表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
勇者の彼女は魔王様  作者: 勇者くん
7/112

通称:残念な子



「おいおい…落ち着けって、まずは話し合おうじゃないか」



 そういいながら小刻みに震える拳を何とか抑える。何だろうこの高鳴る気持ち、イケメンだからかな、とりあえず有無も関係なしにこの男をぶん殴りたい。むちゃくちゃぶっ飛ばしたい衝動に駆られるんだが。



 胸から込み上げる衝動を抑え、勇者、いまは元か。いずれにしても俺の威厳を見せなくてはいけない。ここで荒事を起こしても利点は何も無いのだ。ここはなるべく穏便に済ませるべく、ここは下手に出て自体を収束に収めるよう。



「黙れ! 堕落したくそ野郎の話なんぞの聞く耳もたん!」

「その、ちょっとだけ、ね? ちょっとだけでも話を聞いてくれないか?」

「しつこいぞ! どうせ良からぬ事を考えているんだろ! 聞いたところで時間の無駄だ!!」



 残念ながらそれが通用する相手ではないらしい。此方が一歩近づくと男は敵意をむき出しにして一歩後ろに下がり、手を動かすと身体をビクリと震わせて剣を構える。どうも俺は完全に敵としてロックオンされているらしく、何を言っても話には見向きもしないみたいだ。



(俺からすれば物凄い冤罪な訳で、だからといって意義を申し立てたいんだけどどうせ聞いてもくれないだろうしなぁ)



 どうするかと頭を悩ませていると、男は突然として俺の近くから離れるように後ずさり一定の距離を取った。これ以上相手は待ってはくれないって訳か。



 男の動きを見つめてて気が付いたが、服の上からでもよくわかるくらいに鍛え上げられた、よく筋肉がしきしまったいい身体付きをしている。中々の手練れと見た。



 男は重心は一切の乱れなく、上半身を腰の位置をまで低く下げていく。瞬時に足が前に出やすいこの姿勢は、次の如何なる状況にも対応する構えで備えているように見える。となると既に戦闘隊形としての体制になったということか。



 表情には出さないものの微かな驚き、ピタリと微動だにせず動きを止めたままのの男。



(…この姿勢)



 その姿勢には僅かながらも見覚えがある。驚愕…とまではいかないものの、その極めて珍しい型に



「ほぅ…?」



 と俺は無意識に呟いた。



「得意分野は剣技…みたいだな」



 それは太刀筋の技量が高い者に重要視されている、特別な技の一つ。



 本来なら腰の位置を低くするのは腰に掛けた刀を手に掛け、相手の動きに合わせ即座に抜けるように。身体は少し斜めに、足は柔軟でしなやかな動きが出来るよう僅かに曲げる。



 対して比べるとやけに腰の位置が低い姿勢だが、前に踏み出した足に常に力が入っている分、足を一歩伏しだした時の瞬発的な動きはあちらに分がある。男の姿勢は『居合い』に近いか。



 単独、複数を相手に両立できる真剣。自らの攻撃が届く範囲を極限に集中させ、邪念を完全に捨てて無と一体になる。脱力からの無気力は、一見すると無防備に見えるが驚異的に相手の動きに敏感になる。



 が、それには恐怖心や邪念を完全に捨て去らなければならない。練習と実践では、実際にやると酷く緊張して喉が渇き、とても邪念を振り払うのは困難なはずだが、一切の意識を反らさず佇む様子からして、余程の自信があるのだろう。相当腕に自信がないとできない芸当だ。



「つまり…それなりに腕に覚えがあってここに来たということか」

 


 俺はできれば話合いで誤解を解きたいという甘い考えを取り払うことにした。どれだけ弁解に力を入れても、ここまで来たからには見向きもしないだろうと諦めたから。



「しょうがない…乗り気じゃなかったが軽くぼこって、動けなくした後に縄で両手両足を縛り付けて、それからゆっくりと誤解を解かせるとしよう」

「き、貴様!! まさか洗脳する気か!?」

「何を人聞きの悪い事を言ってんだ! 誤解を解くための手段の一つだっつーの!!」

「いや優くん。両手両足を縛る時点で解ける誤解も解けなくなると思うよ」



 味方のはずの魔王にまで否定された。まともな感性を持つ俺とは違い、こいつらの感性は少しずれているみたいだ。とまあそれは置いといて。



 男の服装からして憶測するに、男はまず手配等によって派遣された勇者ではないと推測できる。全身白い正装なんて勇者見たことないし、この辺ではあまり見たい茶髪の髪に緑色の瞳をしているところ余所者だろうか。



 ぶっちゃけ衣装が何だと思う輩も多いが、そこは暗黙の了解とい事で何かあれば勇者は至急された服を着る。一つの行事のようなもの。そこそこ頑丈に作られているからか、例え破れようが汚れようが、はたまた火に多少あぶられても見分けが付かなくなるほどに見た目が変わったという例はない。



(最初から全力で行くべきか、それとも手加減した方がいいのかな)



 そう思うと躊躇いを感じて手に入れる力が鈍ってしまう。時に俺は盗賊などの犯罪者相手に幾度と戦っていたことがある経験もあって。



(こいつも強そうってだけかもしれない…いっつも弱い相手ばっかりだったからなぁ)



 異形な化け物が相手ならまだしも、結局は自分と同じ人間となるとまた話は別。実力差がありすぐる相手とではもはや戦と呼べるものではなく、大体が戦意を失った大の大人を



「お前ボールな」



 とでも扱うように蹴散らすばかり。その時の心境が何かに似ている。そう、あれだ。子供が昆虫を弄ぶような、そんな一方的な暴力。



 技量も分からない相手に剣を向ける…下手したら、という不安が過り少々気が引ける。

 


「相手してやるよ、来い!」



 しかしそんな躊躇を振り払いって手に入れる力を強める。逆に言えば技量が分からないからこそ躊躇してはならない。初めから全力で完膚なきまでに叩き潰す。



 意を決して口を閉ざせばそれからは静寂の時間が続く。同じく型は違えど居合いの姿勢を構え、俺と男は睨み合ったまま膠着状態が続く。



(この勝負…さきに動いた方が不利!)



 が、そんな俺の考えを真っ向から否定するように、先に動いたのは男の方だった。



「いくら堕落しているとはいっても元は勇者…手加減はしない、最初から全力で行かせてもらう!」



 そう言い放つと、男は迷いなく一直線に俺に向けて駆け出した。



「あれぇえ!?」



 さっきまでの緊張は何処へやら。呆気に取られた俺は思わず驚きの声を上げる。



(この男は一体何を考えてんだ? 居合いの姿勢をとっていたのに突っ込んでくるなんて聞いたことがない)



 『居合い』は自分から突っ込んで間合いに入るものではない。むしろ相手の間合いに突っ込んでどうするという話だ。普通は相手が自分の領域に踏み込むのをただただ息を潜んで待つもの。



 自らその範囲に入れようと迫っても、動く、近づくその行動する行為自体に意識を持っていかれ、本来の本領を発揮することはできない。もしも対峙する相手も居合いを得意としたのなら、ほんの僅かな隙を狙う、それが基本だ。



 それでも自ら近づくものが居たとすればそれは、相手の思考の斜め上を行く常識では考えられない行動。予期もしなかった出来事に少し呆気に取られたが、しっかしと気持ちを立て直した俺は相手の意図を探ろうと思考を巡らす。



 考えられることは一つ、ブラフだ。



 無防備、自殺行為な行動だと思わせておいて裏で何か手を打っている可能性が高い。ただ問題はその何か、この状況で決め手になるような何かがあるというのか。ここで下手に動かないでじっと待つ。



 距離があるのでは直線は自殺行為。かといって魔法を使った様子は無い。罠を仕掛けようにも男は入ってきてから一度も可笑しな行動をとってはいたけども、不穏な行動はとってはいなかった。



 となれば後は何があるか。残念な奴だとは思ったが、まさか本当に何も策無しで突っ込んできているとでもいうのだろうか。



 俺は視線の先の男に疑いの目を向けると、急にあほらしくなって身体が疲労に満ちる。そして腕に込めていた力を少し緩めた。



(…結局、何がしたかったんだこいつ)



 気力が削がれた事で馬鹿馬鹿しいから勝負をさっさと終わらせようと、ゆっくりと腰に掛けている剣を男に向ける。その一瞬の油断から生まれた仕草を男は見逃さなかった。

  


「なっ?!」



 男の動きが急激に加速した。かと思えば男が踏み出した床にビキリと深い亀裂が入る。男が床を蹴り出す度にドンドンと凄まじい音が鳴り、右へ左へ移動しながら、更に速度は目で追うのが精いっぱいな程に加速していく。



「ちょ、は…はぁ!?」



 目の色を変えて何が起こったと、俺は咄嗟に体制を切り替えて剣を構える。



 ッシュン



「ッ!」



 嫌な予感を感じた俺は咄嗟に身を反らす。するとその直後に風の切る音が耳元になり、頬に微かに掠りを感じる。



 微かな頬から痛みが伝わり、頬を拭った指先に血が付着する。剣先が少し掠った程度だったが、もしもあと一歩反応が遅れていたら、身体の一部を持って行かれていたんじゃないだろうか。



「っふ。最初は油断したが、二度も気を許すと思うなっはぁあ!?」



 決め顔で喋っている途中に切りかかってきやがった、少しは空気を読んで欲しい。



「っちょ、ま、は、はぇえ!!」



 思っていた以上に速くて避けるので精いっぱいだった。



(っちぃ! むちゃくちゃはぇえじゃねえかよ!!)



 一番に驚異的なのは男の凄まじい瞬発力によるもの。確かに一瞬の油断はしたが、一瞬で目の前まで詰め寄られるような距離ではなかった。凄まじい脚力だ。



 俺は心の中で毒づきながら即座に剣を構え直したが、僅かな一瞬の一戦を交え、既に相手の方が俺よりも身体的な能力面が勝っているのは明らか。



 ッドン!



 呆気に取られている暇があるのかと。そう告げるように男は俺の背後から足踏みを鳴らす。踏んだ衝撃で地面はメキリと抉れた音を立てた。



「っく!」



 目に見えない背後から迫る殺気。防御に回る暇はない。振り向く隙もない。



「一か八かだ!」



 俺は鋭く敏感な勘に身を任せ、斜め横に身体を反らす。



「…何!?」



 ッシュンと耳元で風の切る音がなるが、今度は掠り傷を負うことは無かった。



 驚きに身を硬直させたその隙を狙い、ずらした際の勢いを利用して即座に体制を立て直すと、俺は反撃するべく男に向かって剣を突き出した。



「っふ!いや驚きました、まさか今の一閃を交わすとは…なまじ勇者だけだったことはありますね」



 が、男は何事も無かったようにすぐに反応を示す。一息吐くとシャリリリリリと剣で滑らして緩やかに軌道が反らされた。反撃された事に対して男はさぞ驚いたような表情を見せているが、その顔とは裏腹に余裕が見て取れる。



「そりゃそうだ、勇者舐めるなよこの野郎! カッコつけている最中にまで斬りかかってきやがって!」



 そういって余裕の笑みで俺は平然を装うが、実は内心はそうではない。



(はあぁああああああ!! あっぶねぇえええええええ!!! 死ぬかと思ったぁあああああああ!!!)



 相手に聞こえてるんじゃないかと思うくらいに心臓の脈がバクバクと速く鳴る。



(こりゃあヤバイな、大分身体がなまってる)



 まともな戦闘が久しぶりということもあり、身体が鈍っていると実感して歯噛みするも内心納得はしている。そりゃそうだ、殆どが格下相手に戦っていたのだから。素振りをしてたところで実践相手がいないんじゃしょうがない。



(…随分と感覚が鈍っているが、前のような感覚を取り戻すのに後どれくらい掛かる事やら)



 男を見据え、注意を外さないよう心掛ける。



 実のところ言うと、俺は久々の丁度いいトレーニングにはなるかと踏んでいた。それが初戦で想像よりも手ごわい相手と一戦を交えるというね、あまりの不幸続きにげんなりするわ。



「ですが、貴方が勇者と名乗るには些か不毛で仕方がありません。いくら勇者としての地位を失ったとはいっても、鍛え上げてきたその実力は本物です。その力で人々を救ってきたはずだというのに、今ではか弱き可憐な乙女に持て余した力を振るうだなんて…恥じを知るべきですよ!!」

「ちょ、ちょちょちょっと待ってくんない!? か弱き可憐とかいう冗談は置いとくとしても、一体俺が何時、何処で、何の目的があって勇者という立場を悪用したんだよ!?」

「だから言ったではありませんか、そこに居るあの可愛い少女を力で抑え付けていたでしょう!」



 そういって男が魔王に向かって指を指す。釣られて俺も魔王に顔を向けた。



「え、えへへ…」



 その言葉に魔王は照れたように頬を人差し指で掻き、頬を赤く染める。多分というか弁解をいつまで経ってもしないで見ているところ、アイツ絶対この状況を楽しんでいるのが容易に分かる。俺はあとでぶん殴ろうと心に誓った。



「第一てめえさっきから何言ってやがる! 何処に可愛い少女なんてものが存在してげぶらぁ!? このっ! 魔王! 何しやがっあぶねぇえええ!!?」



 ッゴンと抜群のコントロールで投げられた石が顔面にクリティカルヒット。投げた主は魔王。



 せめてもの反撃にと俺は魔王を睨みつけようとするが、交戦中に余所見は迂闊だった。気がついたら刃が目の前にまで迫り、何とかしゃがんで回避する。ぎりぎり避けることに成功したが、ッチという小さな音と共に髪の毛が舞う。髪の毛を少し掠った。



「「ッチィ」」



 そして聞こえた、明らかな二人の舌打ち音。



「ッチィ、じゃねえよぼけぇ!魔王お前一体どっちの味方だ!?」



 その質問に対し、魔王は静かにそっと胸元へ両手を添えると決め顔で言った。



「愛の味方よ」

「いやその返答おかしくねぇ!? ついさっきその愛の対象をさり気なく殺させようとしたよな今!? っぁぶねぇえええ!」



 再び視界を剣先が横切るも、先ほどとは違って身体の動きが柔らかくなってきた。鈍っていた身体も少しだけ慣れてきているな。



(…ようやく身体が温まってきたか)



 何回か男の太刀筋をこの目で拝見したからか、段々とその太刀筋も見えるようになっている。その証拠に今度は目だけで剣筋を追ってから避けられた。



「もうお前の太刀筋なら殆ど見切らせてもらった。だからそろそろ攻守交代させてもらうとするわ」



 そういって、俺は決め顔で剣を構える。



「いくぞ!」



 俺は足を前に踏み込むと、即座に男目掛け剣を大きく斜めに振り下ろす。



「何かと思えば…」



 無防備に見える大振りではある、先ほどのように反動を受け流されたら小回りが利かずに重心を崩すからして、男からすれば無理に攻めに入る必要もない。



 二度として剣を滑らすようにして男は軌道を反らす事を試みる。それを俺は狙っていた。



「…掛かったな」

「ッな!!」



 男の腕にガツンと剣に物がぶつかる衝撃が走る。衝撃も剣と剣が当たったというよりも軽く、ただ一瞬だけ当てられたという感覚。



「これは…!?」



 男が驚くのも無理はない。なにせ弾き飛ばしたものは肝心の剣ではなく、俺が振りかぶった際に手に持っていたのは鞘なのだから。



 振りかぶった際の身体の死角を利用した、俺の華麗なる戦法。



 本物の剣は、俺の反対側の手に握られている。



「少しいてーだろうが、我慢しろよ!」



 そういって、俺は男の肩目掛け一直線に剣を突き出す。が、対して男は躊躇なく刃を握りしめてきた。柄を当てて僅かに剣の軌道を反らし、薄皮一枚を代償に俺の太刀を避ける。



「おいおい、痛くないのか?」

「この程度で心配してくれるとは、貴方にもほんの少しだけは善良な心が残っていたようですね」

「うん、お前にとって俺への評価が地の底なのがほんとよくわかるわ」



 男は剣を掴んだまま大きな足音を立てる。すると俺の身体が一瞬浮いたような感覚が伝わった。



「…は!?」



 まさか今ので身体が浮いたのか、虚位を突かれ思わぬ隙を生じてしまい、その俺の隙を男は見逃さなかった。



「…甘いですよ」



 そういって、無防備になった俺に向けて剣を振り下ろしてくる。



「っなに!?」



 しかし声を上げたのは男の方だ。伝わるはずの手ごたえが、男の持っている剣には感じられなかったからだろう。それとも切られたはずの俺が一滴の血を流していないからか。まあどちらでもいいか。



「ふぁふぁ、あふぁふぃな(ふふ、あまいな)」



 俺は歯で剣を受け止めながら決め顔で喋る。思うように声が出ないのは口が塞がれているのだからしょうがない。



「な、何を言っているのか分からないけど、何て無茶苦茶な奴だ…! 一歩間違えば首が飛んでいたというのに…ッ!」



 おっしゃる通りで、でもそれしか咄嗟に避けられる方法無かったんだもん。



「ふぁっふぉしゅふぃふぉみししぇしゃは(やっと隙を見せたな)」

「っかは!? …っくう!」



 みぞおちに向かって全力で殴る。手ごたえありだ。ただ思ったよりも予想以上に強く打ったのか、男は俺から強引に剣を取り返しその場から後ずさった。



 だが、もう勢いは止まらない。俺は男が怯んだ隙を狙い勝機を見出したと突っ込む。しかし苦しそうに顔を歪めていた男は怯むどころか少々困ったように眉を顰めていた。



「やれやれ…本当に勇者だったとは思えない。とても乱暴な戦い方をしますね、私とは正反対です」



 瞬間、男の身の回りの空気が変わりゾワリと背筋に寒気が走る。



 男からはこれまでに無い殺気を感じた俺は咄嗟に動きを止めようとする。途中で止まる方が無難だと勘がそう告げているから従いたかったのだが、どうやら間に合いそうにない。このまま突っ切る。



「【鉢の乱舞】」



 先に動いたのは男の方だった。ドンッと床を蹴り上げて男が急激に加速する。



「何をするかは知らないが、させるかよ!」



 俺は咄嗟に剣を振りかぶるが、男の姿が消えて空を切った。



「っち!? 後ろか!?」



 後ろから足音が鳴る。振り返り際に剣を振るがまたも空を切る。二度も三度もその繰り返し。当たる気配はないというのに、気配がドンドンと周囲に拡散していく。



「さらに動きが加速した!?」



 地面に伝わる振動がドドドドドと地鳴り響く。音の方へ反応して顔を向けるが、振り向いた瞬間には次なる音が背後から鳴る。気がつけば俺は完全に相手の手中に嵌っていた。



「っしま!」



 男を完全に捉えきれず、キィンと手元から甲高い音を立てる。ついには手に持っていた剣を弾き飛ばされる。反動で身体が仰け反り、男の瞳には完全に無防備になった姿の俺を捉えていた。



「鉢のように舞、鉢のように刺す。これで終わりです!」



 ギラリと光る銀光。それに俺は瞬時に直撃は免れないと悟った。



「…っちぃ!!」




 ッザシュ!!!




 手答えのある切断された音。男が剣を抜くと同時に、辺りには湿っぽい音が鳴る。ボタボタと辺りに鮮血が舞った。剣に切られて体内から血が噴出す。



「うぐぅぁあああああああああ!!!」

 


 響き渡る絶叫。ただし俺はどこも切らてはいない。完全なる無傷だ。



 その代わりといっては何だが、目の前で自分の親指を思いきり切り、その親指を押さえて悶絶している人物がそこにはあった。



「………」


 

 ただただ哀れみの眼差しを向けながら、一言も発する事無く無言で見つめる。すると何故か男はニカッ!と笑顔を作り、切れていない方の親指を俺に向けて突き出す。



「っく!さすがは元勇者! まさかこんなトラップを仕掛けていたとは!」



 ワックスを掛けて滑りやすくなっていたため、そのせいで足を滑らせ誤って親指を切ったらしい。



 男は涙目になりながら一本取られた! とでも言いたげな顔でこっちを見てきている。しかもなぜか誇らし気に。



 今度こそ緊張の糸がプツリと音を経てて切れる。静かに溜息を付き、俺は笑顔を向ける男を見て一つの確信を持った。



「ああ…こいつ残念な子か…」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ