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君と見る夢  作者: 夏河蛍
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一目惚れ



 二人が初めて出会ったのは、高校1年生の時。


 8月のド真ん中。青々と晴れ渡った空からサンサンと真夏の太陽が照り付けていた。




 その日、結は高校の転入手続きをするため高校の職員室を訪れていた。



 「親御さんは?」



 浅く椅子に腰掛ける結の後ろから湯呑をふたつ持った男性教員がパタパタと足音を鳴らして質問を投げ掛けた。



 「すいません。今日は仕事で来られなくて」



 結の返答を聴きながら男性教員は結と対面する様、椅子に深く腰掛け左手に持つ湯呑を啜るともうひとつの湯呑を結の前に置いた。

 結は「ありがとうございます」と軽く会釈すると足元の鞄に手を伸ばして中からA4くらいの茶封筒を取り出して男性教員へと差し出した。



 「そうか。忙しいんだな。まぁ今日は書類だけだし問題ないが」



 封筒を受け取り、数枚の書類を取り出すと一枚ずつ確認し始めた。

 結はそれを見て目の前の湯呑を手に取り一口啜ると胸の前で湯呑を止め暇そうに首だけを動かし、職員室を見渡した。


 目には入って来るが意識には止めず。たまに目の前からの咳払いに意識を戻すが、まだ視線を落としているのを見て再び意識が漂う。


 今日のTV番組なんだっけ

 帰りにあのお店寄ってみようかな

 そういえば新刊出てたっけ


 そんな事を考えていると窓から入って来た陽の光に不意を突かれ、一瞬視界を奪われてしまい目を瞑った。


 少しずつ光に慣れながら目を開けると、窓の外には大きな木が真ん中に立つ中庭があった。

 校舎の二階にある職員室からは見下ろすようによく見えた。大きな木は高さもあったが幹が曲がっているのだろう、横にも大きく広がり青い葉を着けた細い枝が教室のベランダからでも触れそうな所まで伸びていた。青々とした芝生はすこし伸びているようでフカフカと揺れる。そしてそこには誰かがいた。


 結はその誰かがなんとなく気にかかり目を凝らす。男性っぽいが髪が少し長い。木漏れ日を模様のように浴びながら、片腕を目の上に置き、片膝を立てたまま仰向けになって寝転がっている。その姿は季節に似合わない程、涼しげで暖かく、春のそれとよく似ていた。


 なんだか気が引かれて彼をただ見つめていると目の前から声をかけられた。ハッと目の前の男性教員へ向き直った。

 その反応に男性教員は先程までの結の目線を追う様に中庭へと視線を投げた。



 「まーたあそこで寝やがって・・」



 そう呟くと結へと目線を戻した。



 「書類の方はOK。あとは明日か明後日、親御さんに来てもらえるかな」



 結が返事を返すと男性教員は空になった自分の湯呑を持って立ち上がり、結の持っている湯呑を指差した。それに対し「ありがとうございます」と結は湯呑を差し出した。

 男性教員は湯呑を受け取ると帰っていいと伝えた。

 結は立ち上がり一礼すると歩き出す前にもう一度中庭へ目をやった。


 そこにはさっきと変わらず仰向けに寝転がる彼の姿があった。

 光の模様は僅かに揺れ心地良さそうにそれを浴びている彼。

 

 結はその情景を心に留めると職員室を出た。そして心なしか少し足早になり自然と中庭へと向かっていた。

 外へ出るため来客用のスリッパを脱ぎ、パンプスへと履き替えていると大きな声が響いてきた。



 『天沢!お前はまた!そこは立ち入り禁止だって言ってるだろう!』



 その声を聞き一瞬手が止まるが急ぎ靴を履き外へと飛び出し、先程の中庭へと駆けていった。


 するとそこには、大声で叫ぶ数人の教員とそれに対し中指を立てて大きく舌をだしている彼の姿があった。

 さっきは少し物静かそうに見えた彼とは違いとても無邪気でまるで子供の様に叫んでいた。


 そんな彼を見て小さく笑い出し両手で口を覆った。



 その第一印象は同じで、暖かそうな、まるで太陽のよう。

 そしてその印象はその先も変わる事はなかった。



 結が笑いを抑えながら彼を見ていると彼の元へ大人たちが近寄り、軽く怒鳴ると捕らえられた様に連行されて行く。彼は不機嫌そうにしかし楽しげに抵抗もせずクドクドとした説教を浴びていた。




 「・・・・天沢・・か」



 彼の去り際を見つめながら呟いた。

 そして彼の寝転がっていた場所へと目をやり、少しずつ目線を上へと移しながら頬が緩んでしまう。



 「・・・また、会えるかな」



 一本の大きな木を見つめて、また呟いた。



 結はその後も何回か学校へ足を運び中庭を見に行ったがあの日以降、彼とは出会えなかった。


 それでも結は、ただ一度見ただけの彼が忘れられずにいた。


 結が行くのは晴れた日、太陽の一番高い時間。

 青々とした芝生のカーペットは心地よさそうにそよぎ揺れていた。


 そこで気持ちよさそうに寝息をたてる人影を幻想し、大木を見上げると緑から溢れる木漏れ日が注がれ目を細めた。


 空を見上げると、なぜか幸福を感じる。目的を得た訳でもなく、何も始まってすらいないのに。

 ただ一度見ただけの彼を想うだけで心があたたかくなっていく。


 そして、そのあたたかさは家に帰っても忘れることなく。頭の片隅に追いやっても決して消えることはない。

 むしろ大きくなっていき、常に想っていて。その結果、結の足は幾度となくあの中庭へと誘った。








 「佐々木結です。よろしくお願いします」



 夏の終わりが近づいた頃、結は新たな学校での二学期をむかえた。


 学校生活が始まり、転校生の結はクラスの中心にいた。

 同じクラスに留まらず、隣のクラスからの来訪者も多く、結へ様々な声が飛んでいた。

 社交的でない訳じゃないが、やはり毎日多くの人に囲まれるのは、心なしか鬱陶しく思ってしまう。

 それでも結は毎日愛想を振りまき、色々な情報が入る今のこの状況をチャンスとも思っていた。


 この学校の屋上からは街の全てを一望できる事や中庭の大木はこの校舎と同い年という事。

 来週の日曜日にはすぐ近くの神社で夏祭りがある事や商店街と交わる道に映画館が立ち並ぶ『映画館通り』と呼ばれる道がある事。


 様々な情報があり、その中でも学校内の話には特に耳を傾けた。


 同じクラスの陽ちゃんは絵が上手くて幾つもの賞を取っているらしい。

 同じクラスの中川くんは、いつも他のクラスから来る女子と付き合っているらしい。


 その中、ささやかに。でも確実に彼の情報はあって。結は一つ一つ大切に胸へとおいていった。



 天沢健。同じ一年生。クラスは結と一番遠いクラス。

 少ない中、彼に関するのはあまり良くない噂ばかりで、一度だけ彼について訪ねたことがあった。しかし返ってきたのは、怪訝な顔と本当か嘘かわからぬ悪い噂。そして、関わらぬほうがいい。というアドバイス。


 それでも結はそれを鵜呑みに信じることができなかった。

 なんとなくだが、初めて彼を見たあの日。素行は良いとは思えなかったし、優等生とも程遠かった。それでも優しい人に思えた。

 褒められた態度ではなかったし、大声を荒げていた。だけども、子供のような無邪気さ楽しそうな表情がなんだか優しく見えていた。


 そしてその後も彼について入ってくるのは悪い噂ばかり、それでも結はその一つ一つを大切に胸へとしまっていった。どんな内容であっても結にとって彼の話は何よりも心動かす楽しい話だった。



 時折、彼を見かけたりすれ違ったりしたこともあった。

 あの中庭で見かけた事もあったが、結の周りは常に多くの人がいて声をかけるタイミングを失ってばかりだった。


 目が合うこともあった。というよりも彼は結の周りの騒がしさを睨み付けているようにも感じられた。

 それに目が合うのもきっと結が彼を見つける度に目で追ってしまうから、彼が睨むと必ず結と目が合うからだろう。

 結はその度に精一杯の笑顔を彼へとむけた。

 届いているかもわからないが目が合う度、毎回。







 そして少し日が経って結も学校に慣れ始め、周囲に集まってきていた生徒達も徐々に静かになった。

 友人も数人だができてきた頃のある日の昼休み、結はいつもと同じ様に友達と購買へ行く途中、中庭に彼がいるのが見えた。

 それを見て、つい足を止めた。



 「結?」



 結を見て、どうしたの?という様な表情を見せ、行こうと手招きする友達を見て「うん」と返事ともとれない程小さく返すが引き寄せられるように視線は中庭へと戻った。



 「ごめん。先に行ってて」



 わかった。と了承しながらも不思議そうにする友達を先に行かせ、結は中庭へとゆっくり静かに歩みを向けた。


 そこはあの日と同じ様に晴れた空の太陽が眩しく降り注いでいたが光は前より少しオレンジがかってなんとなく穏やかな印象で射すというより包むようになっていた。あの時より気温も低くなっているが今の方が暖かく感じられる。

 あの大きな木も幾分か痩せた様にも涼しげになった様にも見えた。きっと青々と広がっていた葉の間が少し広がったせいだろう。


 その中で前見た時よりちょっとだけ増えた木漏れ日を浴びる彼は静かに寝息をたてて眠っていた。

 結はそんな彼の隣まで静かに歩み寄ると静かにしゃがみ彼の顔を覗き込むと少し微笑んだ。



 そのままいっときの間、見呆けた後。

 視界の端、彼のすぐ隣に開かれたままのスケッチブックがあるのに気付いた。


 そっと手を伸ばすとそれには一本の木が描かれていた。

 結は何かに気づいたようにスケッチブックを手に取り、目の前に在る大きな木を見上げてスケッチブックと交互に見やる。

 するとその木の枝に唐草の様なもので作られた巣があるのに気づき、そこに小鳥が帰ってきた。

 それを見て結はもう一度スケッチブックへと目を落とすとそこには目の前の木が描かれ次のページにはその小鳥が描かれていた。それはまるでモノクロ写真でも撮ったかの様に細部までリアルにそして優しく描かれていた。


 結は健へと目をやり、またスケッチブックへと目を戻してページをめくった。


 そこには様々な植物や動物、そして人が描かれていた。写真のようにリアルに描かれたり漫画のようなイラストだったり。中には絵画のようなものもあった。


 その中でも多いのは人物画で子供から年寄り迄描かれており。

 そしてそのほとんどが笑顔で描かれていた。


 結は彼へと目を移し、見つめたままクスリと笑った。



 「人のこと見て笑ってんじゃねぇよ」



 急な声に結は、え?と目を泳がせ口では何かを伝えようとしながらも声が出ない。

 彼は慌てる結を軽く睨むと眠そうにあくびをしながら体を起こし、手を上げて大きく伸びた。


 そして何気なしに目線が目の前の大きな木へ行き、すぐに周りをキョロキョロとして、まだ慌て戸惑っている結の手元からスケッチブックをサッと奪い取って、胡座をかきながら素早くページを捲った。

 また木へと目を止めるとそのまま目を離さず手探りで鉛筆を掴み没頭したように手を動かし出した。


 その姿は一瞬まるで何かに取り憑かれたようにさえ見えたが彼の顔を見た結は笑顔になり彼の元へと歩み寄ってスケッチブックを覗き込んだ。


 そこにはあの小鳥の姿と巣の中から大きく口を開け餌をせがむヒナが描かれていった。

 それを見て結はもう一度木の上を見やると、さっきは気づかなかったが確かに小鳥とそのヒナがいた。


 もう一度スケッチブックを覗くとそこには写真の様にそっくりな情景が描かれていた。



 「絵、上手ですね」



 何気なく、ただ思った事を口にしただけ。

 だが彼の手が一瞬止まった。


 彼はその人柄のせいでもあるだろうが人から褒められたことなどなかった。

 いや、正確には人から褒められても素直に受け止められなかった。なんだか上辺だけの軽いものに感じられて仕方なかったから。


 だから初めてだった。素直というより自然と心の中へと入って来た褒め言葉は。



 「・・・ありがとう」



 結の方へも向かず、もう一度手を動かし小さく呟くような音量でそれだけ。



 また、無心で書き始める彼の背中は先程と同じ近寄りがたい雰囲気があったが、結は見えない彼の表情を思い出し頬がゆるんだ。無邪気で楽しそうで子供みたいな表情を。


 でも、実はその時の彼の表情は違っいて、恥ずかしげにはにかむようだった事は知らない。



 褒められた事のない彼は自分の取り柄というものが無いと感じることもあった。

 だからこそ、何故だか結の一言は。


  『あなたには人より長けた物がある』


 と、そう言われたような気がして、暖かくなって、嬉しくなって、むず痒くなっていた。



 そしてそのたった一言が彼の、天沢健の夢を造り。この先の未来への大きなきっかけとなった。




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