疾風の如く〜高杉晋作と生きた日々〜
高杉晋作さんのファンの方のイメージと私のイメージは随分と異なるかもしれませんが、悪いようには書いておりませんので悪しからず。
結核に侵されなければ、とんでもない影響を日本に及ぼしたことでしょう。
十四の春、私は独りぼっちになった。
時は江戸時代も末期と呼ばれる頃、一人の少女は家族を失くした。
病と飢え、そして物取りと呼ばれる輩に殺された。
少女は自分が弱いから家族が殺されたんだと責めた。
その日を境に少女は少年となった。
田舎では剣術を学ぶことが出来ない、少女は江戸を目指す。
少女の名は木口 碧、少年を装っている身でこの中性的な名には助かった。
文久元年、神道無念流練兵館の門を叩く。
「剣術を学ばせてください!」
「ここはお前みたいな餓鬼が来るところではない、帰れ」
「・・・帰りません。何でもしますから剣術を学ばせてください!」
「駄目なものは駄目だ」
「だったら此処を離れません!」
数々の道場の門を叩いたが、どこの馬の骨とも分からない者を門下生にする器量のある主はいない。
残されたのはこの神道無念流練兵館と試衛館という所だけだ。
何が何でも剣術を学ぶんだと、門入口に座り込んだ。
そんな時、中から別の若い男が出てきてこう言った。
「おい女、そんなに剣術が学びたいか」
「はい!学びっ・・・っ!お、女ではありません!男です!」
男はくくくっと見透かしたように笑う
「まあ男でも女でもどちらでもいい。理由を聞かせろ、それ次第で口添えしてやる」
この男は例え私が女でも理由次第では手を貸してくれると言っている。
この時代、女が男と対等に渡り合うことが許されなかったのだ。
だからその言葉にはとても驚いた。
「強くなりたいのです!強き者から弱き者を守る為に」
「ほう。それはお前の家族を言っているのか」
「家族は全員、死にました!俺一人です」
「・・・なるほどな。だが世はそんなに簡単ではない」
「簡単ではないから強くなる必要があるのです!」
そう言うと男は豪快に笑った。
「そうだな、まずは強くなければ何も出来ん。気に入った!ついて来い」
男の名は高杉晋作。長州の萩というところの出らしい。
どう説得をしたのかわ分からないが、高杉晋作の付き人として入門することが出来た。
「飯は食わせてやる、剣術も教えてやる。だが給金はねえ、それでもいいか」
「はい!」
門下生として入門したわけではない、高杉晋作という男の小間使いだ。
でも、時間を見つけては剣術だけでなく読み書きも教えてくれた。
「いいか、これからは男だから女だからという時代ではなくなる。お前もそのうち男の恰好をしなくとも堂々と渡り合える時代が来る。だからそれまで辛抱しろ」
やっぱり女だとばれていた、どうしてこの男にだけはばれてしまったのだろうか。
私は高杉晋作のことを春さんと呼んでいる。この男の諱が春風と言うからだ。
「春さん、いいのですか?諱を易々(やすやす)と俺に呼ばせて」
「あ?構わないさ。碧が呼んでくれねえと、俺の諱は一生お蔵入りだぞ」
諱を表に晒す人は初めてだった。
そして少しだけ嬉しかった事がある、春さんと呼んでいいのは私だけだったからだ。
何処に行くにも私を連れて出てくれた。
「たくさん勉強するんだ、武器は刀だけじゃない。知識も必要だ」
「はい」
翌年の夏、私は春さんと清という国に渡った。
一緒に行くために初めて異国の言葉を学んだ。剣術など放ったらかしで必死に覚えた。
それは半年前に春さんがこう言ったからだ。
「碧、俺と離れたくなかったらこれを覚えろ」
ドサリと音がするほど厚い書物は意味不明な漢字の羅列だった。
幕府使節随行員に選ばれたらしい、それに私も連れて行くと勝手に登録してしまったのだ。
「え・・・無理ですよ。これ何ですか?読めません」
「やってもないうちから無理と決めるな、碧が俺と居たいなら覚えろ」
そんな言い方は卑怯だ、現に私は高杉晋作という男に惚れ込んでいる。
男女の惚れるではなくあくまでも男のその生き様にだ。
現に高杉はまさという防長一の美人と呼ばれる女性と結婚している。
にも関わらず女なのに男と言い張るおかしな人間を側に置き、たくさんの事を学ばせている。
どう足掻いても、頭が上がらないのだ。
「春さんは狡いですね、俺の弱みをすぐに突いてくるんだから」
春さんは私の頭をガシガシと乱暴に撫でると「頼んだぞ」と言い部屋を出て行った。
春さんに頼られている、そう思うだけで自分の存在と生きる意味を確認できた。
「おい碧、見ろ。この清という大国が異国に奪われようとしている。自国の力は異国には通用しなかったんだな。日本は清には勝てないと思っていたが、その清はあっさりと異国にやられた」
いつになく真剣な眼差しで春さんはそう言った。
このままでは日本もやられてしまう、そう言いたいのだと思った。
「春さん、俺清の言葉を覚えたんですが全く使っていませんよ」
「そうか?おかしいな。ここは清だろ?」
惚けているぞ、あんなに死に物狂いで覚えたのに英語という言葉ばかりだぞっ。
春さんは豪快に笑いながら「いつか清の国が再び大国になる。だからそう愚痴るな」と。
実際この国が世界に影響を及ぼすのはまだまだ先の話だった。
「俺、たぶん生きてませんよ」
「わははっ、心配するな。俺も生きてないぞ」
それでも物事を見極める力は誰よりも秀でていたし、その行動力も半端ではなかった。
清から帰国後は怒涛の日々だった。
長州は尊皇攘夷を訴え戦うも敗戦、下関に置いての海戦も敗戦。
挙句の果てには京の都から追い出されてしまった。
それでも春さんはへこたれなかった、それよりも益々やる気が出ると言っていた。
「碧!俺は京に行く。これまで以上に命の危険が迫るかもしれん、お前はどうする」
「行くに決まっているでしょう。俺は死ぬも生きるも春さんと一緒ですよ」
「そうか、でも俺より先に死ぬな。約束しろ!」
いつも一方的だけど、私の事を想って言ってくれているのは明白だった。
「春さんが先に死ねば大丈夫ですよ」
「おまっ、ばかやろう!」
そして春さんは脱藩した。まささんという美人な伴侶を故郷に残して。
「春さん、まささんの事はいいんですか」
「まさも分かってくれているよ。分かっていて俺と結婚したんだぞ」
「でも・・・好いた人と離れるのは辛いですよ」
「お前は器用なのか不器用なのか分からない奴だな。急に女になりやがって」
「な、なってません!男として惚れた女を置いて行くのはどうなのかと」
「お前は黙って俺の側に居ればいい」
「・・・分かりました」
春さんの真剣な目に不覚にも胸が跳ねてしまった。
男として生きると、男として春さんについて行くと決めたのに女の部分が顔を出す。
最近、こういう事が増えてきた気がする。
春さんの所為だ、春さんが時々こうやって私を惑わす。
京では幕府の目を盗み、いろいろな藩の人たちと交流を重ねた。
時々、会津藩預かりの”新選組”や”京都見回組”から追われることもあった。
そんな時でも春さんは「俺も有名になったな」と嬉しそうにしていた。
「京都って治安悪いですね」
「そうだな、此処は都だからないろんな奴が居るんだよ。俺とお前も他人が見たら危ない奴だ」
「確かに」
私は政治の事は正直どうでもよかった。
幕府が続こうが尊攘派が勝とうが討幕派が勝とうが、春さんと一緒に居られればそれでよかった。
どこかで気づいていたのかもしれない、私は春さんが好きだ。
女として春さんに惚れている。でもそれは口にしない。口に出したら終わりな気がしていた。
私は俺であって、俺は私ではない。
とにかく走った、走って走って走り抜けた。
いつしか長州は薩摩と手を組み幕府と対立するまで大きくなって行った。
春さんは桂小五郎と共に長州の重要人物となった。
でも最近、春さんは顔色が優れない日が増えてきた。
「コホッ、コホッ」
「春さん、大丈夫ですか?ちょっと頑張りすぎです」
「これぐらいの風邪で横になってられるかよ」
「でも今のうちに治しておかないと、いざと言う時に響きますよ」
「分かってないなぁ、これぐらいだから無理するんだろ」
もしかしたら、春さんは知っていたのかもしれない。自分の病の事を。
私はいつもの春さんの誤魔化しだと思っていた、悔やんでも悔やみきれない。
「春さん!」
春さんは長い咳の後に血を一緒に吐いていた。
いくら医学に乏しい私でも、それが何を意味しているのか分かった。
春さんは老咳という不治の病に侵されている。
「くそっ!」
拳を地面に叩きつけ苛立ちを露わにする、どんな時も挫けない前向きな春さんなのに。
それは命あっての事なのだと嫌でも思い知らされた。
ほどなくして症状は悪化し桜山という所で療養を余儀なくされた。
連日、どこからともなく春さんの親しい人たちが訪れる。
その度に大事ない事を装い、軍事について政治についての話をしていた。
「春さん」
「ん?なんだその頼りない顔は」
「春さんの方が頼りない顔していますよ」
「そうか、悪いな」
その日、春さんはとても素直だった。
いつも素直な人だと思っていたけれど、そう言うのとは違う弱さも含まれた素直だった。
だからもう私は自分の感情を抑えることが出来なくて、春さんを困らせた。
「春さん、俺を置いて行かないでくださいよ?」
「ははっ、そいつは難しい頼みだな。俺は碧より八つも上だ、ジジイになるのも早い」
「そうじゃなくて・・・」
これまでの六年間、一度も涙を流すことはなかったのに。
一度流れ始めた涙を止める術を持たない私は、春さんの顔を見ながら泣いた。
「碧は涙がいっぱい溜まっていたんだな」
「うぅっ、春さんが私を置いて逝こうとするから。だから、だから」
春さんは見かねたのか、私をそっと引き寄せて腕の中に囲ってくれた。
背中をその細くやつれた腕で優しく擦ってくれた。
「碧が女として堂々としていられるまで生きていたかったなぁ。俺なんかと居たせいで男にもなれず、女にもしてやれなかった。すまなかった」
「私はっ、春さんの所為で時々男を忘れていました。春さんの所為で女を捨てきれませんでした」
「・・・」
「私はずっと、ずっと春さんの事が好きでした!女として春さんを慕っていたんです」
「・・・知っていた」
「え?」
「俺も碧の事を好いていた。たぶん、初めて会ったときから惚れていたんだろう」
あの道場の門の前で、帰らないと啖呵切ったあの少年のような少女に魅入られたのだ。
だからこの少女が独り立ちするその日まで側に置こうと決めたのだ。
出来ればその独り立ちの日が自分への嫁入りであることを密かに願って。
「・・・春さん、私は二十歳になりました。立派な行き遅れです、もう貰い手が付きませんよ。責任とっていただけませんか」
「ばかやろう、明日があるか分からない俺に言う言葉じゃないだろう」
「明日があるか分からないから今言っているのです。それとも私には魅力がありませんか」
私の気持ちが伝わるように、ゆっくり春さんに向けて言葉を紡ぐ。
たった一日でもいい、一刻でもいい。春さんのお嫁さんになりたいと思った。
「敵わねえな。お前のそういう所に惚れたんだろう」
その日の晩、二人だけで婚姻の盃を交わした。
木口碧は高杉碧になった。誰からの祝福も受けることなく、私たちは契りを交わした。
慶応三年四月、高杉晋作は幕府の最期を見届けることなくこの世を去った。
臨終には高杉の父母と妻、そして息子が立ち会ったのだそうだ。
私は春さんが亡くなる二日前に療養所を去っていた。
私が居ては彼の名誉が傷つく、彼は高杉晋作なのだから。
その年の秋、将軍慶喜が大政奉還をし勅許された。
私は少し大きくなったお腹を擦りながら、その知らせを聞いた。
「春さん、幕府はなくなるらしいですよ。すごい時代が来ましたね」
そう言うと、それに答えるかのようにお腹がビクンと揺れた。
もうすぐ私は母親になる。
春さんから貰った最初で最後の贈り物だ。
「あなたに会える日がとても楽しみです」
高杉晋作と駆け抜けた幕末は明治へと移り変わる。
派閥に関係なく熱い志を抱いた男たちが、新しい世を切り拓いていく。
いつか誰もが平等に暮らせる日の為に。
そして、儚く散っていった男たちの夢が無駄にならないようにと願いながら。
青く澄み渡った秋の空はまるで春さんの笑顔のように眩しかった。
明治以降、長州藩から政界に進出した人物は数知れず。
この平成の世も安倍晋三さんが中心となり日本を動かしています。
彼もまた山口県出身です。
凄いなぁ、彼らの志を良い方向へ繋いで欲しいです。