呪人
中々にここは楽しいじゃない。
そう、柚依は一人呟いた。
一人の男と、二人の女。
その場に一緒に居ることで、無意識に安心感を抱く。
でも、それもそろそろ終わりにしなければ。
短い一時に酔いしれていた柚依は決心する。
残されている時間は少ない。
そういって、停止した魔王と桜を見つめ、一人小さく呟く。
静止した時間の中、
柚依は一人、
自由に動き回り紅茶を注いだ。
「…ふぅ…やっぱり休憩のときには紅茶が限るわね~」
イスに寄りかかり、溜息を漏らす。
(早く次の時間がやって来ないかなぁ)
時が動き出さなければ暇で仕方が無かった。
することといえば、敷地内をうろつく行為だけ。
何か新しい発見が起こることなど何もない。
カチリと、時計が動き出す音が鳴った。
同時に灰色に包まれた世界が色で染まり、魔王と桜は活動を始めた。
「…へ?柚依ちゃんいつの間に移動したの?」
意識を取り戻すと、魔王は瞬きを繰り返し目を擦る。
時間が止まる直前までは、丁度魔王と会話をしている最中だったのだ。
「え…とね…、私の瞬発力で瞬間移動したの」
「へぇ~、凄いね!!」
柚依の返答に対し、驚いた様子で魔王は口を開く。
理由を問われようとも、慌てる必要は無い。
一人の男が二階から降りてくることで、また時間が戻るか終わるかが決まるのだから。
だが、それもこれで決定するだろう。
紅茶を片手に、柚依はそう、確信を持って天井を見上げた。
---
「さて、では一つ質問をしようじゃないか~」
馬乗り。そして拳を握って振りかぶる。
そして当たる直前で寸止め。
その繰り返し。
完全な暴力による脅し。
獰猛な笑みを浮かべる俺に、チェックは恐怖に顔を引きつらせた。
「しゃ、喋るよ、だ、だから殴るのはやめて!」
チェックはそういって目線を反らす、その行き先はメイトの元へ。
反撃を起そうと殴り掛り、呆気なく返り討ちに合わされたメイトは壁にめり込んでいる。
物理干渉を避けることに特化しすぎたあまりか、肝心の物理防御が紙同然と分かるや否や、チェックは降参の念をあげた。
「はぁ…なんていうか…」
情けない。
敵に対して思わず同情を抱く。
居た堪れない気持ちになり、
呆れた声を漏らし、
頼まれた通り殴ることだけは勘弁する。
「今にでも素直に結界を解いてくれさえすれば、ぶちのめす必要は無いしな」
我ながら甘い奴だ。
柄にも無くそんなことを考える。
目の前には仏を見たような目をしたチェックが居る。
そしてその姿を見てもう一度考え直す。
慎重に事を運ぶ為、
相手を騙す布石に予想以上に手間取りを見せていた。
苦労して相手にケジメが無しでは、
さすがに虫の良すぎる話じゃないか?
結界を解かせ、
二人を逃がしたことを考える。
嬉しそうに手を振って、
遠ざかっていくチェックとメイト。
俺の姿が見えなくなった瞬間、
二人は笑みを浮かべ、
あいつ馬鹿だったと悪口を言う。
イラッとした。
「やっぱり納得いかないわ、一発でいいから殴らせて」
絶望に顔を染めたチェックに鋭い拳が裁きを下す。
その際に力加減を間違え、
殴った瞬間にちょっと嫌な音が鳴った。
グキリとも、ゴキリとも聞こえる、何かが折れた音。
直後チェックは白目を向いて、
まるで死んだかのように動かなくなる。
というかこれ、死んで……。
「…え、ちょ…や、やめてぇ?、ま、待って!!冗談だよね!?殴っただけで!?」
頬を叩く。
動かない。
やばいどうしよう。
必死に復活させようと、
試しに声を掛ける。
返事がない。
今度は頬を叩く。
衝撃で首がぐねぐねと曲がり、
がっくんがっくん揺れてる。
奇怪というか、一種のホラーだこれ。
「ごめん!謝るから起きて!しかも結界解けないし!!」
窓から見える景色は変わらず停止したまま。
一向に戻る気配は無い。
ガチでやばいどうしよう。
質問を聞く前に撃沈させてしまった。
これじゃ策略練った今までの苦労が水の泡だ。
「っそうだ!魔王!!」
魔王の技術は脅威の回復量を誇る。
例え致命傷でも、死んでさえいなければ蘇生できるはずだ。
人間は脳が本当の心臓。
死に到るまでにはまだ時間がある。
まだ可能性は残されている。
それに、この程度で死なれちゃ困る。
チェックとメイトをその場に残し、
背を向け急いで階段へ向かう。
「ふふふ、最後の最後に騙されたのは君だったようだね」
背後から突然声がした。
暴発的に膨れ上がる殺気。
それに何事かと後ろを振り向く。
直後、鋭い痛みが優を襲った。
「っかは…!?」
突然の痛覚に襲われ、その場に倒れこむ。
痛みを齎す正体は、一本のナイフ。
傷が深く、見る見る血が滲み溢れ出す。
…なんだ…こいつ、人間じゃ…ない…!?
入り込む視界、
チェックの首が後ろを向いていた。
両手で顔を押さえ半回転。
嫌な音を何度も立て、首を元の位置へ戻す。
「メイト~、気絶のフリはもういいよ~」
チェックの合図と共に、
ピクリとも動きを見せずにいたメイトが起き上がる。
人間と呼べるには、
あまりにも相応しくない不規則な動き。
軋むような音を立て、
メイトはぐるりと眼球を俺に向けた。
「あー、お前のせいで身体がぼろぼろになっちまったじゃねえか」
そういって、
メイトは壊れた部分を触る。
メイトは顔の半分を失っていた。
正確には、顔の半分が欠け落ちている。
異形なその姿に、
頭の片隅で思い当たる節があった。
「……お前等、人形…呪人か」
呪人とは、その名の通り呪われた人の意味を示す。
人と同じ形を持ち、喋り動く生きた人形。
常に宿された種類の魔力、法力、聖力のどれかを消費し続けなければ活動を続けられない。
人の欠陥品と呼ばれた代物。
ただ、逆に人形であるからこそ、
その身が滅びない限り、
何度でも立ち上がる不死身の身体。
それに人々は恐れ、恐怖し、忌み嫌った。
ただ、呪人と呼ばれた本当の理由は他にある。
「失礼だな君は、僕らもれっきとした人間だよ」
「っは…確かにそうかもな…なんせ、人一人の命を引き換えに『生きて』るからな」
それは、一人の人間を犠牲にして生きているからだ。
他人の持つ魂を人形に定着させる。
だからこそ、呪われた人、呪人。
「人じゃないからこそ、強大な結界にも身体が耐えられる、身体が人より脆いから、常にその身を結界で守る必要があったのか…っかは」
吐血。
無理を重ねた体が悲鳴を上げる。
致命傷は避けたものの、
今の傷で上限を迎えたようだ。
「…っは、偉そうに語っているが既に身体はもう限界だろ?まさか襲われると思いもせず、迂闊に背を向けたのが仇となったな」
そういって、メイトは吐き捨てる。
確かに身体は限界を迎えていた。
結界による作用が消え、
全身が悲鳴を上げ始めている。
恐らく長くは持たない。
現に、意識は既に霞み始めている。
こうして意識を保てるのも時間の問題だ。
「仇も何も…予想を遥かに上回り過ぎなんだよ…動く禁術が存在しているなんて、今までただの噂だと思ってたんだ、知るはずもない」
「あはは~、じゃあ光栄に思うといいよ、滅多に御目に掛れないからね」
そういって、チェックは人間のように笑う。
それ自体の行為は、人を真似て作った笑顔なのか。
それとも感情があって、本当に笑っているのか。
それすらも今となっては分からない。
「因みに君のお仲間さんなら心配いらないよ、初めから君だけを狙った犯行だからね、君が死んだ後危害を加えるつもりはないよ」
「…何言ってやがる…こんだけ騒いでも下にいる全員気づきやしねえ…何かしやがったな?」
本来なら扉を開けて少しすれば魔王からの呼び出しが来る。
しかし、いつまで経っても呼び出しが来ない、
それどころか異常な程に静まり返っている。
「ただ下の階だけ時を止めているだけさ、この力の厄介なところは、時を止めても自ら立ち入って干渉出来ない点があるからね…もっとも警戒するのは魔王だしね、自分から死にに行くような行為をするつもりはないよ」
チェックの話にメイトは頷いて見せる。
二人にとって、魔王は脅威な存在なのだろう。
物理は無効化しても、
魔力に対して耐性があるとは言い難い。
「じゃあ…あの時魔王を操ったのは、お前等の仕業だったのか」
確信を持って、
そうチェックとメイトに問う。
理由はともあれ、
あの場で行えるのは二人しかいない。
「…なにそれ?僕には時間を操る能力、メイトは物理防御の能力しか持ってないよ?」
「…何?」
しかし、チェックから発せられた答えは予想とは違っていた。
きょとんと不思議そうな顔を浮かべるチェック。
この場で嘘をつく必要は無いはずだ。
「…じゃあ、村に攻撃を仕掛けたのはお前等か?」
「何言ってるの?僕らはずっとこの町に居たけど?村って何処の?」
(…どういうことだ?)
「……何故俺を狙う?」
「賞金首だからだよ、僕ら二人も君と同じでお尋ね者だけどね~」
そういって、ポケットから取り出しポスターを広げて見せる。
そこにはチェックとメイトが写されており、下には賞金が記入されている。
「……じゃあ…最後に一つだけ教えてくれ」
一番初めに疑ったのは三人。
一人は元勇者と名乗った男。
だが手口が曖昧で、
あまりにも慎重でまず有り得ない。
もう一人は相馬。
ただ犯行が全くの別人だ。
「俺がここに来ると教えていた、その人物は誰……」
最後に、相馬の弟と名乗った柚依。
この宿に呼んだ張本人。
「…っぐ…!?」
視界が急速にぼやけ、
焦点が合わなくなる。
血を流し過ぎた。
駄目だ…意識が遠のいていく…。
「…・…そ…・…人は…・…---」
チェックが何かを話ているが、
もはや頭にその言葉は入って来ることは無かった。
時間が経つにつれ徐々に視界が狭くなり、
優は眠るように瞼を閉じた。
---
「みたいな人だったね~」
チェックは動かなくなった優に向けて、
楽しそうに一人喋り続ける。
だが、その声は優の耳に届いていない。
「…おいチェック、もうそいつ死んでるだろ、いつまでも一人で喋り続けてないでさっさとその死体を運ぶぞ」
「いや、良く見てよメイト、まだ息はあるよ、急激な血液の流しすぎで意識を失っただけみたい」
そういって、またチェックは楽しそうに優を見つめる。
「驚かされた部分はあったけど…勇者って言われた割には対したことなかったね~」
「…おいチェック、まだ生きてるなら止めを刺せ、油断してるとまた噛み付かれる可能性が……」
「その必要なら、もうないわ」
突如、メイトの話に割り込みが入る。
その声の主は女性。
白銀色の衣装を纏い、
鋼色の剣を片手に携える。
「全く…優さんは敵に対して甘すぎる…」
そういって、柚依はふっと笑みを漏らす。
何処と無く突然現れた柚依を前に、
メイトは呆れて溜息を付いた。
「おいチェック…だから言ったろ…油断して結界を解くから、お仲間さんが来ちまったじゃねえか」
「…え?そんなはずは…」
「どうせお前の事だ、無意識に解いちまったんだろ、魔王が来る前にぱぱっと片付けて逃げるぞ」
そういうと、メイトは手を掲げる。
瞬時にしてチェックとメイトに膜が覆いかぶさった。
紫色に揺らめく、メイトの防御障壁。
空気中と同化し、その姿は見えなくなる。
「恨むならそこに転がってるそいつに恨みな!お前まで巻き添えにしちまったんだからな!!」
倒れた優から奪った剣を、
チェックから受け取る。
剣が手中に収まると、
メイトは猛ダッシュで柚依に向かって切りかかる。
その直前、
柚依はポツリと静かに呟いた。
「何発までなら、耐えられる?」
一瞬の空白。
ッキンっと、
剣を鞘に収める金属音が鳴り響く。
---刹那、
目まぐるしい斬撃がメイトを襲った。
四方八方隙間なく、
数十、数百もの斬撃が遅れてやってくる。
「ぐぅあああああああああああああああああああああああ!?」
初めて上げるメイトの悲鳴。
防ぐ事も、
逃げることも、
反応すらも許されない。
絶え間なくやって来る斬撃に、
障壁は耐え切れず、一瞬にして消滅。
同時に斬撃も終わりを迎える。
「…354回…脆いわね」
無敵とも言われた障壁がいとも簡単に破られる。
その光景に、チェックは瞬時に悟った。
(何だよこいつ!?やばすぎる!!)
「メイト!逃げよう!!」
勝てないと、
即時メイトに脱出を呼びかける。
だが、返事が返されることはなかった。
二度目に渡る、
剣を鞘にしまう金属音。
何度でも起き上がるはずの人形は、
床に倒れこみ、そのまま動きを停止した。
(……ッ!!)
絶句と驚愕。
そして次は自分だという恐怖。
身を翻し、
即座に脱出を心見る。
剣捌きは早くても、
射程内に入りさえしなければ問題ないと。
窓から身を乗り出した瞬間、
飛び降りた最中、後ろを振り向く。
そこには剣を片手に廊下を歩く姿。
(これなら逃げられる…!)
しかし、チェックの観測的希望はすぐに打ち砕かれた。
「……っな!?」
着地しようと足を出す、
その行為が出来ない。
「っぐは!……な、何で!だってさっきまで…!!」
着地に失敗し、
チャックは地面に強く叩きつけられた。
衝撃で一部にヒビが入る。
気がついたときには、
既に両足を失っていた。
飛び降りた瞬間、
離れていた距離をもろ共せず、
あの一瞬にして両足を狩られていた。
「何であんな奴が…!どうしてこんなとこに!!」
チェックは両手を使って地面を掴み、
這いずって身体を動かす。
その途中、
右手が何かを掴んだ。
「………」
掴んでいたそれは、
細い女性の足。
顔を上げれば、
そこに立っているのは剣を携える銀髪の女。
立ち塞がる柚依の姿を視界に捉えると、
深い恐怖の表情が刻まれた人形は、一言呟いた。
「……人の皮を被った…化物め…」
「…それは貴方の事でしょう?」
その会話を最後に、
辺りには一度だけの金属音が高く鳴り響いた。