自己紹介
どうしたらいいのだろう……。
沈黙が続く。隣では淡々と涙を流し続ける女性が座っている。そんな状況に男は緑帽子の上に手を置くと、困ったなと眉を顰めた。
うううううう……。
なにせ先ほどまで助けに出向いていたというのに、むしろ助けてほしい立場になってしまったのだ。
頭を抱えてうずくまりたい。居た堪れないこの気持ちで、どう接したらいいのだろう。今すぐにでもこの状況を打開したい。
「…え…っと……」
だが、そこで止まる。何かを言おうと思ったのに喉元に突っかかりがあって言葉が出ない。
いや、ここで戸惑ってはいけない。これ以上の犠牲者を出さない為にも心を鬼にしなくては。
意を決して女性に声をかける。
「…その…お体に触りますし…一度ここを離れては…」
そっと、なるべく優しく肩に触れる。
「…ッ!! は、離して!! 余計なお世話よ!!!」
差し伸べた手を叩かれてしまった。
「そ、そう…ですか…」
なんとも痛い。叩かれた手のひらを摩り、一歩後ろに下がって縮こまる。
いやもうすっごく痛い。とはいっても叩かれたことに対してではなくて、心が凄くズキズキするんですよ。
もの凄い剣幕でか弱そうな女性から予想以上な拒絶のされ方なんですもの、傷つきますよ。
それでも立ち止まっていては意味が無いと、負けじと声を掛ける。
「…し、しかしです。幸いにも貴方は無事なのですから…」
「幸い…? ふざけないで! この人は私を庇ったからこうして生きているのよ…!? だというのに、それを幸いですって!?」
やってしまった。どうしたらいいのでしょう。どうやら彼女にとっていまの言葉は過ちだったようです。穴があったら入りたい。
もう、睨むとか怒っている顔じゃありません。親の仇を前にした時のような殺意に満ちた剣幕です。
救助による「ああ、よかった」とかそういった胸をなでおろして安心する喜びが無いですね。というより恨まれてませんかこれ。これで意気消沈するなというのが無理な話ですよね。
い、いやまだ落ち込むのは早すぎる。こうなることなんて想定内の事。そう、分かり切っていたことです。
……それに、どうやらこの女性は何か勘違いをしているようですしね。
「…でしたら、貴方を助けるべくして身体を張った彼の行為を、別に踏みいじってもいいと言うのですか?」
「そ、そんなこと言っていないわ! 勝手なこと言わないで!」
「いいえ、貴方がいましている行動は彼に対しての冒涜でしかありません。もし貴方がここで立ち止まっていて身の危険が及ぶようなことがあるのなら、それは彼の行為には何の意味も無かったと道理ですよ」
「…ッな!……そ、そんなこと…………随分と…ハッキリとした物事を言うのね…普通はもうちょっと丁寧な答え方をするべきだと思うのだけれども」
「そうですね…私もそう思います。ですが、立ち止まっていても何も始まりませんので」
結局は、この世界は結果が全てだから。望んでも何もしなければ思い通りになんてなってくれない。だからこそ自分で退路を作らなきゃいけない。
今までそうだった。だから、これから先だってずっとそうなる。
「僕だって……立ち止まりたいのを我慢しているんですよ…」
「……ごめんなさい…大分混乱していて……その…貴方はわざわざ私を助けに来てくれたんですね…ありがとうございます」
そういって、女性は伏せていた顔を上げて笑みを浮かべた。
それでもまだ笑顔と言うまでにはぎこちなく、これ以上に気を使わせないようにと無理をして作った笑みなのだろう。
「ええ、そうです」
同じく僕は微笑みを浮かべ、手の平を女性に向けて差し伸べる。
「一旦、ここから離れましょう。私が責任をもって貴方様を安全な場所までお送りしますので」
「……えっと…よろしく…お願いします」
僕が差し伸べた手を女性はしっかりと掴む。少しばかり戸惑いはあったものの、今度は拒絶することはなかった。
「いえ、では参りましょう。足場が悪いので転ばないように気を付けてください」
僕はもう一度だけここを離れる前に、倒れた男性に顔を向ける。
名も知らない赤の他人。だけども分かる。きっと、とても勇敢で正義感溢れる立派な方だったのでしょう。命を張ってまで女性を助けたその志し、真に見事です。
「…………」
念仏は要らない。同情もしない。だって、それを望んではいないだろうから。
彼と同じく我が身が朽ち果てる時、僕は哀れみなんてものを望まない。だから何もしなくていい。
でも、勝手に誓わせて貰うよ。貴方が助けたこの人を、僕も命を賭して守り通すと。だから安心してお休みなさい。
振り返ることなく、町の中心部へと女性を引き連れながら歩を進めた。
…・…・…
ほとばしる灼熱の痛み。全身に伝わる痛みは神経を焼き切りながら悲鳴が上がる。
「っは…っふ~~……ッ!!」
視界が突然暗転し、魔王は慌てて意識が飛びかけるのを気合で堪えていた。
~~ッ!!いったぃい!超痛い!痛い痛い痛いってぇええ!!
とはいうものの、表面上は超平然としている。とても爽やかで、含み笑いを浮かべている。あくまでも表面上だけの話だけど。
内心は悶絶。絶叫したい。いや下手したら発狂するんじゃないかなこれ。熱いなんて生半端なレベルではないんだけど。
あるのは純粋に痛みだけ。感覚としては何処が熱さを感じているのか、それとも冷たいのかすら分からないくらいに狂っている痛みしか感じられない。
~~ッ全くもぅうう!!…無茶し過ぎなんだから~~ッ!!
脂汗は全身から溢れ出る。身体は途方も無く虚脱感が押し寄せる。
そろそろ意識を堪えるのも辛くなってきた。いわゆる我慢の限界といったところ。
このままでは飛ぶ。確実に意識が彼方へと飛ぶ。本当に冗談抜きで飛びそう。
あと…ちょっと…ッ!!
それでも脳内へ直接送られてくる情報を頼りに堪え続ける。
『負傷の転換……完了』
『対象の身体完治確認……問題無し』
…ッ!これでぇ…ラストォッ!!
内心で思い切り叫ぶと、体内の何かが瞬時に切り替わった。
物音は一切しない。あくまでも自身が感じ取る感覚の話。
『自己修復……開始』
そして鳴り響く告知音。その瞬間、私は全身に張っていた緊張を一気に解く。
全身を極限まで脱力させ、だらしなく腰を前に折り曲げる。
「……ああもう…しんどいなぁ…」
だが解き放たれた解放感は、ものの数秒で押しつぶされてしまいそうな疲労の波へ変貌してしまい、思わず深く長いため息を漏らす。
全身に鉛でも巻き付けたのかというくらいに重くだるい、至る関節部分にテープでも固着させたような硬い動き。しんどいと言えばしんどいし、しかし逆に言えばその程度である。
致命傷だった傷を完治させるのに、支払う代償はただの一時的な体調不良だけなのだから。
(…大分手慣れたものね。常人だったら指一つ動かせないような圧力だというのに、今じゃ≪危険性≫を全身に受けながらも身動きが出来るんだから…)
これで一体何度目になるだろう。少しは慣れたかと思ってたけれど、やっぱりきついものはきつい。
痛みを感じているのだから当然。むしろ慣れよいうよりもやせ我慢や見栄っ張りになっただけかもしれない。
でも慣れてもやせ我慢していたとしても、どのみち感じ取る痛みは同じなのだからどっちでもいいけどね。
(……っと、そろそろかな)
焼きただれた方の腕を上げる。先ほど開始した自己修復によって、見るに堪えない焼け跡は逆再生のように以前の素肌に戻っていく。
この調子ならそうしない内にも治るはず。掛かるにしても順調にいけば数分…いや、数十分で完治といったところ。
それでも完治にこれだけの時間を要するということは、それだけに怪我の度合いが余程に重症だったということなんだろう。
今となってはもうどうでもいい過去の話になるのだけれどもね。
「貴方…さっきから何をしているのよ…」
「…うん?」
一旦落ち着きを見せたからか。少しして黙り込んでいた女から唐突に声を掛けられた。
まあ不思議に思って聞いたのだろうけど。私からすれば女の質問内容は呆れたものでしかない。
「いや、答える義理ないんだけど、しかもそれはこっちのセリフなんだけど……?」
ならば逆に私が問おう。むしろ私が忙しい最中にあんたは何してたのよ…と。ただ驚いたように口をポカーンと開けてカカシのように突っ立てたのかと、小一時間程迫りより聞き倒したい。
正直何も仕掛けてこなかったことに驚いている、だって普通隙だらけだったら何かしてこない? するよね普通。
あれ、もしかして最近の戦闘って、何かこう、相手が変身とかするときとか、変身が終わるまで待ってあげてから攻撃し出すという礼儀でも新しく生まれたのかな。
「…どういうことよ」
「…なんで聞き返してくるのよ。だからさ、むしろあんたこそ今まで何してたって聞いてるんだけども」
どうやら虚位を突かれたらしい。しばらく黙ったかと思えば、今度は随分とどもった発言になっている。
「…………ぇ? え……い、いや…貴方が妙な行動に出てたから…」
その返しに魔王は鼻で笑う。それはもう嫌味たっぷりに。笑みが止まらないくらい。
「妙な行動に出てたから…ん~~? それからぁ~~?」
「……貴方の様子が落ち着くまで待ってあげたのよ…」
「へぇえ~~? そうなんだありがとぉお~~、それでぇえ~~?」
「……ッこの…!図に乗るなよメスガキがぁ…ッ!!」
確かにちょっと図に乗り過ぎたかも。切れちゃったみたいだねこの人。
「すぐにぶっ殺したら楽しみが減るってものだから、わざわざ手を掛けなかっただけだっつーーの!!」
「ふぅん…それはどうも…っと」
怒声を上げると、瞬時に女の周りには魔法陣が浮かび上がる。
対して魔王も応戦するよう手のひらサイズの魔法陣を作成し、お互いに戦闘隊形へと移り変わる。
「……一体貴方が何をしていたのか…もうどうでもいいわ……貴方を消すことに変更はないことですし」
「わ~、それは怖いね~っと。っていうかさ、今更の話だけど貴方っていうのいい加減やめてくれないかな? 私には魔王って呼び名があることくらい『知ってる』でしょ?」
そういって、魔王はある確信を持って告げた。
どうやって自分たちの情報を得ていたのかは知らない。しかし正体がばれているという点、そして自分がなんと呼ばれているか、その名くらいは知っているはずだと。
「……っふぅん、やっぱり気が付いていたのね」
すると、女は激昂した様子から一転、急に目つきを鋭くし、落ち着いた声音へと変化した。
ふざけた様子は一切ない。真剣な眼差しが魔王の瞳を真っすぐと見据えている。
「今のセリフ…やっぱりっていうことは、私の考えは正解ってことでいいのかな?」
「……一体何処まで気が付いているのかしら」
「さあ、どうだろうね。それこそ私にとっては答える義理はないんだけど…まあいいわ、時間潰しに答えてあげる。その方が私にとっても……あんたにとっても好都合…でしょ?」
今の発言の意味をどう受け取ったのか、女は表情一つ変えず聞いていた。
特に肯定する訳でも否定する訳でもなく、女は口だけを僅かに動かす。
「……御託はいいからさっさと答えなさい」
「そうね、でもその前に一つ、あんたの名前を聞いていないんだけど」
その返答に、女は何故そんな事を聞くのかと不思議そうに笑みを溢す。
「っふふ、何を今更。どうせ貴方も私の事を知っているでしょうに」
「いいから答えなさいよ。まさか私が自己紹介したとうのに、あんたは名乗り出ないでいるつもりなのかしら?」
質問には質問で返す。
戦闘には戦闘で返す。
答えには答えで返す。
例え相手がどんな奴だとしても、やられたらやり返す。それがどんな形であろうとも、私が良しとしない限り一方的は許さない。
「とんだ茶番ね……だけど、いいわぁ。たまにはこういう茶番も悪くはないわねぇ」
意図的に認識を反らすような魔法でも部屋に仕掛けてあったのだろう。それを解いたことで薄暗かった部屋へ途端に明かりが灯り、もやのかかっていた視界が晴れていく事で女の姿がはっきりと認識できる状態へと移り変わる。
「……ほんと、とんだ茶番だわ…」
露になった女の姿をその目で確認し終えた魔王は、ため息交じりに下らないと吐き捨てる。
その女の髪は長く、透き通るような銀髪だった。
白銀色に輝く衣装を纏い、腰に掛けられた細く鋭い一本の剣。
「ふふ、では自己紹介といこうかしら」
そういって一歩前に出ると、胸元に手を当てながら軽く会釈。
女は顔を上げ、口を開く。
「改めまして、どうも初めまして魔王さん。私、現在この町を掌握しております“白木柚依„と申します。以後、お見知りおきを」