第五話3 Roar
「アサヒの奴、大丈夫なのか」
同時刻、レジスタンスの面々もアサヒに遅れる形で西東京に潜入していた。ひたすら地下通路を駈ける彼ら。ここはソ連兵がこっそり使用している、廃東京に通じる穴だ。旧東京時代からある秘密の通路というわけである。
不安げな表情でシゲに問いかけたのは主任。あたかも鹵獲しましたというように無理矢理改造した痕跡のあるアメリカ製のアサルトライフルを抱えながら走っていても息は上がっていない。
上からは先ほどまで爆音と銃声が絶え間なく響いていたが今は何も聞こえなくなっていた。
「大丈夫っすよ」
対し、シゲは背中に無線機を背負いながら走る。
「なんかジャマーは効果半減しちまってるみたいですけどね。あいつならあの機体を使いこなせる。今まで誰も使えなかった機体だけどあいつなら乗れます」
「……やれやれ、本当にあんな機体が蔓延したらどうなっちまうんだろうな、世界は。アイツしか乗れなくてよかったぜ」
アサヒが乗る『烈風』の名前はレジスタンスが勝手につけたものだ。
アメリカ側の正式名称は。
ロッキード社製プロトタイプ「F−36 Re Phantom」という。
『<KV-10配備完了、ロック完了、敵熱源動き無し、敵影目視確認位置に移動を開始する>』
待っている。
イゴールはそう悟った。
ジリジリと機体を前進させながら攻撃を誘う。少しでも出てきたらそこで終わりだ。あの長大なスナイパーライフルでこの機体を撃ち抜くには建物の影から腕部だけを出すだけでは狙えない。機体全身を晒す必要がある。相手は軽装甲の高速型である以上、出てきた瞬間に全武装を叩き込んでしまえばそこで終わる。
『<目視完了、敵イレイザー、動きあり>』
イゴールは上空で待機しているヘリからの映像をちらりと見る。やや不鮮明ながらアサヒの乗るイレイザーがわずかに動いたのが分かった。助走するように身を屈めたように思える。
『<敵イレイザーの速さは異常です。注意した方がよろしいかと>』
『<分かってる。だから一瞬でも見えたら吹っ飛ばすって言ってんだろ>』
確かにあのイレイザーの動きは異常だった。従来のイレイザーは緊急回避用ブースターを使ったところで瞬間的な速度が150km出る程度だ。だがあの機体は違う。廃東京から接近してきた時にも確認したが通常時の移動速度が200km、戦闘中の瞬間速度で言えば400kmを瞬間的に越えていることもあった。
『<軽いんだ、戦闘機か何かかってぐらいな>』
だから一撃で終わる。
そして、アサヒが動く。
爆発的な勢いでイレイザーは移動を開始した。建物の影を飛び出すように助走をつける。そして、スナイパーライフルを構えてアサヒは息を止めた。
『<撃て!>』
建物の影から巨大なスナイパーライフルが顔を出した。
顔を出した、なんていうものではない。まるで飛んできたかのようだったが、飛び出た瞬間にまず榴弾砲が直撃する。コンマ1秒以下遅れてAPCR砲が連続で発射され、爆煙の中にいるであろう烈風を撃ち抜いた。金属が破壊される轟音が響く。
イゴールはため息をついた。
『<終わったか>』
「終わってねえよ」
刹那、真上から突っ込んできた烈風がブレードでKV-10の装甲を貫いた。
簡単に言うと、アサヒは助走の勢いでそのままスナイパーライフルを「投擲」したのである。
そして、直後に全ブースターを下に向け建物を駆け上がるようにして上空へと飛び上がり、落下の勢いでKV-10を強襲した。
結果としてブレードはKV-10の頭部センサーを原型もとどめぬほどに破壊しそのままコックピットのあるであろう胴体の中心を貫いた。KV-10の機体からブレードを引き抜くと、赤い液体と肉片が付着しているのが見えた。
「<……終わったのはあんただったな>」
『<そう……だな……>』
「<なんだ、生きてんのか>」
動作を停止したKV-10から離れ、先ほど投げ捨てたライフルを拾いにいきながらアサヒは返答する。早く離
れないと先程置き去りにした4機のイレイザーが向かってくる。
『<かか、長くねえよ……一つだけ、教えておいてやる、聞け>』
レーザー通信ではなく、スピーカーから直接イゴールの声が流れる。
「<……手短にな>」
『<待ちなさい少尉。敵に対しての情報提供は軍規違反です>』
スピーカーからあの女の声が混ざって聞こえてきた。ただの通信ならオペレート機から強制的に切らせることが出来そうだったが、レーザー通信からスピーカーに変えたのはそういうことなのだろう。
『<うるせえ、俺の勝手だ。お前、あのときの暴走したイレイザーに捕まって壁を越えてったガキだろ>』
「<……>」
『<暴走したイレイザーがあんな動きをするなんて考えられるか?>』
「<……何が言いたい?>」
『<ソ連のイレイザーにはあるシステムが搭載されていた。人間の脳をそのままプログラム化して戦闘のサポートをさせるシステムだ。そのシステムがお前を殺させなかった。殺せなかったのさ。さらには誘拐して逃がすなんてことまでやってのけやがった>』
「<なんだそれ>」
突然出た突拍子もない話にアサヒは顔をしかめる。だからなんだというのだ。
『<お前がこれから向かう先はそのシステムの頂点だ。あのガキはそのシステムを補強するために使われてんのさ』
「<補強……>」
『<そこまでです、少尉>』
『<戦って、勝ってみせろ。「トリグラフ」に』
その瞬間、遠方からの狙撃が半壊したKV-10を貫き爆発した。
シロと呼ばれた少女は遠くから聞こえる爆音に耳を傾けながら思考し続けていた。
おそらく、侵入者は着々と近づいているのだろう。多分ここに。
あのときこの棺桶の中で「逃げなさい」という声が聞こえ、そのあとよく分からない人たちに連れ去られ、気づいたら目の前にあの人がいた。
自分を妹と勘違いしていたあの人。
もしかしたら自分が忘れているだけで、本当に兄なのかもしれなかった。
だったらいいなと思った。
でも自分の名前すら忘れてしまっていて、何も思い出せなかった。
あの人が侵入者だったら嫌だなと思った。
「戦いたくないのね」
何かの声がまた脳に響くようにして聞こえた。
いつものことだ。
この声ももしかしたら、知っている人なのかもしれなかった。
システムとやらが何かはよく分からなかったがろくでもない実験に妹が使われていることは分かった。
自分を逃がしたというシステム。
はっきり言って、何も分からない。
だが、これだけは分かった。おそらくはあの襲撃は妹を奪うことが目的であり、そのシステムのせいだったということだ。そして、もしかすると自分がイレイザーを自在に操ることが出来ることもシステムの恩恵なのかもしれなかった。
いや、そうなのだろう。自分たち兄妹は自分たちも知らないうちに実験台にされていて、自分は失敗作で妹は完成していたのだ。皮肉な物だ。自分が苦しむ原因になった物が自分達を活かしている。
そこで、アサヒは奇妙なことに気づいた。4機のイレイザーが追ってきていない。むしろ、壁側に後退しているようだ。それどころか新たにイレイザーが襲ってくる様子も無く、どの機体もアサヒではなく壁際へと向かっていた。
アサヒの任務は敵イレイザーを引きつけ、その隙にレジスタンスがシロ……紡を奪還する流れのはずだった。
訝しんでアサヒはECMの電源を切りシゲ達に通信を試みる。
「シゲ! 何かがおかしい、状況は!」
『アサヒ! やっぱり無事だったな、さすがだぜ!』
「お世辞は良い、敵が全機壁際に向かってる。どうなってるか分かるか?」
そう言うと通信機の向こうで何かを話し合っているような声がした。動揺が感じられるところから見て予想外の事態のようだ。
『分からない! 廃東京の観測部隊からも連絡は入ってない。だけどまあ、好都合かな。俺たちも軍基地に繋がるルートに侵入できた。もう少しでお前の妹ちゃん……シロちゃん? じゃなくてツムギちゃんか! を救出できる。陽動ごくろうさん!』
「……いや、待て! 何かおかしい! そうだ、アイツが言っていた。トリグラフとか、システムとかなんとか」
『鶏グラタン? なんだそれ。とにかくもう目の前なんだ。基地内にイレイザーの電波反応はないし大丈夫だよ。アサヒは念のため壁際に行ったイレイザーに注意しといてくれ』
「いや、だから」
そこで主任の声が通信に割り込んでくる。
『よし、キーロックは解除した。ソ連兵が廃東京に遊びにくるためのルートだけあって本当に最低限のセキュリティしか無かったな。目標は間違いなくこの施設にいるぞ。突入! ……なんだ、あれは……ッ! 撤退! 撤退しろ!』
そして、奇妙な咆哮のような音とともに、通信は途絶した。