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その二十 残響(5)

 一年C組連中の盛り上がりぶりと反比例して上総の居場所はだんだん狭くなっていく。二杯飲み物をおかわりし、そろそろ二時間お開きという頃に、

「そうだそうだ、お前ら今日まだ暇か?」

「はーい!」

 元気よく更科が答える。天羽と難波も顔を見合わせ頷く。

「それじゃあこんなしけたとこでちんまり固まっているよりも、どっかでぱーっとストレス発散しようや。とりあえず、ボーリングなんてどうだ?」

「賛成!」

 またあほっぽく更科が手を上げる。こうやって空気を和ませる役割の更科を、先輩たちは結構ひいきにしている。ついで天羽が、

「じゃあ立村、お前どうする?」

「俺は、ええと」

 口ごもる。この場で明らかに自分が異分子である自覚を持ってしまった以上、とてもだが和やかに会話する自信はない。一応、中学時代からそれなりに二年の先輩たちとはそつなく過ごしてきたつもりだったが、よく考えるとそれは本条先輩の後ろ盾があったからでありそれがない以上、冷ややかな視線で射られてもしかたがないのかもしれない。

「とりあえず、外に出るとするか。今日は俺たちのおごりだ。腹いっぱい食ったか」

 ──食べないと間が持たないし。

 かたくなにカラオケで歌うことを断り、先輩たちも無理強いはしてこなかったこの場。

 ほとんど上総はいないものとして扱われているような気がする。

 合唱コンクールのトリを図らずも勤めるはめとなった一年A組の努力についてはある程度のねぎらいをもらえたものの、上総よりもむしろ、関崎の王子様的振る舞いに対する賛否が分かれ、

「あれはよかったのか」

「いやあれはまずい。動かして病気が悪化したらどうするんだ」

「だが指揮者がすぐに気づいたのは認めるしかないんじゃないか」

「棄権するよりも歌いなおすべきだったんじゃないのか」

 といった極めて堅い議論となり、ここでもまた上総は蚊帳の外となった。

 ──やはり、俺の言い方がまずかったんだろうな。

 たぶん、付き合わざるを得ないだろう。これから仕方なく、ボーリングで玉転がしをし、さびしくガーターの溝掃除に徹することになるだろう。本条先輩に教えてもらったのでやりかたは知っているけれども、楽しいとは思えない。でも先輩なのだから、しかたない。


 支払いもすませ店を出た。先に先輩たちが出て、入口の自転車置き場でたむろっている。時計をやたらとちらちら覗いている。二年同士でこそこそと囁いている。

「そろそろか」

「だな、そろそろ来るな」

 一年男子連中も自転車の鍵を外したりして準備を整えていた。小声で難波にどやされた。

「大馬鹿者!」

「ごめん、俺が悪かった」

「自覚しろって!」

 気づいた天羽がすぐに割り込んできた。助けられた。

「まあまあ立村ちゃーん、今日は思いきしストレス発散しようじゃないの。な」

「そうだよ、ひっさびさだよね、ボーリングってさ」

 わざと明るく振舞うのがかえって上総には息苦しい。そっと縮こまってハンドルを握り締めようとした時だった。

「よおし、来た来た。ナイスタイミング!」

 二年男子先輩たちが両腕上げて手を振っている。こちらに向かってくる自転車が一台見える。一年男子たちが背伸びして誰かを確認しようとしている。上総も難波の肩ごしにちらと覗き込み、瞬時に誰かを把握した。難波を押しのけ、さらに前で手を振っている菅西先輩を押しやった。

「本条先輩!」

 かなり礼儀知らずなことをしたにもかかわらず、二年先輩たちは上総に何も言わない。手招きしつつ、

「ほら、来たぞ、お前の兄貴分に甘ったれてこい」

「じゃあ、これでお勤めご苦労さん」

 和やかに上総を前へと押しやった。


「悪いな、またこいつが面倒起こしたのかよ」

 銀縁眼鏡の本条先輩は、私服の黒いシャツに白いベストという、かなり目立つ格好での登場だった。二年先輩たちと再会を祝した後、ちらと上総を睨んだ。

「本当はカラオケで一発派手に決めたかったんだが、学祭の準備でな」

「いやいや、無理させてこっちこそ悪いことしたな。今日はともかくあすまた飲もうぜ」

 ──先輩たち、もしかしてそれ、校則違反で捕まるんじゃ。

 少しだけ不安を感じたものの、すぐ打ち消した。本条先輩に限って大丈夫だろう。

「あれ、本条先輩、一緒にボーリングいかないんですか?」

 更科がまたチワワ顔で問いかける。本条先輩は首を振り、にやりと笑った。

「俺にはこれから、こいつのお守りという面倒な仕事が待ってるっつうわけだ。さあ行くぞ。さっさとついてこい!」

 あっけにとられている一年男子たちも、すぐ二年男子先輩たちの視線で悟ったのか上総に手をかけて、

「さあ、行ってこいよ」

 天羽の言葉にみな頷いた。


 ──なんだよ。まるで俺が本条先輩がいないとなんにもできないガキみたいじゃないか。

「実際そうだろ。思ったこと全部顔に書いてるぞ」

 途中でスナック菓子と飲み物を買い込み、本条先輩の住むアパートに転がり込み、マイコンが鎮座ます部屋に通された。

「今日は俺も学祭の同好会展示で忙しいってのによ」

「すみません、けど俺が先輩呼び出したわけじゃないし」

「ほとんど一緒だろが。ったくもう。まあいいや。さっき菅西から聞いたが昨日合唱コンクールだったそうだな。で、またお前のことで大騒ぎしでかしたと」

「違います。確かにハプニングはありましたけど、俺のせいじゃないです」

 むっとして言い返す。そのくらいしてもいいと思う。本条先輩は呆れたように両手を腰にあて、

「ったくお前はガキんちょすぎだわな」

とため息をついた。

 ポテトチップスの袋を開き、サイダーを注ぎ、まずは一息つく。本条先輩も机の上にちらばった紙をまとめ、風呂敷をかけたままのマイコンに電源を入れた。また派手な音をして立ち上がるのを待っている。

「まあいい。今日はどっちにせよバグ取りやんねばなんねえからな」

「なんですか、虫が出るんですか。この部屋で」

 思い切り雑誌を丸めて頭を叩かれた。

「バグ取りってのはな、プログラムにミスがあったり入力間違いがあるんじゃねえかってのをチェックすることなんだよ。たとえばだ、RUNていうプログラム用語がある。これは」

「走る」

「まあ、走らせる、ってのがどっちか言うと正しいがな」

 英語科の上総にはプライドが少し傷つく言葉を言う本条先輩。相変わらずだ。

「それをうっかり間違えてRANなんかにしちまったらそりゃ動かない。当たり前の真理だ」

「わかります」

「でだ。うちの学校の学校祭は十月に入ってからなんだが、幸いマイコン同好会の展示スペースをもらえたんでここでゲームセンターを開いてみるかと準備中というとこなんだ。わかるか? ゲームセンターってことは、プログラムが必要で、さらにそのプログラムはどうやって調達する? 俺が全部指揮して作るわけだ。だがプログラムってのはとにかく長い。打ち込むのに骨だ。てなわけで俺としては毎日人差し指でぴこぴこ打ち込み作業を進めてるってわけだ」

「人差し指、ですか」

 上総が遠慮がちに尋ねると、本条先輩は指を立てて見せた。

「しゃあねえだろ。それでも俺は早い方だ。でもうち間違いってのはどうしても出てくるわけで、それがいわゆるバグになる。バグは単なる意味なしの間違いだけであればプログラムが走らないだけでそれほど害はない。だが、たまに暴走しちまってそれ自体が消えちまうってことも全くないわけじゃない。どちらにせよ、蚊やハエやダニやワラジムシはいないに越したことない。ということでこれから俺は網持って虫取りにかかると、そういうわけだ」

 本条先輩が相変わらず青潟東高校でマイコンメインの青春を謳歌しているということだけは理解した。いつ頃なのだろう。学祭は。確認して予定を覚えておくことにした。

 ──杉本、連れて行くか。


 口では「虫取り」とかいって上総を邪険にするような態度を見せたものの、やはりサイダーをすすってうなだれている姿は哀れに思えたのだろう。マイコンの画面を消して、上総の隣にあぐらかいて座った。自分のカップを目の前に差し出して、

「まあ、注げ」

 命令した。言われるがままに注ぐ。

「さっき菅西から全部話は聞いた。とりあえずお前なりに無難に片付けたことだけは把握したしそれ自体は責められることじゃねえと思うが、なんでいきなり菅西どもにつっかかったんだ。全く、なんで俺がお前をなだめなくちゃあならないんだ」

「いや、そんなわけではありません」

 突っかかってしまった理由を問われても、正直困る。自分なりにわかっているのは、菅西先輩をはじめとする二年男子先輩が、伴奏を投げ出してしまった女子生徒に対してあまりにも厳しい言い方で断罪していることに違和感を感じたということだけだった。

「菅西もさすが俺の同期、元評議委員は捨てたもんじゃねえだろってことでめちゃくちゃ誇りに思うってだけで済むんだが、お前なんでその伴奏女に同情する? 個人的に知ってるのか?」

「いえ、知りません」

「じゃあなんでだ? ははあ、お前、あいつに重ねて見てるだろ」

「誰ですかあいつって」

 口にしてすぐに気づく。まずい見抜かれた。顔色変わったのを本条先輩にも悟られた。

「ったく、種明かしってのは簡単だってな。全くお前、あの子のことになったら我を忘れるんだもんなあ。俺は前から知っているが菅西たちは知らねえもんなあ。完全に情報不足っていうそれだけの問題だろ。ああわかったわかった。あとであいつらにもそう言っとく」

「何を言うっていうんですか!」

 身体が熱くなっている。なぜこんなにパニック起こしているのか、なぜ本条先輩がにやついているのか、すべてが苛立つ。

「立村、よおく覚えとけ」

 本条先輩は上総の頭に手をかけて、無理やり自分のほうに顔を向けた。

「あのな、お前がはらはらして見てよいのはあの子だけ。いいか、ひとりだぞ。よその子はよその奴が誰かかしら面倒見る。菅西たちだって口ではああ言ってるが自分のやらねばならねえことは承知してるはずだ。そうでなかったら青大附中の評議を三年間勤められるわけねえだろ、それだけの玉だ」

「でも、先輩たちは」

 口ごもる。どう考えてもカラオケBOXで交わされた会話を聞いている限り、あの伴奏の女子の未来は暗い。表面上は許されるかもしれない。だがその後の傷はどうなるのだろう。叫ぶこともできない、かといって言い訳すれば「自業自得」と罵倒されるのがオチだ。本当は口に出せない惨めさを抱えていてそれをごまかすがために伴奏立候補したのかもしれない。自分には弾けないレベルだったとしても、もしかしたら奇跡が起こるかもと信じたのかもしれない。結局はせせら笑われ立ち直れないほどの大失態で消えていくにしても。

「おーい、もしもーし」

 本条先輩が面白そうに上総の前で手を振る。

「まただよ、お前また自分の世界に入っちまってる。あのなあ、前から思ってたけど立村は心配性なんだよ。ひとりの例外女を見つけてしまったからそいつと他の連中が同じように苦しんでるんじゃねえかって勝手に妄想してばかりいるんだろ。悪いが人間そんなやわじゃねえ。例外ひとりは確かにいるけどそいつを基準にして世の中の女全部見たら、神経燃えるぞ。まじでな。特にお前みたいな奴はだぞ」

 ──そんなこと言われたってしょうがないだろ、先輩見たいに図太くなれたらいいけど。

「あのなあ、お前が相手のことを考えすぎるのは仕様だししょうがねえ。けどな、今は青大附高に俺がいないんだぞ。わかるか、この意味?」

 首を横に振る。本条先輩は両手をあぐらかいた膝に乗せた。

「俺がいないってことは、通訳する奴が二年の中にひとりもいないってことだ。英語科だしその意味は理解できるだろ」

「はい、なんとなく」

 小声で答えると本条先輩はじっと上総を正面から見据えた。

「菅西も電話で話してたが、天羽たちはだいたいお前の思考回路を把握していてそこで上手くカバーするように動いているようだな。なんだよ『砂のマレイ』のエンディングかよ。自由曲が。ああやってあいつなりにお前をかばってやってるってことは覚えておけよ」

「わかってます」

「わかってねえよ。けどな、お前の言いたいことってのは俺の同期たちからするといわゆるドイツ語だったりアラビア語だったりする。全く通じねえ。じゃあどうするかってことで考えるのが世界共通語の英語というわけだ。お前が毎日浴びせられているあれな」

 なんとなく身体の中に翻訳されてきているような気がする。

「英語だったら授業で勉強しているし日常会話程度ならなんとかなる。だからそれだよ立村。お前がやんねばなんないのは、他の奴らとの英語としてのコミュニケーションをもっと勉強しろってことなんだよ」

「それってなんですか」

「自分で考えろ。まあしゃあねえ。とりあえず菅西たちとのバトルでの答えだけ出しとくか。一番いいのはつらっとこいて無視する方法だが、それができねえんだったらあいつらが本当にどうしようとしているかを納得するまで聞くことだ。お前、自分の意見求められたらすぐぺらぺら喋っちまっただろ。あれがまずい」

「え、でも先輩たち聞いてきたから」

 本条先輩は首を横に振った。いかにも上総が何も分かっていないかのように。

「こういう時ほど先輩を立てろ。まあ口先では罵倒かもしれねえが、答え言っちまうとあいつらはそれぞれ頭寄せ合って、先生方と相談して、誰かフォローに回ってもらうよう話を付けるつもりだったらしい。下手したら登校拒否状態になっちまう可能性大だからな。そのへんは大人を混ぜて対応する方法で進めるつもりのようなんだ。それ聞いたらお前も安心するだろ?」

「最初からそう言ってくれればいいのに、そんなことわかりません」

「ほらそうやってまた拗ねる。全く天羽たちもよくお前のこと面倒見てるよな。ガキ扱いするって怒りたいのもわかるが、ガキそのもののことばっかやらかしてるんだからしゃあねえだろ。週明けたら、菅西たちにはちゃんと頭下げて謝っとけ。俺もちゃんと話しておくからな。それとだ」

 本条先輩は手元のコピー紙を十枚程まとめてテーブルに置いた。数字と英語の羅列がずらずらプリントされている。プログラムという奴だろう。

「お前、ピアノ弾けたって本当か」

「先輩に言ってませんでしたか。本当です。実際弾きました。一曲だけですが」

「そうか。それなら聞くが、当然鍵盤弾けるってことだな」

「あたりまえです」

「わかった、それなら今日のカウンセリング料払え。こっちこい」

 肩を押されてマイコンの前に連れて行かれた。本条先輩は手元の紙を立てクリップタイプのファイルにはさみこみ、ディスプレイの脇に立てた。上総の目の前にちらつかせた。

「ミッションその一、このプログラムを打ちこめ」

「え、俺キーボード打ったこと全くないです」

 何を考えているんだろう。本条先輩の顔を覗き込みからかっているのかを確認するが、不敵な笑いが浮かんでいるのみ。本気だ。

「打てるはずだぞ。立村わかってるだろ。ピアノってのはドレミのキーを指が覚えていないと打てねえってことをだ」

「もちろんわかってます」

「じゃあ、これからしばらくキーボードと格闘しろ。ブラインドタッチっつうのができる奴がいるらしいが、そいつに聞いたら指に打つべき文字を覚えさせることで覚えられると聞いたぞ。とりあえずキーボード教則本ってのはある。それでも読んで、ここで打ち込め。そうしないと、今夜は帰さねえぞ」

 放り投げられた「ブラインドタッチ教則本」という本をめくり、上総は改めてキーボードを見下ろした。淡い、灰色と白とが入り混じり一部うぐいす色のキーもある。いったいどこをどう打てばいいのかわからない。

「この本ぱらりと読んでみたんだがな」

 本条先輩はわざわざめくって上総に見せつけた。

「ピアノが得意だと上達が早いんだと。悪いが俺は鍵盤楽器なんて鍵盤ハーモニカしかいじったことねえよ。どういう事情かわからんがせっかく伴奏で鍛えた腕だ、俺の偉大なるプログラムを読み込むために、さあ、力を貸すんだ!」


 ひたすらキーボードの両手打ちマスターに全力で打ち込んだ。最後までプログラムという名の文字列をを入力し続けるうちに、少しずつ要領が飲み込めてきた。ピアノの鍵盤とは全く異なる感覚だけども、気がつけば外がすっかり闇と化しいつの間にか戻ってきた里理さんが素うどんを出してくれた頃にすべて完了した。

「バグってなければこれで走るはずだがなあ」

 本条先輩が「RUN」の文字を入力しうぐいす色のキーを叩いた時、ディスプレイに広がったのは七色の虹と、それを渡っていく動物たちの群れだった。

「もしかして『オズの魔法遣い』ですか」

「その通り。いつもシューティングじゃあ芸がねえ。学祭には女子もどっさり来る。野郎ばかり喜ばせても虚しいだけだからな。こういった女子どもが喜びそうなものも作ったと、そういうわけだ。ゲームじゃねえよ。デモプログラムだ」

 本条先輩は画面を満足げに眺め、大きく伸びをした。すぐに割り箸片手にうどんを平らげた。

「この一週間打ち込みで徹夜だったからな、今夜は熟睡するぞ」

 本条先輩は満足げに上総を横から見やり、肩を叩いた。

「お前が打ったデモは学祭本番で使うぞ。見にこい。それにしても両手打ちはまじ早いわ」 


 

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