毒リンゴの呪いの解呪法 ②
休憩時間のたびに上級生が来るので、シイナは早々に性別が違うことがばれてしまった。
「本当に、椎名さんは女の子なんだよね?」
「背高いし、かっこいいし、これなら女の子でもいいかなって思えてきちゃう」
先輩に囲まれて、シイナは王子の仮面のまま笑みを浮かべながら応対しているのが遠目に見ても分かった。そんな作り物の笑顔でもシイナが笑うと、周囲の女子は言葉を一瞬失い、見惚れてしまう。それだけでなく「ありがとうございます。先輩みたいなかわいい人に言われると嬉しいです」と返すシイナの言葉にはいつもながら嫌味がなく、聞く人の耳にすっと入り、黄色い声があがる。「私よりかっこいい人はいますよ」と謙遜すれば、逆にシイナの株が上がっていき、あっという間にハーレムが出来上がった。
しかし、昼休みが近づくにつれ、シイナの表情には疲れの色が見え始めた。
そこで昼休みになるやいなや、机の上の片づけをまだしているシイナの腕を引っ張り、強引に教室の外に連れ出した。そのまま人目に付かないうちに朝に先輩に匿ってもらった教室に駆け込んで、気配すら悟られないように廊下側の窓枠の下に身を隠した。
そのまま少しだけ息を切らしながらシイナと顔を見合わせると、シイナの表情がふっと緩み、笑みがこぼれた。
「どうしたの、シロ君?」
「あのままだと、シイナがパンクしちゃうんじゃないかと思ってさ」
「どうして、そう思ったの?」
「お前、無理してるのバレバレ。ずっと囲まれて、気を遣って相当疲れてるだろ」
「ああ……シロ君には分かっちゃうんだ」
そう言うシイナの表情はどこか嬉しそうで、その顔に思わずドキッとしてしまう。
「でも、お弁当どうしよう? お腹空いたよ」
「後で佑二あたりに届けてもらおうぜ。こうやって強引に連れてきたお詫びに卵焼きあげるから、許してくれ。今日は甘めの味付けにしてみたんだよ」
「えっ? シロ君の手作りなの?」
「卵焼きだけな。あとは残り物と冷凍だけどな」
「そっか。本当に貰っていいの?」
頷いて見せると、シイナはより一層嬉しそうな表情をするので誤解しそうになる。廊下から聞こえる喧騒や足音が大きくなり、顔を見合わせたまま黙り込む。シイナの顔が想像以上に近く、吐く息の温度さえ感じてしまいそうだった。
そっと距離を離し、視線を教室内に彷徨わせながら、覚悟を決める。
「なあ、シイナ」
「なに、シロ君?」
「今でもジムに通ったりだとか自主練は続けているのか?」
「えっ? まあ、体動かすの好きだし、落ち着かないからね。でも、急になんで?」
「もしかして、バレーに未練あるんじゃないか、って思って」
その言葉に反応するように、隣で息を呑み込む音が聞こえた。
「どうして、そんなこと?」
「なんとなくだよ。バレーに辛い思い出があるのかもしれないけど、それだけじゃなかったはずだろ? それにシイナはバレーが本当に好きだったんだろうし、きっかけと環境が整えば、またお前は楽しくバレーができるんじゃないかと思ってさ。これが踏み込み過ぎてるのも、お節介なのも自覚してる」
「いいよ、シロ君なら。踏み込んできてもお節介しても。私ももっと踏み込んでいいならなおさら」
今度は俺が思わず息を呑み込んでしまう。それはふと横目で見たシイナが、嫌そうな表情をするどころか穏やかな表情を浮かべていたからだった。
「俺は踏み込まれたくないやつに踏み込まないよ」
「素直じゃないなあ、シロ君は。でも、さっきシロ君が言ったことは間違ってないよ。私は確かにバレーから逃げたけど、あれはみんなが楽しめないバレーが嫌だったんだと思う。私は勝っても負けても本気で楽しんで、その結果に対して一緒に一喜一憂したいんだよね。そんなチームスポーツの醍醐味を私はもう知ってしまってるから、簡単にあきらめたり辞めるなんてできないよ」
「それはなんか分かる。サッカーでも同じだしな。試合に勝って、みんなで喜びを分かち合う瞬間ってのが最高なんだよな」
シイナも隣で頷いている。そして、真っ直ぐにこちらに顔を向ける。
「ねえ、シロ君は私がバレーしてるところ見たい?」
「見てみたいな。できれば、お前が楽しくやってるところが見たい」
「そっか。でも、それは難しい注文だなあ」
「なんでだ?」
「前に勧誘されたとき、シロ君も一緒にいたでしょ? 私って、バレー界ではちょっと有名人なんだよ」
「全国に出たことあって、チームの主力なら有名でも不思議ではないな」
「うん。まあ、それで過度に期待されるのは仕方ないとして、また私のせいでみんながバレーを楽しめなくなるんじゃないかって思うと怖いんだ。私は期待に応えようと努力することはできるけど、逆に要求するってのは苦手なんだ」
「そうは言うけどさ、俺にはけっこう要求してるじゃねえか。甘いもの食べたいとか色々とな」
シイナは不満げな表情を浮かべながら、「それは相手がシロ君だからだよ。シロ君だから、私は気軽にこうしたい、ああしたいって言えるだけなんだよ」と口を尖らせる。そういうシイナのわがままな部分を今は独り占めにしてるというのは嬉しいことだが、それは本来は隠しすぎなくていいところだ。
シイナは中学時代のことを話したとき自分のことを口下手だと言った。今は要求するのが苦手だと口にする。しかし、きっとそれは違う。シイナは肝心なところで大事な一言が足りないだけなのだろう。
「じゃあ、俺がシイナがバレーを楽しめるように力を貸すよ」
「どうやって?」
「文化祭だよ。ミスコンに出て優勝して、シイナをちゃんと見てくれって全校生徒に訴えてやる」
「それはなんか恥ずかしい」
「だけど、そうでもしないとシイナの言葉がなかなかみんなに届かないだろ? まともにコミュニケーション取れてる相手、俺と渡瀬くらいだろ? 佑二と吉野も数に入れていいかもしれないけど」
「まだいるよ。来未ちゃんとは仲いいもん!」
「そのレベルで張り合ってる時点で今のままじゃあ、前に進むのは難しんじゃないか」
シイナは「ううぅ……」と声を漏らしている。
「だけど、悪いと思ってるよ。上手く行こうかいかまいが、結果シイナを傷つけたり、かかなくていい恥をかかせることになるかもしれない」
「いいよ。シロ君が私のことでしてくれることなら、どんな結果になっても後悔はしないと思う」
「そうか? あとな、文化祭が七月の最初だから、それが終わって部活に入部となると夏大のエントリーには間に合わないかもしれないし、間に合ってもチームのことを考えたら出ない方がいいかもしれない。シイナには負担かかることばっかりで悪いと思ってるよ」
「大丈夫だよ。仮に夏大に間に合わなくてもバレーには春高っていう、秋から冬にかけてがメインの大会もあるからね。それに今から入るなら、夏は補欠や裏方でいいと思ってるよ。それより、シロ君がミスコンに出ることの方が辛そうと言うか、なんというか」
そう言うと、シイナは視線と肩を落とした。自分のこと以上に俺のことを気にしてくれているのは嬉しいが、同時に表情を曇らせたことに心が痛んだ。
「いいんだよ、これくらい。やるなら徹底的にやらないとな」
そんな言葉でシイナの表情はすっと明るくなる。仮面がないと、ころころと表情が変わる。きっと本当はそんな純真さで周囲を惹きつけるようなタイプなのだろう。
「そっか……ありがとう、シロ君。でも、なんで私のためにそこまでしてくれるの?」
「がんばってるやつは報われてほしいじゃん。あとは、シイナには王子としてじゃなく、ただの女子高生のシイナとして楽しそうに笑っててほしいんだよな」
「そっかあ。でも、きっとシロ君は優しいから私じゃなくても同じようなことしたんだろうね。例えば、渡瀬さんとか……あと、中田君とかにもさ」
「それはないんじゃないか? 渡瀬や佑二ならここまでしないな。協力も助けもするけど、恥をさらして自分からミスコンに出ようとまではしないな」
「そっか。そうなんだあ」
シイナの柔らかな楽しそうな笑顔に見とれていると、隣からお腹が鳴る音が聞こえた。そして、見とれた笑顔はみるみると恥ずかしさで真っ赤になっていき、ついついこっちが笑ってしまう。
「じゃあ、そろそろ佑二に鞄持って来てもらうように頼むか」
「シロ君って、たまに意地悪だよね?」
抗議の目と言葉とは裏腹に声と口元は楽しそうで、そうやって感情をダイレクトに出しているシイナを見るのが俺にとって楽しくて嬉しいことになってきている。それならシイナが心底好きで打ち込めるものに向き合ってるときの表情はどんな感じなのだろうかと気になって仕方がない。
佑二に自分とシイナの弁当を持って来てくれとメッセージを送っていると、隣でシイナが、
「私もミスターコンに出ようかな」
と、ぼそりと呟いた。その言葉に驚いて、スマホから顔をあげる。
「急になんで?」
「私とシロ君はこういうときはいつも一緒だったじゃん。だから、今回もその……付き合うと言うか、一緒に恥をかいてあげるよ」
「まあ、シイナがそうしたいならいいんじゃないか?」
シイナは俺の言葉に「うん」と頷きながら微笑むその表情は今までにないほどかわいく見えて、ドキリとしてしまう。
ずっと見ていたいようで、それでいて誰にも見せたくないと思ってしまう。シイナの瞳に吸い込まれそうな気さえしてくる。
そっとシイナの頬に手を伸ばしかけたそのとき、教室の扉が音を立てながら開いた。思わず背筋が凍りさっと手を引いた。そして、入ってきたその人は、
「よう、シロ、椎名さん。クラスでは愛の逃避行だって話題になってたぜ。その逃避行先がこんなところとはな」
と、楽しそうな声で冗談めかしている。そいつに「うるせえ」と返しながら、今はありがたく持って来てくれた弁当を受け取って食べることにした。
そんなやり取りを聞いて、隣で心底楽しそうに笑うシイナを見ていると、それだけでどんなことでも許せて、がんばれる気がした――。




