狂乱の根源
信じられない、信じられるはずがない。だってこの魔法は私が知ってしまっているのだから。
「…どうして…何でこんな…!!」
幾度なく私が負傷を負う度に見せられた、彼女と私だけが知りえる治癒魔法。
「でも…サリナは…」
もうここにはいない。魔王の言葉通り彼女がここに居る気配はなかった。あるのは抜け殻となったただの人形が横たわっているだけ。それだというのに治癒魔法は発動した。
つまり、一定以上の怪我を負うと自動的に怪我を治すように仕掛けられていたというのか。
「これじゃあまるで…私を守る為みたいじゃない…!!」
「…守る…?」
サリナの意思は今になっては分からない。けれどもわざわざこんな魔法を仕込んでいたなんて、少なくともサリナは私を死なせる気は無かった事になる。
取り乱す柚依の姿を他所に、魔王は一度瞼を閉じて深呼吸をした後、柚依の言葉に納得したように一度頷くと口を開いた。
「…ああ、そういう事だったんだ。おかしいと思った、アイツには柚依ちゃんを操れる余裕なんて無かったはずだったし…でもこれで辻褄が合う」
「は…? 今何を言って…」
「いい、よく聞いて。柚依ちゃん…貴方は今まで操られていたんじゃない、むしろその逆で……今まで守られていたんだよ」
その魔王の突然な発言に、柚依はただ言葉に失う他無かった。
様々な感情が入り乱れて交差していく。混乱、疑問、妄想、どうしてそんな結論に至るというのかという謎。
彼女に言われずとも一番に知っていたのは私、そして守られていた記憶がないのではそんなはずがない。どういってこようとも、何に対しても一番にサリナを理解していたのは私なのだから。
「何を馬鹿な事を…今は冗談を言っている場合じゃない。それに私は冗談は好まないからそういうのは他の人にして欲しいんだけれども」
「ふぅん? 私がいつ冗談なんていったのかな。私としては本気で言ったつもりだったんだけど」
「本気? それこそ適当な事を言わないでよ。守っていた? この私をサリナが? そんな訳が無いじゃないの。見てきたでしょう? 貴方は知っているでしょう!?」
その目で魔王は見てきたはずだ。私の意思とは違う存在に気が付いていたはずだ。
だというのに今更になって今度はサリナではなく魔王が気持ちを揺さぶって来る。
「それなのに何!? 魔王さん、貴方まで私を惑わすの!? いい加減にしてよ!!」
「いい加減にするのは柚依ちゃんの方だよ、まだ分からないの?」
「分かる訳がないでしょう!? 一体何を分かれというのよ!!」
「それは自分自身が一番に理解しているんじゃないの」
「自分…自身?」
「そう、誰でもない柚依ちゃん自身だよ」
気のせいか、魔王が喋る度に私の鼓動は跳ね上がる。
「…魔王さん、さっきから様子が少し変よ? 一体どうしたというの」
「それこそそっくりそのまま言葉を返すけど…どうしてそんなに落ち着きが無いのかな」
「それはそっちが変な事を急に言い出すから、ちょっと戸惑っていただけで…」
「ふぅん、そっか」
「な、何その態度…何か言いたい事でもある訳!?」
声音がどんどんと無意識に高くなっていく。そして落ち着いていないのは理解している、けれども落ち着こうにも中々に心臓の音は鳴りやまない。まるで聞きたくないと身体中が拒絶しているかのように。
幾度となく自分らしくもない奇声にも似た声を上げている私に対し、魔王はとても落ち着いた様子で口を開いた。
「…確かに私は何度か柚依ちゃん、貴方の心を読んできた。そしてある疑問を訊ねた事があったのを覚えているかな」
「……え、ええと…宿で貴方に作戦をお願いした時でしょう…覚えているわ」
「ねえ、どうして今まで変だとは思わなかったの?」
「変…?」
再びここまで来て、今度は謎々でもしようという目論みなのだろうか。一向に魔王の考えている事が読めずに苦悩する。
魔王の発言通りに変だと思いそうな点を記憶を頼りに探していくも、しかし思い返してみても何処にもおかしな点は話していてなかった。
だからこそ素直に分からないとばかりに首を振って見せたというのに、魔王の瞳には確かに疑心が向けられていた。
「そう、操られていたと言う言葉に貴方は嘘は付いていなかった。だからその抱いている思いは紛れもない本物で間違いないわ。すぐには見抜けなかった私が言うのもなんだけどね」
「な、何をブツブツと…ええと、つまりは何て言って…」
「ねえ、覚えている? 多重人格って言葉を言っていたの」
「た、多重…人格?」
何処かで聞き覚えのあるその言葉に、不自然な程に私の顔が意思とは関係なしに歪んで濁った。
そしてそれに比例するように魔王の口元は大きく歪んでいく。
「…ねえ、どうして柚依ちゃんはそんな戸惑ったような顔を浮かべているのかな。宿に居た時に聞いた時は随分と酷い顔をしていたというのに」
「それは…操られていたからじゃ…」
そういうと、魔王は呆れた様子で小さく『ふぅ…』と溜息を付いた。そして私が指を指した方角を瞬き二、三回分程の間眺め続けて振り返る。
「あんまり時間は無いんだけれども…仕方無い…少しだけ話をしよっか。一先ず言わせてもらうけれども、私はサリナって子の記憶を覗いたっていったよね」
「え、ええ」
「ほんの僅かだけ…本当にほんの僅かだけ覗いて分かった事なんだけれども…………実を言うと彼女は狂ってなんていなかったんだよね」
ますます魔王の言葉に困惑を隠せなくなっていく。彼女がまともだった、そんなはずがないのだ。だって彼女は町の人間全てを人形に変えてしまったんだから。
遂には父親を殺めてしまった事で、他人の不幸を楽しむようになっていった。何人もの命をこの手で消してきた。
「狂っていなかったって…そ、それじゃあ何でサリナは…あのサリナの姿は何だったというの…?」
「そんなの決まってるじゃない、演技よ」
「…もしかして馬鹿にしてるの? 何でそんな一利も無い、ただの害悪でしかない演技をする必要があるというの?」
怒りのあまり腰に掛けてある剣に手を掛ける。が、魔王はその柚依の姿を見て制するように片手を上げた。
「それに何を根拠にしたらそんな虚言を吐ける訳? あんまり冗談は好きじゃないってさっき言ったばかりなんだけどね」
「それについては心配要らないと思うけどね。何せ根拠なら至る箇所にあったから、例えば不審というか不思議というか。まーあれ、変だなーって気がついたところかな」
「そんないい加減な事で…」
「だから確証を得ようと心を覗いた…けれど見えたのは嘘偽りのない事ばかり。今となっては柚依ちゃん自身が嘘を付いている事に自覚していなかったんだもの…そりゃあ分かる訳ないよね…だって私が知れるのは記憶、そして…その意思だもの」
「ちょっと待って…さっきから何の話をしているの…?」
魔王の話す言葉の意図が読めない。私が嘘を付いている、そう言われてても心当たりなんて一つだってない。
だから魔王にどう疑われたところでやましいことなんて一つもないし、問題も無いと頭の中では理解しているつもりだった。
「…ん?」
額から何か違和感を感じて手のひらで額を拭って見せると、大量の水滴が付着していていた。
「何で…こんなにも汗が…」
じっとりとした汗が額から垂れている。見れば握りしめた手のひらにもべったりと滲んだ嫌な汗があった。
おまけに先ほどから脳裏にサリナの姿がチラついてくる。もしかして原因はこれだろうか。
「…何の話かって?」
しかし直前までの予想は外れ、変わりに魔王が一言発する事に鼓動が激しくなっていく。
「分からないの? それか分かりたくないの間違いかな? それともハッキリと言われないと認められないとか?」
「…っはぁ…っはぁ…!?」
今にも心臓が爆発してしまいそうな程に荒々しく、それでいて呼吸が乱れて息が吸いずらく、むせ返るような熱さに堪らず胸を強く抑え込んでしまう。
どうしてここまで焦るのだろう、意識とは関係なしにどんどん気分が悪くなっていく。
「……ねえ、まだ分からない? 狂っていたのはサリナじゃなかった、狂っていたのは世界じゃなかった、狂っていたのは周りじゃないかった」
「もう…いいわ…もう言わなくていいから…! だから…ッ!!」
その先は聞きたくない、そう拒絶するように声を荒げるも、しかし魔王は口を紡ぐことは無かった。
「初めから狂ってたのは紛れもない…白木柚依…貴方自身よ」
その瞬間、柚依は叫び声を上げると魔王に向けて剣を振り下ろした。