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その十九 袖幕にて(2)

 肥後先生の講評は長い。まずは最優秀賞の一年C組がなぜ選ばれたのかその理由をくどいくらい細かく述べている。

「本来合唱コンクールという場において、一年C組のみなさんが選択したアニメ主題歌のような楽曲を歌うというのは極めて珍しいことで、いわば大冒険です」

 ──エンディング、じゃなかったか?

 おそらく肥後先生もそのアニメを知らないのだろう。

「僕も最初は、歌の親しみやすさに飲み込まれてしまい失速してしまうのではと危惧していたのですが、今日聴かせてもらって実に驚きました。元気いっぱいに合唱するだけにとどまらず細かな音程をぴたりと合わせるだけではなく、ひとりひとりが責任を持って自分のパートを担当しているといったものが聴く方にじわじわと伝わってきました。高校生が今出来ることを精一杯歌うことももちろん大切です。しかし今回の一年C組のみなさんは歌だけにとどまらず合唱としてきちんと通さねばならないところを手を抜かず丁寧に修正し、本日に至ったというわけです」

 ──ここまでべた褒めってことは、相当きつい練習だったんだろうな。

 前の方からすすり泣きが聞こえてくる。ほとんどが女子の声だった。

 他クラスのことについてもそれなりに説明をする肥後先生。気になったのが一年B組がなぜ選外だったかということだった。肥後先生の説明をまとめると、

「完成度を高めようとする努力は伝わってきたが、もう少し力を抜いた方が歌にふくらみが出てくる。次回の糧にせよ」

 ということらしい。どちらにせよ上総は一年の合唱を全く聞いていないのでその評が正しいのかどうか判断しかねるところがある。あとで美里に確認しておいたほうがよさそうだ。


 二年、三年とそれぞれのクラス評を述べ立てている肥後先生を横目で見つつ、自分のクラスを様子見する。本当はここで最後の打ち合わせをするつもりだったのだが、肥後先生の話に聴き入るうちについ忘れてしまっていた。気がつくと上総の代わりに疋田さんが合唱する生徒たちを捕まえて、ぴりぴりしながら、

「ね、お願い。男子パートはもっとお腹から声を出してもらわないと負けちゃうの」

「それと、息継ぎのところなんだけどもっと綺麗に」

 とか、今さら指示してもどうしようもないことを指示出ししている。

「うん、でも、無理かも」

「もう今更どうしょうもねえだろ。音外れようが知ったことねえじゃん」

 なんだかクラスメートたちのやる気も半減しそうな気配だった。上総からすると疋田さんの溢れんばかりの情熱は、音楽室のピアノ鍵盤を触れた瞬間に湧き上がってしまったものだと理解している。とにかく、演奏することだけではなく音、そのものを深く愛している。音へのこだわりが強すぎたゆえに上総から伴奏を譲ってもらおうとした。目立ちたいからというわけではないのだろう。聞こえる音色そのものを完璧なものに仕上げないと、疋田さんの音楽感性が耐えられなかったと考えたほうがしっくりくる。

 ──そりゃ、俺だってもう少し音楽のセンスがあれば疋田さんの言う通りに指揮ができるかもしれないけど、もうあと、何分かで始まるのに、無理だよ、無理。

 かえってまとまりかけたクラスメートたちの気持ちが削がれてしまうんじゃないかと、別のところが心配になる。こういう時こそ評議の藤沖が割り込んでたしなめるべきなんじゃないかと思うのだが、奴は体育館の入口方面をカーテンの隙間からちらりと覗き込み、いらただしげに足踏みしている。

 ──関崎たちを待っているんだな。

 指揮者である関崎の決断には従う、そう言い切った藤沖のことだ。ぎりぎりまで関崎を待っていたかったのだろう。一応おまけに古川こずえもいることはいるけれども、頭の片隅にも存在するかどうかわからない。どちらにせよ、それだけ藤沖も友情に厚くかつクラスのことを別の形で大切にしているのだろうと思う。

 ──けどさ、今優先することって違うよな。

 しかたない、ここはまた、臨時で上総が入るしかない。肥後先生の講評も終わりに近づきつつある。そっと疋田さんに声をかけた。


「疋田さん、もういいよ」

「でも、立村くん、あともう少し声が出てくれればもっといい合唱になるのよ」

 声を震わせる疋田さんと、戸惑ったまま口を尖らせている男子女子それぞれに挟まれる格好となる。上総は疋田さんに、一言ずつゆっくりと語りかけた。

「合唱はもう昨日の時点で出来上がってるし、今更細かいところを詰めろと言われても歌う方はきついと思うんだ」

「でも、せっかく最後のチャンスをもらえたのに」

 さらに言い募る疋田さんから、残りのクラスメートたちへ。上総はじっとひとりひとりの顔を見据えた。女子は特にほとんど顔と名前の区別がつかないけれども、この時が来たことを受け入れてくれているように見える。男子連中もかすかながら気合が入っているような気配を感じる。このまま歌っても問題なさそうな雰囲気だった。

「気を付けるところはひとつだけでいい。最後の『モルダウ』の大合唱のところだけど、ピアノと歌が一緒に終わると綺麗だから、そこだけぴたっと合わせられれば最高だと思う」

 拍手が聞こえた。肥後先生が反対側の階段を降りていく

「疋田さんの言う通り、今回、トリで歌わせてもらえるというのは俺たちにとって貴重なことだと思うんだ。賞はもう決まってしまっているし、全員ではないけど、でも、途中で途切れた『モルダウの流れ』を歌い切るということは、上手く言えないけどクラスの義務だよ。もし歌わなかったら、元気になって戻ってきた宇津木野さんに罪悪感をどっしり押し付けることになるしさ」

 かすかに「宇津木野さん、そうだよね」「立村くんの言う通り」「責任感じちゃうよね、きっと」「いやあもう、賞取りレースから外された段階で罪悪感ばりばりだよ」とかのささやきが男女問わず聞こえる。

「こう言うのもなんだけど、英語科は三年間みな顔ぶれ一緒だし、次回は全員揃った形でしきり直せるよ。今度は疋田さんと宇津木野さんに伴奏任せるし、男声合唱のメインには関崎をおけば歌も引き締まると思う。それで指揮者がいないんだったら、責任持って俺が引き受ける。来年まであれば、それなりに音楽も勉強できるから、今よりはずっとまともにタクト振ることできるんじゃないかなって思う」

 自分でも喋っていて信じられない言葉が溢れてくる。そばで音楽委員の上級生女子が、

「それではそろそろいいですか。舞台に上がってください」

 あっさりと準備を促してきた。クラスの男子女子がみな、黙ったまま頷き、静々と列を作っていく。誰が指示するでもなく、自然と形がまとまった。藤沖もちらちらと外を覗き込んで上総の言葉を無視していたが、すぐにその輪へ加わった。

 ──関崎たち間に合わなかったか。

 藤沖を責めることはできない。


 放送委員のアナウンスに合わせて一年A組の合唱パートが全員並び立ったところで、上総は舞台の中央に向かった。聴衆と向かい合い、深々と礼をした。高校に入ってから体育館の舞台に立ったのは今が初めてだと気づいた。

 指揮台に立ち、袖幕のピアノに手をかけている疋田さんとアイコンタクトを交わし、上総は息を止めたまま左手で合図を送った。

 濃く、果てしなく深い音色がこんこんと湧き始めた。

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