反動
全く、どうしてこう思い通りの展開へと物事は進んでいかないのだろう。有無も言えぬような疲労感に、溜息ばかり漏れてしまう。
思惑とは違う方向に話がズレてしまうのは、理想と現実は違うと過酷な運命を突きつけるように、見えない何かの介入によって意図的に捻じ曲げられているのではないかと、時に過度な被害妄想してみる。
まあ、理想を思い描くのと、勝手に想像する妄想は、どちらも『こうなのかも』と言った根拠のない一つの考えだ。
あーだったらいいな、こうなったらいいな。理想は結局のところ感情から生まれた自分勝手に過ぎない。周りより自分の事しか考えていない。ハッキリ言えば自己中となんら変わりは無い。
だから、この疲労感はただの自己嫌悪の一種、嫌気から生まれた溜息は自分の事しか考えていないという証明。
嫌な事が起こったと、ちょっとばかし被害妄想してみる。だって、思い通りにいかないのが酷く腹立たしいから。何かのせいにしないと、何かに怒りをぶつけないと気が収まらないのだ。
……ふぅ、ヤレヤレ。と、ため息交じりに呟く。
そんな奴らを、私は腐る程見てきた。
あはは、吐き気がする。嫌な記憶を思い出してしまった。
何だってそう、他人の嫌悪していた部分が、ふとした拍子に違和感なく心の奥底から湧き上がってくる。不思議とその事に気が付く事が無い。だからこそ意識してないと、気がつく前に他人から嫌悪される立場に成り代わっていく。
人間なんてそんなもの。そして私もそんなものの中の一人。仕方がない、しょうがない。誰もが抱く不快感、嫌悪感、それから生じる呆れ、それが感情というものだから。
「っはぁ…っはぁ…っはぁ…」
心拍数は上昇し、肺に取り込まれる酸素が薄く感じる。呼吸が大きく乱れ、吐き出される吐息は途切れ途切れに。
目眩と吐き気が伴う最中、魔王は我武者羅になって迫りくる斬撃をかわす。しかし太刀筋の全てが見えない、集中しようにも状況が状況で無理な話。半分はボロクソな身体を無理やり動かして避ける、もう半分はただの運任せ。
「…ぅ…くッ!」
手負いの状態で、万全の状態な相手の攻撃を避けきれる訳がない、何度も体中に切り傷が刻み込まれていく。が、なんとか傷は浅い、せいぜい薄皮の一枚や二枚。どうにか致命傷だけは避けている。
でも、本当にただ避けているだけ。攻撃なんてする余裕も、余地も、隙だってありゃしない。
襲い来る剣を逃げるように避けているだけの展開に、窮地を切り抜けるような進展に発展するはずもなく。一方的な攻めに太刀打ち出来ず逃げては、どうにか隙が生まれないものかと探る。
「――ッぅ」
再び襲い掛かった強烈な目眩。身体のバランスが乱れ、後退に足を一歩後ろにずらす。
が、膝に力が入らずガクリと身体が下に向けて崩れ落ちた。
「――ぁッ!!!」
ッハとして、思わず零れ落ちた言葉。『しまった』と毒づく暇もなく、剣が右肩に深々と突き刺さる。
「……ぎ…ぁああッ!!」
脳髄から送られてくる信号、神経という神経が痺れるような強烈な痛みが全身を駆け巡る。激痛だ、耐えがたい程の激痛。いっそ叫びたい、悶えたい、泣き出してしまいたい。
「……く……目覚ましには…はぁ…持って来いね…ッ!」
涙目になりながらも歯ぎしりを立てて堪える。物凄いが付くくらいに痛むが、おかげで目眩も吐き気も吹き飛んだ。
相手の動きが止まっている今の内にと、即座に突き刺さしてきた剣を握りしめ、このまま奪い取ろうと指先に力を込める。
「…ッご!?」
が、それを阻止するように、柚依は即座に腹に蹴りを入れ魔王を後ろに吹き飛ばした。
受け身を取る気力もなく、無防備な身体を床に叩き付けながら転がる。残った気力では、のそべったまま弱音を吐くくらい。
「は…っかは…やっぱり…魔法が使えないときっつい…かぁ…」
ぜぇはぁと途切れ途切れの荒い呼吸を繰り返し、重い足取りで身体を起こす。
せめてあと少しでも魔法を使える気力が残っていたのなら、剣を掴んだ瞬間にでもへし折るなり奪い取るなり可能だったのに。
……いや、あくまでも可能性の話だ。実際は違うかもしれないし、それにまだ試してもいない。となると…いけたり…するかな。
精一杯ながらものらりくらりと斬撃を避け続け、意識を一点に集中。
深く肺にある空気を吐き出し、そして大きく息を吸って一息付く。緊張の解かれた身体に、ゆっくりと全身の至る箇所に魔力を巡らす……が、やはりまだ不可能らしい。魔法を使おうにも身体が抗うようにいう事を聞いてくれない。
やはりもしかしてなんて考えは甘い。結果は結果、結論は結論、どの道そうなるものだと頭で理解していて、しかしあり得ないと分かっていながらも試す、言わば無駄な行為。強力故に対価となる弱体化、安全と保証を支払う捨て身になってこその業。
得られる効力は絶大と言える…だがしかし、やはりこの危険性は厄介だ。一撃で仕留められなかった後の反動、その後のハンデとなる戦況への影響があまりにもでかすぎる。
使いどころは間違っていなかったはず、だからこそ危険を冒してまで挑んだのに。失敗に終わっているのでは話にもならない。
なんとも……私は毎度の事、というよりも常々思う。勝負に対する運はあまり付いていない方らしい。
(う~ん…こうなった以上は仕方がない…本体である術者の居所が掴めるまで…兎に角は逃げに専念するしかない)
と、避けきれない軌道が再び右肩を直撃、斜め上に向かって肉を切り裂かれたことで、魔王は鋭い痛みに顔を顰め、一歩後ろに飛び跳ね後退。切られた右肩を左手で抑え、痛みと吐き気を耐えながら額に脂汗を浮かべる。
先ほどと違って今度は予想以上に深く抉られたらしい、力なくダラリと垂れ下がる腕、ただ重しを付けてるだけかのように右肩の感覚が薄い。
「…ま、その逃げるっていうのですら、厳しいんだけどねぇ~……」
冗談抜きで勘弁して欲しい。こう何度も不運続きなのだ、そろそろ幸運が訪れてもいいのではないか。
後ずさり、背に硬い感触が当たる。見なくても分かる、背後にあるのは壁だ。両サイドに身体の向きをずらせばまだ逃げ場はあるが…しかし立ち位置からしてもジリ貧。このままだと確実に端に追い詰められ逃げ場を失うのみ。
(…どうする?)
手を打つとなると、今この状態が一番有効だと言えるが…前に立ちはだかる柚依から逃れるというのは相当な命がけになる。
(…でも…このままじゃ…)
気の迷い、こうしている間にも柚依は剣を構え、振り下ろそうとしている。
決断を迫られている。時間は無い。
(……あ)
と、遂には手刀が振り下ろされる、鋼の刃が気が付いた時には魔王の瞼にクッキリと映り込むところまで迫っていた。
もはや一瞬で終わる、諦めるしかない。絶望に打ちひしがれた魔王は顔を歪める。
ああ、駄目だ、もう間に合わない。もう……
瞼をきつく閉じて唇を噛みしめる、皮膚が裂けたことによる流血、口の中に充満した血の味。視界が薄暗くなっていく、思考が濁り貪欲に淀んでいく。
もウ、【殺ス】しか――。
驚異的な反射神経で迫りくる刃を、身体を斜め横にずらすことで紙一重で裂ける。対象を忽然と見失った剣は、軌道はそのままに後ろにあった壁へと打ち込まれ甲高い音を立てる。
反動による剣の跳ね返り、それに重なって生じる身体の仰け反り、その隙を逃すまいと魔王は右足を上に蹴り上げると、剣の柄への衝撃に耐え切れず手元から離す。
そのまま魔王は屈んだ体制に移りすかさず回し蹴り。足が宙に浮かされた柚依に映ったのは薄暗い天井、そして次の瞬間視界が真っ暗になり、顔面に強い衝撃と共に床に打ち付けられる。
叩き付けられた衝撃で跳ね上がった身体に、叩き落すような腹部への複数回の打撃、落ちたその後馬乗り状態になった魔王は柚依の落とした剣を構え、首筋すれすれなところに勢いよく突き立てた。
「……っは…っは……ッ!?!」
限界まで瞼を見開いたまま、魔王は激しく乱れる鼓動を抑えるよう胸をきつく抑え込む。
既に柚依は抵抗することもなく、微動だにせずに動かなくなっていた。
「あ、危なかった……」
そういって、魔王は未だに乱れた呼吸を整えようと暫くの間浅い呼吸を繰り返す。
あとほんの少しでも気が付くのが遅れていたら、トドメを刺していた。
「……どうやら……終わったみたいだね…」
そういって、魔王は安堵の溜息と同時に薄暗い天井を見上げ
「…………本当に?」
得体も知れぬ違和感に、背筋を凍らせた。