表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
88/102

その十八 休符の時間(2)

 合唱コンクール二年生の部が始まった。

 一番外通路沿いの席に座り誰と話すでもなく曲に聴き入るつもりでいた。

 もちろんそれなりに考えるつもりでもいた。


 ──清坂氏の言う通り、俺が指揮者になり疋田さんに伴奏を頼めば最も綺麗な形にまとまる。

 美里の提案をじっくり検討しながら軽く目を閉じた。居眠りしたわけではない。集中したかっただけだ。二年A組英語科の合唱が始まる寸前で細目で眺めた。課題曲は聞いたことのない歌だったので今ひとつ馴染めない。

 ──ぶっつけ本番でできるかというと自信ないけど、「モルダウの流れ」だけであればだいたいどこで盛り上げればいいかくらいはピアノを弾いた時の感覚でなんとかなるのかな。いや、指揮者がいなくても歌詞はみんな暗記しているし、ああいったことのあとだからってことで多少間違っても大目に見てもらえるだろう。賞狙いじゃないんだから。

 かなり姑息な発想だとは思うがしょうがない。上総がいきなりタクトを振ることになった場合、そう簡単に引き継げるとは思っていない。それでも指揮台に誰かがいるということが大切な点である以上それだけでも意味があるんじゃないかと思える。関崎が戻ってこない以上、全く誰もいない状態で始めるわけにはいかない。

 ──でも、受け入れてもらえるかな。

 聞きなれぬ合唱曲の響きが、いつの間にか心地よく身体に染み渡る。さすが二年生になると声も揃い、みな美しい日本語を発しているのに気づく。英語科の場合は三年間同じクラスということもあるし、まとまりやすいということもあるのだろう。

 ──藤沖の考えがあの場ではっきり申し渡された以上、楯突いてまで歌いたいって奴はそういないだろうな。俺だって自分が関係ない立場だったらきっとそう思っただろうし。けど、なんかひっかかるんだよな。なんでだろう。

 もっとも藤沖は、関崎の意思待ちだ。関崎さえ戻ってきてやる気を見せればあっさりひっくり返るだろう。本人もそう明言している。一番ベストなのは関崎が一刻も早く教室に戻ってきて肥後先生あたりに説得してもらうことじゃないかと思う。きっと関崎の性格上あっさりと受け入れ、男女みな引っ張ろうとするだろう。上総の発言には反発するかもしれないが関崎ならば話は別。一瞬のうちに空気の色が変わって盛り上がること間違いなし。

 ──そうなんだよな、俺じゃだめなんだ。

 無難に二年A組の合唱は終了した。上手か下手かそこまで判断するだけの頭の隙間はなかった。最後まで歌い切る、そのことの重さ、それが今はたまらなく大きなスペースを占めている。外通路を笑顔で通り過ぎていく二年A組のみなみなさまを見送りつつ上総はそっと拍手を送った。


 二年B組の一群が入れ替わりで舞台上に整列した。あまり上級生たちの情報には興味がなかったのだが、本条先輩世代の評議委員関係者が多く固まっているクラスということもあって、かなりの熱唱が期待できるとの下馬評あり。上総も見知っている先輩たちが多く、いったん心して聴くことにした。どうも中学評議委員会出身者がひとつの組に固められるというのは上総たちの世代だけではないらしかった。クラス分けでも同じということであれば来年天羽・難波・更科の三人組がまたクラスメートとしてまとまる可能性も大だろう。

それがいいか悪いかは判断しかねるが。

 指揮者も知り合いの男子先輩だった。さすが評議出身者手馴れている素振りで伴奏に合図を送る。前奏が流れる……と思いきや不意にそれが止まった。

「おい、なんだいったい」

 隣の席にいた男子が上総をつつく。明らかに何かが起きたらしいが指揮台の先輩は冷静に腕で調子をとっている。やめようとしない。

「指揮、し続けてるな」

「すげえ、先輩やっぱすげえよなあ。あの人評議だったよな確か」

 附属上がりの生徒たちには中学評議出身者が誰かはほとんど把握しているはずだ。当然中学二年次の合唱コンクールで指揮者経験があるということも。男子評議イコール指揮者、この流れは崩れない。

 ピアノの音が復活する気配もない。カーテンに隠されていて何が起きたのか見えない。マイクで通常ピアノの音を拾い体育館内に流す仕様なのだが、代わりにかすかなうめき声のようなものが聞こえてきた。二年B組の担任がカーテンの奥に入っていき、何かを話しかけている様子だが詳細は全く不明のままだった。

 体育館内の生徒たちがざわめく中、歌声はそのまま当たり前のように流れ、かすかなピアノ周りの気配を打ち消していく。指揮台の先輩は心なしか大きく両腕を振りつつ、時々男子、また女子のみに合図を送りつつ盛り上げていこうとしているのが上総にも伝わってくる。最初はハプニングの連続に呆れ顔だった生徒たちも一気に引き寄せられるように見入っている。歌というよりも指揮者の身振り手振りであると同時に背中の揺れに。

 ──先輩落ち着いてる。伴奏が復活しないのに、ずっと振り続けてるんだ。それに合唱もそのまま必死についていこうとしている。ハーモニーがどうとかああとか言えないけど、少なくともちゃんと、最後まで進んでいる。

 不意に誰かが後ろから手拍子を打つ音が聞こえる。

 ──誰だ?

 振り返ろうとする間もなく、その手拍子はひとつ、またふたつ、みっつよついつつ、増えていく。釣られるように隣の男子も、また脇にいた先生たちも、その他の生徒たちも、みなタクトに合わせて手拍子を繰り返している。上総も慌てて続いた。

 ──指揮者の拍子がずれないように、助けようとしてるんだな。

 誰がきっかけなのか、そんなことなどどうでもいい。今はただ、二年B組の合唱が最後までしっかりと歌い切ることができるようにと祈りつつ、痛くなるほど手を打つのみだった。

 ──もう少し、あと、もう少し。


 とうとうアカペラで課題曲を歌いきった二年B組の指揮者は一旦降りて深々と礼をした。

 ──関崎の真似かよ、って言いたいけど、俺も同じ立場ならそうするな。

 伴奏者が最後まで眠った状態で一曲終わらせたこと自体が奇跡だと思う。でもおそらく合唱コンクールの賞対象にはならないだろう。一年A組に続く棄権二クラス目、こんな悲惨なコンクール今まであったろうか。知り合いの先輩たちの顔を思い浮かべ息が苦しくなる。こういう時本条先輩だったらどうしているだろう。

 ねぎらいの拍手とともに、てっきり降りると思っていた指揮者の先輩は再び指揮台に登った。何も迷いなどないように見えた。再び生徒たちがざわめくが先生たちはにこやかにうなづいている。二年B組の担任教師も落ち着いてすぐに席に戻っている。ピアノの伴奏者はまだこもったままのようだった。

「おい、まさか、自由曲も歌うのかよ」

「たぶん、そういうことだと思う」

 上総は目を先輩に向けたままつぶやいた。

「ピアノの人復活したのかな。なら続けるよな」

 読みは外れていた。指揮台の先輩は同じように手を高く上げた。手を振り下ろした時も伴奏は始まらず、しばらくの沈黙の後みな歌いだしたのは「誰もいない海」だった。

「ピアノのいない歌、かよ」

 面白くもない洒落を言う隣男子に上総は頷きつつ黙って聴き入った。

 ──伴奏なくても、コンクールの賞対象にはなるのかな。なるよな、きっと。最後まで歌い切れば絶対に。


 また同じく拍手が響く。メロディーの切なさとは違い、どこか明るく高らかな音がした。何をしなくてはならないのかが上総を含め聴衆たちには伝わっているのだろう。今やらねばならないのは伴奏者が何らかの事情で倒れてしまった中、最後の最後までしっかり参加し続けようとする二年B組の歌声を支えること。拍手がはたして助けになるのか、それすら上総にははっきり判断できないけれど、せめて応援する気持ちだけは届けたい。自己満足でも、せめて、最後まで。絶対に最後まで歌いきってほしい。それだけで十分だから、どうかもう少し、あと少し。


 歌が終わった後もしばらく指揮者は振り続けていた。頭をぐるぐる回していた。異様にも見えるその仕草だが、ふっと終わりのポーズを取り、そのまま指揮台から降りた。振り返ったその顔は、思い切り歪んでいた。何を意味しているかが一瞬のうちに伝わり、先走った拍手もやんだ。

「聞いていただいたみなさん、僕たち二年B組を助けていただきありがとうございました!」

 膝をついて、そのまま頭を下げた。土下座ではない。ただ膝から力が抜けたような格好だった。二年B組の担任が全速力で舞台に走り、膝をついたままの先輩の肩を抱いた。立ち上がらせるような格好を取り、後ろで同じく涙で頬を濡らしている男女生徒たちに目を向けた後、一緒に、

「ありがとうございました!」

 どら声で叫んだ。嵐のような拍手とはこのことかもしれない。体育館内が凄まじい拍手に満たされた中でひとり、上総の脇をすり抜けていく女子生徒の姿が見えた。顔を覆い、全力で体育館扉から抜け出していく様を上総は拍手を忘れて見送っていた。たぶん彼女が二年B組の伴奏者であり、何らかの理由でその責任を果たせなかったことは確かだった。理由を問う気はなかったけれども、感動を共有できる立場でない以上そのままピアノの前に座っていられる気持ちでないことだけはうかがい知れた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ