第五話1 Dawn
二脚型特殊高速戦術機『烈風』。それがアサヒの乗るイレイザーの名前だ。実際のところ、正式名称はアメリカ側でつけているのだろうし名前なんかに意味は無い。ただ、それでも名前があるということは不思議な安堵感を与える。
妹は名前を奪われていた。
記憶も、名前も奪われた少女。
アサヒはコックピットの中で静かにため息をついた。
コックピットの中では複数の巨大なモニターがアサヒを囲んでおり、起動シーケンスが文字列を流し続けていた。作業用イレイザーとは比べ物にならない数の計器に倍以上のボタンと操縦桿が並んでいたが、アサヒはコックピットに座った瞬間に何がどこを動かすのか瞬時に把握することができた。
失敗作として生まれた兄弟。あの女はそう言っていた。
間違いなく自分のことだろう。そうなるとこの能力も天性のものではなく実験体としての改造された遺伝子から得たものだということだ。
「どんな実験をしてたんだろうな」
そして、妹はどういうものとして使われているのだろう。
一人で操縦できることすらも失敗作扱い。10人で代用できる程度の能力は必要ないということだろうか。では彼女の価値はどれほどのものなのだろう。
アサヒはもう一度深くため息をつく。モニターを流れる文字列はこれっぽっちも読めないがもう少しで起動することは分かった。ゆっくりと操縦桿を握る。
『アサヒ、聞こえるか』
耳にかけていたヘッドホンからシゲの声がした。
「ああ」
『一応確認しておくぜ。武器はライフルが2丁、ブレードが一振りだ。あと一応ミサイル用にチャフ』
そう聞いてアサヒは眉をひそめた。
「ずいぶん少ないな……」
『まあ勘弁してくれ。あいにくアメリカ軍から奪ったって設定なもんでな。あと積載量が皆無なんだ』
「やれやれ……ブレードってのは? イレイザーが日本刀を振るうのか? 聞いたこと無いぞ、そんなの」
『そうだよ。これは俺たちが独自で開発した。スラスターブレード『カタナ』だ。理論上このイレイザーの強化されてる腕とスピードならイレイザーの装甲も切り裂ける』
「無茶苦茶だなあ」
ただ、そんなものがあるなら弾切れの心配も少ないだろう。相手がどれだけいるかも分からない状況なら心強い。
『最終確認だ。いいんだな、アサヒ』
心配そうな友人の声にアサヒは軽く口角を上げた。あれだけ自分のことをレジスタンスに入れたがっていたくせに。だが、友人が自分のことを考えてくれていることは嬉しかった。
「ああ。必ず取り戻す」
そして、深紅の機体が夜闇の中に放たれた。
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結論から言えば、脱走については結局何も言われなかった。
まあ説明しようにも自分でもよく分からないし、どうだっていいことなのだ。というよりも多分上層部は自分みたいなモノに構っている暇はないのだ、きっと。
部屋とは名ばかりのグロブ……ガラス張りの棺桶の中からシロは慌ただしく動くソ連兵たちを見ていた。ゆっくりと視線を自分の身体に落とす。
自分からは大量の管やコードが周りの壁に向かって生えている。壁には一切のモニターは無い。自分が分かるのは外の光景と、ただ自分がこの狭い棺桶と一体化してしまっているということだけ。見慣れた光景だ。
「モノ……」
呟く。
自分をモノ扱いしなかったのは記憶の中ではあの人が初めてだった。感情の薄れた頭でもそれがおかしいことだと分かる。
だって。
この姿はどう見てもモノにしか見えない。
自分は人間なんかではないのだ。
微かに自嘲するような感情が芽生える。久しぶりだ。感情なんてものを感じたのは。痛みも、苦しみも慣れてしまってからは何も感じなくなってしまった。
「でも」
あの人といるときだけは、少し暖かかった、気がする。
だからあの人にはもう関わらないで生きていて欲しいのだ。
『司令部より総員に連絡』
外で放送が鳴り響く。そもそもこの慌ただしさはなんなのだろう。少し気になって少女は耳を傾けた。このガラスは非常に薄い素材でできていて、外の音は全て聞こえるようになっている。
『所属不明イレイザー一機が旧ムラシュスクからこの基地に向けて侵攻中。おそらく先ほどの検体奪還作戦にて襲撃してきた反抗勢力と思われる。総員作戦通り配置を完了させ待機せよ』
イレイザー……? 少女は首を傾げた。ムラシュスク……廃東京方面ということはアメリカから、ということだろうか。なるほど、それは慌ただしくなるわけだ。一機だろうがイレイザーはイレイザー。武器が何かも分からない、性能も機種によって全く違う。どこかの国では3機のイレイザーに部隊が全滅させられたなんて言う話もあるぐらいだ。とはいえ。
「私がこの棺桶にいるのも、そういうこと……?」
自分まで出撃準備をしているというのは、いささかやり過ぎの気がした。
実際、ソ連軍が異常に警戒しているのには理由があった。
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「なんだ、この機体……!」
アサヒはイレイザーを操りながら目を見張る。
今まで乗っていたものとは全く違う。こんなイレイザーがあっていいものなのか。
周囲の景色はただのラインになって流れていく。真っ暗い道だろうがこのイレイザーには関係ない。屋根を伝い、壁を蹴り、最短ルートであの高い壁を目指す。
そのイレイザーは機動力が高すぎた。目にも留まらないスピードでブースターを小刻みに噴射しながら疾走していく。この様子ならあと5分もあれば壁を越えられるだろう。
『アサヒ、どうだ。乗りこなせそうかよ?』
「バカ言うんじゃねえ!」
アサヒの手が震える。イレイザーのスピードよりも速くありとあらゆる操縦桿を操作してペダルを踏み換える様子は、今までの作業用イレイザーとは比べ物にならないせわしなさだった。
だが、彼の顔は笑っていた。
「乗りこなす、なんてもんじゃない。まるで自分の身体みたいだ」
『はは! だろうな!』
そもそもアサヒはいままででもイレイザーを自分の身体のように直感的に操作できた。だが、一つ異なる部分があったのだ。それは作業用イレイザーが人間とは構造が違いすぎたということ。しかしこの烈風は二脚のイレイザーである以上構造は人間に近い。しかも、あらゆる関節が人間に近い動きをするように調整されている。まさに、アサヒ専用の機体だった。
だが、なぜアメリカ軍はこんな機体をこしらえたのだろう。自分はアメリカ人でもないし、レジスタンスに入るという確証があったわけでもないだろうに。
そこでふと、思った。
自分以外にも自分みたいな失敗作がどこかにいるのかもしれない、と。
アサヒは夜闇を切って進んでいく。もはや身体は機体と一体。まるで自分が大きくなって走っているような感覚に捕われる。目の前に迫る高い壁。二十メートルの高い壁。いや、今の自分に取ってはたいした高さじゃない。
簡単に、越えられる。
イレイザーの脚部が一瞬力を貯めるように折れ曲がる。今までの速度を全てその脚に貯めて、地面を蹴るようにして一気に解放する。それだけで、鈍重なはずのイレイザーは宙へと跳躍した。壁を壊すことも無く、軽やかに越える。
越える。
今まで押さえ込んできたものを全て捨てて、越えた。