第89話・出来ることから
「どうですか? 目立ちますか?」
「ほんのり赤みはありますが、気にされるほどではないと思いますわ」
つい泣いてしまったから、目の端が少しだけ赤い。ルーリアは魔法で出した冷水を目に当てながら、クレイアの言葉を思い返していた。
どうしてクレイアは貴重なレシピをくれたのだろう? 前に助けられたと言っていたから、きっとどこかでガインと関わりがあったのだろうけど。ガインではなく、自分が受け取ってしまって良かったのだろうか? と、ルーリアは考える。
ざっと目を通したところ、火蜥蜴のレシピに書いてあるのは、火属性の武器とお守りの作り方のようだった。
……武器は無理だけど、お守りならわたしにも作れるかな?
そんなことを考えている内に、シャルティエが屋敷を訪ねてきた。
「ルーリア、来たよー」
「こんにちは、シャルティエ……って。どうしたんですか、その荷物は?」
今日のシャルティエは両手に大きな荷物をぶら下げていた。運搬用の魔術具に包まれているから軽々と持っているけど、遠目だとすごい力持ちの女の子に見えてしまう。
……何でしょう? お菓子の材料にしては、ゴツゴツとした角が目立つような……?
シャルティエは床に荷物を置くなり、ルーリアの手を自分の両手で包み込んでガッチリと掴んだ。
「聞いたよ! ルーリアも神様のレシピに挑戦するんだってね!」
「えっ、聞いた!? 誰からですか?」
その話が決まったのは昨日の午後だ。
シャルティエは今来たばかりだというのに、いつどこで誰に聞いたというのだろう。
「誰からって、昨日の夕方にユヒムさんから連絡があったんだけど?」
きょとんとするシャルティエにルーリアは一気に脱力する。学園の試験を受けることになったことをどう話そうか、さっきまで真剣に悩んでいたのに。
……くぅっ。ユヒムさんめ。
来年の春、ルーリアが学園の菓子学科の課題に挑戦することになったと、眠っている間に手紙で知らせてくれたらしい。シャルティエはその手紙を読んだ後、すぐにこの荷物をまとめたそうだ。
「それで、シャルティエは何を持ってきたんですか?」
「あー、これ? これはね──」
そう言いながら、シャルティエは荷物を包んでいる魔術具のピンを抜く。
すると中からは、積み重なったたくさんのノートが現れた。全部で八十冊くらいはありそうだ。
「……ノート、ですか?」
覗き込むルーリアにシャルティエは上にあった一冊を渡す。かなり使い込まれたノートのようだ。
「何のノートかは見れば分かるよ」
パラパラとめくると、中には菓子作りのためのレシピが細かく書かれている。書かれている文字は、全てシャルティエの手によるものだ。
「これ、もしかして全部お菓子のレシピですか? どうしてそれをここに?」
「あれ、聞いてない? ルーリアにお菓子作りのアドバイスをして欲しいって、ユヒムさんから頼まれたんだけど」
またしてもユヒムだった。
このノートの山は、今まで作った菓子について書き記した、言わば『シャルティエのレシピ』と呼べる品だという。
そんな貴重なノートをなぜ? と、ルーリアが尋ねるより先にシャルティエが話し出す。
「あのね、私がルーリアと一緒にお菓子作りが出来るのは、神様のレシピの課題を聞く前までなの」
「……え? どうしてですか?」
課題の発表後は一緒に菓子作りが出来なくなると言われ、ルーリアは首を傾げる。
「神様のレシピの課題を受ける人は、誰かと一緒に考えたり、意見を交換し合ったりしちゃダメなルールなの。それを破ってしまうと、試験を受けるまでもなく失格になっちゃうんだよ」
フィゼーレさんに言われるまでは、私もすっかり忘れてたんだけどね、とシャルティエは残念そうに笑う。
「もちろん学園の課題と関係ないなら、会って話すことも一緒に遊ぶことも出来るよ」
「試験には、そんな決まりがあるんですか。それは……残念ですね」
最近は毎日のように一緒に菓子作りをしていたから、急にそれがなくなると言われると、とても寂しい。
「それでね、来年の春まで私のノートを全部、ルーリアに貸してあげようと思って。私は見なくても覚えているから。これを順番に練習していけば、ひと通りのお菓子は作れるようになると思うよ」
一緒には作れないけど、心強いでしょ? と、ノートを片手にシャルティエが微笑む。
「えっ。で、でも、これはシャルティエの努力の結晶でしょう? そんな大切なノートを貸してもらう訳には……」
それに覚えていると言っても、練習中に必要になるかも知れない。シャルティエが持っているべきだと伝えたけど、首を横に振られるだけだった。
「私ね、ルーリアが同じ目標に向かって進んでくれるだけで本当に心強いし、とても嬉しいの」
シャルティエはまっすぐにルーリアを見つめ、手を差し出した。
「どんな形であれ、一応試験だから。ライバルってことにはなっちゃうけど、お互いに全力を尽くして頑張ろうね」
「…………シャルティエ」
その手を取ってもいいものか、ルーリアは迷った。
このノートは、きっとシャルティエの全てだ。
今まで一生懸命に打ち込んできた菓子作りの全てが、ここに詰まっているのだと思う。
この手を取るということは、シャルティエと同じ立場に立つということ。このノートに書かれているレシピが作れないようでは、きっとシャルティエと同じ試験を受ける資格なんてないのだろう。
わたしは……シャルティエと同じ場所に立ちたい。
決意を固めたルーリアは、シャルティエの手をしっかりと握りしめた。
「シャルティエ、ありがとう。来年の春までに必ず全部読んで、お菓子作りの練習を頑張ります」
大切な友達との約束だ。
ルーリアは心の中に、自分の目標を深く刻み込んだ。
「それにしても、ルーリアと一緒にお祭りに行けるなんて思ってなかったよ。今から楽しみだね」
「わたしは……まだちょっと怖いですけど」
明後日の課題発表に一緒に行けるようになったことを伝えると、シャルティエはとても喜んでくれた。
「大丈夫。ルーリアが迷わないように、お祭りの時はずっと手を繋いでてあげるから」
「えぇー……」
シャルティエの中でも、ルーリアは小さな子供扱いらしい。フェルドラルとシャルティエに手を繋がれている自分を想像して、ルーリアはガクッと項垂れた。
「じゃあ、また明日ね」
「はい、また明日」
シャルティエを見送って部屋に戻ったルーリアは、メイドが運んでくれたノートを順番通りに棚に並べた。
それから椅子に座り、一枚の紙を取り出す。
クレイアからもらった火蜥蜴のレシピだ。あの大きな手で書かれたとは思えない、細かくて綺麗な文字が並んでいる。
クレイアは見た目と違って几帳面で手先が器用なようだ。
レシピに書かれている材料は、当然ながらルーリアの知らない物ばかりだった。聞いたことのない名前がズラリと並んでいる。
武器のレシピもあるが、まずは身を守る物を優先したい。ルーリアはお守り用の材料名を別の紙に書き連ねていった。
「フェルドラル、ちょっといいですか?」
「何でしょうか、姫様」
「すみませんが、この紙をユヒムさんかルキニーさんに直接渡してきてもらえますか?」
本当は自分で行きたいけど、間違いなく道に迷う。そして恐らく、迷うだけで終わる。
フェルドラルは紙を受け取ると、書かれている内容に目を通した。
「姫様、これは……」
「調合の材料です。出来ればすぐに欲しいので、『急ぎで』と伝えてきてもらえますか?」
作りたいのは、ガインを守るための魔術具だ。
どうにか祭りまでに間に合わせたい。
口に出さなくても察した様子のフェルドラルは、「かしこました」とだけ言って部屋から出て行った。
……やっぱり、わたしはお父さんの子ですね。
慎重に考えているようでも、結局は身体が先に動いてしまう。自分に出来ることをしていないと落ち着かない。そんな行動がガインと似ているような気がして、ルーリアはクスッと小さく笑った。
急な話だから全ての材料がそろうことはないと思うけど、自分に出来ることには手を尽くすつもりだ。
あと、自分に出来ることは……。
ルーリアは棚に並んだシャルティエのノートを手に取った。
まずは一冊目。中を開けば、たどたどしい文字が並ぶ。その筆跡からは当時のシャルティエの幼さが、そのまま伝わってくるようだった。
小さな手で書かれたであろう文字を、ルーリアは一生懸命に目で追う。文字も菓子作りも覚え始めたばかりのようで、見ているのは菓子作りのレシピなのに、読み進めればシャルティエと同じ時間を過ごしているような感覚になる。
それだけシャルティエのノートには、菓子の作り方だけでなく、その時に感じたこと、疑問に思ったこと、悩んでいること、嬉しかったこと、楽しかったことなど、たくさんのいろんな気持ちが一緒に記されている。
数冊のノートを机に置き、椅子に座る。
シャルティエのノートを前に、ルーリアは今の気持ちを決意に変えた。
手が痛いだなんて甘えたことはもう言いたくない。絶対に全部、覚えてみせる。
その日は眠りに就くまで、シャルティエのノートを読み続けた。
そして夜から朝にかけ、いつものように深く眠っていたルーリアは、ひと晩中、隣の部屋から騒がしい物音がしていたことには全く気付かなかったのだった。
そして翌朝。
ルーリアはいるはずもないガインに、ガシッと頭を鷲掴みにされたような錯覚を感じた。
三階のルーリアの部屋の隣室。
そこへ昨日注文した調合用の素材の数々が運び込まれていたのだが、ルーリアの想像からかなりかけ離れた品物が届けられていた。
「ひいぃッ!! ななな、何ですか、これ!?」
ドンッ! と、真ん中に小型の竜種だと思われる骨格標本が置かれ、その周りには皮やら角やら、禍々しい雰囲気の物が所狭しと並べられている。
あえて言うなら、魔物の墓場。
そんな状態を見たルーリアは悲鳴を上げ、顔を青ざめさせた。絶対にガインに叱られる。
「おはよう、ルーリアちゃん」
隣の部屋の扉を開け、引きつった顔でルーリアが固まっていると、後ろからユヒムが声をかけてきた。思わず、ビクッと飛び上がる。
「これの説明を聞いてもいいかな? フェルドラルさんからは急ぎだと聞いたんだけど」
部屋の中にある物とルーリアを交互に見て、ユヒムは微妙な笑顔を浮かべる。
注文しておいて何だけど、自分も説明を聞きたいくらいだ。
「えっ、と……あははー……」
乾いた笑いを返しながら、ルーリアは他種族のレシピの恐ろしさを噛みしめるしかなかった。





