寂しげな微笑み
もしもこんな馬鹿らしい光景が結末だというのなら。最後は泣きながら、叫ぶように狂って笑ってあげればいい。
くそったれな結末を否定するように、微かな逃避に狂えばいい。何もかも忘れ去って、そして全てを壊しつくして何も無かった事にしてしまえばいい。
それくらいの情があってもいいだろう、それくらいに救いがあってもいいだろう。
何時から始まった、終わってしまっていた物語が。再び再開する可能性は残っているのだろうか。
どうせ救われないのなら、どうあっても救われないというのなら。初めから期待なんてするべきじゃなかったと、涙を流して狂えばいいのだろう。
それでも、そんなくそったれな世界の中で生きたいのなら。
全ての結末を知り得ようとも、最後の最後まで諦めないで馬鹿馬鹿しいと笑えばいい。
それでも、こんなくそったれな世界の中で生きていたいから。
それがどんなに報われない結末が待ち受けていたのだとしても。
せめて、幸せだと感じられる瞬間を与えてよ。
せめて、生きていて良かったと笑顔を与えてよ。
せめて、それくらいの夢を見させてよ。
・…・…・
……意識がぼんやりしている。
目を覚ます。瞼を開く、すると見覚えのある天井が瞳に映り、柚依は冷たい感触を肌で感じながら床に横たわっているのだと気が付いた。
何だろう、頭の中が冴えない。くらくらと目眩がして、吐き気が止まらない。
酷い頭痛に加えて、身体中がとても痛い。もう、どうでもいいやと思ってしまう程に全身がダルイ。
ああ、もう起きたくない、目覚めたくない。ずぅっと、このまま何もせずに眠りについていたい。それくらいの我が儘があってもいいでしょう、だって、もう疲れてしまったの。
何を願っても変わらないのだから、期待するだけ無駄だって知ってしまったのだもの。努力が報われるなんていうのは嘘っぱち、期待がより深い絶望に塗り替えられるだけなのよ。
最初から諦めていれば、絶望なんて感じなかったのだから。受けれ入れていればしょうがないと納得する事が出来ていたのに。
どうしてこんなにもこの世は無情なんだろう。
湧き上がる感情が、涙となって込み上げた。留めなく溢れる思いは、無為に地面に零れ落ちていく。
「…ぅ…ひっく…」
嗚咽を堪える。声を押し殺す。
泣かないと決めていた。だって、一度泣いてしまっては認めた事になってしまうから。一度崩れてしまうと、もう二度と同じ意思を繋ぎ留められなくなる。それが分かっているのにどうして涙は出てくるの。
もう嫌だ、もう嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
崩れ去った感情が、私の意思とは関係なしに吐き出した。
目を覚ませば、まだ私は過ちを繰り返す。何度やっても繰り返す。
意識を失う直前を思い出して、そして私は悲痛に顔を歪めるのだ。
許された自由は一部の意思。でも時々自分で自分が分からなくなってしまうの。
彼女がそうさせてしまうから。私がそうさせてしまうから。
逆らえない、逃げられない、抗えない。そんなの生きていたって地獄じゃない。
ああ、そうか。生きてても地獄なら、楽になればいいんだ。
そのまま身を委ねて、何もかも捨て去ってしまう。背負わずに、全てを下ろしてしまえばいいんだ。
「…私は私の、空っぽの気持ちで」
そう呟いて、初めて私は魔王の存在に気が付いた。
「……魔王…さん…?」
すると相手は私の意識が戻った事に気が付いたようで、一瞬安堵したように微笑み、そしてすぐに微笑みは引きつりへと変わった。
「…あ~、目が覚めてくれたのは良かったけど…もう襲ってきたりしないよね?」
「…え、お、襲う? だ、誰がです?」
「まあ、その様子だと今度こそ大丈夫そうだね~」
そういって、今度こそ安堵したように魔王は胸を撫で下ろした。
そんな魔王の様子を見て、状況をハッキリと掴めずとも彼女を襲ったのだとすぐに理解した。
「…そ、そんな…ッ! ……あ、あれ…でも…無事…?」
「見た目上はね…まあ五体満足ではあるけども」
「…もしかして身体中が痛いのって」
その瞬間、魔王は「うげっ」と声を漏らし、申し訳なさそうな顔で手のひらを合わせた。
「ごめん、結構強めに殴る蹴るした」
「あ、うん…それはしょうがないと思うから別に…それよりも…」
気になったのは、こうしてお互いが無事であるというのにも私の意識が戻ったということ。本来の彼女であれば、例え私が死ぬ事になろうとも洗脳を解くことなんてなかったはず。
「ど、どうして…私…」
「幾つか言いたそうな顔しているけど、柚依ちゃんが思っている程に状況は良くないから、出来るだけ簡潔に話すからよく聞いてて」
「え、ええ…」
「まず柚依ちゃんに関してなんだけども、もう貴方は自由よ」
その魔王の発した言葉に、理解できずに目眩を起こす。
今、彼女は何て言った? 自由? それが何を意味しているか分かっているのだろうか。
「な、何を言って…?」
「その言葉のままの意味だよ、柚依ちゃんを操っていたアイツは倒したわ。まだ生きている可能性は残っているけれども、もうアイツに柚依ちゃんをどうこうする力は残っていないはずだから」
「そ、それじゃあ、何でさっき襲ってこないなんて確認して…それに生きているって…」
「えーと…その…何度か騙されたからちょっと自信なくなっちゃって…。それと倒す寸前に逃げられたみたいなんだよねぇ~、追いかけようにも何処にいったかはすぐには分からないし…でも殆ど力を失っていただろうから、もうアイツがどうこうする力はないよ」
そこまで聞いて、私は今まで自分を支えていた気力が解け、全身の力が抜け落ちていくのを感じだ。
「…じゃあ…本当にもう…私は自由なの…? 嘘じゃなくて…本当に…?」
安堵に再び涙が溢れだす。堪える必要がなくなって、溜まっていた涙が零れ落ちる。
「…待って、残念だけど安心するのはまだ早いの」
「…え?」
「倒すところまでは良かったのだけれども…実は厄介な事に最終手段というか、最終兵器があったみたいで…今それが起動しちゃってるみたい」
「……それが…発動するとどうなるの」
「丸々町一つ、消し飛ぶわ」
「そ、そんな!? それじゃあ早くどうにかして対処を…ッ!!」
ここまで来てようやく自由になれたのに、今度は守るべきものを失ってしまうのでは元も子の無い。こんな悠長に話している時間、一秒だって惜しい。
「待って、落ち着いて!」
「これが落ち着いていられるはずないでしょう!? 今すぐ何とかしないと!!」
「いいから黙って聞いて! 私が分かる範囲で答えると、町一つを飲み込む規模の陣をそう易々と発動できるものじゃない。起動から発動までにそれなりの時間を要するはず…だから落ち着いて答えて。柚依ちゃん、何か心当たりとかは無い?」
「と、突然に心当たりと言われても…一体何を」
「貴方を操っていたアイツの、例えば大切にしていたものとか! 何でもいい、知っている事を教えて欲しい」
そういう魔王の額には大量の汗が滲み出ていた。僅かにだが呼吸も段々と荒くなっている。
その姿に、私は最初から聞かずに心を読めばいい。そう安直な意見が浮かび上がった言葉を飲み込んだ。今の彼女にはそんな余裕すらないといった切羽詰まった表情だったから。
「…恐らく、今柚依ちゃんが思った通りよ。今の私にはほんの僅かな魔法さえ使えない。故意は無かったけれどもアイツの記憶を僅かに覗いた…けれども、私はアイツをよく知らない。知っているのだとすれば、アイツと意識を共通させていた…一番に傍に居た貴方だけ」
そう言われても私は知らない。
どれだけ私を操っていた相手が傍に居たのか。どれだけ邪魔をしてきたか。
好きなだけ嫌がらせをして、私の想いを踏みにじって。まるで私を狂わせようとあの手この手で邪魔をする。抗えば抗うだけ、その分だけ大きな絶望を与えてくる。
それでも私は諦めなくて、諦めきれなくて。その度に小馬鹿にして楽しんでいた。
会話をする度に侮辱して、からかって。その時だけは嬉しそうに甲高く笑い、私は怒る。
でも時々彼女は寂し気に、それでいて羨ましいとばかりに瞳を細めて奥歯を噛みしめると、ほんの一瞬だけ何かを求めるように、それでいて悲し気に笑うのを。
どうして私は、今になって思い出したんだろう。