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ロードバイク・シンデレラズ  作者: 桜餅食子
2/4

うんこシンデレラ

 圧倒的敗北の翌日。土曜日、天気は快晴。

「ありがとうございました~、気を付けて帰ってね」

 スポーツバイクショップの店員さんが、木造りの出入り口を開けてくれた。カウベルが澄んだ音を出すと、心地よい春風が流れ込んでくる。

 私は買ったばかりのロードバイクを手押しで外に出た。

 店員さんに軽く会釈をして歩き出す。ロードバイク初心者は、サドルの高さに慣れていないから購入後、すぐに乗って帰るのは危ないと言われた。が、購入前に試乗させてもらった際に上手く乗れていたので、問題なく乗って帰れることになった。さすがの順応力だ、やはり、美少女は格が違う……。

 買ったのは「TRAC EDOMONDA SL5」と言うロードバイクだ。カーボン製の車体だが、数年前の型落ちのモデルという事で、今までのお年玉貯金と入学祝い、さらにテレビゲームコレクションの一部を売り払ったお金でようやく買う事が出来た。

 思い立ったが吉日だ。欲しいと感じた物はすぐ手に入れてこそ。

 ショップから出てすぐにサイクリングロードの入り口がある。川沿いに十㎞程度走ると実家の周辺に着くので、購入してすぐに乗って帰ることにしたのだ。

 ロードバイクのカラーは、綺麗な空色だ。チェレステカラーと言うらしい。キュートかクールかで言えば私はクールビューティー系だと思うので、青系の色にした。表面には綺麗にコーティング剤が塗装してあり、ビー玉の表面の艶を思わせる。

 ヘルメットも深めの青色にした。海の底のような色から覗くマイブロンドヘアーは、さぞかし写真映えするだろうな。後で撮っておこう。


 サイクリングロードに入り、自転車に跨ってみる。試乗した時に解ってはいたが、ママチャリとは乗る感覚が異なる。

 まず、サドルに座ると足が地面に着かない。車体を横に傾けてようやくつま先が付く。つまり、停車する際はママチャリと同じ感覚でいると転倒する恐れがある。店員さんが言うには、慣れている奴らは靴をペダルに固定させて走るらしい。当然、停車時は固定されたままだと転倒するのである程度の経験は必要とのことだ。

 漕ぎ出してみると、予想以上にスピードが出た。

 高いサドルの位置と、低いハンドル。窮屈ではあるが、ペダルは無茶苦茶踏み込みやすい。前かがみになることで体重がペダルに乗せられるのだ。確かに、棒立ちの時より前かがみになる方が踏む力を出しやすいし、そういう事だろう。

 後は、漕ぎ出しが軽い。車体の重量が軽いと、ここまで加速に差が出るものなのか。踏めば踏むほど前に出る。風を切り裂き、進む感覚。むちゃくちゃ気持ちいい。

 まるで羽が生えたような気分だった。羽化した蛹のような、晴れやかな解放感があった。

 すばらしい乗り物だと思った。人力で、これほどのスピードが出せるのか。しかも、エンジンは自分の体。排ガスで空気を汚す事も無いのだ。

 調子に乗って、どんどんスピードを上げてみる。

 今、どれだけの速度が出ているのだろうか? スピードメーターは買わなかったな。今度買ってみよう。ネット配信のネタにも繋がりそうだし。

 サイクリングロードにはちらほらと、クロスバイクやマウンテンバイク、ママチャリで走る人たちも居る(クロスとロードの違いは昨日ネットで調べて勉強した)。

 横目で見ながら、クロスもマウンテンバイクもどんどんブチ抜いていく。

 抜き去るたびに、得も言えぬ快感が脳を満たす。

「あれ、ひょっとして私、天才なんじゃね?」

 ロードバイクの方がクロスバイクとかよりスピードが出るのは当然だろうが、初心者だぜ、私。いかにも乗り慣れてそうな奴ら、しかも男性とかより速いとか……天賦でしょ。出ちゃったよ。生まれちゃったよ新時代の獅子が。百獣の王が。

 改めて、今自分が時速何㎞で走っているのか気になる。これ、軽く40km/hぐらい出てるんじゃねーか?

 速度に合わせてどんどんテンションも上がっていく。この万能感は凄いぞ。興奮して脳みそが沸騰するかもしれん。


 しばらく進み続けると、川とは反対側の農道側から、ロードバイクが一台、サイクリングロードに入ってくるのが見える。

 長い髪で、恐ろしく艶のある黒髪だ。明らかに女性のシルエットだった。

 いやまて、よく見るとあのシルエット――。

 忘れるものか、スカイツリー女だ。

 立ちこぎをして、思い切り加速する。今度こそ奴を追い抜いて見せる。単に奴が憎いだけではなく、自分の才能を確かめたい意味もある。ロードバイクに乗る女子高生と言う点で条件は同じだ。どちらが速いのか、白黒つけようじゃないか。

「おい、昨日の入学式以来だな」

 奴に追い付いて、後ろから声をかけた。近くで見ると本当に綺麗な髪だ。振り返った奴の顔も、恐ろしいほどの美形。度し難し。

 私は奴の横について並走を始めた。

「……」

 奴は、不思議そうにこちらを見ている。

「なんだ、昨日の今日でもう忘れられたか? 私、そんな印象に残らないタイプじゃないと思うんだが」

「……覚えてます。歯垢先輩」

「いや同学年だよ!」

 いやそうじゃなくて、歯垢じゃねえし。

「私は九頭竜姫子だ。昨日お前にぶち抜かれたから悔しくて、今日からロードバイクを始めた。今後、歴史に名を残す美人サイクリストだ、覚えておけ」

 ついでに私のウェンスタグラムのアカウントもフォローしとけ。

「昨日の今日でロードバイクを買ったんですか……すごいですね」

「だろ? しかも型落ちとはいえカーボンフレームのロードバイクだ。街乗り用のお前のロードバイクよりも……」

 あれ?

 よく見ると奴のロードバイクは、昨日乗っていたものとは全く違っていた。

「え、何そのバイク、昨日のと違くない?」

「ああ……これはメインのバイクです。昨日のは通学用の中古品です。さすがに、メインバイクで通学はしません。盗難とかも嫌ですし」

「な、なんてバイク?」

「タイヌ社製、アルプデュエル21」

「おいくら?」

「確か……40万円ぐらいです」

「なん……だと」

 聞かなきゃよかった。何となくフォルムから高そうなバイクだと思ってたが、それほどとは。買ってもらったのか自分で出したのか知らんが、女子高生が乗り回すバイクの値段かい、それ。自分のバイクは気に入っているが何故かケチがついたような気分だ、クソ。奴のメタリックブルーのロードバイクが憎たらしく見えてくる。

「否定してやる!」

 ギアを上げて、思いっきり加速する。ロードバイクの速さは人間で決まる、教えてやるよこのボンボン娘が!

 さて、どれほど差が付いたのかなと振り返ってみると、奴が居ない。

「懲りませんね」

「んなにぃ!」

 置き去りにしたはずと思っていたが、奴は私の前を走っていた。加速する際に視線を下げたが、その一瞬で奴は更に加速して、前に出たという事か?

「……ロードバイクは努力のスポーツです。そのバイクは良い物ですが、それだけで経験者より速く走れるようになるわけないです」

 奴は更に加速した。グン、と音が聞こえたような気がした。やばい、置いて行かれる。負ける。またしても。

「――負けるかぁぁぁあ!」

 思いっきり立ち漕ぎをする。車体を左右に振って加速。しかし、差が埋まらない。

 負けたくない。先ほどの万能感が嘘のように消え失せ、虚無が心に押し寄せてくる。それでも、ただ負けたくない。いや、勝ちたい。

「だぁぁぁぁあ!」

 さらにギアを上げて加速。

 ゆるいカーブにさしかかった瞬間、眼前に茶色い物体が現れた。

「犬グソだぁぁぁぁぁあ!」

 前輪は躱したが、後輪が「ソレ」を巻き込んでスリップ。

 バランスを崩した私は、そのまま脇の芝生めがけて落車。

 仰向けになる。

「……空が綺麗だなぁ」

 ふふ。

 背中があったかいやぁ……。泥はね除けがついていないロードバイクの後輪は、水車の如くクソを巻き上げ私の背骨のラインに沿って叩き付けた。おニューの白いスポーツTシャツの背中に、一本に見事な茶色いラインを引いた。ポニーテールにまとめた自慢のブロンドも、きっと「まみれて」るんだろうなぁ。

 泣けてきた。いや、もう泣いてる。


「……大丈夫ですか?」


 え?

 目の前には憎たらしい奴がいた。まさか心配して様子を見に戻ってきただと? 

「だいじょばないよぉおお」

あ、ダメだ、泣いてるから意志通りに声が出ないわ。

「……500メートルほど先に休憩所があります。水も出ますから、そこで洗いましょう」

「いぐ!」

久しぶりに腹から声が出た。

なんだこいつ……意外と良い奴なのか?


そこには公園にあるような噴水型蛇口がついた水道が一つあった。自転車から降りて、髪とヘルメットを洗う。流石に下着姿にはなれないので、Tシャツは洗えない……そのままだ。

洗いながら、改めて惨めな自分に嫌気がさしてきた。

ライバル(仮)の女は、私の愛機に問題が無いかチェックしてくれている。

「倒れたところが芝生で良かったですね、自転車に傷とかヒビは無いようです。汚物も洗えば取れます。ただ、ヘルメットは一度落車したら買い換えた方が無難かもしれませんね。中に見えない割れがあった場合、次は頭を守ってくれませんから」

「……どうしてそんなに優しくしてくれるの? あんなに、目の敵にしてたのに」

「まぁ……私も人の子ですから」

彼女は私のバイクのサドルをポン、と叩いて言った。

「新車犬グソ落車は、流石に同情します」

「……そう」

だよね。私がこいつでも、同じことするもの。

「今回は汚れるだけで済みましたが、今後は大切にしてあげてください。私、TRACのバイクは好きなんです。堅実で、よく走ります」

「え、マジで?」

なんだこいつ、意外と話せる奴じゃないか。

それに、まぁ、同情とはいえ気にかけて手を差し伸べてくれたし。良い奴じゃないか。

「その……悪かったよ。勝手に目の敵にして、勝負を挑んだりしてな。私は顔のいい女が嫌いでね」

「……そうですか」

「でもまあ、あんたの事はちょっと好きになったよ」

「私はうんこまみれの人はちょっと……」

「言わないで!」その言葉は私に効く。

しかし、こいつの速さはいったいどういう事なのだろう。以前も思ったことだが、腑に落ちない。小柄な体躯でよくぞあそこまでのスピードを出せるものだ。

――まあ、想像するに私の知らない技術、知識があるのだろう。スポーツとは得てしてそういうものだ。いくら私が超絶天才美少女だと言っても、乗り込んでる奴にはまだ敵わないという事か。

「私、きっと時速40ぐらいで走ってたよね? なのにお前はそれより速かった。何キロぐらい出てたの?」

「あれで32キロぐらいですが」

「えっ」

マジで? 車に乗っている時よりも、速いスピードで動いてるような感覚だったのだが。

「時速40を一人で維持して走るのはプロ級ですよ」

「がーん!」意外と壁が高かった。

いやしかし、私は決めたのだ。この世界で有名になってやるって。気に入ったのだ、この乗り物を。

「じゃあ、もっと練習してそれぐらいになれれば、大会とかでも優勝して有名になれるってことだよな?」

「まあ……アマチュア女子の大会では断トツでしょうね」

「なるほど、わかった」

「何を?」

「今日から練習しまくって、大会で入賞する。そんでもって、SNSで名前を売るのだ。そしてゆくゆくは人気動画配信者になり、不労所得で一生遊んで暮らすんだ!」

「うわぁ……」何この人、と言う目で私を見てくる。「背中にうんこつけて、何言ってるんですか」

うんこは関係ないだろ、うんこは。どんなアイドルだってうんこするんだよ。まあ、これは別に私の出した奴じゃないけど……。

目標が決まった。あとは上り詰めるのみ。

そうと決まれば、強くなるために必要な要素をそろえる。技術、体力、知識だ。そしてそれらを同時に習得する手筈は、今思いついた。

「お前、名前は?」

「……国見 しずくです」

「よし、しずく、頼みがある! どうか私にロードバイクのなんたるかを、教えてくれ!」

自分より格上の人間に教えを乞う。これこそが一番の上達の近道である。

「感動したんだ、お前の走りに。どうか、師匠と呼ばせてくれ」

師匠。なんと甘美な響き。世の人間は、全員が師匠と言う立場に一度は憧れる。このワードに食いつかない10代女子は居ないだろ?


「嫌ですけど」


「えっ」

食いつきませんでした。



しかし、後に私は知ることになる。

この女、国見しずくが、実はヒルクライムの大会で何度も壇上に登っている、有数の実力者であるという事を。

とりあえずこの場は、なんとなく気まずい雰囲気になったのでそのまま解散した。

帰り道、横を通り過ぎた小学生達が「クサッ」と言い、私の背中を指さして「うんこシンデレラ」と呼んで笑っていたのを聞いた。ブロンドの髪から連想したのだろう。ガキにありがちな直球過ぎるネーミングだが、その稚拙なワードは時として一番心を抉り取るのだと、私はその時初めて知った。

家に帰って風呂に入り、少し眠った。

ふと目を覚ましてからしばらくして、お気に入りだったTシャツが茶色く染まったことを思い出し、泣いた。


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