じ年に生まれた令嬢だった。
政略的な婚約だったが、二人の仲は良好だった。
ジークフリードは幼い頃から兄王子二人に酷い嫌がらせを受けており、側妃たちの親族から命も狙われていた。そのため感情を表さない子供だった。
いつも無表情であることから「人形王子」、「氷王子」などと揶揄されていた。
そんなジークフリードだったが、ヴァイオレットの部屋に通されると花が開いたような笑顔を浮かべた。
ベッドに駆け寄り、枕元に跪いてあれこれと体調を気遣い、見舞いの品だと言って大量の薬や新鮮な果物を持ってきていた。
その態度で彼がどれだけヴァイオレットを信頼し、大切にしているかがわかる。
「風邪がうつってしまいます」
ヴァイオレットがそう言っても聞かず、熱を持った熱い手をずっと握りしめて、彼女の紫の瞳だけを見つめて喋りつづけていた。
その日ジークフリードは夕方までヴァイオレットの傍を離れなかった。
後日、当然ながら風邪がうつって寝込むことになったが、「ヴァイオレットから貰った」と嬉しそうに高熱に苦しんでいたのを知っているのは彼の従者と専属侍女、王城の医師たちだけである。
ロベリアはそんなジークフリードの後姿をこっそりと見ていた。
自分にもあんな風に笑いかけてほしい。たくさんお喋りしたい。手を握って欲しい。
ヴァイオレットの部屋の扉の隙間から覗きこんでいたロベリアは、兄のスクワードに見つかって怒られ、引きずり離されるまでジークフリードの姿を目に焼き付けていた。
その後ロベリアも風邪をひいて寝込んだのだが、当然ながらジークフリードが見舞いに来てくれることなどなかった。
―――お姉様の時はお見舞いに来てくださったのに、なんでわたくしには来てくれないの?
その事を両親に訴えると、
「何を馬鹿な事を言っているんだ。お前は婚約者でも何でもないのに、殿下が見舞いに来て下さるはずがないだろう」
と叱られた。
―――なんでお姉様だけなのよ。狡いわ。
それ以来、ロベリアは姉が嫌いになった。
ジークフリードを恋い慕う気持ちは年々強くなっていった。
今では何の苦労もせずにジークフリードの婚約者になっている姉を羨ましく、同時に憎らしく思った。
ただ同じ年に生まれたというだけでヴァイオレットはジークフリードの婚約者になったのだ。なぜ母は自分をもっと早くに産んでくれなかったのか。それを何度恨んだ事だろう。
―――ジークフリード様以外の人と結婚なんてまっぴらだわ
不機嫌を隠さずにロベリアはやる気がない顔で釣書をパラパラとめくった。そんな彼女を父は厳しい顔で見つめた。
「まぁ、婚約者の件は任せるとして……ロベリア」
父が鋭い目でロベリアを睨みつける。
「これはどういうことか説明しなさい」
父がポケットから白いハンカチを取り出し、それを開いた。中にあったのは、アクアマリンのイヤリングだった。
ロベリアは背中を嫌な汗が流れていくのを感じた。
「これはヴァイオレットのデビューの時、王太子殿下が贈ってくださったアクセサリーの一つだ。
メイドがお前の部屋で見つけたそうだ。
なぜこれがお前の部屋にあったのか、説明しなさい」
父からは明らかな怒気が発せられている。
両親は普段は優しいが、曲がったことが嫌いで子供たちが間違いを犯せば厳しく叱った。
ロベリアは持っていた釣書を戻すと、青くなる顔を必死で隠しながら答えた。
「…………存じません……。
なぜお姉様のイヤリングがわたくしの部屋にあるのか、わかりません。誰かが置き間違えのではないでしょうか……」
その言葉に顔を険しくさせたのは母の方だった。
「そうなの? では説明してちょうだい。
三日前にケイファル伯爵家で開かれたお茶会に、貴女はこのイヤリングを付けて出席したそうね?
その時伯爵令嬢に「友人からいただいた」と言ったそうだけど、それならなぜこのイヤリングに王太子殿下の紋章とヴァイオレットのイニシャルが刻まれているのかしら?」
「…………」
ロベリアはドレスのスカートを握り、唇を噛みしめた。そんな末娘を母はさらに追及する。
「この紋章を使うことが許されているのは王太子殿下だけです。
そしてそれが刻まれた物を使うことが許されているのは、王太子殿下と婚約者のヴァイオレットだけよ。そんなことは貴女も知っているはずよね? 貴族の娘ならば当然よね?
このイヤリングが王太子殿下からヴァイオレットに送られたお品であることを、私も執事長もメイド長も確認しているわ」
母がちらりと執事を見やれば、彼は力強くうなずいた。
父親と同年代のその執事は、代々スクロ公爵家に使えてくれている執事一家の出身だ。公爵夫妻に誠心誠意仕えており、その彼を公爵夫妻も厚く信頼していた。現在は執事長として当主夫妻を支えている、
「はい。わたくしめも、そちらのイヤリングがネックレスとともに王太子殿下からヴァイオレットお嬢様に届けられたのを確認しております。
メイド長がヴァイオレット様に許可をいただいて確認したところ、宝石箱からイヤリングだけが失くなっていたそうです。
ヴァイオレット様は最近そちらをお付けになったことはなく、ヴァイオレット様の専属侍女も宝石箱から出した記憶はないとのことでした」
執事は「それだけではございません」と言い、小さな箱をスクロ公爵夫妻の前に置いて箱を開けた。
中に入っていたのは菫色のリボンやオルゴール、美しいガラスペンにブローチや髪飾りなどだった。どれも数年前からヴァイオレットが「しまっていたはずなのにいつの間に失くなっているの」と言って、侍女たちに探させていたものだ。
そのことは両親にも報告されていた。
「これらのお品も、ロベリア様のクローゼットの奥から見つかりました」
ロベリアは傍目にもわかるほど体を震わせていた。
ロベリアは王太子ジークフリードに恋をしていた。それを自覚してから、姉への贈り物を見るたびに自分との違いを自覚させられ、さらに姉を妬み、憎むようになった。
ロベリアが王太子からもらえるのは、誕生日に送られてくるカードだけだ。短く「誕生日おめでとう」とだけ書かれていた。婚約者の家族の誕生日祝いに、王太子としての立場から義務的に送っただけのものである。
そうと分かっていても、ロベリアは嬉しくて枕元に置いて寝ていた。これまで送られてきたカードは、大切に宝石箱の中にしまっている。
だがその二月後、ヴァイオレットの誕生日に届けられた贈り物に腹を立てた。
ヴァイオレットの誕生日には、ジークフリードの瞳と同じ色のアクアマリンが目に縫い付けられたぬいぐるみや、職人が丹精込めて作った装飾の美しいオルゴール、有名ブティックに特注したドレスに靴、美しい刺繍がなされたリボンや髪飾りが届けられた。
大きくなるにつれて美しいガラスランプや筆記用具一式、豪華なアクセサリーが贈られるようになった。
そこには必ず大きな花束と直筆の手紙が添えられていた。
―――どうしてお姉様ばかりなの……
自分とのあまりの違いに、ロベリアはますます姉ヴァイオレットへの怒りを募らせた。
たとえ家族でも、自分以外の人に届いた手紙や宅配物を許可なく勝手に開けてはいけません。
勝手に持ち出して使うのは、場合によっては窃盗になりかねません。
絶対にやめましょう。
良い子の皆さんは真似しないでくださいネ。
お読みいただきありがとうございました。