身体目当ての婚姻
東の大陸一の国土を有するシェファラリード王国には一体のドラゴンがいる。そのドラゴンの名はシェファラリード。
この国を初代国王が建国した際に手助けをしたドラゴンの末裔だとされるものだ。
シェファラリードは代々城の宮殿に部屋を設けられ、祭事などの公務を除いてはシェファラリードがその部屋から外へ出ることはほとんどない。
王国内の人間はシェファラリードを王族以上に敬い、そして人よりも圧倒的はまでの力と知識を恐れた。そして王国外のドラゴンたちはシェファラリードを人に飼われたドラゴンの恥だと嗤った。
そんなシェファラリードだが彼の悩みは人間に恐れられていることでも、他のドラゴンから嘲笑われていることでもなく、次にやってくる花嫁についてのことだった。
シェファラリードの花嫁となる者は200年に一度人間から選ばれる。
すでにシェファラリードは1200年近く生きていて、もう五人の花嫁を迎え入れているのだが、未だに彼女たちとの子を成したことは一度もない。
シェファラリード史上1000歳を越えるまでに一体もしくは一人の子も成さなかったのはこの五代目となるシェファラリードが初めてで、焦った国王が次こそはと嫁候補を国中探し回っているのだという。
そこまでしてもらってもシェファラリードは次の嫁とも子を成せる気がしなかった。
花嫁としてやってきた少女たちは他の人間の例に漏れず始めはシェファラリードを恐れる。
それはシェファラリードの気に障るようなことではなくて、むしろ体格の差が歴然とある中で堂々としていられるものの方がごく僅かであった。
その例としてはおおよそ王族の面々が挙げられる。
彼らは幼少時代、それこそ産まれて一ヶ月もしないうちからシェファラリードと触れ合って来たのだ。ともなればシェファラリードはドラゴンという一般的な呼称で括るよりも身内としての認識の方が濃いのだ。
かといってその身内から嫁を取るということを歴代のシェファラリードたちはしてこなかった。
そうしてしまえば、ただでさえ国内のほとんどの権力が集まっている王族にこれ以上の力をつけてしまうことになるからだ。簡潔に言えばパワーバランスの問題だ。その辺りの細かい決まりは初代シェファラリードと初代の国王が話し合いの末決めた約束事に則っている。
そしてその約束事を全てパスした少女たちがシェファラリードと完全に打ち解けるまでには何年もの時間がかかる。それはシェファラリードにとってはわずかな時間ではあるが、人間の娘にとってはそうではなかった。
たたでさえドラゴンの子を人間が産み落とすには体力が必要なのだ。若い娘ならまだしも嫁いで十数年経ってしまった娘が初めての子を産むのには無理があった。
娘たちは産んでくれようとしたが、シェファラリードは仲良くなった彼女たちに無理をしてほしくはなく、結局子を成すことのないまま娘たちが一生を終えるのを見守ることしかできなかった。
今度来る少女とも時間をかければきっと打ち解けることができるだろう。けれど国王が望むのは次のシェファラリードなのだ。子を成したからといってその子どもがドラゴンかどうかは産まれてみないとわからない。
異種間で子を成すというのはそういうことなのだ。
「はぁ……」
シェファラリードの身体の何倍もの大きさのある宮殿で、その身体に見合うほどの大きなため息を一つついたのであった。
それからひと月ほどして、シェファラリードの前にしばらく現れることのなかった国王がやって来た。
「シェファラリード! 私は君にぴったりの女性を見つけたぞ!」
国王は少年のように爛々と目を輝かせてシェファラリードを見上げた。
「あ、ああ……」
もう人間で言えば結構な高齢にあたる国王ではあるが、シェファラリードにとって彼はまだまだ幼い少年のような存在で、いくら年を重ねようが子どものようにしか思えなかった。
そんな国王が今度こそは!と勇んでいるのに実はもう嫁取りは遠慮したいとは言い出せなかった。
思えば200年ほど前もそうだった。
この国の民は大きな身体のシェファラリードを尊敬し恐れているようだが、シェファラリードにとっては歴代の王族の方がよっぽど怖い。
特に怖いのは何かを画策している時よりもこうやって純粋な目で見つめられることだ。慕われているのが、100パーセントの好意で動いているのがわかるからこそそれを非難することが出来ずに受け入れるしかないのだ。
「彼女はすぐにでも来ると言ったが、まだ嫁入りのドレスが整ってなくてな……。出来次第すぐにでもやって来るそうだ」
「……」
シェファラリードは口にこそ出さなかったものの嫁入りに来るという少女を哀れんだ。
今まで一人だって自発的にやって来た少女などいなかった。皆、親に売られるようにしてやって来たのだ。
『シェファラリード様の妻になれることは光栄なことなのだから』
そう告げられ、すでに嫁入りを知っていた親によって注文されていたドレスと、遠くから見たシェファラリードしか知らない恐怖をその身に纏ってこの宮殿へと重い足を運んで来たのだった。
もしシェファラリードが人の様な小さな身体であったならば彼女たちも政略結婚だと割り切れただろう。
実際シェファラリードは一時的にではあるが人と同じ様な身体になることはできた。歴代のシェファラリードの初夜はその身体で行われたのだ。
けれどシェファラリードは今までの女性にその姿を見せたことは一度もない。初めからその姿を取ってしまえば彼女たちはシェファラリードを恐れることは無くなるのかもしれないが、シェファラリードにとってドラゴンの姿こそ真の姿であり妻となるのであればドラゴンの姿の自分を認めてほしかったのだ。
彼女たちの中にはシェファラリードが人と同じ様な身体になれることを知っていた少女もいたかもしれないが彼女たちもまたシェファラリードにそのことを指摘することはなかった。
それからほどなくしてシェファラリードに嫁入りをする少女が宮殿へとやって来た。
その少女を目にしたシェファラリードは声が出なかった。少女はシェファラリードが予想した女性像と真逆だったのだ。
少女の瞳はキラキラと、いやギラギラと輝いており、足取りは軽く、今にもドレスをたくし上げて走り出しそうなほどであった。
宮殿に入ってから一度たりともシェファラリードから視線を逸らさなかった少女はシェファラリードの前まで来ると口を大きく開けて言い放った。
「さぁ、早く子どもを作りましょう!」
それはシェファラリードのところへやって来た少女たちはおろか、他の、人間の貴族に嫁入りをした少女でさえもそんなことは口走らないだろう言葉だった。
いくら子どもを残すことが少女の役目だとしても……だ。
シェファラリードの口が開きっぱなしでいると少女は視線を固定したまま首を傾けた。
「どうされましたか?」
少女の見た目は可愛らしいもので、彼女のために仕立て上げられたドレスは歩くたびに揺れる黒い髪と対極の純白で、コントラストが美しい。
だがシェファラリードは彼女をすぐに受け入れることは出来なかった。
少女がシェファラリードに向ける視線はまるで獲物を狩る動物のそれだ。
少女は国王よりも頭2つ分ほど小さくて、シェファラリードとは歴然たる体格差があるのに……だ。
今のシェファラリードの感覚はドラゴンスレイヤーと呼ばれるハンター達を目の前にした野生のドラゴンたちの感情によく似ているのだろう。
産まれてこの方、人を恐れたことなど一度もなかったシェファラリードであったが、この少女にだけは決して気を許してはいけないと察したのだった。
けれど国王は違った。
「どうだ、シェファラリード。彼女は君を恐れることはないのだ!」
そう的外れな言葉を口にして笑ったのだった。
すぐに国王は積もる話もあるだろうし……と言って宮殿を後にした。
宮殿の門番が扉を閉める直前に国王がシェファラリードに向かって親指を立ててうまくやれよと口を動かしたのをシェファラリードはしっかりと見ていた。
これをどう上手くやれというのかと毒付きたくなるのを必死でこらえ、一応は国王が連れて来た娘だと彼への信頼感から少女を見下ろした。
「名前はなんという?」
「プラントーレ公爵家の三女、セレンディーナ=プラントーレと申します。シェファラリード様の妻となれること、光栄に思います」
「セレンディーナ、君は誰かに強制されてこの場に来たのか? だったら今すぐにでも……」
「それは違います! 私から国王様にひと月ほど頼み込んでようやく認めてもらえたのです」
その言葉を聞いたシェファラリードはもう嫌な予感しかしなかった。
プラントーレ公爵と言えば国一番のグルメ貴族として有名である。彼らは代々公務で宮殿から出て来るシェファラリードに熱い視線を送って来るのだ。
彼らが狙っているもの――それはドラゴンの妻のみが手にする特権だった。
「あなたの子どもを産み落とす代わりにドラゴンの尻尾のお肉をいただけるなんて、妻にならなければ出来ない取引ですもの!」
歴代のシェファラリードは産後の疲労状態にある妻に栄養をつけさせるため、栄養価の高い自分の尻尾の肉を切り取って食べさせるのだ。
いくら時間が経てば生えてくるとはいえ、やはり尻尾を切り離すというのは一大決心であり、子を成してくれた女性たちへの気持ちと信頼があってこそのものだった。
プラントーレ公爵がシェファラリードの尻尾を狙っているのは知っていた。だがまさかプラントーレ公爵家からそんな理由で嫁に来るなどとは思わなかった。
セレンディーナが『取引』と耳にした今もにわかに信じがたいことであった。
「……君はその取引をするために嫁に来たのだ……と?」
「はい!」
「今すぐに実家に帰りなさい!」
「なぜです!」
「身体目当てに結婚しましたって聞いていい顔をするものがどこにいるか!」
「権力目当てで結婚する貴族がわんさかいるので大丈夫です!」
「私が大丈夫ではない!」
そこまで言っても全く引く気配のないのはさすがプラントーレ公爵家の娘といったところだろう。
これは逃げるしかないと宮殿を壊さない様に低空飛行で逃げようとすると、セレンディーナは空を飛ぶシェファラリードの尻尾にしがみついた。
「はぁ……。これがドラゴンの尻尾……。今は鱗で覆われているけれど中のお肉は柔らかいのかしら……」
クルクルとセレンディーナを振り落とすためにシェファラリード専用の巨大なベッドの上で飛び回っている最中もずっとセレンディーナはシェファラリードの尻尾にしがみつきながら今にもヨダレが出そうなほどに嬉しそうに頬ずりをしていた。
「諦めなさい!」
「嫌です! この機会を逃したら後200年も待たなきゃいけなくなるじゃないですか!」
「人は200年も生きられないだろう!」
「人間は愛さえあればなんでも出来るんです!」
「君の場合は愛ではなく食欲だろう!」
その後、朝食の伺いを立てにやって来た使用人が目にしたのは窓から差し込む朝日を鱗に反射させて飛び回るシェファラリードとその尾にしがみついて笑みを浮かべるセレンディーナの姿だった。
のちにシェファラリードはセレンディーナの押しに負け、一人の子を成すと約束通りに尻尾の肉を彼女に引き渡すこととなる。
そしてその味をいたく気に入ったセレンディーナが再びシェファラリードを追い続け、そしてシェファラリードが押し負けという光景が頻繁に見られる様になる。
結果的に一人と一体は歴代のシェファラリードたちが生涯で残していった子どもたちよりも多くの子を成すことになるのだが、そのことをシェファラリードはまだ知らない。