その村の名はイグベール
魔王の怒りを何とか鎮めた優は一先ずこの部屋の住人だと思われる女の人に視線を向けた。その際、グラリと平衡感覚が定まらず、まだ頭がぼんやりとする。…まだあの時の後遺症が残っているようだ。
「っ……!」
「あ、あの…大丈夫ですか?まだ頭がぼぅっとしていなさるのなら、無理に動かない方が宜しいですよ」
彼女は心配そうに立ち上がると、優の近くに寄り添って肩に手を置く。やんわりとした立ち振る舞いに和らぎを与える微笑。見た目通り温和な性格なようで、どうやら悪い人ではない様子に安心した。
ただ起きてからしばらくしているというものの、まだ意識がハッキリとしない。身体の節々に痛みがあるが殆ど和らいでいる。これは魔王のお陰だろう。
ゆっくりと手足を動かしてみる、少し骨が軋む感じがして動きがぎこちなさを感じた。切断されていたからその後遺症かと思い、今度は無事だった方の手足を動かしてみる、しかし同じようにぎこちなさを伴った。
…しばらく身体を動かさなかったなまりからくるものか。こういう現象は寝たきりになると起こりやすい…。とすれば、動きからして長期間では無いと考えても…数日間は意識を失っていた可能性がある。
「……どれくらい意識を失っていたんですか?」
「およそ二日間です。貴方の傍でずっとこの方が寄り添っていましたよ」
そういって、彼女はにっこりと微笑んで隣にいた魔王に視線を向けた。つい同じように魔王に顔を向けると、魔王は照れくさそうにそっぷを向く。そして再び視線を女性に戻す。
その間に襲われていないだろうなと、照れた表情を浮かべた魔王を見るや否や、一瞬疑いの目を向けたのはここだけの話。
(……しかし…二日か)
意識を失っていた期間。あれだけ重症を負っていて、たった二日…。奇跡的な回復力だ。力を込めても大した痛みが無い。これなら普通に動く程度なら支障はなさそうだな。
「……それで…えっと…」
「あ、私の名前は桜涼子。咲く花の桜に涼しいと子供の子を書いて桜涼子といいます」
戸惑う俺の様子に女性は察したのか、即座に先に名乗り出した。普通なら世話になっていたのだろうから、俺が先に名乗り出るべきだったのだが…。
(……律儀な子だな)
関心を持って頷く。俺と同じくらいの年だろうか。白い装束を綺麗に着こなし、姿勢を乱さず凛とした振る舞い。しっかり者で誠実……か。
「えっと…貴方のお名前をお聞きしても宜しいですか?」
些細な感動に浸っていると、再び声を掛けられる。それにハッと我に返る。
…おっと、感動している場合じゃない。俺も自己紹介せんといかんな。
ゴホンと軽く一回の咳払い。とりあえずは話が始められるようで、まずは自分も自己紹介する。
「あ、えっと俺はくろs…」
スパーンと響きの良い音が部屋中に鳴り響いた。優が手で口を凄まじい速度で塞いだからだ。
待て待て待て黒沢優!素で本名を言ってどうする!?助けてもらった命の恩人だったとしも、安全性を考えるべきだろ!!
まだハッキリした自覚は持っていないが、俺と魔王は犯罪者として手配されている。可能性うんぬんで言えば低いが、俺が気を失っていた二日の間に、ここにも一部の手が回っている危険性がある。
恩人のこの人には失礼だが、極力厄介ごとは避けたい。仕方がないがここは偽名で通すのが筋だろう。
「…えっと、俺は黒辺勇といいま」
「助けてくれてありがとね~!自己紹介がまだだったけど、私は魔王っていうの!で、この人がくろさ…むぐ、むぐぶ」
重症であった身を忘れ、全力で魔王の口を両手で塞ぐ。
魔王さぁあああん?何言おうとしているのかな!?馬鹿なの!?それとも天然ドジッコうっかりさん!?
「えっと…?そういえば…先ほどから其方のお方をマオウって呼んでいますが…それは…」
桜は困惑した様子で、優に魔王についての確認を問う。不安、疑念、不審。恐らくは今の彼女にはそれらの感情が脳裏で過ぎっている。
「えええっとととですねぇえ!この人は真御有って言うんです!ほら!真御有だけだと魔王と勘違いするんですけども!ええ!違いますから!」
「いや、私は魔王だけど…むぐ」
「お前は黙ってろ!」
再度口元を手で覆い、爆弾発言を封印。
「っかぷ」
痛い。噛まれた。
「…ええと」
突然の出来事に、どうすればいいのか分からないのか、桜と名乗った女性は俺と魔王を交互に見てオロオロとしている。
そりゃそうだろう。だって誰がどう見ても不審者。この反応が普通なのだ。なんとも思わない方が異常。……何してんだろ俺。
…いやまあ落ち着け。そう心の中で唱える。
だいじょぶだいじょぶ、まだ何もばれていない。そう、まだちょっと変な人かな?と変な目で見られる程度。桜の様子を見て一旦深く深呼吸すると、気持ちを静める。一度目を閉じ瞑想。
…不審がられてしまったら、名前を下手に言ってしまうよりも危険かもしれない。それに、今は聞きたい事の方が重要なのだ。
「取り乱してすいません…俺は黒辺勇といいます、黒いに辺りに勇者の勇で黒辺勇です」
適当に考え付いた偽名。もろ本名が大半を占めているが、すぐに思いつかなかったのだから仕方がない。それに手配書といっても名前や詳細だけで、まだ顔までは割れていないのだ。後に気が付くだろうが、すぐにはばれんだろ。
「黒辺勇さんと真御有さんですね」
確認するように俺と魔王の名前を呼ぶ。コクリと頷くと、「黒辺さん…真御有さん…」と覚えるためか、ブツブツと呟く声が微かに聞こえる。
…随分としっかり者だな。
可愛いくて正直な子を騙しているとか……なんか罪悪感が半端ない。
だが状況が状況だ、指名手配犯と知られれば手のひら返しのようにころりと性格が変わる可能性がある。この子には悪いが、四の五の言ってはいられない。
「……あの…桜さん、色々と聞きたいことがあるのですが…よろしいでしすか?」
「え?あ、はい」
一瞬戸惑う様子を見せるが、何事も無く頷く。警戒心を見せていないことから、此方を怪しんでいる様子は無い。これなら事を運ぶことが出来そうだ。
「聞きたいことは四つあるんですけど…いいですか?」
「あ、はい、構いません。私がお答えできる質問であればですが…」
「あ、そこまで難しい質問ではないです。ただちょっとした確認程度なので」
「そうですか、お気遣いありがとうございます」
そういって、桜はニッコリと微笑む。やめてくれ!そんな顔で俺を見ないでくれ!!死にたくなるから!!
「……え…と…まず一つに…ここはイグベールという村で合っていますか?」
まず一番重要な内容。それは地図と目的地の確認だ。初めて力を使った際、物質の転移が可能なことを知っていたが、自身までを転移させたのはこれが初めてだ。
可能性に掛けて転移に成功したことには助かったと共に驚きもある。しかしその転移が正しく行われたか、魔法のように『≪危険性≫』が伴われるのか、その信憑性が分かっていない。
現時点では『≪危険性≫』のような現象は見られない。今度必要となる力だとすれば、この力の信頼性と確実面を知っておく必要がある。
「はい」
ふっと安堵に息を漏らす。小さく頷き肯定した様子だと、どうやら合致していたようだ。『≪危険性≫』はともかくとして、力は正常に機能しているらしい。
成功しているとすれば、ここは元居た国からある程度の距離が離れている。これなら、しばらくは追っ手の危険性は一先ず考えなくてもいいな。
「では二つ目に、この村に最近多額の賞金を掛けられた手配書が来ませんでしたか?」
「いいえ、ここは山に囲まれた田舎のような村でして、殆ど外の人が訪れてくることがありませんので…来るとしても旅人が年に数人くるかどうかです」
そういって俺と魔王へ交互に視線を向けた。今の話の内容から察するに、その年に数人の訪問者が今回は俺等だったというわけか。
…ほむ。追っ手に続き手配書もまだ通達されていないのなら、今のとこ安全だと考えてよさそうだ。
「では三つ目に、…ここから他の町に行くまで、一番近くてもどれくらいの時間が掛かりますか?」
見た目に外傷は無いが、応急処置で繋げただけのような見てくれに過ぎない。怪我がある程度完治するまでこの村の世話になるとしても、最低一週間は見積もる。
その間に追っ手が来ないとは限らない。行く先を知っておくのは当然だ。まあ魔王の奇跡的な技術のお陰もあって、一週間程度で完治できるとすれば十分過ぎるのだが。
「そうですね…えっと、一番近い町で、十日は掛かりますね」
思わず色々と噴出しかけた。笑顔を浮かべたまま顔が引きつる。
「っと、十日?!」
身を乗り出し、大声を上げてしまう。だがそれも一時的。すぐに落ち着きを取り戻し、現状についてどう出るべきかを模索。
「十日…か…」
いくらなんでも遠すぎる。ここら一帯の地域は、魔王や俺にとっては辺境の地。確かに地図に目を通した際、周りには山々で囲まれた小さな村だと認識はしていた……しかし三日四日は覚悟していたが…それほどに遠いなんてな。
力が全く感じられないことを考えると、勝手に尽きたか、俺の手足を繋げる際に、魔王が俺の分の力を使い果たしてしまったのだろう。これでは次の目的地を知ったとしても、即座に他の町への移動するという手段が使えない。
「……それより近い所は本当にないのですか?」
「ええ、黒辺さんもこの村に来たときに苦労したでしょう、険しい山の道のりに」
神妙な様子になると、重々しい口調で桜は話す。しかし優にとってこの村は、実際には一瞬で村に到着しているため、険しいといわれてもどんくらい険しいのか知る良しも無い。
しかし桜の目には、厳しい山々を登る途中、疲労して倒れてしまった病人を魔王が必死にここへと運んできた。そんな普通の旅人として見えているのだろう。
曖昧な相槌を打って話を合わせるのなら、もっともらしい嘘をついて話に合わせた方が良いな。
「…ああ、確かに険しかったです、俺達は…」
重々しく声のトーンを下げ、似せた不陰気で辛辣そうに口を開く。とはいっても、ただの口からのでまかしだ。そこでどう話を持っていくか、一度口を紡ぎ考える。
…お、あれなんてどうだ?
もっともらしい嘘を付くため、丁度あった窓に目線をさり気なく反らし外を確認。するとちらりと見えたその目線の先、窓から覗くと丁度見える山が良いんじゃないかと、それをネタにその一番低い山を指を差す。
「あの山から来ました」
「え!!?」
一番道のりが緩やかで全然険しくなさそうな山を指差したはずなのに、何故か桜が驚きの声を上げた。あの程度の山で険しいのか…とでも思われてしまったのか?
「え、えっと、黒辺さんと…真御有さんは…あの山から…来た…?」
信じられないといわんばかりに驚いている。わなわなと桜さんの体が震え、桜の口が目で見て分かるくらいハッキリと「ありえない」と動いていた。
…あれ?これもしかしてまずった?
「さ、桜さん!いるか!?」
そこに一人の男が突然ドアを開けて入ってきた。男の顔からは血の気が引き、真っ青になっている、ただ事ではないその様子に、硬直していた桜はすぐに動いた。
「…ど、どうしました?!」
「浅辺が…浅辺が…」
「お父さん?!お父さんに何かあったのですか!?」
その言葉に男は頷き、泣きながらゆっくりと手を挙げる。
「あの山に行っちまったまま帰ってこないんだ!」
男はそう言い放つと、つい先ほど俺が指指して通ってきたといったばかりの、南方面にある一番山頂の低い山を指差した。