公国編 Ⅲ 『逆転した立場』
公国を覆う霧が晴れる。
それは、帝国勇者:不動青雲の宣言通りに晴れ、公国の孤立は解消された。
今まで足止めを喰らっていた各国の救援は続々と公国領内へと入ることが出来、公国民のほとんどは安堵の声に包まれた。
泣きながら抱きしめ合う者や、静かに涙を流しながら神に感謝をささげる者。
家族を失った者や愛する人を失った者も多く存在するが、その誰もが一先ずの安堵に包まれていた。
同時に、人々に希望を齎す存在が公国へと訪れたことを知る。
悪しき帝国勇者、暴走した帝国上層部を相手に革命軍を勝利に導いた立役者。
王国勇者;鎌瀬山釜鳴、そして王国勇者:東京太郎の公国への来訪に、公国民の誰もが歓喜に震えていた。
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「正義はどこだ?」
以前、英雄王たちが各地見知らぬ場所へ飛ばされた転移陣は入念に入念を重ね再構築された。
一度ジャックされ転移位置をでたらめにされた転移陣を使うことを一度は渋った帝国魔導士ではあったが、太郎の後押しでそれを可能にした。
結果、鎌瀬山と太郎を公国に正確に送り届けることに成功し、鎌瀬山は公国へと転移されると直ぐにその場を飛び出し、英雄王を探すため城内を闊歩する。
酷く荒れた城塞内だが構っている余裕はない。
事前に知らされた情報。
グラハラムによって封印されたように水晶のような形をした氷に閉じ込められ、氷結状態の洲桃ヶ浦蜜柑。
グラハラムに連れ去られ生死不明の幼女華世。
王国勇者の被害は尋常で、4人の勇者のうち二人が初手から戦線離脱。
その情報だけで、ナマクリム城塞での攻防が行われているのだろうと予想されていた。
だが、事態は予想の斜め上を行く。
不動青雲に関しては、氷漬けにされた蜜柑をナマクリム城塞に送り届けた後に直ぐに姿を消した。
……と思えば、ここ数日前に突如城塞に帰還し、公国を覆う霧のギミックを解明し解き放ったことを伝え。
それに加えて、魔王グラハラム軍の幹部クラスである騎士団団長、副団長の首をいくつか携え帰還していた。
一人の勇者にしては十分すぎると言って良いほどの戦果を挙げて、勝手に帝国に帰還し、今は特に動くこともせずいつも通り自室に籠っている。
その不動青雲の勝手な行動の反動を一身に受けていたのが英雄王だ。
不動青雲が不在になっていたことにより、下手に動くことも出来ず、僅かな兵を率いて幼女奪還に行く事も出来ず、ナマクリム城塞へと防衛のために磔状態を余儀なくされていた。
同郷の、大切な仲間は囚われているのに動くことも出来ず何かを成しえることも出来ず。
その手にある救えるはずの力を持て余し、じっと待つことしか出来なかった。
英雄王の心境は、想像もできない程に黒く塗りつぶされていることは言うまでもない。
だから。
「……正義なのか?」
「釜鳴……ッ。あぁ、やっと来てくれたか」
鎌瀬山がよく見知った英雄王を見間違うのも無理はない。
英雄王正義の風貌は、二か月前とはだいぶ変わってしまっていた。
自身に満ち溢れ、その背に何人をも引き連れ事を成せるようなリーダー。
皆がその背を求め、協力したいと、役に立ちたいと、自然と動かせるような面影はない。
目の下にはもう何日も良く眠れていないのか酷い隈が出来ていた。
頬もこけ、疲れ切ったような風貌。
鎌瀬山も、こんな英雄王を初めて見た……初めて、見てしまった。
故に。
「ッ……」
言葉が出ない。
目の前の男が英雄王だと、認識していないと別人だと思ってしまう程に。
鎌瀬山の瞳には、英雄王正義が酷く見えていた。
だが、鎌瀬山は喉のに詰まったものをなんとか飲み干して言葉を発する。
「あぁ。すまねぇ。遅れちまった。大体の事情は聴いたぜ。……蜜柑ちゃんが凍らされて幼女が連れ去られたってのはな」
「……すまない。俺の力不足のせいだ」
「仕方ねぇよ。二人がエンカウントしたのは正義がいない時だったんだろ?それに全員が別々の場所に飛ばされて別々の相手と戦わされてたんじゃ手出しできねぇよ」
「違う。違うんだ。俺は無様にも相手に逃げられて、その隙に洲桃ヶ浦と幼女は魔王グラハラムに倒されて……その場には不動が間に合ったんだ。俺は間に合わなかった」
英雄王は、顔を俯かせながら言葉を繋げる。
「ダメなんだ。俺が二人をこんな世界で戦うことに巻き込んでしまったんだから。その場には俺がいて、命に代えても二人だけは守り切らないといけなかったんだッ」
俯きながら呟くように言葉を吐き捨てる英雄王。
彼自身、このような弱音を吐くのは公国にきて初めてだった。
不安を胸に抱いて、英雄王へと駆け寄ってくる公国民には不安にさせないように安心を提供しなければいけなかったし。
いつでもナマクリム城塞に攻め込もうとしている竜人達に、弱い姿を見せてはいけなかった。
鎌瀬山が来たから。
同郷で、大切な仲間で、自分の弱さを今のこの世界で唯一見せられる存在に再会できたから。
英雄王の、決して人には見せないような弱い部分を露出してしまった。
皆が憧れる『英雄王正義』ではなく、年相応の青年である英雄王正義の姿。
「正義。……大丈夫だ、なんて軽くは言えねぇし言っていいもんじゃねぇ。けどよ、俺らは進むしかねぇんだ。捕まっちまって、そのままどうにかなっちまうような奴じゃねぇよ幼女は。どうにかして持ちこたえてる筈だ。そう信じて前に進むしかねぇんだ。太郎も部屋で待ってるからよ、俺らなら必ずどうにか出来るぜ」
その英雄王の肩を、鎌瀬山はポン、と叩く。
「釜鳴……変わったな」
「あん?俺は何にも変わってねぇよ。ったく、こんな状況に弱っちまってるのはわかるがらしくねぇぜ正義。本来はこういうのは正義の役目なんだからよ。俺はリーダーの器じゃねぇんだ。絶望的な状況には違いねぇが、俺らなら大丈夫だ。しっかりしてくれよな」
「……あぁ、そうだな。鎌瀬山に太郎も来てくれた。援軍も来てくれた。皆が助けてくれれば、きっと。幼女を救って、公国を取り返す。協力してくれ鎌瀬山」
「あたりまえだ。正義の頼みなら俺は断らねぇよ」
元の目つきを、瞳に光を灯した英雄王に鎌瀬山は拳を前に出す。
こつん、と拳を突き合わせる鎌瀬山と英雄王。
その鎌瀬山のありふれた自信。
それは、元の世界ではなかった、この世界でのなんらかの成長。
背丈も見た目もほとんど変わっていない筈なのに、その心が成長し幼稚だった子供から英雄然とした大人へと変貌している感じがした。
その理由を、英雄王はわかっていた。
帝国を暗黒に渦巻こうとしていた悪しき帝国勇者と旧皇帝バルカムリアを、御旗として先頭に立ち、革命軍と他勇者を率いて打倒した新帝国の英雄。
王国勇者ではなく、これからは『新』帝国勇者として名を馳せるであろう真の英雄として歩き出した鎌瀬山。
それに引き換え、城塞に籠り何一つ成しえていない哀れな勇者。
一人の勇者を封印され、一人の勇者を連れ去られ、何もできず仕舞いの愚者。
どこで、こんなにも差がついてしまったのか。
太郎の待つ部屋に向かうべく歩き出した鎌瀬山の後ろ姿を視界に収めながら、英雄王は呟いた。
「俺は、お前が羨ましいよ釜鳴」
その言葉は、風と共に霧散し、鎌瀬山には届かない。