白き記憶
魔法、それは魅了する魔の囁き。一言呟き念を形へと変える。
名を『マーベル・クリストン』、御年で88歳を迎える老人であり、その長い歳月を魔法に関する研究に費やし続けた考古学者が最初に述べた一言。
願いを叶える。まさにそうだ。火が欲しいと思えば火を生み出せてしまうし、水が欲しいと思えば水を生み出せてしまう。
彼が最初に口から出た言葉は、魔法を称賛する類。…が、次第に声音が低く落ちていき、気が付けば明るかった表情は暗くなっていった。
初めから当たり前のように、それが間違いか否かも知らず。
あるものは魔法を目の当たりにして奇跡と呼んだ。
あるものは魔法を目の当たりにして悪夢と怯えた。
常識では未だに判明されていない、数々の謎。殆どの者が何故魔法を使え、そしてその理が、仕組みが、代償を知るものは数少ない。
では、ここで一つ、魔法とはどういうものか問いてみようか。
一人にそれを問う…が、その質問に対して終始無言を貫いた。答えが無いと。
それでは数を増やしてみよう。今度は十人に聞いてみる…が、それでも口を開くものはいない。
はて、これはどういうことだろう。マーベルは疑問に思い、更に範囲を広げてみる。
次に百人に尋ねてみた。だが結果は同じ、周囲は俯きだんまり。やはり答えを知るものが居るはず無いかと、諦めに追及を断念しようとした時、ある一人が名乗り出た。
が、名乗り出た彼の姿にマーベルは困惑の面持で見下ろす。何故ならマーベルの前に表れたのは体長、体格、骨格、顔つき、どれをとっても年齢は十三、十四歳程の、小さな少年だったからだ。
七十年、その長い歳月を経ても魔法について何一つ明かせなかったマーベルに対し、少年は魔法を理解していると語る。
所詮は子供のたわいのない話、それでも折角名乗り出て貰ったのに帰らせるのは如何なものか。たまにはこういうのに付き合うのも悪くは無いか。
普段は戯言など頑なに嫌う頑固なマーベルであったが、この時だけは不思議と気を許した。
マーベルはすぐさま少年を自らの館へと招き入れ、積み上げられた本の山の間に置かれたテーブルへと誘導。一杯の紅茶を注ぎ、一口飲んで一息つく。
不思議な事に、それまで少年は終始落ち着いていた。出会ってから今に至るまで一言も発さず、無表情で無言。不愛想と言えばそれまでだが、それとはまた違く感じられる。
「……では、まずは自己紹介といこうではないか」
そういうと、マーベルが口を開く前に少年は口を開く。
「いいよ、知ってるから。マーベル・クリストン」
一言も名乗り出ていなかったはずの名前を知っていた。出会ってから今に至るまでまるで目立った特徴が掴めない、誠に奇妙な少年である。
「そ、そうであるか…であれば、君のお名前をお聞かせ願いたい」
「………」
口を閉ざしたまま、視線だけで訴えかけてくる。名乗る気はサラサラ無いといった態度か。
無理に名乗らせる必要もないし仕方がないかと、マーベルは諦めて話を続ける。
「…じゃあ、とりあえずは君の意見を聞かせてもらおうかな」
すると、少年は一度だけ小さく頷くと口を開く。
「……その前に、マーベル・クリストン、あんたは魔法についてどういう答えを導き出したかを聞きたい」
よもや質問を質問で返されるとは、とはいえ順番にこだわっている訳でもない。
「…くしくも…その答えを存ぜぬ故に欲している次第であるが…それでもあえて答えを出せというのであればそれは…『生』…であろうな」
「…それは生きる為? それとも生かされているという表現?」
「ほほぉ、今の一言で生に対し命と捉え、それを生存と解いたか…いい線いっている、が、しかし、生かされている…ではない」
そういって、マーベルは人差し指をテーブルの上に乗っけると、ゆっくりと人差し指を動かし小さな陣を描きなぞっていく。
極小規模な、触れたらすぐにでも消えてしまいそうな程に心細い小さな灯火。ユラユラと明かりを発し、行き場も無く宙に浮かび上がると、マーベルの顔の正面で途端に動きを止め、そのまま灯火は佇む。
「ワシは、魔法そのものが生きていると思っているのだよ、人間、悪魔、天使、亞人、獣人、魔人……この世に溢れる生命の種の一つに魔法を加えているのだ」
ユラユラと揺れる灯火を手のひらで覆うと握る。すると明かりは一瞬にして消えてしまった。
「何故…そう考えるであろう…魔法には要素が存在している。種族ごとに分け隔てられた法力、魔力、聖力、所謂魔法の元だ。一定力を体内に蓄積し、適正量を扱うことで我々は初めて魔法を使える」
そこに疑問は無い、とっくの昔から知られている、当たり前として伝えられた情報。知りたいのは、何故魔法が生きていると例えられたのか。
「そもそも、魔法という物体そのものは、実体のある生物では本来目視出来ぬ存在である。それ故に気流も行動も存在も希薄。細胞のようなものであり、しかし呼吸しているか会話をしているかなんてことは分かりもしない」
「…しかし、本来とあれば例外が存在している…とでも?」
「その通り、一般には分からない、理解できない存在でも、その魔法そのものを目視できる、特異な体質を持つものが居たの…だよ、…君よりも、ずっと…幼い女の子、だった…」
そういうマーベルの声は震えていた。それも小刻みに肩を震わし、震えに気が付いたのか震える右手を震える左手で抑えようとし、しかし尚も震え続け頬には一筋の涙が伝う。
悲しみと、後悔。堪え切れないのか手の平で両目を塞ぎ、マーベルは少年に向けてすまない、少しばかり待って欲しいとだけ伝えると、一度席を立ち退き、再び戻ってくるまで十分程の時間を経る。
「…申し訳ない、この歳になると涙脆くなってしまってね…いやはや歳は取りたくないものだ」
「その様子だと、あまり良い話ではないのか?」
「…………そうだの……その少女と出会ったのは…数年前の事だった、魔法に再び問いを始めたのも少女の出会いが切っ掛けであったといっても過言ではない」
出会ったときから今に至るまでの過ごした時間を思い出すよう、マーベルは不意に何も無い天井を見上げ、無意識に口から零れだすように語り出す。
「あれは…出会ってからほんの一週間程前のことだった…人里の離れた森で見たことも無い奇妙な魔法を目撃したという情報を耳にしてな、その時ワシはちょいとした研究で出向いていて、たまたま近くに居合わせていただけだったのだが、それを隣で聞いた途端居てもたっても居られなくなってしまってな、この身の性という奴であろう。速攻で支度を整え、目撃情報のあった森へと一人挑みに向かったのだよ」
無尽蔵に周囲に置かれた本の中に、一部用紙が山のように積み上げられてる。これまでの調べてきた成果をそこにまとめているのか。無数の石板もチラホラと目に入る…が、どれも未完成なのか、一部欠けたり変に文字が欠如しているものばかりだ。
「いい年した老人が、瞳をキラキラと光らせながら、身体の事の心配なんかせずに元気よく歩き回ったものだ。何処にある、何処で見たのか。未知の魔法に肥えていたからか、一心不乱とはまさにこの時の状況、ガサガサと生え伸びる草の根を掻き分け、ドンドンと奥へ奥へと進んでいった」
途中、意外と浅かった溝に足をはめたり、小動物や昆虫に襲われたらしい。上着をめくりあげると、未だに消えずに残る僅かな傷跡が幾つも残っている。とはいっても、その殆どが小枝に気が付かずに引っ掻いた切り傷らしいが。
「ただでさえ人気の無い場所だというのに、それから数時間程歩いたか、遂に人の気がある細い通り道を見つけてね、その道なりにそって歩いたところ、小さな集落を見つけたのだ」
集落とはいっても、小規模。それこそ草の根を掻き分けて探さなければ見つからないような、森に完全に覆い隠された小さな集落。それこそ地図にも記載されていない、周囲から孤立した集落。まるで隠されているかのように、ひっそりと息をひそめて彼らは住んでいた。
「対してワシはというと、はち切れんばかりの興奮と好奇心に駆り立てられながら、恐る恐るにある一軒家から少し離れたところで観察しようと忍び寄っていた…そして最中の事だ、突然に幼い子供の声で後ろから声を掛けられたのだ」
マーベルは片腕を上げると、手の平を垂直にして動かし、少ししてピタリと止まる。
「身長でいうと、君より頭一つ分程小さかった。だがそれよりも振り返って見てビックリ仰天であったのが、ピタリと背後に張り付いておったのだよ、気配も音もなく」
が、幾らかは興奮状態であり、なおかつ大きな荷物を背負って歩いていたのもあって、たまたま近くに来るまで気が付かなかっただけと解釈した。
少年からすれば、話はたかが数年程度前の話。こんなヨボヨボな老人の一体何処に大きな荷物を抱えて歩き回る体力があったのか些か疑問であったものの、それは好奇心という底力のおかげだったのだろうかと、深く追求することなく自己解釈で終わらせる。
「まあ、驚いたというか、単にビックリしただけであった。その時は、であるが。相手は小さな女の子、ちゃんと人がここで生活をしているという確証が得られ、未知な魔法を目撃したという情報も信憑性が増してきたことに高揚せずにはいられんかった」
「さっきから興奮してばかりな話だけど、そのうち高血圧でぶっ倒れるんじゃないか?」
「そうであるな、確かに興奮しっぱなしだった。しかし…その興奮は一瞬で冷めたのだよ。青ざめた、血の気が引いた……身も心も死体のように冷たく…な」
「…それはまた、急な展開で」
「……あの時、これといって深く考えずに女の子に笑顔でワシは話しかけた、その瞬間だ、恐ろしく威圧的な眼光で、とても幼き女子とは思えぬ声音で間髪入れずに語ったのだ」
『死にたくなかったら、今すぐ帰れ』
「言われたのはその一言だけ。だがその一言で強烈な発汗と目眩が生じ、気が付けば理由を尋ねるよりも早く足が後ろに下がりだし、来た道を戻り始めたのだ」
「…まるで…魔法に操られたかのように…?」
「…今となっては生存本能による逃走なのか、魔法によって操られたのかどうか分からん…恐怖心だけが頭の中を支配し、二度と立ち寄ってはいけないとさえ思いこんでしまっていたのである」
そういうと、マーベルは口を紡ぎ、続きを語るかと思いきや黙り込んだまま喋る気配が無い。
「…はて、この話がどうして魔法が生きているという結論と繋ぎ合う?」
まさか、これで話が終わりだというのであろうか。今の時点では、マーベルの述べた魔法が生きているという点に、これといって触れたという納得のいく話が一つも上がってきていない。
これでは老人の過去の無駄話に付き合っているだけだ。
「…馬鹿馬鹿しい…こんな下らない話に付き合わされるとは…帰らせてもらう」
そういって、少年は怒り心頭に荒い音を立てて席から立ちあがり、その場を後にしようとマーベルから背を向けて歩き出す。
すると、先ほどまで硬く閉ざしていた口を開く。僅かながらに声を震わせながら、しっかりと一言一言を強調して。
「…………実はな…再び訪れたのだよ…僅か三日後の出来事だ…強烈な恐怖に駆られながらも、死んでも知りたいという欲求が優ったのだ。どうしても少女の言葉が気になったのである」
「…それで?」
話が再開したことで、少年は不満のある表情を浮かべているものの、元の位置へと戻り席に座る。
「…それから…どうした?」
「…どうもこうもせん。期待させてしまったようで悪いが、これ以上話せる事は何も無い」
「それは何故だ」
「何故…とな…そんなもの決まっているであろう。この世は不思議なもので溢れている。奇妙で未知、それは人間の好奇心を揺さぶる…しかし、凡人が決して踏みよってはいけない領域というのは必ずしも存在するのだよ」
そういって、マーベルは再び口を堅く閉ざす。が、視線は少年の瞳を真っすぐ見据えている。
挑戦しろということか、これ以上の先を知りたくば、語らせさせて見ろと。
「…それで? その口をこじ開ける条件ってのは一体何だ?」
すると、マーベルは意地悪そうな笑みを見せ、楽しそうに言った。
「そうであるな…では手始めに、自己紹介を始めるとしようか」
その言葉を聞いた瞬間の少年の顔は、とても引きつった笑みを浮かべていた。
ヒクヒクと頬を痙攣させている、少年の顔は表面上は笑顔であるが、途端に激しい貧乏揺すりを始めた様子から内心は怒っているに違いない。
マーベルは笑いを必死に堪え、満面の笑顔で質問する。
「さて、君の名前は何であろう?」
対する少年は、気に食わないのか何度もカチカチと音を立てて歯噛みし、沈黙……が、数分もしないうちに観念したのか諦めたように溜息を漏らす。
そしてさあ口を開くかと思いきや、数秒考えた素振りを見せてから口を開く。
「俺の名…は…………ブライト…だ…」