その二十 残響(1)
大抵、合唱コンクール後はクラス内での健全な打ち上げパーティーが行われるのが慣例だと聞く。最優秀賞を手にした一年C組はもちろん、全力投球して納得のいったクラスは概ね、放課後を利用して学食でのお食事会という形で盛り上がる。先生たちも交えてということになるがもちろん生徒たちでの内々の何かがある可能性は否定しない。
「普通だったら俺もお前らの、涙が止まらない程の見事な締めに何かしてやりたい気持ちは多いにあるんだよ。だがな」
帰りのホームルームで、病院からぎりぎりセーフで飛び込んできた麻生先生が噛み締めるように語りかけた。
「宇津木野の詳しい病状を今の段階でお前らに話すことは難しいんだが、かなりしんどい状態ではあるんだよ」
関崎とこずえが顔を見合わせ頷くだけで、誰も言葉を発しない。
「生死に関わるというわけではないのでその点だけは安心してもらいたいんだが、俺としては手放しで盛り上がることができそうにない。本当にこればかりは担任としてのわがままなんだがな。お前らの努力の結晶を無にするような言い草で申し訳ないんだが、今回の打ち上げだけは、来年以降に延期ということでどうだろう」
廊下からはしゃぎ声が聞こえてくる中、一年A組の教室のみお通夜の雰囲気だった。反論する奴などいるわけがなく、誰もが納得している様子に感じられた。
「僕は賛成です」
評議の藤沖が図太い声で答えた。評議の義務だ。
「藤沖、わかってくれるか」
「ここで座っているクラスの人間はみな同じ考えだと思います」
──そうだな。
上総も異論はなかった。打ち上げなんて面倒なことはたぶんこずえがちゃっちゃと準備していたのだろうと思っていたし、義務として出席はせねばなるまいと覚悟はしていた。何もないのならかえって気が楽ではある。もっとも、宇津木野さんの病状が気にかかるのも確かなので、あとから関崎とこずえを捕まえて詳しい話を教えてもらうつもりだった。
「お前ら、本当にいいか? せっかくクラス一丸になれたってのに、申し訳ない」
「先生、いいんです」
疋田さんがか細い声で、まだ涙収まらない表情でもって麻生先生に尋ねた。
「それより、宇津木野さんのお見舞いにはいつごろ行けますか?」
麻生先生は難しい顔をしてしばらく黙った。沈黙が続いた後、
「残念だが、十月の学内演奏会には参加できそうにないだろうな」
遠まわしに、楽観できない旨を述べた。
重々しい雰囲気のもと帰りのホームルームも藤沖の号令で終わりとなり、麻生先生は足早に教室から出て行った。残された一年A組連中も、息苦しさから解放されたのかおしゃべりが復活し、誰かかしらとまだ話し続けていた。教室から出て行くのは音楽委員と放送委員のみ、それ以外はまだ帰りを惜しんでいる。
学校内打ち上げはやらないにしても、個人的に話をするだけならば控える必要はない。
上総も関崎を捕まえようとしたが、すでに藤沖が他の男子たちも含めて囲ってしまい入る隙間などなかった。事情に通じていそうなこずえを探したがそれこそ無理もいいとこで、女子たちを労いつつ疋田さんも含めて宇津木野さんの状態について丁寧に説明をしている。
「あーあ、しっかしなんだ。本日のMVPを無視してなんだありゃ」
手持ち無沙汰で取り残された上総に、音楽選択かつ吹奏楽部所属の三人男子が近づいてきた。これから秋の高文連吹奏楽コンクールに向けてすぐ練習が行われるとかで教室から出るところだった。付き合いで上総も連なった。
「ほんとだな。立村お前すげえわやっぱ」
「元評議委員長をなめんなよってとこだわな」
音楽には耳が肥えていて上総の演奏には物足りなさを感じていたはずなのに、なぜかいきなりの褒め言葉。袖幕でもこの三人は上総に即、握手を求めてきた。
「麻生先生にはなんか言われたか?」
上総と麻生先生との不穏な雰囲気もなんとなく感じていたのか、ひとりが問う。
「ああ、一応、ねぎらいの言葉らしきものはもらった」
──よくまとめたな、の一言だけどな。
むしろ麻生先生は上総にそれだけ伝えた後、すぐ疋田さんに近づき、
「疋田のおかげでクラスが救われたんだ! ありがとう、ありがとう、ありがとう!」
ありがとうの三連発ときた。それは決して大げさではないのだが、不公平感は確かにある。麻生先生は上総の性格を苦手としていることが手に取るようにわかるし、それはそれで構わない。ただ、第三者から見たら違和感は確かにあるだろう。
「でも、ほんと無事に終わったよな」
話を逸らすつもりで上総はつぶやいた。正直な実感だった。長い一ヶ月半だった。
「宇津木野さんのことだけは気にかかるけど、俺が伴奏しないでよかったんだなってさ」
「言いたいことはわかるぞ」
一A吹奏楽三人組が一緒に頷いた。音楽感性一緒だろう。かすかに傷つく。
「けど、お前よくまとめたよ、まじ感動したよ」
「だなだな。ほんと俺もおったまげた。あのまま立村がなんにも言わなかったら、最後に歌わせてもらえるなんてことねえもんなあ」
否定しておいた。
「いや、誰かかしら言っただろうし」
「うんにゃ、そりゃねえよ」
即時切り返された。
「俺たちもてっきり藤沖がリベンジするもんだと思ってたんだが、あいつなんなの、腰の引け方」
四人で周囲を見渡す。壁に耳あり障子に目あり。藤沖はいなかった。安心したのか三人とも声高らかに藤沖批判を始め、一緒にいる上総の方で目立たぬ場所への場所移動を行わねばならなかった。
「あいつ一応評議だろ? 評議のくせになんで決断しねえんだよ!」
「それも元生徒会長だろ? 立村、お前あいつといろいろあったって聞いたことあるけど、やっぱしあいつの使えなさっぷりに頭来たんじゃねえの?」
「違う、それとは話が別だよ」
なんだか別の誤解が生じているようだった。しかし聞く耳持たない吹奏楽三人組。
「少し声を潜めろよ。下手に誤解されたらまずいって」
「いいっつうの。どういう事情か知らねえけど、立村が合唱参加するって決断しねば、俺たちは廃人状態のまんまで体育館の椅子に座りっぱなしで終わり、心底お通夜気分で解散になっちまったんだぞ。病人を責める気はねえけど、いくらなんでもありゃあなあ」
「そうそう、棄権になっちまったのはいいの、しゃあねえよ。最後まで演奏できねえんだから。けどな、せっかくもう一度歌える機会があって、完全燃焼する機会をもらえたってのになぜ藤沖、あんな曖昧な言い方するんだ? 即時OKでどこ悪い?」
庇わないとまずそうだ。上総なりの説明を口はさむ。
「関崎たちが戻ってくるのを待ちたかったんだよ。指揮者は関崎だったし。合唱の最終決断は指揮者に委ねたかったんだと思うよ」
「そりゃ違うだろ!」
また吹奏楽三人組は口を揃える。
「舞台の上では確かに指揮者に従う義務あるよ。そりゃ俺たちだって承知してる。けどな、その以前に参加するしないを決める場合、民主主義に則ってまずはクラスの決を取るべきだろ。藤沖ひとりの一存で不参加にしようなんてふざけすぎてるぞ」
「そうだ、二年B組の例もあるように、極端な話伴奏者がいなくてもアカペラで歌うという荒業だって使えるわけだし、反対に指揮者がいなくても立村みたいに合図する奴だけいれば、出来はともかく歌うことは歌えるぞ。最悪の場合肥後先生を説得して臨時指揮者就任を頼むってのも手だろうしな。それが評議の仕事だろ?」
「関崎を待ちたいのはわかるが、実際いつもどってくるかわからない状態で決断を引き伸ばして逃げようってのが、俺にはどうもげせねえよ!」
「あいつ、本当に生徒会長やってたのかよ?」
吹奏楽三人組の中学時代所属していたクラスはすべてA組だった。
つまり藤沖との接点は、中学時代、ない。
また中学A組の評議は天羽だった。
いわゆる「評議の仕事」は天羽の言動そのもので認識されている。
──確かにな。天羽だったら絶対に、俺と同じ判断してたよな。
──「評議の仕事」だよな、あれは。
ひとしきり言い放った後、吹奏楽三人組はそれぞれ上総に再度握手を求めた。二度目なので少し照れくさい。
「とにかく、天羽が立村のことすっげえ買ってた理由はよっくわかった。見る目ねえ女子らには昼行灯扱いされてるかもしれねえけど、次回からはちゃんとフォローしとく、安心しろよ」
褒めているとも思えない言葉も混じっているがありがたく受け取った。三人を階段の二階踊り場で見送った後、上総はふたたび階段を降りた。今日は早く上がれるしさっさと自転車に乗って帰ることにした。どうせあすは昼から中学評議時代の先輩後輩交流会があるわけだし、その時に他クラス情報も交換することにしよう。




