4 ランディ
コンコンと軽く音を立て、ランディはカールの部屋の扉を叩いた。
「うーん……。もうねています……」
微かな声を聞き、静かに扉を開けて部屋へと入った。
案の定、明かりをつけたまま、カールはソファーで横になっていた。
(こんな所で寝て、風邪ひくぞ)
ベッドに移そうとランディは、カールを抱き上げた。
ーーと「結婚式で……してもらった……」カールの口から言葉が漏れる。
寝言……?
結婚式って……まさか……。
「光輝……幸せ……なって……」
「……っ!」
ハッキリと聞こえた言葉に、カールを抱いていたランディは腕にグッと力をこめた。
(……なんで……)
唇を噛み締め、カールをベッドへと運ぶ。
カールをベッドへ寝かせたランディは、横に座り、そっと髪を撫でた。
「……何でだよ……」
ランディの目に涙が浮かんだ。
流れ落ちる前に、拭いとると、カールが起きないよう注意しながらベッドから離れた。
(ーー探さなければ)
ランディはあるモノを探すため、カールが寝ているだろう時間を見計らって部屋へ来たのだ。
カールが隠す場所の目星はついている。
迷うことなくテーブルへ行ったランディは、身を屈め裏側を覗き込んだ。
(やっぱり……)
思った通り、目当てのモノはすぐに見つかった。
チラリと見て、それをポケットにしまう。
(おやすみ……香)
ランディは扉をゆっくりと閉めた。
◇◇◇
ランディは前世での香の夫、光輝の転生者だ。
転生した香の下へ転生することは、光輝が望んだことだった。
ーー前世、香が亡くなってひと月が過ぎた頃。
光輝は一人で、子供の頃、二人が通っていた保育園が併設する寺へ行っていた。
行くつもりはなかったが、その日は何となく足がむいた。
「きつ……」
坂の上の保育園も、お寺も、香と一緒だった幼い頃の思い出がある。
目に入る景色のすべてが、光輝の胸に刺さった。
扉は閉じていたが、お寺の境内の中に祀られている神様に手を合わせて、アパートへ帰るために坂道を下った。
突然の事故で香を失い、慌ただしく葬儀を済ませて、まだひと月。
香がいなくなった実感は、まだ湧かない。
ーー本当に香は死んだのだろうか。
遺体も見た、棺に入った香に別れも告げたのに、家に帰ればいるんじゃないかと……まだ思っている。
ーー香。
ーーと、その時だった。
「おーい、お前さん」
突然、変なじじいの声が聞こえた。
辺りを見回したが、周りに人はいない。
(空耳ってヤツか)
「どうせなら若い女の声がよかった」
どうせなら、香の声が聞きたかった。
「呼んどるだろうが!」
ーーはぁ、最悪だ。
じじいのダミ声が聞こえる。
「こっちを向け、まったく失礼なヤツじゃ!」
じじいの声がうるさい……。
「おい、花野光輝!」
「ーーあ?」
名前を呼ばれムカついた。
何処にいるかもわからない、知りもしないじじいから名前を呼ばれる筋合いはねぇ。
眉間に皺を寄せてもう一度辺りを見回し、坂の上の方へ目を凝らすと、そこにふわふわと宙に浮いた小さな爺さんが見えた。
「……なんだコレ」
金色の着物を着た、白髪の髭じじいが見える。
「おもちゃ?」
指で突こうとすると、じじいは歯痒そうに腕を振り回した。
「ふん! 教えてやろうと思うて呼んでやったのに! ったく今どきの若い……? 若くもないか?」
「じじい、何ブツブツ言ってんだよ」
「じじいじゃない! ワシは神様じゃっ!」
ーーとうとう俺、おかしくなったのかな?
神様っていうのは、こんな派手な着物は着ないだろう?
小さいし、じじいだし。
あー、このじじい、よく見れば透けてる。
立体映像?
どこかに道具が……?
周りに何かあるんじゃないか?
キョロキョロと辺りを見回していると、じじいが偉そうな感じで話しはじめた。
「ワシはお前に、香のことを教えてやろうと出てきてやったんじゃがのう?」
「ーー香の?」
「お前さんがあまりにも悲しんでおるから、ちと教えてやろうとおもうてな」
「教えるって、何を?」
「香は近々転生するのじゃ。香には話しておいたんじゃが、お前さんには伝えておらんじゃろうからな」
「なっ?」
頭の中が真っ白になった。
意味がわからない。
ーー転生?
香には話しておいたって?
驚く俺を見て、目の前の小さなじじいは満足気に頷いている。
この小さなじじいが、神様?
神様って……本当に?
俺はもともと信心深い方じゃない。
願いごとをすることはあるけれど、その度に神様なんていないと実感してた。
実際、何度神様に願っても叶わないことばかりだったから。
けれど……。
「転生って、香は自分が死ぬとわかってたのか?」
この時、俺は目の前に見えている冗談みたいに小さな自称神様というじじいを信じてみようと思った。
「まぁ、半信半疑といったところじゃったのぅ」
「は?」
「香は長年この寺の花祭りに来てくれた。その気持ちが嬉しくてのう、寿命を知ったワシは、思うように転生させてやったのじゃ」
「ーー何言ってるかわかんねーけど、それが本当だとして、香はもう転生してんのか?」
「まだじゃ、あと10年後くらいかのぉ」
じじい神様は、ほっほっと笑った。
まだ、転生していないのなら……。
「じゃあ、俺も一緒に転生させてくれよ」
本当に神様なら、俺の願いを叶えてーー。
心の中でひれ伏せて願った。
「無理~っ! お前さんには、まだ四十年程寿命が残っています」
じじい神様はケラケラと笑って、その場でクルクルと回った。
ーーやっぱり、コイツは神様なんかじゃない。
そう思い、つい睨みつけてしまった。
「そんな顔せんでも。よかったじゃないか、長生きできるぞ」
「よくねーよ。40年って、そんなに長く俺は一人で生きなきゃならないのかよ」
そう言うと、じじいは「はて?」と言い首を傾げた。
「お前さん、女子がおるんじゃろう? 一人じゃないだろうて」
「は? 女子って?」
「お前さんは浮気しとると、香が心の中で言うとったが?」
……は?
「はぁ? 俺が浮気? なんで、なんでそんなこと思うんだよ。俺、そんな事してねーよ」
「あらら、香の勘違いじゃったのか?」
じじいは穴が空きそうなほど俺を見つめて「本当じゃ、違うたなぁひゃはは」と笑った。
笑い事じゃねーよ!
まじ、笑えない。
浮気なんてする訳ない。
ーーだけど、香は俺の浮気を疑っていたのか?
「その話が本当なら、香は俺が浮気していると誤解したまま死んだんだな」
「そうじゃな」
「だったら、やっぱり俺も転生させてくれ! どうにかならないのか? 神様なんだろう?」
もう一度香に会いたい。会って、浮気はしていないと、伝えたい。
どうしてそんなことを思ったのか、思わせてしまったのかわからないけど、どっちにしろ俺が悪いんだ。
会って、謝りたい。
それが転生してできるのなら、俺は今すぐ死んだってかまわない。
残りの寿命なんてどうだっていい。
「たのむ」
正しい願い方なんてわからない。俺は頭が膝につくほど体を折り曲げ頭を下げた。
「うーむ……。どうしても一緒に転生したいのか?」
「……会いたい、どうしても、どんな姿に変わっていてもかまわないから、香に会いたい。会いたいです」
ーー伝えたい。
言えずにいたことを、気持ちを、すべて伝えて、もう一度香と一緒になりたい。今度こそ幸せにしたい。
「そうじゃな、まぁ……いいか」
「……いいって?」
「ワシも、お前さんのことを調べもせずに浮気者と言ってしまったしな。一緒に転生できるようにするとしよう」
「……本当に?」
「ああ、本当じゃ」
パッとじじい神様に後光がさした。
ありがとう……じじい神様。
「それで、転生ってどんな風になるんだ?」
香に会いたい一心で転生を望んだものの、どうなるのかわからない。
一緒に転生させて欲しいと言ったが、同じ時を生きるだけで会えなかったら。
「転生にはいろいろなパターンがあるんじゃが、香には好きに選ばせてやったのぉ」
「好きに?」
じじい神様はコクコクと頷いた。
「香は『王子』になりたいと言うた」
「王子?」
「あと声優ばりの声、金髪で緑から赤に変わる目と魔法が使える様にと言うたのじゃ」
アイツ、漫画とかアニメ好きだったもんな……金髪王子って……ベタな。
「ま、お前さんにもサービスしてやろうかの」
じじい神様は、何やら呟くと懐からパッと紙を取り出した。
「次に生まれ変わるなら~、男と女どっちですか!」
ーーえっ、えっ??
「男、女……? やっぱり、俺は男がいい男で頼む。それで、香を変えて欲しい」
「ええっ?」
「神様だっていうなら、なんでもできるだろう? もしかして、できないのか?」
じじい神様は何やら考え込んだ。
「香の望んだ『王子』というのは変えられん」
「……わかった。じゃあ、香を生まれてすぐ呪われて男になった女性という設定にできるか?」
その提案に、じじい神様は大きく頷いた。
「それは簡単じゃ。転生先は魔法が使える世界、呪いがあってもおかしくはないからのぅ。しかし、呪いとはよく思いついたものじゃ」
じじい神様はニヤリと笑った。
俺も、香ほどではないがアニメやマンガを見てる。
呪いも男女変換もよくある話だ。
「では……」
じじい神様はどこからともなく取り出した筆で、紙に何やら書き込んだ。
「これでよし。して、光輝よ、髪の色はどうする?」
「髪の色……」
「好きな色を選べるぞ」
髪の色まで設定するなんて、ゲームみたいだ。
どうしようか赤もいいなと考えていた時、フッとある人物が頭に浮かんだ。
一緒に香の笑顔も思い出して。
「髪は青みがかった黒、目はアイスブルー」
「ほうほう」
「声は声優の○○○○と同じで」
「何という注文!」
「無理なのか?」
「……簡単じゃ!」
「それじゃあ、背丈は……体つきは……」
「うひょーっ! 我儘なヤツめ」
「それで……香の声を声優の○○○と同じにしてくれ」
「……お前。まあ、香から声の細かい設定は聞いておらんからよしとしよう」
俺の設定は、全部香の好きだったアニメキャラと同じにした。香の声は俺の好みに変えてもらった。
「残りは、前世の記憶じゃな。香は記憶を持ったままじゃが、お前さんは無しでもかまわんぞ?」
「無しって……無かったら転生する意味はない」
「記憶はなくとも魂は喜びを感じるぞ」
「いやだ、俺は……俺が香に会いたいんだよ。姿は違っても、今までのことはすべて覚えていたい」
「わかった。何もかも覚えていられるようにしよう。だが、香の前世の記憶は16歳になるまで戻らん。そこのところは気をつけることじゃ」
「16って、どうして?」
「まぁ、香なりにいろいろ考えてのことじゃ。お前さんは生まれた時からこれまでの記憶を持つことになるが、それでいいんじゃな?」
楽なように思えるが、子供が大人の記憶を持つことは大変なのだとじじい神様は話した。
「香の側にいられるなら、それでいい」
ーーまた、香に会えるのなら。
自分が大変な思いをするのはかまわない。
そうして、生まれ変わりの設定をすべて終えると、じじい神様は俺をジッと見つめた。
「香はお前さんを心から愛しておったぞ。まぁ浮気されたと思うておったから最後はどうかわからんが……」
そう言葉を残しパッと消えた。
「あれ……?」
気づけば、俺はいつも通る商店街の入り口にいた。
ーー辺りはすっかり暗くなっている。
「夢……?」
よくわからないまま、閉店間際の店に入り弁当を一つ買った。
「俺、おかしくなったのか?」
確かに会ったんだが……。
宙に浮かぶ小さなじじい神様。
「ま、いいか」
夢だったとしても、俺はじじい神様との出会いを信じたかった。
転生すれば、また香に会えるんだ。
しかし、香が言っていたという、俺の浮気話が気になる。
俺がどうして浮気をしていると、香は思ったのか。
いつもより重い足取りで、今は俺だけが住んでいるアパートに着いた。
鍵を開け、部屋に入る。
部屋の中は、まだ香がいた頃のまま。
俺の物が多少乱雑に置かれているが、他は何も変わっていない。
まだ彼女がいなくなってひと月だ。
ーー俺は何も手に付かなかった。
このアパートに住んでずいぶん経つ。
長く暮らしたからか、物も増えて……。
「あれ……?」
違和感を覚え、あらためて部屋を見回した。
「なんで……?」
あったはずの香の物が、無い。
白い棚には香が中学生の頃から大切に持っていた少女マンガや小説があったはず。
俺は、二人で使っているタンスの引き出しを上から開けていった。
「どうして……」
香のタンスの中の服が少ない。
いくつかあったカバンもよく着ていたベージュのコートもなくなってる。
食器も一人分しかない。
確か、じじい神様は香にはすべて話したと言ってたが……。
ーーまさか?
俺は慌てて、香が使っていた鏡台の引き出しを開けた。
「あった……」
引き出しに残されていた香の日記帳。
パラパラと捲ると、俺のことがチラホラと書いてあった。
【2月14日、光輝が高そうなチョコを持って帰ってきた。貰ったと言っていたけど、アレって本命チョコだよね……。】
ーー?……チョコ……?
【3月4日、光輝から甘い匂いがした。香水? これって……いや、悪い方に考えちゃダメだ。】
甘い匂い? 3月って……まさか。
【3月10日、スマホに一瞬映った文字……やっぱり他に女の人がいるんだね……。】
スマホに? ああっ……あれか⁈
【4月8日、今日、不思議なお爺さんに会った。神様なんだって。それから、私はもうすぐ死んじゃうらしい。びっくりだよ。転生設定してもらったよ……もう浮気されたくないから男の人にした。】
……俺、浮気なんてしてねーよ。
【5月18日、もう何ヶ月も光輝とキスすらしていない。女として飽きられてるのかな……。
今妊娠出来てもたぶん産めないし……私……。】
………。
【8月9日、ベランダから見えた花火、キレイだった。二人で見れてよかった。これが最後かも知れないし。
光輝は、初めて二人で見た花火、覚えているかな?】
忘れてない……。
中三の夏休み、はじめて二人で出かけた。
香の浴衣姿がかわいくて、キレイで緊張した。
【9月20日、誕生日が近づいてきた。
あの日会ったお爺さん神様が言ったことが本当なら、私の命はもうすぐ終わる。
いつ亡くなるか分からないから、彼の負担にならない様に片付けておかないと……。
嘘だったら、また買い直せばいいだけ。】
【10月2日、こわいよ……光輝。
私、本当に死んじゃうのかな?
私がいなくなったら……。
彼女と幸せになってね。
子供、出来るといいね。光輝の子供、きっとすごくかわいいんだろうな。
ごめんね……本当は私があなたの子供を産みたかった。】
【10月13日、お爺さん神様の言葉は嘘だったのかな?
誕生日まであとひと月、ここまでくると死ぬ気がしない。
自転車置き場の金木犀、花が咲いてた。すごくいい匂い。光輝、きづいてるかな?
あー、漫画売らなきゃよかった!
誕生日がきたらまた、電子で買い直そう。
夕方、今日も光輝からメールがあった。
残業だって。ご飯もいらないんだって。
彼女のところへ行くのかな?
帰ってきてって、メール送ったら……困るよね。
仕事、なんだから。
こんな日に限ってたくさん料理作っちゃった。もったいないけど捨てておく。
明日、いなくなるかもしれないから……。】
日記はその日で途切れた。
香が事故に遭ったのは、最後の日記の翌日だ。
他には何も書いてないのかと、最後までページを捲った俺はその場に崩れ落ちた。
「うっ…………」
目に浮かぶ涙が、最後のページに書かれた文字を歪ませる。
【もし本当に転生できたら、もう一度、光輝あなたに会いたい。大好き】
香……。
何で言ってくれなかったんだよ……何で……俺は気づいてやれなかったんだ!
バレンタインチョコは社長に貰った物だった。
ウチの社長はまだ若く、狙っている女が沢山いて、自分が貰った物を要らないからと社員に配ってきた。
甘い匂いはアロマだ。
俺たちに子供が出来ない原因は、俺にあった。
不妊の検査を受けた翌日、病院の先生が俺に連絡をくれ教えてくれた。今回の検査での俺の精子の量が少なかったと。でも努力すれば増える可能性があるらしい。
検査結果を先に俺に教えてくれたのは、奥さんに先に話すと夫婦間が悪くなることが多いからという、長年医療に携わる先生の気遣いからだった。
だが、そのことは俺にはプレッシャーになった。
自分のせいで、香に辛い思いをさせていたと思うと、香に触れることすらできなくなった。
香が子供を欲しいと思っていることはわかっているのに、行為をしなければ子供はできないのに。
思えば思うほど上手くいかなくなった。
どうにかしようと考えて、会社の帰りに一人で病院や漢方の店に通っていた。
体にいいといわれている物は何でも一通り試した。
ーー香にばかり言えない。
俺も、何も伝えていなかった。
香が見たスマホのメッセージは、会社の後輩だ。
〈『愛してる』って言葉をたまには言った方がいいっすよ〉なんてお節介なメールを送ってきて。
「いまさら……」
そんな言い訳をして、今更何になるっていうんだ……。
「……俺は」
ーーバカだ。
「香……」
タンスの中に残っていた香の服を取り出して抱きしめた。
爽やかな柔軟剤の匂いしかしない。
「香……っ」
俺は……。
◇◇◇
自室に戻り、ベッドに横になったランディは、さっきテーブルの裏から見つけ出したカードを手に取った。
カードの端には赤いバラが描かれている。
これはカールの彼女の一人、スカーレット公爵令嬢のものだ。
「……コイツは?」
スカーレット公爵令嬢が渡したカードには、ランディが知らない女性の名前が記されていた。
「まさか……魔女?」
魔女だったら厄介だ。
今、俺のことを知られては困る……。