辿り着いた答え
「何だよこれ…?」
そういって、抱きかかえた彼女の顔を見つめたまま、優は自然と声のトーンを下げていた。
困惑した面持ちで、瞳に映りこんだその光景をじっと見つめると、確認するように軽く頬に触れ、指先で不可解な線をなぞっていく。
肌触りはとても無機質なものだった。ひんやりとした冷たさがあり、人の肌といった感触がまるで感じられない。
これら全てが幻覚といった類ではないことは承知している。これは紛れもない実物だ。
そうなれば、これはどうも見間違いではないらしい。何かを模したとされる紋様がくっきりと、彼女の顔半分を通して全体的に描かれている。
「これは……魔法陣…なのか?」
恐らくは魔法を発動させる装置として描かれたもので間違いない。
とはいっても、魔法に関しての知識が乏しい為、優はこれが魔法として描かれたものだという認識は出来ても、それ以上は皆目検討も付かない。
一度目にしたものであれば、ある程度の内容は把握できるのだが、どうも普通の魔法とは異なるのか、どういった魔法なのか、初めて垣間見たその構造に、結局詳しい内容は不明だ。
無論、魔法に関しては初心者に近いのだ。これが魔法といった確証も勿論無い。
が、何も知らない人間が傍から見ても、円やら文字やらをぐちゃぐちゃと混ぜ込んだような模様なのだ、いくらイラズラに描いた悪趣味な刺青にしても限度があると感じるだろう。
それに、見る者の心を不安に駆り立てるような、妙に複雑な形式で描かれている。これが魔法陣だとすれば、火を起こしたり水を出す…なんて一般的に知られるような安直な類ではない。
それに、ただの素人が作れる程、魔法はそんな単純なものではない。
ある程度に魔法に詳しい者で無い限り、魔法を知って会得するように、魔法を作り出すにも知識の会得が必要不可欠。
これを作り出した者は、魔法に対して十分な知識があり、どんな魔法かを知っていてこの陣を形成している。
本人はどうなるか理解していて、無茶苦茶な構造で無理やり魔法を構築している。
「……何のためにこんなものを…」
その理由を問おうにも、真相を知っているのは今抱きかかえている彼女か、その陣を施した人物だけだろう。
しかし、それでは少し不自然ではある。
意味も無く魔法を刻む、そんな事をする人間はまずいない。だって、使いもしない魔法を作ったところで、だからなんだという話になる。
使わなければ、いくら魔法であっても所詮型は型で、見た目だけあっても中身が無いのでは、この世に存在していないと同じこと。
それに加え、本人であるはずの彼女は様子が変だった。あれが冷静で落ち着いているはずが無い。
意識が朦朧としていたのか、それとも操られていたと考えるのが妥当だろう。ただ、どうもそういった類も見られない。なぜ意識が朦朧としていたのかといった疑問が浮かび上がるし、操られていた意図が見当たら無いからだ。
「魔法が発動していた形跡もなし…ますます訳が分からなくなってきたな」
彼女の顔に浮かんだ魔法陣は幸いにもまだ未使用と考えられる。
もっともな理由として、無茶な構造をした魔法だ、それ相当の≪危険性≫が用いられるはず。
魔法の不発、衝突現象などが起きてしまう、なんらかの影響、支障が起きる…など。
例えそういった症状が無くとも、高度な魔法の使用には精神と肉体にも疲労が及ぶ。
「……筋肉による緊張の膨張は無し、熱は帯びていないし、呼吸も安定している。脈拍も落ち着いているし、顔色も至って正常な肌色だよなぁ」
腕や首筋に軽く触れて確認してみたが、やはり彼女自身に対しての影響は一切無い。
そうなってくると、いよいよ手詰まりになってくる。
「あー…気絶させない方が良かったかな…いやでも、あの状態でまともな会話が出来たとは思えないし…」
そういって、優は困ったと口をへの字に曲げる。
その場の勢い、咄嗟な判断に身を任せ大分強く手刀を入れてしまっている。その為当分は目を覚まさないだろう。
「どうするか…こうして立ち止まっている時間も無いってのに」
今一番に気になる点が三つある。
それは彼女が一体何者で、陣はどういった形で彼女の顔に描かれたのか、これは既に完成された一つの魔法陣なのか、ということだ。
星の形をした陣を中心に、大きな二つの円が星を覆い、角に合わせて小さな円の陣が五箇所描かれている。加えて空いた隙間には解読不明な文字が数箇所。
何かしらの目的を持って人体に施した魔法陣にしても、その数や構造があまりにも異質過ぎる。
「これ…やっぱり変だ。多分一つや二つで形成された魔法じゃないよな?……四、五………十個は軽く超えてるように見えるんだが……」
そういって、不自然に眉を顰めていた優は、ジィっと陣を見つめ、複数の構造を持ち合わせた陣を幾度なく重ね合わせている事に気がつき、
「……あれ?」
巡らしていた思考をピタリと止め、さらに眉を深く顰める。
何か引っかかりを覚えて、一度口を紡いだ。
「…間違いない、これ…何処かで見た覚えがあるぞ」
知らないはずの魔法陣の形式が、ぼんやりとした記憶ではあるものの、確かにこの目で見た一部の光景と似ている。
何年といった昔の記憶では無い。多分数ヶ月も経たない。数週間、いや、早ければ数日程度だろう。恐らくは最近のもので間違いない。
ほんの少し前に、最近の出来事でこれと同じような光景を目にしているはずだ。
「…つっても……何処で見た…?」
どうも見覚えがあるのだが、ここまで複雑な魔法を最近は目にした覚えが無い。
殆ど魔法よりも肉弾戦、むしろ魔法そっちのけで斬りあってばっかりだ。
「……何だ…この…胸がもやもやと浮かない感じは…」
特に重視する内容では無いはずなのだが、違和感を覚えた途端、無償に胸騒ぎを覚えていた。
まだ塔を破壊する、といった目的を果たしてはいない。が、まだ時間には余裕がある。これでも少し早く行動に移しているのだ。まだそこまで焦る必要はない。
だというのに、嫌な予感がする。
思い出さないといけないと、今ここで思い出さなければならないと、その刻まれた陣を見れば見る程、焦らすように手の平にはじっとりとした汗が滲み出る。
「…目新しい記憶といえば……柚依と出会って、魔王に殴り飛ばされて、桜が不気味に微笑みだして……」
昨日のやり取り、柚依と出会った際を振り返る。
「あの時、桜が熊に襲われかけて、それを柚依が助けてくれて…」
…そういえば、どうしてあの熊は妙に荒れていたのだろうか、妙に凶暴だったが…。
縄張りを荒らされたと勘違いして襲ってきたのだろうか?
「……関係ないし、違うか…じゃあ、あの呪人との時か?」
いや…違う。
そもそもチェックとメイトと名乗る二人は、どちらも魔法といった類を優の目に映る形での披露はしていなかった。
しかし、呪人となれば、己の生を人形に定着をさせるような、何かしら陣があってもなんら不思議ではない。
ただ、そういった魔法陣を、優は見た記憶が欠片も無い。
そうなると、さらにもう少し前…もっと最近の話になる。
「でもそうなると、後にあるのは柚依や魔王と一緒に町の観光をしていた最中…?その間に起きた出来事くらいしかないよな…何かあったか?」
そんなもの、あった覚えが無い。そもそもある方がおかしい。
中心に円が一つ、そしてその周辺に四つ、それらを囲うように大きな円が一つ。それが、どうしても突っかかりを覚える。
「俺はあの時…何をして…いや、何を見ていた…?」
簡単に町を見回し、適当に通行人を呼び止め、それを魔王と桜も行って…。
特別な行動は何もしていなかった。後に見たものといえば、その時に桜が町の地図を持ってきたくらいしかない。
「…ん?地図…?」
そういえば、さっきまでも道に迷わないようにと地図を見ていたが……。
「…ぁ」
そこまで思い出したところで、優はポカンと口をあけたまま間の抜けた声を漏らした。
視線を自分の足元、その真下に存在する町を上から見たことで、今までの引っかかりが嘘のように解ける。
「そう…そうだ、似ている。似ているんだ!この町と、この魔法の仕組み…形状が…ッ!」
幾つもの魔法陣のそれぞれの位置が、イヤにこの町の建物と重なる。
ただ呆然と眺めただけでは気が付きもしない。…が、目を凝らして見つめていると、薄っすらと陣の形が浮かび上がってくる。
気が付かない訳だ。だって、そんなもの、もし仮に気が付いていたとしても、気のせい、見間違い、勘違いといった考えに至って見落とすに決まっている。
「………だが、妙だな…」
そもそも、町一つ丸ごと魔法の陣に形成させるなんてことが可能なのか。
……結論から言えば、極めて難しい。…が、しかし姿形までの点については、魔法についての知識と、緻密な作業を行い、時間や労力を費やせば大体は事を成せる為、不可能ではない。可能といえば可能だ。
だが、形状までは真似できるかもしれないが、それにしたってあまりにも巨大過ぎるのではないだろうか。
「…何かの偽装目的か…?だが、それにしては少し変だ、あまりにも単純過ぎる…それだけじゃない…何か…何か違う……最初から…違う…?」
ぶつぶつと、思いだすように呟き思考を巡らしていく。
意味も無く大掛かりな陣を作るはずも無い。未完成といった風にも見られない。
じゃあ、災害や奇襲から身を守る為に備えられた秘密兵器か。
だからといって、いざその時が現れたとしても、すぐに発動できる代物でなければ意味が無い。
町一つを丸ごと飲み込んでいる規模だ、一人や二人で扱えるものじゃない。数十人、数百人、…いや、下手をすれば数千人の詠唱を要する。
何かあってからでは遅い。
仮に何かあってから間に合ったとしても、大勢の人間が冷静に対処し、同時に詠唱する団結力が無いと皆無。
誰しもが的確な判断を取れるとは限らない。
恐怖せず、常に冷静に落ち着き、淡々と作業をこなす。それこそ死すらも恐れずに。
「……ちょっと待て…」
まるで感情が無いように。取り憑かれたように。壊れたように。操られたように。……まるで、人形になったように。
「……二人…だけか?」
そういって、優は抱きかかえた彼女を見つめる。
生きた人形。それを人は『呪人』と呼び、柚依と魔王は『傀儡』と呼んだ。
人と同じ動きをし、人と同じく喋る。その『人』は、しかし『人』である人間の命令で人形のように動かされる。
この町には、少なからず二人の『呪人』が存在し、どちらも命令に背くことが出来ていた。
だが、他はどうなのだろうか。
今目の前にいる彼女は紛れも無い『人』だ。
しかし、それはどの『人』なのか。
命令に背く『人』か、背けない『人』か。それともどちらも当てはまらない『人』か。
「この町にいる『呪人』は…二人だけなのか?」
一体何時、誰が『呪人』の存在が二人だけだと言っていた?
「誰も…そんな事は言っていない…ッ!」
柚依から聞いた話では、二人の『呪人』がある者の手によって生まれ、その二人の『呪人』狙いの為に、主人は殺されてしまったという話していた。
「…本当に…そうなのか?」
『禁術』と呼ばれた魔法は、一度扱えば、それは本来ではありえない現象を起し、理を超越する力を発揮する。しかし、得た物の代償として、当然起した現象に比例し、対価に強大な≪危険性≫を補わなくてはならない。
だからこそ、人ならざる者が触れてはならない魔法が『禁術』とされているのだ。
殆どの『禁術』は闇の中に葬り去り、それでも尚薄っすらと現代の裏に影を伸ばし続ける『禁術』も、勇者であった優でさえほんの一握り程度しか知らず、そもそもの存在を殆どの者が知りえない。知れたとしても解読する事さえ困難とされ、扱える者は無に等しいとされている。
だが、その禁忌である『禁術』を知り、解読し、扱って見せた者を何も考えず安易に世から消してしまおうとするだろうか。
「……ありえない。呪人だけが本当に目当てだったとしても、それを成功させた本人を普通は真っ先に欲しがるはずだ」
しかし、柚依の話が本当だとすれば、その成功者は不要だった。彼らにとっては、むしろ存在が邪魔だった。
それとも、本来の目的は別にあった?
「………あー…」
そこまでの答えに辿り着いたところで、優は巡らしていた思考を止めると、ボンヤリとした面持ちで顔を上げ、ポカンと口を開いて気の抜けた声を発した。