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その二十 残響(2)

 家に戻ってみると母の持ってきた荷物はすでに家の中から消えていた。今朝の段階でいつ母のアパートに戻るかは聞いていなかったので少し拍子抜けした。上総を待ち構えて根掘り葉掘り聞かれるのではないかと、自分なりにシュミレーションもしていたし、通常とは考えづらい展開に関する回答も自転車漕ぎつつ決めていた。

 ──まあいいか。久々に何も考えず寝るか。

 夕方五時半。適当に野菜炒めでも作って平らげたらさっさと風呂に入って寝よう。

 さすがに今日くらいは許されてもいいはずだ。


 合唱コンクールが終わればあとは十月の学校祭が待っている。学校祭が終われば十一月の生徒会役員改選が行われる。それに伴いクラスの後期委員も選出となるはずだが、順調に進めば後期は関崎で決まりだろう。藤沖は応援団活動のため身を引くことになるだろうが、そうなると規律委員の座が空き、もしかしたらまた、

 ──俺が規律に入る可能性もあるのか。

 南雲にも熱心に進められている規律委員への参加。おそらくB組も特別な変動がなければ規律は東堂と美里のふたりで決まりだろうし、全く知らない相手同士ではないし居心地は比較的いいかもしれない。もっとも規律委員の仕事が今ひとつイメージつかず、中学の感覚で見ると「青大附高ファッションブック」や手芸活動に熱心なのだろうかと思うのみだ。上総が入るスペースなどあるのだろうか。

 ──けどな、藤沖はまずいよ、あれは。

 食事を済ませ洗い物を完璧に終わらせた後、さっさと一番風呂に入った。父が戻ってくる時間でもないし、母もいないのならば当然の権利だった。この一ヶ月はピアノの練習最優先のため風呂に入ってものんびり両手を伸ばすような余裕もなく、カラスの行水状態だったが、今夜に関してはとことん身も心ものびのびできるというわけだ。

 湯船に入り、天井を見上げる。

 ──俺じゃなくても評議だったら誰でも、クラスの意向を確認して、その段階で判断するよな? なぜそれをあんなかたくなに断ったりしたんだろう。俺の意見だからか? 俺がでしゃばり過ぎたからか? まずいとは思ったけどさ、でも誰も何も言わないんだからしょうがないだろ。最後まで弾くことにこだわり過ぎとか言うけど、伴奏者としたらそりゃ本能だと思うよ。結果として俺と疋田さんが立場を変えてなんとかなったけど、あのままなあなあにして終わらせていいとはどう考えても思えないよな。

 本当は誰かに意見をもらいたかった。こういう時に本条先輩を思う。

 ──本条先輩に会いたいな。日曜になったら電話かけてみようか。またマイコンの話聞かされるのかな。


 さっぱりして上がった後、部屋でこずえから借りたキーボードを手入れしていると電話が鳴った。予想はしていた。関崎か、それともこずえかのどちらかだろう。


 ──立村か。

 第一声で予想大当たり。関崎の晴れ晴れとした声が受話器から響き渡った。

「関崎、今日は本当に助かった。ありがとう」

 ──礼を言うのは俺の方だ。学校では慌ただしくて本当の意味での礼が言えなかった。悪かった。

「いや十分だよ。それより関崎に聞きたいんだけど」

 ──宇津木野のことか。

「そう。病院でかなり病状が重いと聞いたんだけどさ」

 一番気がかりなことを尋ねた。電話の向こうで関崎はしばらく黙った。麻生先生にしろ、宇津木野さんのことに触れられると黙るということは、それだけ口にしづらいことなのだろう。

 ──俺も具体的な病状は聞いていない。すまない。

 謝った後、思い切ったふうに、

 ──ただ、彼女の両親にあたる人から説明は受けた。精神的なものらしいとは聞いたので、手術を必要とするような病気ではないということだ。

「そうか、手術ではないんだな」

 野々村先生からは「処置」をしたとの話を聞いていたのでもしや何かの手術を受けたのかと心配していたのだが、ただ「精神的なもの」というのが曖昧すぎてさらに不安がよぎる。

 ──とにかく、えらく頭を下げられてこちらも恐縮しっぱなしだった。とにかく昼飯だけでもということで無理やりご馳走されて、せっかく給食出ているのにいいんだろうかと思ったんだがとにかく食った。

「あれ、渋滞して遅くなったんじゃないのか?」

 話が違う。戸惑いつつ確認する。

 ──俺も、宇津木野の体調がよくなった段階で学校に戻るべきだと主張したんだが、麻生先生および宇津木野のご両親にぜひにと引き止められてしまい、結局は担任の判断に頼らざるを得なかった。すまん。

「これはお前に謝ってもらっていい内容だな。とりあえず学食で何かおごれよな」

 怒ってはいないけれど、関崎たちが美味しいものを平らげている間、上総はクラスの意見をまとめたり藤沖と対決したり疋田さんのスパルタ特訓を受けたりと散々だったのだ。これは学食のハンバーグランチをおごってもらう必要がある。たとえ苦学生でも容赦しない。

 ──バイト代入るまで待っていてくれ。

「冗談だって。気にしてないからさ」

 ──俺もそのあと一時頃に、麻生先生から合唱参加の話を聞かされて大急ぎでタクシーに乗ったんだが、その時は本当に渋滞にぶつかったんだ。なんでも、前の車が玉突き事故を起こしたらしくて身動きできなかったんだ。途中で降りて学校までバスで行くことも考えたんだが、結局はタクシーの方が早いという麻生先生の意見でそのままで行った。結局、間に合わなかったのが俺としては、死ぬほど悔しい。

「あと五分でも早かったら、とは思うよ」

 嫌味に聞こえるかもしれないが本心ではある。藤沖が聞いたらさぞぶち切れるだろう。いやもう話しているのかもしれない。あすの反応が楽しみだ。関崎はふうと息をつき、

 ──ちょうど体育館の中に入った時、お前が指揮台で両手を上げているのを見た時、正直俺は何が起こったのか把握できなかったんだ。麻生先生からは指揮者なしで行われる可能性もあると聞いていたが、まさかお前が、立村とは、想像してなかった。古川も同意見だった。伴奏どうなったんだと思ったが、疋田が担当することになったんだな。

「そう。一時間くらいかけて疋田さんと音楽室でとことん音合わせしたし。疋田さんの注文はほんと多かったからめちゃくちゃ大変だったよ」

 ──悪かった。いくら謝っても許されることではないと思うが、本当に申し訳ない。

「だからそんな謝らなくてもいいんだってさ」

 少し関崎をからかいすぎたかもしれない。食事をご馳走されたとは言うけれど、関崎の言うような豪華なランチではなく、単純に「これからどうするか、どうやって宇津木野さんの事情を説明するか」の相談だったんじゃないかという気がするし、その場合ならクラスの代表として付き添った関崎とこずえが話を聞くのも当然だ。一年A組合唱が行われることもおそらくその段階では麻生先生も聞いていなかったのだろう。仕方ないことではある。

 ──とにかく、クラスの奴らから事情は全部聞いた。立村、お前はすごい。心底尊敬する。今までお前を馬鹿にしていた奴も、すっかり見直したと聞いている。

「そんなことないよ。当然のことをしただけだって。元・評議の遺産みたいなものだって」

 ──元・評議か。

 関崎は噛み締めるようにつぶやき、

 ──そうだな。お前は評議委員長だった。そのくらいお茶の子さいさいだな。

 締めた。


 

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