ガン無視
__文字。
まず初めに浮かんだ言葉。脳裏にまで入り込んできそうな、無数の文字だ。…いや、それがどういった文字なのか、そうでないのか、その区別すらままならない程に、瞳に映る景色は文字一色だった。
当然、何処を見ても、文字。文字、文字、そして文字。
逃さないように、その無数の文字は全身の至る箇所に纏わりつき、離れはしない。
「…ん?何これ?」
その光景を直視した女は、困惑したまま動きを止める。いや、本能が動かないよう無意識に制御してしまっているのかもしれない。何せ、気がついた頃には、彼女の手によって既に空間は支配されてしまっているのだから。
それだけではない。浮かんだその文字が、配列が、何もかもが理解することができないのだ。
見たことがない、聞いたことがない、それ故にその魔法の規模の異常さが一層際立たせている。
「__アンバランス・インパクト」
そんな視界の奪われた中の出来事で、唯一女が理解できたことは、術者によって呟かれた詠唱と、目に映る光景その全てが歪んでいく光景だった。
「っ!?」
得体の知れない悪寒が全身に走り、女は咄嗟に立ち位置をずらす。すると地面には大穴が空き、軽く掠っただけで強烈な痛みが肩を通して押し寄せた。
まるで全身を引っ張られるような、捻じられているような、かと思えば鈍器で殴られたような衝撃が。
「っぐ!?」
うめき声を上げ、激痛が走った肩を抑える。何が起きたのか、目には見えるのだが、得体が知れない。理解できるのは、歪み、乱れ切った世界が映る。
ぐにゃぐにゃと、湖に、川に波を立てるよう、小刻みに震え、震える毎に女の平行感覚が弄ばれるかの如く崩壊し、ついには足元がもつれて倒れこむ。
それも不定期に、何時、何処でその波が揺れるのか、不安定に訪れる。
しかし、突然の出来事に呆気にとられ、まともに魔王による魔法を受けていた女は、苦痛に表情を歪ませるもその身に受けた痛みによって意識が覚醒した。
「~~ッ!ぃったいわねぇ!!」
そういって、女は甲高い怒声を上げると、勢いよく立ち上がり右手を上げる。その手の平は青白く光りを放つ、その行動に連なるよう、部屋全体の床に文字らしき螺旋が光と共に浮かび上がった。
一度全体に広がっていた光は、やがて魔王の立ち位置へと生き物のように蠢き、集中して固まる。
次第に発光は著しい速度で激しさを増し、ついには暴発を起こす。それにより閃光を撒き散らし、周囲を白き静寂の世界を招く。
「………」
魔王は眩しそうに顔を顰め、そしてただ沈黙を返す。
ただの目くらましか、煙幕といった緊急用の逃走手段といったものか。どちらにせよ、ただの時間稼ぎ程度にしかならない。
魔王は右手に魔力を注ぎだし、しかしある異変に気が付く。先ほどまであった歪みが、空間に張り巡らした魔法が、忽然と意図とは関係なく消失していることに。
ただの、視界を遮る光ではない。それとはもっと別。
魔王の魔法を、打ち消す。いや、掻き消す。それよりも、もっと類の違うもの。もっと根本的、中心部分を真っ先に遮断している。
「っく、くふ。あらぁ?さっきまでの自身はどうしたのかしら?この程度の事で固まっちゃって。もしかして魔法無効を見るのは初めてなのかしらぁ」
そういって、女は自ら扱ったであろう魔法、その種を明かす。
所有者の魔法を有する権限の強制剥奪。与えられた命を消失させ、物質、構成等の返還、無効化。発動前、つまりは何も無かった状態に戻す、魔法を消す為の魔法。
一般的に魔法を遮断させる方法では、同じ力でぶつけたりして相殺、又は使用者の源を、気絶させたりなどで断ち切るということが常識だが…。
一見便利に見えて、それが主に使用されない、主流として流行していないのは、簡単に要約してしまえば魔法を消す効力が強力過ぎて扱いが難しいから。
そんな魔法をもろともせずに発動させる時点で、女が相当な手練れという証明。
「………」
「…ん?うんーーー?なーに?もしかしてあの程度の事で驚いちゃったの。顔に正直に出てるようだけどもぉ」
黙り込んだまま身動きを急にとらなくなった魔王を、女はここぞとばかりに微笑を浮かべ、あざ笑うように嫌味を口にする。
しかし、そんな煽りを受けても平然と顔色一つ変えず黙り続ける魔王に、女はそれでも楽しそうに笑みを浮かべ続けた。
「…っふふ。声も出せないの?そりゃそうよね、だって自信満々に不意打ち食らわしておいて、簡単に防がれちゃったのだから」
そういって、女は先ほどまで映していた映像に視線を移す。
「…さっきまで映っていた貴方の姿、幻影魔法か何かで作られた偽物でしょう?ついでに罠でも張っておいて、何らかで下僕達を昏倒させた…。そんな魔法を一体いつ発動したのか、素振りも隙も与えてなかったと思ってたから、すっかり油断しちゃったわ~」
魔王が起こした芸当までもを、自身を持った表情で明かしていく。その姿は先ほどまで奮起の色を見せていたにもかからわず、今では若干表情はほころび、寧ろ楽しんでいるようだ。
溢れ出るべったりと粘りある狂気な笑み。そして、全身を舐め回すようなじっとりとした視線。手の平を頬に当て、その頬は微かに淡い紅葉の色を宿す。
その女の姿に、沈黙を破るよう魔王は引きつった笑みを浮かべる。
「………清々しいくらいの…変態ね…」
零れ出た失笑。無表情で受け流そうにも、背筋に走る怖気に堪えきれなかったのだ。
「っふふ……初手で仕留められなかったのは惜しかったわねぇ~?あと少し、ほんの僅かでも早ければ、私に勝てたかもしれないのにねぇ?」
「…勝てたかもしれない?」
その女の隠しもしない言い方、挑発に対して、魔王は反応するようにピクリと眉を動かす。
それではまるで、もう魔王では勝つことができないと。さらに言い換えれば、魔王の実力では役不足、相手にならないといっているようなもの。
「…初手を防いだくらいで、もう勝った気でいるなんて…随分と腕に自信がおありのようね?」
根拠なんてあるはずもない。何せまだまともな戦いも成立していない中で、相手の力量を図れるはずもないからだ。だというのに、それなのに勝った気でいるということは、それだけ自身の実力に過信しているのか。
無敗、圧勝、それ故に無敵だとでも思っている、そんなおめでたい考えでいるのか。
「あら?そんな事、わざわざ確認するまででもないでしょう?だって、貴方より強いのは明白、だからこその不意打ちだったのではないの?」
「……呆れた…その自信、一体何処から出てくるのよ」
ハァ~と、額に手を付き深いため息を漏らす。
が、そんな魔王の反応に対して、女は不可思議そうに首を傾げる。
「…貴方の方こそ…何を言っているのかしら?」
そういって、笑う。
「あの程度でアタシを倒せると、本気で思っていたの?」
痛快そうに。
「だとしたら、貴方、相当おめでたい頭をしているわ」
ケラケラと笑う。しかし、その瞳の奥は、淀んだ殺意に満ちている。
自信、それは絶対に揺るがない、だからこその溢れ出る余裕。
「…このまま殺してもなんだし…可哀想だから教えてあげる。アタシはね、この町そのものを有しているのよ、体の一部としてね。うふ…ふふふ、ふふふふふふ!その意味が貴方には分かるかしらぁ!?」
「…あ、ちょっと待って」
そういって、女は誇らしげに両手を大きく横に広げ、高らかに言い放った………のだが、肝心の魔王といえば、そっぷを向いて話を聞く耳すら持っていなかった。
床に倒れ伏せ、尚も苦悶の声を上げ続ける女性に駆け寄り、床に膝を立てると、優しく額に触れる。
すると、魔王の翳した指先から淡い光が灯り、女性を照らし、その顔がハッキリと魔王の瞳に映し出される。
「………」
その淡い光は、次第に弱まっていくと、女性の中へ消えていく。僅かにだが、女性の顔に浮かぶ苦痛が和いだ気がした。
その僅か、という反応でも、成果が得られたということに安堵し、しかし一声も掛けることなく、魔王は無言のまま立ち上がる。
「………」
最初から無視、最後まで無視、まるでガン無視という、その徹底的に無視を貫いた姿勢は、寧ろ清々しいと思える程。
とはいえ、自慢気に語って無視された女にとって、これ程の仕打ち、羞恥は無い。
口をポカーンと半開き、そして広げた手を、肩をわなわなと震わせ、魔王を凝視したまま固まる。
「……は、話…聞いてたかしら…?」
「………」
返答は沈黙。というよりこれも無視に近い。振り返ることなく棒立ちの状態でいる魔王の姿に、表情は曇り、そして切れる。
「あ、貴方ねぇええ!?ふざけないで!一体自分が今、どういう状況化に置かれているのか分かっているの!?アタシはッ!この町の下僕…住人全てから法力を授かっているのよッ!?」
「………」
「……ッ!!つ…つまり!!アタシは一人で、数百、いえ…数千!そう!数千人分もの法力全てを有しているの!」
「で?」
返事は実に簡潔な一言。
まるで興味が無いという、無関心、それでいて覇気の無い空虚な返し。
「…で、で!?今の話を聞いて…で?」
驚きを隠せないのか、信じられないと首を振り、瞬きを繰り返す。
「………あ、貴方…いい加減にしなさいよ…ッ?…超絶な程に温厚なアタシでも…我慢の限界ってものが__」
「__っるさいわよ。このくそアマ…ッ!さっきから貴方貴方貴方、アタシアタシアタシって!!」
「…ッ!?」
女の会話を中断させ、魔王は突然怒気の孕んだ声を上げた。
魔王のその突拍子もない豹変ぶり、威圧に蹴落とされ、有無を言えず黙る。
「アンタが温厚?我慢の限界!?っは!……笑わせないでよ?」
声音が変わり、声のトーンが著しく下がる。
「傍からすればさ、私ってただの能天気に見えてたかもしれないけど、こう見えて、私なんか大分前からずーーーーっと……頭に来てたのよ?」
そういって、魔王は左手を横に突き出す。
「…アンタさ、ついさっき不意打ちだのなんだのいってたわよね?じゃあさ、それについて聞くけど、何で初手で確実に仕留めようとしなかったんだと思う?」
「……あ、貴方、さっきから何をブツブツと…それよりも、自分の立場が分かって…?アタシは、数千人もの法力を持って…」
そこで、声が止まる。
「…ねぇ、聞いているのは私なんだけど?」
その発せられた一言に、強烈な寒気が襲う。
「そんなの、どうでもいいんだけど?」
「ど、どうでもいいって……」
「………それとさ、大分貴方にはお世話になったみたいだよね。柚依ちゃん」
そういって、ギリリと奥歯を噛みしめる。
「それに桜ちゃん」
横に顔を向ければ、そこには床に伏せている女性…桜の姿。
「そして……優くんが」
その言葉を最後に、魔王が突き出した左腕、その周囲に魔法陣が忽然と姿を現し、かと思えば魔王の左半身から大量の蒸気が放出された。
もうもうと溢れ出る蒸気は、次第に魔王の透き通った純白の肌を黒く焦がしていく。
それだけではない。くっきりとした生々しい火傷は激しさを増し、額には大量の脂汗が浮かぶ。
まるで自傷行為そのものを行っている魔王の姿に、女は何をしているのか理解出来ず、唖然とてその光景を見つめる。
「あ、貴方…何してるの?」
「…さあ、何だろうね~?」
…狂っている。
そう、もはや自分は狂っていると、自覚していたはずの女でさえ、恐怖する。
半身を重度の火傷に負わせても尚、気絶してもおかしくないであろう痛みの中でさえ、愉快そうに笑みを浮かべている魔王は、彼女は常人を逸脱して、狂っていると。
「…ああ、それと話の途中だったけど、何で初手でアンタを仕留めなかったについてはね」
平然と、声を出せずに固まる女を他所に、魔王は一人会話を続ける。
「私…殺したいって思った相手を一瞬で楽にする程……優くん程、甘くないんだよね」