微かな焦り
それは宿を後にしようとした瞬間に起きた出来事だった。
西の塔に向かう途中で突然の爆発音が鳴り響いたことに疑問を覚え、宿の外に出ていた優と桜は何事かと音のした方角に振り返る。
「なんだ…?」
「何でしょう?…随分と大きな音でしたが…」
初めに目に映りこむ景色は空高くに舞い上がる粉塵だった。
粉塵はもわもわと煙のように空一面に広がり、その量と尋常ではない爆発音からして、それは何者かの手によって巻き起こされた現象だと一目で判断出来る。
「爆発か?……っておいおい!あの音のする方角って魔王が向かった場所じゃないのか!?」
爆発の衝撃の余波だろう、足元にグラリと揺れたような違和感を感じた。視野で確認できる範囲にせよ、大分遠い位置まで離れているのにだ。
しかも察するに、恐らくこれは魔王の仕業だ。
「はぁ…」
諦めに額に手を当て、大きな溜息を漏らす。
こんな街中で一体どれだけの魔力をぶっ放したのだろうかと。
実際に魔王がどれだけの魔力を備えているのか検討も付いてはいないが、しかし殆ど力は残っていないと本人は話していた。
それが本当ならば大したものだろう。町の一部を一瞬で壊滅できる程の威力を持つにも関わらず、それは魔王本人からすれば差ほど大したものでもないということになる。
計り知れない力を持つというのは明白、魔王の名は伊達では無かったということだ。
「……さすがは魔王っていいたいところだけど…いきなり何やってんのあいつ?」
ただ素直に凄いとは言い難く、能力面が優れても他は首を傾げる程度でしか無いので、実際にはどうなのかは良く分からない。
しかし、いくら魔王でも、まさか大層な問題を起そうとは思っていないだろうと深く考えずにいたが、あの爆発音と舞い上がる砂煙を見る限り駄目だったようだ。
というか、基本的な行動は隠密に行うはずたっだのだが…一人や二人ならまだしも、町中に響き渡るってどういうことよ。隠密の意味分かってないだろ多分、絶対。
「柚依の奴…一体魔王にどんな作戦を伝えたんだよ…」
恐らく柚依は大よその物事は慎重に行う性格だ。もしも重要な作戦だとしたら、細々とした小難しい案を一人に、しかもよりによって魔王に任せたりはしないはずだ。
……まあ、ある程度は考慮しての作戦ではあるのだろうが、しかしこれは予想外過ぎたのではないだろうか。
「優さん……」
当然といえば当然だが、それが理解できていない桜は身を竦ませていた。
しかし勇敢に立ち向かおうと一歩も下がることなく、尚も視線を一切反らすことの無いその勇士は、優にとってはどう説明すればいいのだろうかと何とも言いがたい気分になった。
「あー、多分魔王の仕業かと…」
とにかくは余計な心配を掛ける訳にもいかないと、多少言葉を濁しながら振り返るが、桜は険しい表情で鋭い眼差しを向けてくる。
「……え?あ、桜?」
それに、言葉を選ぶのを誤ってしまったのだろうかと戸惑ってしまうが、真剣そのものの意がハッキリと見て取れた。
怒っているわけでも無く、ふざけているわけでも無い。
「……魔王さんがこれ程に強力な力を放ってしまうということは…何かあったのでしょうか…」
ジッと爆発のあった方を見つめ、桜はそうポツリと呟いた。
どうやら桜は何かの異変に気が付き、緊張に身を強張らせているようだった。
当然といえば当然かと、優は桜と同じ方向を見上げる。あれだけの爆発にもなれば、予想せずとも周囲の建物なんて軽く吹き飛んでいる光景が容易に想像でき、それをただ事ではないと思える方がおかしいだろう。
「…だろうな」
桜に伴うよう、優もまたポツリと呟く。
爆発の威力の凄まじさを伴うよう、目を向ければ舞い上がっている瓦礫の数々が瞳に映りこみ、どれだけの衝撃だったかまでもが理解できた。
そこに居れば、無事で済まない危険性が十分にあることも。
「普段はただの馬鹿にしか見えないが、ああ見えても魔王って案外頭いいからな…じゃなきゃあれだけ思い切った行動を起せないしないだろ」
例え幾ら魔王が馬鹿でも、馬鹿は馬鹿なりのやり方ってものがある。
それがどのようなやり方であったとしても、無関係な周囲を巻き込むような真似をする奴じゃない。
「まあ、その何かあったっていうのが大まかに言えば打倒だな」
「優さん…私達も向かった方が宜しいのでは…?」
「いや、あれなら心配は要らないと思うが」
「…え?で、でも…」
戸惑う様子の桜とは違い、優は特別顔色を変えず平然と答える。
「一応あれでも魔王だしな…だからこそ不安要素ありまくりってのもあるが…」
「…でしたら…尚更魔王さんの元へ向かった方が宜しいのではないのでしょうか?」
そう言われると、優は桜から一旦視線を外し黙り込む。が、少しして優はふっと顔を上げて口を開いた。
「……いや、魔王を信じて任せよう。こっちはまだやることをまだ何もしてないしな。こんなんで計画に支障が出たら柚依に怒られちまう」
「…そう…ですか」
心配そうに煙の上がる方角を見つめる桜に、優は「心配要らないよ」と言うと優しく頭に手を置く。
「………」
「それじゃ行って来る、桜も十分に気を付けてくれ」
桜は優の言葉に、顔を伏せたまま黙り込み何も答えることは無かった。
そしてそれに対して優も又、すぐに桜の頭の上に乗せた手を退かし、急ぐように一言だけ言い残すと、桜からの返事を待つことなくその場を後に目的地へ向かって歩き出した。
人通りの少ない路地、乾いた隙間風が甲高い音を鳴らし、微かな風を肌で感じる。
光の差し込む方へ足を運ぶも、次に目にするのは奥まで続く道が無く、再び途中で曲がり角が現れる。
そしてその角を曲がれば、無事目的地に到着__
__するはずだった。
「……うーーーん…おっかしいーな…」
そういって、優は手に持った地図を広げると、食い入るように確認しては首を捻る仕草を繰り返していた。
「こっちで合ってるよな…?」
不安しかない疑問系を述べ、確認しては顎に指を当ててもう一度首を捻る。
初めは軽い足取りだったのが、今では焦りの生じた早歩き。次第に足取りは重くなり、進むたびに歩を止めて優は何度も首を傾げて唸り声を上げていた。
「ここを曲がって…ここをこう通っていけば着くはずなんだけど…なぁ~…」
地図には赤い点を目印として書き記し、魔王は東、柚依は西、優は南、桜は北と書かれている。
そして、目印である赤点をそれぞれ任された塔の一つに目を通していき、トントンと指を差していく。
これらは柚依にそれぞれの役割として指示されており、南は今から自分が向かうはずの塔の位置を記してある。
ただどういうことか、魔王や柚依とは打って変わり、一向に優は目的地に一向に付くことができずただただ路頭に迷っていた。
因みに、桜を宿に置いて離れてから大分時間が経過している。
「あっれー……」
立ち止まっては今度こそと自身を持って進むが、またも狭い路地。入り組んだ狭い路地を進んでいく内、今自分が何処にいて何処に向かっているのかさえも分からなくなってしまっていた。
「…今…ここに居るんだよな…?多分」
今何処にいて何処に向かっているのか、通ってきた方角と歩いた時間からして大よその距離を割り出し、感を元に右、左と曲がり角を次々と進む。
町がどのような入り組みになっているかを何度も確認し、そしてそんな詳細に書かれている地図をいぶしげに見つめ、しかし俺は尚も唸り声を上げ続けた。
「どーなってんだこれ」
歩いた距離から換算すれば、本来ならもう既に目的地に付いてもいいはずだが、しかし地図に記載されているはずの位置に付いても塔らしき面影が一向に見えない。
それどころかどれも似た石、構造も同様で作られている為、これといって見分ける特徴が無い同じ建物や道の性か、さっきから同じ道をグルグルと回っているかのように何度も通っている気がした。
「こうなったら…登るか」
初めからそうすれば良かったと溜息を漏らすものの、柚依から隠密に行動しろと言われていた身である為、民家の建物の上を飛び移るという怪しすぎる行為をしようなんて考え付くはずもない。
当然といえば当然の結果ではあったが、無理に出口を見つけようとせず、最初から道に迷った事実を後回しにしないで認めるべきだったと苦笑する。
「しかし登るっていっても…この町の建物って表面が平ら過ぎて手足だけじゃちょっと厳しいよな」
両隣にあるなんの変哲の無い壁を見つめ、試しに軽く指で小突く。すると叩いたことでッコンと軽い反射音が耳に届き、音からしてそれ程壁が強固な作りではないようだった。
触ってみれば表面がツルツルと滑り、手足だけの力では滑って無理だと分かる。
「いこうと思えばいけるんだが…」
そういって、優は腰に掛けた剣を見つめた。
ある程度の力を入れれば、剣を壁に突き刺して登ることは可能ではあるだろうが、しかしこれはあくまでもある程度これくらいの厚さ、硬さだろうという感覚だけであり絶対の確証は無い。
もし誤って力の加減や壁の強度を見誤っていれば、無関係な住民に怪我を及ぼしてしまいかねず、これはあまり進んで行える方法ではなかった。
「うーん。かといってこれ以上迷っている暇も無いしな……これだけ狭いなら多少滑ってもいけるか?」
今立っているこの路地は、両手を横に伸ばせば壁にどちらも付いてしまう距離だ。
手足に力を入れて踏ん張ればいけないこともないかもしれない。
「…よっ…と…あ、っく……」
しかし両手を壁にくっ付けて見るも、予想以上に抵抗があり登ろうにも力を加えた瞬間に身体がずり落ちてしまった。
諦めずにもう一度試すが、結果は同じに終わってしまう。
「…駄目か」
登れないことも分かり、手段が無くなってしまったことが分かると、少しして優は自分の手のひらを見つめ表情を曇らせ、気持ちを振り払うように首を横に振る。
「……いや、今更…何を思ったところで…もう遅いよな……ッ!」
気合を入れるよう頬を両手で叩くと、ふぅーっと長く口から息を吐き出し、瞼をゆっくりと閉じる。
そして優は、『想像』を始めた。
想像する。
身体が軽くなり宙に浮き、空を舞えと。
想像する。
大地から足が離れ、翼を広げた鳥のように空を切れと。
それから暫くして、微かに風が靡き、耳元で空気の切る音が鳴った。
音は高く甲高く鳴り、小さな風が次第に集まり、蠢き、それは疾風となって突如吹き荒れる。
そして、それら全てが極限に高まったと感じた時、優は瞼を開くと一言告げた。
「飛べ」
___次の瞬間、その一言を最後にぶわりと優の全身を風が包み込み、一瞬にして景色が目まぐるしく変わった。
さっきまであった地面が消え、上には真っ青な空が瞳の奥に広がる。下を見れば町全体が一目で見下ろせた。
宙に浮いたまま落下はせず、そのまま宙に留まった。どちらかといえば浮遊している状態で止まっていると言うべきか。
そのまま浮遊した状態をしばらく保ち、優はそこで二度目の息を漏らす。
「…さて…と。柚依の言ってた塔に向かうか」
ぐるりと一度周囲を見回した後、何事も無く想像通りに成功したことを確認すると、優はこのまま一直線に目的地の南に塔に向かおうと顔を向ける。
「…ん?」
が、そこでふと可笑しな点に気が付いて動きを止めた。
「んん?」
想像の何処かに支障が無いかを簡単に調べた際、一瞬だけ自分の瞳に映る景色の中に、可笑しな物が映っていたことに気が付く。
それがただの気のせいでなければ、瞳に映りこんだ景色の中に、自分と同じように何かが宙に浮いていた。
「いやまさか…ないない……」
そしてさらにそれが気のせいでなければ、その物体は人の形をしていた。
「いやいやいや、まさかね。ないって、ないない」
そう口では言いながらも、ぶわりと噴出した汗が頬を伝る。
まさか何処かでミスを犯し、他人までも空に飛ばしたなんてことあるわけ無い。いや、あって欲しくない。
そう願いつつ、気のせいだったことを確かに確認すべく、瞳を限界まで見開いて振り返る。
「……っふ」
やはり気のせいだったと、微笑を浮かべる。
そこには雲一つとして存在せず、綺麗な青空意外に後は何も無かった。
「だよなー。いくら調子が出ないからって、そんな、魔王みたいなやらかした真似を、俺がするはず無いよな~。あっはっはっは」
何はともあれ、気のせいで良かったと顔を前に戻す。
「はっはっ…は………」
「ハァ~イ」
「えー…と…ごめんなさい…」
気のせいではなかった。それが分かるや否や、目の前で笑顔を向けながら手を振って挨拶している女性に対し、優は条件反射に頭を下げた。