その十九 袖幕にて(1)
呼吸を整えて上総が体育館に戻ると、男子連中がどのクラスもくたびれきた顔して椅子に伸びているのが見えた。ほんの十分程度休憩なので椅子も体育館に置いたまま。座ろうとして思い出す。上総は椅子を運んでこなかった。
──まあいいか。どうせすぐに本番だし。
A組の誰かに声をかけようとしたところで、C組連中に捕まった。
「立村、お前どこいたんだ」
難波だった。一緒にいるのは更科だ。背中から声をかけられた。
「昼からいなかっただろ」
「まあ、いろいろあったよ」
説明するのも面倒でごまかした。とっぱじめの大事件を見ればだいたいのことは見当がつくだろう。そこまでしつこく説明しなくてはならないほど難波も野暮ではないはずだ。
「C組、かなり盛り上がったみたいだな。昼休みに天羽と羽飛から聞いたけど昨日のMVPは指揮者だったらしいとか」
「なあにふざけたこと言ってる」
少しむっとしたのか難波が口を尖らせると、「まあまあ」とばかりに更科が割って入る。
「ホームズいいじゃん、どっちにせよ学年一位はうちのクラス決定だし。あとはなあ、先輩たちの学年がなあ」
さらりと宥めているがよく聞いてみるとかなりとんでもないことを話しているようだ。もう自分らが最低学年優勝で決まりだと信じ込んでいる様子だった。もちろん狙いは全学年優勝に定めているのだろう。しかし、目の前には一曲目で失意の棄権となってしまった奴もいるわけだ。気遣いせよとは無駄かとは思うのだがしかし。
「三年の合唱はどうだった?」
「一番平和な時間だったよ。俺、思い切り寝ちゃった」
「全くだ。午前中が過激過ぎてさすがに俺も疲れた」
──要するに何事も起こらず無事に全クラス合唱が終わったということか。
「あ、そうだ。立村土曜の昼間、暇かなあ」
ふと気がついたように更科が上総に声をかけた。相変わらずの子犬的笑顔で、
「さっき、二年の先輩たち、ほら評議の先輩たちに声かけられて、いろいろあった一年と二年の元男子評議八人でカラオケ行こうよって話」
「それを最初に言おうと持っていたんだが。更科ナイスだな」
にやにやする更科から説明役を奪い取り難波は、
「天羽にもこれから確認するが、どうも二年の先輩たちが俺たちと合唱コンクールにおける件について、友好を深めたいからこれから飲もうという話で盛り上がっているんだ」
「友好を深める?」
一年上の元評議委員たちが上総の世代男子四人を集めて何か話をしたいらしい。男子だけだと各三名。全員二年B組に押し込められている。本条先輩の世代で本当ならもっと密着して付き合うべきなのだろうが、上総がなにせ本条先輩以外になつかなかったこともあって適度な距離が空いている。天羽たちがどうなのかは知らないが。
難波が周囲を気遣いつつ小声で囁く。
「俺たちのクラス団結力を見習いたいとのお言葉だぞ」
「じゃあA組の俺は用無しだろ」
「そんなこと言ってねえだろ。いい機会だってことでお前も来い。土曜日空いてるか」
「たぶん」
日曜午前中だったらきっぱり断ることもできたのだが、先輩との付き合いを考えると仕方ないだろう。時間を空けることにする。ただ気になるのは、
「C組、打ち上げやらないのか?」
「今日のうちにやっちまうだろどうせ」
なんだか会話の内容からすると、勝利を確信しているとしか思えない難波の言葉。
──まさかとは思うけど予想してない別のクラスが優勝かっさらっちゃったら、立ち直れないんじゃないだろうか。A組は全く関係ないとしても。
休み時間はすぐ終わった。椅子のない上総がそのまま立っていると藤沖、その他の男女が自分の席に向かおうとした。呼び止めようと口を開きかけると、
「A組のみんな、これから舞台の袖に整列しようよ」
疋田さんが自分から、小声ながらもはっきりと呼びかけた。思わずぽかんとしたまま口を開けている奴もいれば、「練習、してたんだよなお前ら」と上総と疋田さんを見比べる奴もいる。藤沖が上総をちらと見た。ちょうどいいタイミングだ。
「藤沖、悪いけど打ち合わせを全員でしたいから、疋田さんの言う通り舞台に袖に集合してもらえないかな」
「これから講評と聞いているが」
不承不承ながらも腰を上げ、動き出す藤沖。それに従い片岡、その他の男子たちも付いて歩く。女子たちも小声でいろいろ囁いているものの、やはりいろいろ考えることもあるのだろう。みな席を離れてばらばらに舞台の袖幕に隠れた。
一年A組英語科連中がみな袖幕に吸い込まれていくのをけげんな顔で眺めている生徒たちの視線を感じる。関崎と古川が揃わない状態、かつ宇津木野さんがいないとなると合唱そのものの迫力が欠けてしまう。ただでさえ少ない英語科において声のボリューム問題は大きい。
──どうやって並んでもらおうか。
全員幕の裏に揃ったところで、整列してもらうことにする。宇津木野さんと疋田さんが並んでいた列の空白を詰めさせるとやはり小ぶりに見える。しかたないことではある。自分たちが歌った時とは別の女子音楽部員がうつむくようにして舞台の上の肥後先生を見つめている。祈っているようにも見える。
「みなさん、お待たせしました。生徒のみなさん、本日は素晴らしいハーモニーをありがとうございます。それではお待ちかねの、合唱コンクール順位発表を行います」
甲高い声を張り上げ、少しざわめきがちの生徒たちを制する肥後先生。
「順位は各学年優勝をひとクラス、その中から総合優勝をひとクラス。また印象に残ったクラスをこれから何クラスか表彰することになります」
かんたんに賞の振り分けを説明したあと、
「それでは、最初に各学年の優秀賞を発表します」
紙をもぞもぞと胸ポケットから取り出した。
「一年C組、二年D組、三年A組」
突然立ち上がって「よっしゃああ!」と叫んでいる奴がいる。声でだいたい誰かはわかったのだが複数混じっていることと、まだ全学年最優秀賞が出ていない状態で先走りすぎなんじゃないかとも思う。後ろで整列して手持ち無沙汰の女子たちがひそやかに、
「やっぱりC組に負けちゃったんだよねえ」
大きくため息を吐いているのが聞こえてくる。
──気持ちはわかるが天羽、難波、更科。そんな立ち上がって狂喜乱舞しなくてもいいだろが。
他クラスの発表時も半端ならざる騒ぎっぷりだった。あの二年B組のトラブルも同情票は入らなかったらしい。一生懸命と音楽の質とは別、という肥後先生の言葉も納得だ。三年A組は英語科だが実際どのような合唱なのか聞いていないので全くわからない。
「英語の歌だったね」
「やはり英語科だと一度はやらねばならない道か」
片岡が藤沖に、三年A組の歌ったらしい曲について感想を語っているのが聞こえてきた。なるほど、全部英語で歌うのか。それはそれでよさそうな気がする。
「それでは、この三クラスの中から一位を選ぶことになりますが」
肥後先生の言葉でまた体育館が静まり返った。間をゆったりと持たせ、みなに落ち着く時間を与えた後、
「一年C組。さまざまな前例を打ち破り、新しいハーモニーを作り上げたことを高く評価した結果となります。おめでとう!」
自分からマイクをおいて、激しく手を打ち鳴らした。




