対空砲火
ー1941年12月21日フィリピン、クラーク航空基地ー
「俺も年貢の納め時か」
ベッドの中でそう呟いたのは大日本帝国海軍一等飛行兵曹、橋本貞蔵である。
彼は明日特出撃を命じられている。
祖国を守るためならばと勇んで特攻を志願したが、命令が出たのが余りにも早く、動揺しといた。
死を翌日に控え、彼の心には葛藤が渦巻いていた。
その中で一番の心配は対空砲火だった。
彼は以前予科練の先輩であるパイロットから、米艦隊の対空砲火について聞かされていた。そのパイロット曰く、
「敵は艦隊上空で数え切れない程の戦闘機で待ち受けている。これを切り抜けるのは至難の技だ。逃げきれたとしても、艦隊に近づくと高角砲弾の嵐と対空機銃の暴風雨が待っている。大抵はこれに殺られるから敵艦に体当たりできるのはほとんどいない。」
一番の恐怖であるが、彼は自分を信じようとした。
ー俺はこれまで二十機近い敵機を葬ってきたんだ。殺られてたまるか。対空砲火も切り抜けてやるー
そう心に誓うと、人生最後の睡眠に入った。
翌朝、彼は自分の棺となる二百五十kg爆弾を積んだ零戦五ニ型に乗り込むと、遠い祖国の方角に深く頭を下げた。自分を育んだ祖国に感謝と今生の別れを告げた。
やがて、次々と特攻機が飛び立つと続けて彼の機も飛び立った。
朝明けの中を飛んでいくと、気づかぬ内に「ふるさと」を歌っていた。歌っている内に遥かなる故郷の山々や川、風が脳裏に浮かんでは消えてゆき、涙を流した。
ーあぁ、俺はこの美しき故郷を守る為に死にに行くんだな。ー
が、いつまでも感傷に浸ってはいられなかった。敵艦隊に近づいていたのだ。
前方に敵戦闘機隊の姿を認めると、すぐさま高度を上げた。零戦は高度が高くなるにつれて運動性能が落ちるが敵機と同高度にいるよりは安全なはずだ。雲に身を隠しながら飛んで行くと敵艦隊の姿を認めた。
ーよし、見てろよー
雲に身を隠しながら艦隊に忍び寄った。
空母とおぼしき艦影を見るとフットバーを思い切り踏んで、近づいていった。
目の前で十発以上はある高角砲弾が爆裂したが、なんとか避けた。今度は暴風雨のように対空機銃弾が飛んできた。だが、運が良いのかそれとも敵の射撃が下手なのか分からないがまったく当たらない。
艦橋内の人間が大きく見えるようになると、そこに狙いを定め、スロットルレバーを叩いて、瞳を閉じた。
どんどん、艦に近づいていく。もう機銃弾は飛んで来なくなった。
人生最後の呼吸をした。
と、同時に鼓膜が破れるかのような爆音ともの凄い熱風、そしてこれまで味わったことが無いくらいの激痛が走った。
彼は愛しき故郷を守って死んでいったのだ。