一つの思い
ー1945年3月21日海軍鹿屋飛行場ー
南国鹿児島・鹿屋には桜の花が芽吹く季節となっていた。やがて散る桜のように命を散らそうとする1人の男がいた。
現に彼は特攻機に乗り込み、花と散ろうとする数分前だ。
その男、大野敏治は父母の姿を見送る人々の群れの中に見つけると駆け出した。
途中、共に征く友が止めようとしたが、隊長が「行かせてやれ」と言ったため、呼び止めなかった。
父母の前に立つと、大野は、
「お父さん、お母さん、さようなら。
今日まで幾度となく迷惑をかけた事は幾重にもお詫び申し上げます。
両親を残して、死んで行く親不孝をどうかお許しください。
しかし、自分が死んで貴方達を守れるならば本望です。人は一度死する定め。愛する者を守るため死ぬるならば本望です。私に未練などありません。だから、笑って送ってください。私も笑って逝きます。
私が死んだからと悲しみに暮れてはいけません。親不孝の限りを尽くして死んだ愚かな一人息子など忘れて幸せになってください。
これが自分の最後の願いです。」
そう言い終えると、父母の瞳には光る雫がこぼれ落ちていた。
やがて、誰かが、
「早くしろ」
と叫んだため、彼は父母に敬礼し、溢れんばかりの笑顔を見せて、滑走路に向かった。
飛び立って暫くすると、敵戦闘機隊に遭遇した。避けようとしたが、ついには両翼に敵機の機銃弾を喰らい、火を吹いた。
「こんなので死んでたまるか!」
そう心の中で叫んだ。
やがて、敵駆逐艦の姿を見て、
「道連れにしてやる。」
と、決意し、近づいた。
が、しかし無駄だった。一発の機銃弾が彼の体を貫いた。
朦朧とする意識の中で彼はとめどなく涙を流し、
「お父さん、お母さん許してください。」
と心の中で叫んだ。
やがて、エンジンにも被弾し、彼の乗った零戦は海に落ちていった。
一人の青年の思いを残して。