天国から地獄
途方も無く長い一日を終え、
優等は初めに立ち入ったイグベール村へと戻っていた。
外では日が沈み、既に外は暗くなっている。桜の家に戻れば、帰りを待っていた彼女等が食事を作っていてご馳走するになった。
「っはぃ!たんと食べてくれ!」
ッドンと、威勢のいい声と共に大皿に盛り付けられたカラフルな林檎の形をした果物が運ばれてくる。この村の特産物で稀に作られる『虹色林檎』とどうやら見た目通りの果実らしい。綺麗だがこうも大量に盛り付けられていると、価値観もそうだが毒々しく見えてしまう。
「……気のせいかしら、今失礼なこと考えなかった?」
「……いや」
どうやら自慢の果実に難癖付けられたと感じ取ったらしい。勘が鋭くて結構なことだと関心する。
「まあ食べてみ!上手いから!」
そう笑顔で進められて食わずにいるのは失礼だろう。手に付ける事を戸惑いながらも何とか手に持つ。そして意外に軽いことに気がついた。まるで風船のようにふわふわとしていて、中身が無いのではないかと思ってしまう。どんな構造で出来ているのか興味が湧いた。
「いいから何も言わずに食ってみて!」
そう言われ最初に抱いていた不安は何処吹く風か、ガブリとかぶりつく。林檎のようにシャキっとした感触を予想していたが、まるで噛み応えが無い。まるでわたあめにそっくりだ。肝心の味と言えば……これはソーダだろうか?上手いが何ともしっくりとしない不思議な感覚に捕らわれる。
そんな優の驚いた様子を村娘は満足気に見つめる。
「ふふん、どう?驚いたでしょ!」
「ああ…なんだこれ?」
「それは別名『雲雲』とも呼ばれていてね、その名の通り雲みたいにふんわりしているんだよ」
それになるほどと頷く。確かに言われてみれば雲みたいにふんわりしている。実際の雲がどうかは知らないが。
「その果実。食べて何の味がした?」
「……ん?ソーダだけど?」
ふと村娘に尋ねられ、ソーダ味ではないのかと疑問系で返事を返してしまう。すると優のその反応に今度は含み笑いを浮かべる。
「もう一度食べてごらん」
そう言われてパクリと口にする。するとソーダ味だったにも関わらず今度はぶどうの味がした。そしてもう訳が分からなくなって混乱している優を村娘は楽しがるように見つめる。
「……何だこれ?」
「『虹色林檎』は多種多様の味を秘めていてね。食す事に味覚に作用して味をランダムに変えてしまうの」
「へぇ?それは面白いな」
それは言葉通りだった。パクパクと軽い感触で食が進み、口の中に伝わる味が変わる。最初はコロコロと変わるのでは、口の中がごちゃごちゃした味になってしまうのではないかと心配したが、不思議な事にしっかりと味が区別されて旨みが伝わってくる。気がつけば『虹色林檎』を3個も食べていた。
「……あ、すまん…つい食欲が止まらなくなって」
「あはは。全然大丈夫だよ。」
「そ、そうか?じゃあもう一つだけ……」
「あ、そういえば言い忘れたことが一つあるんだけど」
「パクパクパク……ん?」
「それ食べ応えがあまりないからつい食べ過ぎちゃうけど……あんまり一気に食べ過ぎちゃうと副作用で膨張を起すから危ないよ」
「っごふ!?」
直後ッボンと腹辺りから音が鳴る。どうやら『虹色林檎』の副作用で胃の中で膨らんでしまったらしい。そういうことは早くいって欲しかった。超腹いてぇ。
「まあ感謝の印だからね!遠慮せずどんどん食べてね!」
そういって今度はサラダのような一品が目の前に置かれる。一部に真っ黒な物体があって気になったが、隙間なく埋められた胃の状態を考えると既にお腹は限界を迎えている。
「…うっぷ……わ、悪い、ちょっと席を外す!」
逃げるようにして外へ。後から「『虹色林檎』の副作用は小一時間もすれば収まるからね~」という村人の声が聞こえた。ずっとこのままではないことに取り合えずはホッと小さく胸を撫で下ろす。
席を外して外に出る際、数人の村娘に尊敬の眼差しを向けられていた。どうやら町を救った英雄として随分歓迎されているらしい。指名手配されている身からして、こう感謝されるとは正直思いもしていなかった。
一先ずは外の空気を吸って一服。置いてあるイスに座り寄りかかる。
「…っはぁ…胃に悪い…」
胃が苦しい。
これ以上はもう口にしたくない……。
「優くん」
と、膨れた腹を摩り、
外の様子を眺めていると声を掛けられた。
「…魔王か、体調はどうだ?」
振り向いて魔王の方へ顔を向ける。
「ううん、何とも無い」
魔王が目を覚ましたのは村についてからだった。
そのため、しょうがなく背負って村まで運んだ。
「そうか、なら良かった」
起きたとき、初めはおぼつかない足取りでいたが、
ただ寝ぼけているというような感覚だったらしい。
これといって症状は見られず、一先ずは安心していいようだ。
「…それで、感じた?」
既に魔王には九沙汰の話を大よそ伝えている。
時々外に出る俺の様子に、魔王は察したんだろう。
「……いいや、気配が全く無い…だが、九沙汰の言っていたことが本当なら、まだ何処かで密かに隠れているだろうな」
この村に訪れ、初めに俺達を襲った何か。
恐らくはこの村ではなく、俺と魔王の問題。
「…あまり長いはできない」
既に敵の手は回っている。
だが様子を見ているのか、
今は襲ってくる気配は無い。
「…ここを出て、次は何処に行くの?」
「桜の言っていた、ここから離れた町だ」
「うっへ~…でも優くんの力は機能しないんでしょ~?」
「もちろん、歩いてだ」
場所が分からない以上、
歩いていくしかない。
「十日の歩き旅だ、いい運動になるだろ?」
「ぅへぇ……」
ガクリとうな垂れる魔王。
それを横目に、建物の影に目を向ける。
「……それで…桜はいつまでそこに隠れているつもりなんだ?」
「っひゃあ!?」
建物のすぐ横に、
桜の気配を感じていた。
椅子から立ち上がり、
近くに寄って顔を見せると可愛らしい悲鳴を上げる。
「あ、あは…あはははは…」
乾いた笑い声を出しながら、
建物の影から桜は姿を現した。
「……盗み聞きはあまりいい趣味ではないよ…」
額に手を置き肩を落とす。
直視するとその目を反らし、見るからに盗み聞きしていた様子だ。
「い、いえ、ちょっと果物を取りに行こうと思ってまして!」
「……こんな時間に…それもこの暗い中?」
時刻は11時を回っている。
辺りは真っ暗で、明かりが無ければ先が見えない。
そもそもこんな嘘に引っかかる純粋無垢な人が、一体この世に何人存在するのだろうか。
「………」
黙り込んだ。目を忙しなく動かしている様子から必死で言い訳を考えていることが推測できる。既にこの反応を見せている時点で嘘だということがバレバレなのだが。
「……え…と、た、たった今、偶々通りすがっただけですよ?何か話してるな~ってことくらいで、何も聞いてないですよ?ほ、ほんとですよ!」
なんて苦し紛れな言い訳なのだろう。白々しいにもほどがある。
「…そうか、それで桜、今話していたことで聞きたいことがあるんですが」
「え?あ、次の町についてのことですか?それなら……ぁ」
桜は言った後に、ッハとして声を漏らす。
口を咄嗟に塞ぎ、しまったという顔になる。
やっぱり聞いていたようだ。
「……うん、そのことです」
合えて触れずにしてあげよう。
「…む~…私のことからかいましたね…」
ッハッハッハ、そんな馬鹿な。
でもここは否定せず、魔が差したとでも言っておこう。
あまりにも桜の反応がかわい……
後ろから殺気を感じた為、これ以上の思考活動を停止。
「……明日には…ここを出てしまうのですか?」
聞いていた事を認めたのか、
桜はそのまま話を続ける。
思考再起動確認。
大丈夫だ、問題ない。
既に猛獣の怒りは鎮圧している。
「はい…これ以上この場にいれば、桜達にまで迷惑を掛けてしまうので」
「…そうですか」
それに桜はシュン…と落ち込む。
俺や魔王が居た方が、
心強いと思ってくれているのだろうか?
だが桜の持っている力は強力だ…ならこの村は大丈夫だろう。
「…その結晶が…桜の力の源ですか」
桜の首に掛けられた結晶に目線を送る。
そこから計り知れない程の力を感じる。
「…はい、必要が無いときは、この結晶の中に力を留めています」
初めから自分の意思で力を制御できているのか。
「…それで、次の町について何か知っていたようだけど…」
「…十日よりも近い町でもあったの~?」
「い、いえ、そういう訳ではなくて…」
桜の言葉に魔王はガクリと肩を落とす。
絶望に染まった顔になってうな垂れた。
どんだけ歩くのが嫌なんだこいつ…。
「…じゃあ…パパッと移動できる方法でも見つかったの…?」
「おい魔王…そんな都合のいい話がある訳」
「そうなんです!実はこの村の一人が、転移魔法の陣を見つけたんですよ!」
「「な、なんだってえええええええええ?!」」
早朝、敵の気配も無くゆっくりと休めた俺と魔王は、
転移装置である陣が見つかった場所へと向かった。
「…おおう、マジか」
「…おおう、マジだね」
「…ええ、マジです」
優の後に続き、魔王と桜が口を揃えて呟く。
そこには紋章が書かれた石版が確かに存在していた。
「いや~…こんなものが身近にあったというのに、何で今まで見つからなかったんでしょうかね~」
同じように麗は目を丸くして口を開く。
ここの土地は佐紀が長い間使っていた敷地らしく、
今の今まで大きな石版が合ったことに気が付かなかったようだ。
「どうせ麗のことだから、サボってたりしたんでしょ~?」
「いやいや!ちゃんとやってたって!ほんとほんと!…ここらはよく目を通してたから、これだけでかけりゃ気がついていたと思うんだけどなぁ…」
桜はジト目で麗を見つめると、
慌てて手を振って、頭をポリポリと掻く。
「でも、タイミングいいですよね!見つけてくれた人に感謝です!」
桜の証言では、
見つけた人は果物を採取している際、少し先の茂みを掻き分け、
草木を通っていたら偶然にも見つかったといっていたと言う。
「……ふむ、随分と古いようだが…機能しそうだね」
浅辺は近づいて陣を摩る、
薄っすらと光が灯り、確かに動くようだ。
「……それは良かったんですが……あの、大丈夫ですか?」
「…何がだい?」
「…いや、何がって…」
浅辺のその姿に目をやる。
戦いが終わった後、
渡部は怪我を負っていなかったはずだった、
なのに、何故か今は全身がズタボロになっている。
「…ああ、これかい…?ハハハ、いやねぇ…四季に桜の力をやったことがばれて…ちょっとね…」
全身に残る傷跡が、
その壮絶差を物語っている。
「…そう…ですか」
その姿を見つめ、
俺は雷に打たれたような衝撃が全身に走った。
瞳孔が大きく開き、驚愕に打ちひしがれる。
なんということだ。この目は節穴だったのだろうか?何故…今まで気がつかなかったのだろう…。
ソッと、浅辺に寄り添うようにして手を置いた。
「お互い…大変ですね」
「そうか…君もかい…」
お互いの目元が、キラリと光る。
「「同士よ!!」」
何も喋らなくても、
俺と浅辺は目だけで通じ合えた。
「…あの…お父さん…?」
「…優くん…馬鹿みたいだよ…」
「おい魔王!突っ立ってないで浅辺さんにお茶でも持って来い!」
「いきなりどうしたの?!」
「桜!優さんに飛び切り美味しい紅茶を今すぐ注いであげるんだ!」
「お父さん?!」
ッハ!
…ってそうじゃなかった!
危うく目的を忘れるところだった…。
「話を戻しますが…それで浅辺さん、この陣は一体何処のものなのですか?」
石版はそれなりに大きい、
人が5、6人程は立てるだろうか。
「…この陣は、どうやらとても古いもののようだ、大よそ古来の人々が使っていたと考えてもいいね、恐らくだが、使えてもあと数回…いや、多分1回キリだろう」
「何故?」
一度陣を刻まれたものであれば、
少なくとも陣が壊れたりしない限りは半永久的に使える…はずだ。
「…見てごらん、あちこちが磨り減ってしまっているだろう?陣が消えかかっていて、今後としての使える見込みは少ないだろう」
「なら、この紋章にそって陣を彫ればいいのでは…」
「それがそうも簡単にはいかないのだよ」
なぬ。てっきり紋章を掘ったり書いたりすればいいだけなのかと…。
「君は…魔法に関しては詳しいのかい?」
「いえ…それが全く」
何故か魔法が全く使えない。
なら覚えても意味が無いじゃないか。
そう思って魔法に関しての知識が殆どない。
それに、今となっては結構どうでもいいと思っている。
「…空間転移に使われるこの陣は、指定された紋章や陣がなければ移動はできない…これは知っているね?」
「ええ…一応は」
うろ覚えだが、何となくは覚えている。
確か、力の定着だかなんだかだったような……。
「陣を刻む、書くなどしての移動方はあるが、あれは意識のあるモノには通用しない…これも知っているね?」
「…確か陣として練りこまれた力が、意識あるモノの持つ力と作用してしまう…でしたよね」
プスーっと煙が頭から吹き出る感覚に陥る。
ここまでは許容範囲内だが、
脳内バッテリーに熱が篭り始めている。
「そう…当然法力、聖力、魔力を持つ種類毎に異なる力を定着させれば発動は起きない、だがたとえ同種類で発動が起きたとしても、陣に定着させられた情報が、身体に流れる力へ無意識に別の情報を混雑させてしまい、誤作動を起してしまう」
「へえ、それは凄いなあ~!」
説明を聞きながら首を大きく縦に振る。
なるほど。訳分からん。
しきりにウンウンと言って頷いていると、
見栄を張っているのがばれたのか苦笑いされた。
「まあ…簡単に言うと…無理に基盤なしで移動を心みれば必然的に失敗し、何処か違う場所に飛ばされてしまうか…最悪、移動する空間に捻れが起こり、身体が分離してしまうということだよ」
「…それってつまりは…」
「下手したら死に到る…ということだね」
……魔法の知識って、
とっても重要でしたね。
知ってなかったらいつか絶対試していたな。
「…しかし、それがどうして1回しか使えないのと関係しているので?」
「言っただろう?情報に誤差が出てしまう…と、初めに言った様に、この石版は随分と昔に使われていたモノのようだ。長い間使われていなければ情報が蓄積されない、それに、こういう類のものは特別な知識や技量が無いと創れないんだよ」
ふむ…つまりこれは、俺らは使えないということか。
「だが…この一回は優さん、君達に使って貰いたい」
…あれ。今さっきの前提が覆された。
「…え?でも」
「その代わりに…一つお願いを聞いて欲しい」
「お願い…ですか…?」
一体どんなお願いをするのか。生唾をゴクリと飲む。
殆ど理解できていなくても、相当大事な陣だと理解出来た。そしてその後に発せられた言葉に耳を疑うこととなった。
「桜を一緒に連れてやってはくれないか…?」
自分の耳が狂ったのかと、
耳に異常をきたしたことを疑う。
耳を穿り、トントンと叩く。
耳は正常に機能しているみたいだ。
「…それは…」
此方としては嬉しい限りではある。
巫女姿の純粋で可憐な美少女が旅のお供で、
俺の傍を付いてきてくれるのならどれだけ嬉しいことか。
「…できません」
首を横に振って条件を否定する。
だがそんな条件を飲めるはずが無い。
俺と一緒に行動を共にすることは危険を意味する。
……二つの意味で。とは口には出さない。
「第一、桜はそんなこと…」
「頼む、これは…桜が自らの意思で望んでいることなんだ」
そういって、浅辺は頭を下げた。
それに続いて一人、二人と、周りまでもが次々と頭を下げていく。
「……いや…でも…」
そんな条件、頷けるはずが…。
「優さん、お願いします!」
追い討ちを掛けるように、ついには桜までもが頭を下げた。
全員が頭を下げる形になり、俺と魔王が中心となって取り残される。
「あ…あの…、私達からも…お願いします…」
と、中から4人が前に名乗り出た。
「…可憐さん…それにあんた達までもか…」
可憐、麗、佐紀、寝子の4人だ。
「…桜ちゃんは…本気で優さんと旅がしたいと思っているんです…」
「本気本気だよ!120%行きたいって、桜っちは浅辺さんと話し合っていたんだよ!!」
可憐はもじもじとしながらもキッパリと主張し、
麗は両手をぶんぶんと振って詰め寄ってくる。
…ええ……
…そこまで言われたら頷くしか……。
「そうだよ!ここは男らしくスパーンと決めて、んで桜の寝込みにでも飛び込んで、ザッパーンと襲っちまえばいいんだよ!」
「…大丈夫、私の目が保障するわ、問題ないって言っているから安心して」
そういって、佐紀と寝子はニッコリと笑って親指を立てた。
どうしてだろう、
もの凄く断りたくなった。
笑顔のまま「さあ、さあ!」と、ジリジリとにじり寄って来ないで欲しい。
「…優くん、私は桜ちゃんなら連れて行ってあげてもいいかな~って思ってるよ?」
「……魔王」
おまけに魔王までも…賛同…だ…と?
……ったく…。
優は肩を大袈裟にガックリと落とし、ワザとらしい「はぁ~っ」と深い溜息を付く。そして神妙な面持ちで桜へと顔を向けた。
「桜さん…これは遊びではないんですよ?」
「…優くん、顔がにやけてるんだけど」
おかしい。顔を引き締めていたつもりだったのだが…。
「ご、ごほん!……でも…なんで一緒について行こうと決めたんですか?」
「もう!それくらい察してくださいよ!」
「…優くんって以外に鈍感なところがあるよね…」
「えぇ~…」
何で俺が悪いみたいになってるんだろうか、全く理解ができん。
「ああもう分かりました!でも遊びではないんですからね?!」
「あ、ありがとうございます!」
了承すると、桜はパアッと嬉しそうな笑顔になる。
その笑顔を見た瞬間、咄嗟に桜から顔を背けた。
くそう…笑顔が可愛くて顔が赤くなっちまう…。
俺って実は女には苦手という弱点でもあるのか?
「……優くん…私の時とは反応が随分と違くない…?」
にやけてしまう口元を手で押さえていたものの、
どういう表情をしているか筒抜けだったようだ。
魔王は不機嫌そうに頬を膨らませる。
「……そ、そんなこと………………無いさ!」
「今の間は何?」
嘘をつくのまで苦手だった
「ッハッハッハ、それはさておき」
「……おい」
無理やり話を反らす。
どちらにせよ、何時までもここには居られない。
「…浅辺さん、それではそろそろここを出ようかと思います」
「…桜を頼みましたよ」
「……はい」
浅辺が手をかざす、
すると陣が呼吸するようにして動き、
刻まれた線に光が灯り始めた。
光は次第に強くなり、
全身を包みこんでゆく。
「いってらっしゃい!桜ちゃん!次来る時は花婿かな?」
「だね!次会う時は可憐な姿を見せてくれるかな?可憐だけに!あはは!」
「桜よ!そいつはむっつりだ!夜這いすれば行ける!」
「…大丈夫、成功確立は高いといっている」
「お前等見送る言葉おかしくねえか」
見送りというより、
邪念を植えつけているだけじゃねえかこれ
「あはは、全くもう!」
くすくす、と
軽く笑った後に桜は怒った仕草を見せる。
「全くもうはこっちのセリフよ桜」
と、桜達の会話の最中、
宿から一人の女性が声を上げた。
「全く…本当に行くなんて…寂しいじゃない」
声を上げたのは桜の母親である四季だ。
おしとやかなイメージを持っていたが、
今の彼女は正反対に見える。
「親不孝者よ…バカ桜…」
「お母さん…」
「融通の利かない娘は嫌いよ…だからさっさと行ってしまいなさい!」
そういって、四季は背を向けた。
そのまま一切顔を此方に向けようとはしない。
「ご、ごめんねお母さん!でも私は!」
「その代わり!」
桜の言葉を遮って、四季は大きな声を上げる。一旦そこで話を区切ると、少しして静かに口を開いた。
「…その代わり…いつか必ず、元気な姿で帰ってくるって約束して」
四季は、尚も背を向けたままだった。声は震えていて、仰ぐようにして空に顔を向けている。それに涙が出ていることを隠しきれていないのではないかと、それが照れ隠しだと気づいた優は思わず苦笑を漏らす。
「……約束…する…!必ず戻って…くる…から!…だから、心配しないで待ってて!!」
桜は幾度となく涙を流しているが、それを優は泣き虫だとは思わなかった。涙でくしゃくしゃにした顔を恥ずかし気も無く上げ、必死に笑顔を浮かべようとしているも、結局笑顔とは掛け離れた顔で同じように大きな声を上げる。
しかしその桜の声を聞いて安心したのか、四季は此方に向けて身を翻す。その顔はくしゃくしゃになった桜と同じ顔をしていた。お互いにその顔を見つめ合い、途端にっぷっと噴出す。次第に二人からクスクスと笑い声が漏れ、四季は満足したように優しい笑顔を浮かべた。
「…いってらっしゃい、桜」
「…いってきます!」
その言葉を最後に全身に眩い光が灯り、優と魔王と桜は眩い光に飲まれ次なる町へと転移された。
---
_ッドバーン!!
と、静かな湖に大きな音と共に水しぶきが上がった。
一瞬にして全身の服に水分が染み込みびしょ濡れになる。
「………」
転移は一瞬だった。
気がついたら湖の少し上に立っていて、そのまま墜落。
腰を下ろして丁度肩辺りに付く程に湖は浅かったものの、
幸い周りには岩場などが無く、軽い衝撃だけで済んだ。
「陣が古いとは言っていたけど…湖の中にあったなんて聞いてないぞ…」
どうやらここ陣は、今では湖の中に沈んでしまっているようだ。突然ずぶ濡れになったことにテンションが下がるも、ハッとして周りを見渡す。肝心の二人が見当たらない。
「魔王!桜!」
魔王と桜の姿は近くには居なかった。無論こうして転移が成功したということは、一緒に送られたのなら二人は近くに居るということは間違いない。しかし森の中という点に置いて、けたたましく鳴く鳥が不安を一層掻きたてる。
「初っ端で逸れるとかマジか…」
唖然としながらも冷静に現状を把握する。呼んでも返事が無いということは、遠くも近くも無いということだ。そうなると下手に移動する幅が意識的に狭まり、全くの遭難と違って此れほど厄介な事は無い。
「さて…どうするか?」
辺りは森林が生い茂る。把握している限りこの力は地形や位置が特定できない以上、二人を呼ぶことができない。
「兎に角は手当たり次第に探すしかないか…」
いつまでも水辺に使っている訳にもいかず、一旦立ち上がる際足を滑らせて転倒しないよう、念を入れてそこ等に生えている枝に捕まろうと底に付いていた手を上に動かす。
_ふにゃり
「…何だこれ?」
思考が停止しそうになった。森林の中だというのに、餅にでも触れたような感覚が手に伝わったからだ。当然麻痺した思考はとりあえずもう一度勘違いではないかと手を動かす方に持っていかれる。そしてふにゃりふにゃりと、弾力性があって柔らかい感触が伝わってくることから、勘違いではなかったと改めて認識する。
「…んん?」
では何を手は掴んでいるのだろうと、顔を真横にスライドしていき視線を手の置いてある方へと向ける。
「_ッ?!」
顔を向けた瞬間、その正体に気が付く。そして気が付くと同時に一瞬にしてサーと血の気が引いていく。
初めに見えたのは裸の姿。そして次に胸、その後に銀色に輝く長い髪。女性は倒れこんだ姿勢で、顔全体を赤らめ、硬直した様子できつく睨んできていた。
「え、あ、その…」
そして、その手は見事に女性の胸を掴んでいる。お互いに、突然の出来事に硬直する。と、そのタイミングを見計らったように茂みの奥からガサガサと物音が鳴り、聞き覚えのある二人の声が聞こえ始めた。
「優く~ん?さっき声が聞こえたような気がしたけど、ここに居るの~?」
「優さん、居たら返事を返してください!」
茂みの中から身を乗り出すと、魔王と桜の視線は即座に優を捉えた。もちろん硬直した手はある箇所を掴んだままである。
「「「「…………………………」」」」
長い間空白の一時が訪れた。
二人は優に視線を送った後、女性に視線を送り、そしてまた優に視線を送り、その手の行方を見つめる。その二人の背後で通り掛った動物が恐怖に身を固め、一目散に逃げ出していくように見えるのは気のせいか。
「ご、ご、誤解…だ…」
僅かながらにふるふると小刻みに首を横に振って無罪を主張するも、
しかし硬直した手は胸を掴んだまま離れず、その抵抗は無意味に終わる。
次なる冒険の序盤だというのに、優はこれまでに経験したことの無い、修羅二人相手に逃げ場ナシという人生最大の危機に直面していた。