青空(後編)
ー1945年7月15日ー
有明の海軍鹿屋飛行場に分かれを告げた兄弟が再び向かいあった。
兄弟の兄、清原慶太郎の出撃命令が出されたのだった。
この時期、米艦隊の迎撃戦闘機部隊と対空砲火は特攻が始まったレイテ沖海戦とはまったくの別物といっていい程進歩し、これに近づける機はほとんど無かった。
そんな絶望の中でも彼ら特攻隊員は勇敢に戦い、散っていった。
それは、国の為、家族を守る為、愛しい妻や子、恋人を守る為、そして未来の為、隊員一人一人が強い信念と純粋なる思いを胸に飛びたって行ったたのだ。
それは、この兄弟の兄も例外ではない。
兄の乗った零戦五二型が飛び始めた時、弟である清原淳二は心に何かを感じ、周りが止めるも聞かずに駆け出した。
やがて彼は兄の乗る機体の末尾に追いつき、
「兄ちゃん!兄ちゃん!兄ちゃん!」
と、叫びながら追いかけた。
兄の耳にも弟の叫びが響き渡った。
だが、後ろを振り向くまいとした。
そして、弟の叫びが心にこたえてついに、飛行帽と右の手袋をむしり取り、風防を開けて振り向き、大きく手を振った。
その顔には涙が溢れていた。
やがて、兄の機体の銀翼が青空に輝き、遠くなっていくと弟は泣き崩れた。
兄の機体はどんどん飛んで行く。
九州の最南端、開聞岳を通り越して暫くすると編隊の外側へ徐行した、
と同時に敵の迎撃戦闘機部隊が見え始めた。
仲間は次々撃墜されていった。
それでも彼は敵艦隊目指し、飛んでいった。
目下に大きく艦影が見え、空母らしき艦の位置を特定した。
自機の左右に爆裂する高角砲弾を避けながら近づくと、対空機銃の嵐が吹き荒れ、翼が被弾し、炎を吹いた。
それでも彼は希望を捨てなかった。
まだ生きている、それだけで大きな希望になった。
やがて、空母の艦橋の人影が大きく見えるようになった。
機銃弾は当たっていない。
そして、右太腿のモールス信号を叩いた。
トン、ツーー
ワレ、敵艦ニ突入ス
の合図だ。
そして、いつの間にか空母が目前に迫っていた。
彼は深く目を閉じ、微笑んだ。
爆音が響き渡った。




