傀儡
「とはいっても、それは現状では。という話だから安心していいよ」
「……それはつまり……敵でも味方でも無い…ということでいいのか?」
柚依は細めた目をすぐさま笑みを作って緩めると、呆気らかんとして答えた。優はそれに調子が狂う思いを抱き、高圧的になっても仕方が無いと肩を降ろして声音を戻す。
「そうね。私は常に傍観者として貴方達を見ていたもの」
「……うん?そういう割には随分と助けてもらっているが?」
桜が襲われる寸前、柚依は桜を守るようにして熊を退かせている。料理店から持ち金をぼったくれそうになった時、俺は柚依の対処のお陰で取られなくて済んでいる。まあ、そのせいで騒ぎが起こったのだが。
「それに、チェックとメイト…あ、これは呪人がお互いに呼び合っていた名前だ。それに襲われて意識を失っていた際、動けない俺を助けてくれたんだろ?」
「まあ、そうね」
柚依は優の質問にコクリと頷く。全く隠す気の無い素振りに意外だったと感嘆の息を漏らす。
「ふぅん?てっきり既に敵は逃げていたとかいって誤魔化すと思ってたんだけどな。嘘を言っている様子でもないし」
「今嘘を付いて誤魔化しても、何の意味もないからね。それに優さんを助けたのはついでみたいなものだったし」
「ついで?」
要するには、何となくで助けられたってことか。それにしても助けて貰った事実は変わらないと思うのだが。
「ただ、助けたとはちょっと違うね。元々私には優さんを助ける責任があったからだよ」
「……どういうことだ?」
柚依は席から立ち上がり、棚から二枚の紙を取り出すとテーブルに置く。
「……これは…」
『チェック:呪人』
懸賞金1500000$
『メイト:呪人』
懸賞金2700000$
そこに書かれていたものはチェックとメイトの氏名が記入されている手配書だった。
「……知っていたのか」
手配書から顔を上げる。優の言葉に柚依はコクリと頷いた。
優はそれに何も言わずに無言で手配書に目を戻す。チェックとメイトの項目に目を向けた後、映し出されている二人の人物を見つめて不可解な点に気が付く。
「…だがちょっと待ってくれ。確かにあいつ等はお互いをチェックとメイトで呼び合っていて、ここに書かれている項目や名前はまるで同じだが……顔が違うぞ?」
優は実際にチェックとメイトをこの目で見ている。メイトが取り出してみせた手配書も、本人と同じ顔の絵が映し出されていた。チェックが20代後半、メイトが30代後半と、人形の身でありながら見た目は普通の成人男性と差ほど変わりが無い。
「それにここに映ってる二人……まるで子供じゃないか」
しかし柚依が取り出して見せた手配書は、チェックとメイト同様、どちらも10歳にも満たない小さな子供だった。
「まさか【幻影魔法】か何かで姿を偽っていたのか?」
【幻影魔法】は優が一度力を使い、似たような現象を起している。しかし【幻影魔法】は基本的に、相手に干渉することで実際とは異なった物体を、まるでそこに実在しているかのように見せる魔法として使われている。
類によっては【幻惑魔法】や【幻想魔法】と言ったように、幻で惑わす魔法や、相手の空想や理想を投影させた幻を見せる魔法も存在している。
「違うよ。知っていると思うけど、呪人は私達と違って魔法を使うための【魔術回路】が存在しない。人形には複数の魔法を扱えるような器が無いのよ」
「……それは知っているが…その【魔術回路】って何のことだ?」
聞いたことの無い【魔術回路】という単語に、優は分からないという顔を浮かべた。それに柚依は一瞬表情を固まらせると、驚いたように優をジッと見つめる。
「……何で知らないのよ」
「……いや、勉強不足というか…そこまで魔法に詳しくないというか…」
「…さっき説明していた通り、【魔術回路】は魔法を使う為の器官よ。これは人間に限らずに魔族や天使族。そして精霊族や獣族といったあまり見られない種族も持っているわ」
「ようするに、全ての種族が必ず持っている器官ということだな?」
「そうよ。そして【魔術回路】があるから魔法が使うことが出来る。無数に広がる回路は一つ一つに己が得意とする分野が存在し、繋がった回路によって生まれ持つ才が変わる。覚えられる魔法や能力が異なってくるの。それは種族によっても関係してくるわ。……とはいってもそれは左右されやすいだけであって、努力すれば勿論魔法は覚えられるし、能力を向上させることも…まあ……不可能では無いけどね」
そこまで話を聞いた優は、一旦沈黙すると自身について考え込む。
柚依の話を纏めればこうだ。
誰にでも【魔術回路】という器官が必ず存在している。それは生まれ持つ能力は回路の仕組みによって異なり、そこで大よその才能が決定されてしまう。しかしそれは種族によってそもそもの【魔術回路】が異なっていることが一番大きいのだという。
そしてそれが種族によって必要とされる力の変換の主な違いでもあった。
魔族の一例として、魔界の王と呼ばれる魔王は魔力を使って魔法を発動させている。魔王が心を読み取る【デビルアイ】はそのままの意味で【悪魔の目】。相手の思考を眼球一つで発動させられるのは魔族特有の能力であり、上位魔族が特にその能力を多く有している。
(種族の違いで、魔族は他の種族と違う能力を生まれながらに持っている)
ただ、それは柚依の話し通り左右されやすいだけであって必ずではない。限られた数の魔族にしか持ちえていないとすると、環境や体質にも影響してくるのだろう。現に『イグベール』に住んでいた四季や浅辺、寝子といった数名が【悪魔の目】のように瞳に特殊な力を宿していたことを証明している。
(とはいうものの、四季達が見せていた能力は【悪魔の目】とは別物だった。複数の能力が存在し、自分の意思で発動できないものもあった)
柚依が最後に少し言葉を濁したのはそういうことだろう。似た現象なら起せるが、全く同じ能力を再現するのは不可能か、出来たとしても極めて難しいといったところだ。
(実際に俺が魔王の【デビルアイ】や四季の【真理眼】を手に入れようとしても、多分……といよりも絶対に無理だろうしな)
魔族は魔力、天使族は聖力、人間は法力。そして精霊族や獣族もまた【魔術回路】の仕組みの違いによって必要な力が異なる。違う種族だと合わない力。つまりは魔族が魔力では無く聖力や法力を求めることで起きる拒絶反応は【魔術回路】の仕組みの違いが原因らしい。
ただ優の力を別物である魔王が変換して使ったように、また優が魔王の魔力を使えていたのは【魔術回路】の魔法に対する根本は変わらないからだった。
しかしそれはあくまでも微量なら、という話だ。多量に摂取すれば全身に強力な拒絶反応を起こし、最悪の場合死に到る。
(……考えてみれば、俺も【魔術回路】を持っているんだよな?)
【魔術回路】は誰にでも持っている。それは優も同じとされていた。そして【魔術回路】を持っていれば当然、柚依の話しが正しければ魔法が使える。
(しかし……俺は魔法を使えないんだよなあ…)
魔法の変わりとして存在しているのが、風を操っているとされる能力。不憫な点は多いが、その分強力な力を発揮している。
いや、そもそもこの能力が魔法で、一つに回路が偏りすぎた結果がこれなのか?
『イグベール』村にいた桜の母親である四季からは、力を制御するために封印が施されていると話していた。そして封印されていた制御が解かれると、それは優に強烈な猛威を振るった。
(猛威が止んだ後に、確か目の前に現れた剣を掴んだはずなんだけど……あの時は無我夢中だったからか、何で意識を失っていたのか。その時の記憶がすっぽりと抜け落ちたように無いんだよな……)
不思議に思った優は、魔王にやってのけたように記憶を探り出そうと思い出す≪想像≫を試みていた。しかし無反応と成果は無し。では魔王の時のように周囲はどうかと試すが、それもまた無反応で結局何だったのかを知る事ができなかった。
分かっている事は限りなく限定された能力だということだ。そして今は昔と違い、多少なら力の使用が可能となっている。猛威を振るった力の渦も、不思議と何事も無かったように落ち着いている。
ただ難儀なことに、現時点では暴走が収まっているだけで、いつまた暴走を始めるかは分かっていない。
こんなことになるなら、魔法についてしっかりと勉強しておけばよかった……。
優は口をへの字に曲げて唸り声を上げた。
「……随分と偉く長い考え事をしているようだけど…」
「……すまん、何でも無い。構わず続けてくれ」
痺れを切らした柚依が優に話し掛ける。対する優は軽く相槌を打つと手を軽く振る仕草で返す。柚依は特に何も思わなかったのか「そう」と言って軽く受け流すと話を続けた。
「話が脱線していたから戻すけど、この指名手配に映っている二人は優さんの言っている二人と同一人物よ」
「…それにしたって随分な変わりようだぞ。人形でも成長したりするのか?」
「いや、どうして何でそうなるの。彼らは人形よ。姿形を変えることくらい他の予備さえあれば造作も無いの」
「…それだと、人形があればいくらでも修復できるし、姿を変えられるってのか……手配書の意味がねえなこれ」
顔を覚えても、手足を破壊しても一度逃してしまうと違う姿になって再び蘇ることが可能。それは厄介だと眉を顰める。
しかし柚依は首を振ると、それは少し違うと言って否定した。
「うぅん。確かに呪人は替えの人形があれば、手足を切り落とそうが、頭を砕かれようが一日もあれば元通りになれる。指名手配されても顔に到らず体型も自由に変えられるのだから、見た目が人間と瓜二つな身体を持つ呪人には、手配書は全くの効果を成さないということは合ってるわ」
「…それの何処が違うんだよ」
「人形があればいい…ってわけでもないのよ。呪人は人形そのものに贄とした者の魂を定着させているから、腕が壊れたからといって新しい腕を取り付けても、魂の無いその部位は動かない。ただの飾りとなってしまう」
呪人の誕生の原理は、器と一人の魂によって構成されている。もし欠けた部分を代用するには、また新たな器となる替えの人形と、失った部分の魂を補う必要がある。
「……おい、それってまさか」
「多分、優さんが今考えたことは当たってる。簡単に言えば、呪人は修理や姿を変える度に、器とする人形と一人の魂を必要とするのよ」
「……生きる屍ならぬ生きる人形ってことか…末恐ろしい限りだ」
「一つ訂正しておくと、正確にはあれは人形ではなく『傀儡』と呼ばれているわ」
「…『傀儡』?」
それに優はまたも首を傾げる。
「操り人形という意味だよ」
すると横に座っていた魔王が不愉快そうに答えた。普段ではあまり見せない険悪な態度には、何処か悲哀の色が混じっている。
「…知っていたのか?」
「ううん。知らないし、知りたくもないよ……。呪人という呼び名は聞いたことが無かったから分からなかったけど、『傀儡』と聞いて分かったの。……一度だけだけど、『呪人』という存在を私は目にしたことがあるから」
それ以上のことを話す気はないようだった。そこまで言うと、魔王は小さな口をきつく閉ざして黙り込む。
「…呪人は元々主人の命令で動く存在…いうことは知っているね」
魔王が喋らないとなると、柚依は再び話を切り出した。それに一瞬魔王の態度が気になって戸惑う。チラリと視線を向けると、不愉快そうにムッと口元を曲げたままでいた。
「あ、ああ。……だがあいつ等はそんな様子は無かったぞ?自分の意思で動いていたというか……」
「それはそうでしょう。あの二人を生んだ主人はもうこの世にいないのだから」
それは聞かずともすぐに予想がついた。
「……殺されたのか」
「ええ。だけど呪人には本来主人に逆らえないよう作られている。主の血を注ぐことで契約し、呪人そのものの身体に服従の証とした刻印が施されるの。主の意に反する行動を行えないチェックとメイトは、主を襲うことは到底不可能に近いといってもいい」
「だとすれば……外部による何らかの手によって暗殺された…か」
優は辛辣な面持ちで柚意に尋ねる。
「急に察しが良くなったね。その通り。ただ今いったように呪人は契約者を殺すことはできないわ。だから暗殺を目論んだのは呪人ではなく、呪人を自分の手駒にしようとした者達によって殺されたの」
「手駒ねぇ…。そこまで知っているとなると、それを目論んだ相手も判明しているんだろ?」
「……名は【ゲクロク】というわ。自己利益の為ならどんな汚い手段も平然とこなす。殺しも厭わない集団よ」
「…そいつ等の居場所は何処だ?」
ガタリと席立つ。優はテーブルに手を付くと、真っ直ぐに柚依の目を見つめる。
「聞いてどうするつもり?」
「決まってるだろ。これ以上犠牲者を出さない為にも呪人をこれ以上放ってはおけない。それに呪人を手駒とするような連中が存在するなら尚更だ」
「……指名手配中という身を忘れているの?下手に騒ぎを起せば嗅ぎ付けられるのでしょう?」
「忘れていないさ。それに騒ぎなんてお前が起していたじゃねえか」
「……それに貴方は私を疑っているはず。今までの行動が私の演技で、貴方達を罠に掛けるつもりかもしれないのよ?」
柚依は優の言動に困惑して眉を寄せる。それに比べて優はいかにも他人事のように答えた。
「そんなん罠を張ってたらわざわざ言わねーっての。まあ疑ってるのは確かだし、聞きたいこともまだあるっちゃあるが……お前、別に悪い奴じゃなさそうだからな」
「っんな……そ、そんな無用心な……はぁ…ほんとに優さんは甘い人だね……」
驚いたように目を見開くと、柚依は次第に呆れたように優を見つめ、溜息を付く。
「……一つ忠告しとくわ」
そういうと、柚依は優の瞳を覗き込むように見つめた後、人差し指を顔に向けて突き立てる。
「貴方のその優しさは、きっと近い未来で身を滅ぼすことになるわ」