母の夢
子供たちが机に向かう静かな教室。
黒板には白いチョークで大きく『夢』と書かれている。
結は黒板を背に生徒達に目を向け軽く見渡していた。
「書けたかな?」
その言葉に生徒達は反応を示すがすぐに意識を机上へと戻す。結はそれを見て机の間をゆっくりと歩きながらそれぞれの机上へと目を落とした。
生徒達の書いた作文用紙を覗き込みながら一人一人に声をかけて歩く。
画家、ゲームクリエイター、マッサージ師にスポーツ選手。中にはフリーターなんてものもあった。
ある少女は『先生』と書いていた。それを見て「なぜ?」と問うと「先生みたいな先生になりたい」と言ってくれた。結はとても嬉しかった。教師という職業についてこれ以上ない事だ。
ただただ幸せだと思えた。
ある一人の男の子は『料理人』と書いていた。
「ハルくんは料理が好きなんだ。」
優しく微笑む結の顔を見て男の子は少し考える仕草をした。
「好きっていうか。母さんのユメが『自分の店を持つ』だったから、かわりにオレが叶えてやるんだ。」
そう男の子は笑顔で言った。
男の子の母親は2年前に亡くなっていた。
ホテルの料理長を務めていたがある日、突然に彼女に訪れたのは末期の癌という望みもしないものだった。
手の施しようも無く、残された時間は本当に僅かだった。
しかし、彼女は病気が発覚してからできるだけ多くの時間を、残された僅かな時間を家族と共にすごし。楽しく幸せにいたらしい。
きっとその時だろう。料理を教えてもらったのは。今では男の子が家族みんなのご飯を作っている。
結も知らなかったわけではない。
だがその時、男の子に言葉は返せなかった。
「母さんと一緒におんなじ夢を見るんだ。」
男の子は、あどけなく優しい笑顔をむけて再び作文用紙に鉛筆をあてた。
結はただ優しく男の子の頭を撫で「がんばってね」と言うのが精一杯で、男の子は素直に頷いた。
誰かのための夢。それが自分の夢。
結は、自身もそうだが健という夢を追い続けていた人間をよく知っていた。
だから夢の大切さや大きさを良く知っている。
だが、あらためて夢によって抱ける新たな夢というものを感じた。
そしてそれと同時に思った。いつからだろう、夢を現実と見れなくなったのは。
自分や健は夢を現実へと変えてきた。その他にも多くの夢を見てきたし、叶った夢も多く見てきた。
だが、それでもどこか夢と現実を同一視できなくなっていた。
今を見るばかりで未来を見れなく、期待や望みを託せなくなっていた。
いつかこの子も大人になる。
それでも今の気持ち、心を持ったままの大人になってほしい。
結は心の中でそう願い。ポンポンと男の子の頭に手を置いた。