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真夜中の整体師   作者: はしも時計
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第三話「ゴースト」その3

こんばんは、はしも時計です。真夜中の整体師第三話の続きです。

経華が疲れて寝てしまってるうちに、小暮の施術に絆される様にばあさんがとある男女の昔話をし始めます。

「いい子じゃないか。一体どういう間柄だい?」

「…まあ気まぐれで餌をやった野良猫がなぜか懐いてきたというのかな」

「そうかいそうかい。そういや大昔、そんな女が知り合いにいたね」


それはどうやら戦後日本と呼ばれる辺りの時代にいたばあさんの回顧録だった。半世紀以上前の若かりし頃の話である。



朝草が映画の町で、夜島が撮影所だった頃、その流れに着いて行けなかった、ろくすっぽ端役もつとまらないような三文映画女優が撮影所を抜け出してそこの橋で困り果てていた。ここではない遠い町へ逃げるにも金がなく、死ぬにも意気地がない。なんとなく川下を眺めていると男前の釣り人に出会った。


それは静かな真夜中。

角田川沿いに軒を連ねる出店屋台はすっかり閉まり、艇に止まった小舟が小波で軋む音が聞こえるくらいに人気の無い周囲。

真っ赤な吾妻橋の上に悩ましげな女がいた。靴を脱ぎ、足を震わせてすすり泣いていると、橋の袂で釣糸を垂らしている若い男が話しかけた。

「そこのアンタ。そんなに思いつめた目で川を眺めないでくれないか?魚が怖がって逃げちまう」

女はハッと目を逸らした。男はその白いうなじに目を奪われ、もう一言尋ねた。

「姉さん。どっかで会った事あるかい?」

なお首をもたげる女に男は頭を掻いた。

しびれを切らした男は釣糸はそのままに、藁の小筒を抱えながら橋の上の女の元に向かっていった。そして小筒の中の生き生きと跳ねる10匹少々の川魚を見せながらこう言った。

「美味そうだろ?うちはめしやなんだ。寄って来なよ。漁師たちに黙っててくれるならタダで食わしてやるよ」

男はくったくなく笑った。女は影のある愛想笑いで答えた。


男に連れられて、女は彼の店に入った。かさや、と書かれた暖簾をくぐると

「ちょっと待ってな」

男は先ほどの川魚をさっと水で洗ってから手際よくさばき始めた。その間、会話はまったくなかった。

「へいおまち」

出てきたのは川魚の海鮮丼であった。中央に乗ったおろし生姜の周りを花弁のように切り身が綺麗に敷き詰められている。女は箸を握ったまま手を付けようとしない。

「どうしたい?魚は嫌いかい?」

「いえ、綺麗で何だか勿体無くて」

「んなこたあないよ。こんな稚魚はいくらでもすぐ捕まる。上等な魚は相応な大きな船の奴らが取って食う」

「じゃあ、稚魚とも上等ともつかない魚はどうなるんでしょうか?」

「そりゃ海に流れるよ。誰にも必要とされないなら静かに居心地の良い水で暮らすんじゃないか」

「じゃあ、海にも川にもいられない弱い魚はどうなるんでしょうか?誰にも取っても見向きもしてもらえない、帰る場所も進む場所もない魚は」

女は急にワッと泣き出した。その魚の件に、女優のような光の当たる場所もつとまらない、かといって女郎や夜鷹のような闇に生きる勇気や覚悟もない自分を重ねてしまったのだった。

男はそんな感情の機微をなんとなく察しつつも、ただ狼狽しさめざめした女の美しさに見惚れた。

その後、しばらくの沈黙。

耐えかねたように男は冷め切った海鮮丼を取り上げた。えっとそちらを向く女。男は丼の上に荒々しく熱い煎茶をかけてこう言った。

「もしその魚がこんなきたねえ所でよけりゃ一緒に泥水被って汚れてやるよ。そしたら寂しくねえだろうが」

男が恥ずかしそうに俯きながら今度は美味そうに濁った茶漬けを差し出した。立ち上る湯気の先で女は目が点になっていると

「忘れてくれ。わけわかんねえこと言っちまったよな」

と頭を掻いてまな板を洗い始めた。女は首をぶんぶんと横に振ってお椀にいっぱい涙を零しながら茶漬けを掻き上げた。

「美味しい。ホントに美味しい」

女は鼻をすすりながらうんうん頷いた。

「あんまり急くと火傷するから気を付けろよ」

頷く。

「こんなんでよけりゃいくらでも作るから言えよ」

頷く。

それから半世紀以上もの間。女は男の日々のやさしく、時に厳しい問いかけに対して一番近い場所でうんうんと頷き続けた。

良い時も悪い時も首を縦に振り続けたせいで背中も腰も曲がり、独り残された後も大好きな映画と愛しき店の切り盛りの合間に亡夫との思い出を顧みながらよく涙を零している…それが今のばあさんの日常なのである。


ひとしきり語り終わってばあさんは一言

「死ぬ前にあの一杯にどれだけ近づけるもんかね」

と呟き、目じりをこすって小暮に微笑みかけた。小暮も呼応するようにばあさんの首筋を押圧しながら

「こんなんでよけりゃいつでも整えるから言ってくれよ」

「言ってくれるじゃないか。よろしく頼むよ。そういや小暮先生の手も粧子先生に近づいてきたよ」

「そいつはどうも」

似た者同士の二人はお互いにフッと笑った。そして各々の愛しき人の思い出が脳裏をふっと掠めていた。


ご覧いただきありがとうございました。自分はこの回顧録をそれこそ50~60年代の日本映画のワンシーンのような感覚で描いてみました。

次回でこのエピソードは最終回になります。


よろしくお願いいたします。

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