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その十八 休符の時間(1)

 廊下がわやわや言い出した。一年クラスの合唱がちょうど終わったところなのだろう。A組連中も外に飛び出した。校内放送でも、

「これから十五分の休憩に入ります。鐘が鳴る一分前にみな席についてください。椅子はそのままでお願いします」

 アナウンスが流れている。ということはA組で話し合う時間もほとんどないということだった。上総もさっさと教室を出た。とりあえず誰か捕まえよう。一番よいのは男子トイレで誰か、できればC組連中の仲のいい奴を見つけて合唱の結果を確認しようと思う。


「おお、立村お前どこ行ってたんだよ」

 トイレで手を洗っていたらやはり読み通り、天羽が声をかけてきた。ベストな人選だ。することすませているので互いゆっくり話ができる。上総は廊下に出るよう促し、階段の踊り場に向かった。

「見ての通りだったんだけどさ、あの後うちのクラスが出てってからどうなった?」

「まあ、あんなもんでしょ」

 握りこぶしを作り、にやにやしながら天羽は胸を張った。

「お前さんとこは大変だったようだがなあ、とりあえずみな普通に歌ってそれで終わりだったぞ。難波ホームズもすっかり名指揮者気分で気取ってやがるし、それ見ている方がめちゃくちゃ笑えたがなあ」

「それは見たかった」

 お互い笑った。想像がつく。

「最後にガッツポーズが出るってのがあいつの美学としてどうなんだとつっこみたいんだが、まあいいだろ。それなりに点数も出るだろ」

 ということはC組連中みな実力を発揮したということなのか。ふと通り過ぎようとする男子がひとり、羽飛がいる。天羽が呼び止めた。

「羽飛、立村がな、合唱コンクールのあのあとの流れ知りたがってるんだけどな、説明してやってもらえっか」

「どうしたどうした」

 すぐに羽飛も上総に近づいてきた、同時に天羽がバトンタッチするような格好で羽飛の肩を叩き、

「そいじゃ俺は、ホームズねぎらいに行ってくる。あとで打ち上げやろうぜ」

 どちらに話しかけたのかはわからないがそれだけ言って階段を降りていった。忙しそうではある。


「C組良かったらしいけど、他はどうたった?」

 通行する生徒の邪魔にならないよう窓辺に羽飛を呼び寄せ、上総は尋ねた。

「うちのクラスはまあ盛り上がったぞ。天羽も言ってただろ」

 親指立ててGOOD!と見せる。上総の信頼するふたりがそう言うのだから確実なのだろう。

「正直、課題曲は静かだったけどな。自由曲に進んだとたん学校中が手拍子の嵐になっちまうし、難波ものりのりで観客煽るし、ありゃあもう合唱コンクールっつうよりも、コンサートの乗りだよな。いやあ、盛り上がったぞ」

「観客煽るって、けどそれまずくないか」

 目を白黒させてしまいそうになる。もちろん想像はつく。一年C組の自由曲はアニメのエンディングだったと聴いている。かなり陰ではいろいろ議論もあったらしいし選曲には肥後先生も難色を示していたという噂も耳にしている。しかし、会場を一体化させたとなればこれは現場の勝利だろう。下馬評通り、今年は一年C組の優勝もありうるかというところではないのか。ただ、指揮者である難波が盛り上がり過ぎて会場を煽るとなると、コンクールの評価としてはマイナスになりそうな気もする。

 羽飛は全く意に介さずといった顔をしている。

「まあな。うるせえ先生なら文句言うかもな。でもいいじゃねえの。みんなすっげえ楽しかったって顔してたしな。全力疾走はしたぞ」

「C組の気合は他のクラスと全然違ってたからな」

 思わずため息つきたくなる。A組がもしここまで気合入った状態で練習していたとしたら、今頃みなお通夜だったのではないかとも思う。さっきまでいた教室の雰囲気は確かに不完全燃焼の燃えかすがないわけではなかったけれども、再チャレンジしようとするだけの気迫も感じられなかった。かえってそれがいいといえばいいのかもしれない。

「けどなあ、立村、お前もよく弾いたよなあ。課題曲」

「ああ、なんとか」

 お褒めの言葉はありがたくいただく。

「まじ驚いたぞ、そのあとはな。指揮者が突然倒れた子のとこ駆け寄って支えているの見て、うちのクラスの女子たちため息ついてたぞ。なんか勘違いしてるかもしれねえけど」

「目の前で倒れたからあいつのことだ、きっとすぐ助けにいきたかったんだよ」

「お前が一生懸命弾いてるのに誰も歌わないってのはなんだと思ったけど、指揮者いねばしょうがねえよなあ」

「思い切り怒られたよ、うちの担任に」

 思わずぼそりとつぶやく。羽飛にだけは少しくらい愚痴っても撥は当たらないだろう。

「なんでだ?」

「クラスメートが倒れたというのに自分の事しか考えないでピアノ弾き続けているのは非常識だと、まあそんな感じ。俺からしたら義務を果たしてただけなんだけどな」

「あちゃあ、それは災難だなあ。まあ元気出せ、お前の根性は他の奴みんな認めてっから。うちのクラスの野郎どもも立村があすこまで弾けるとは思ってねえみたいだったしなあ。天羽や難波も、中学時代にお前あそこまで弾けるんだったらピアニスト殺人事件みたいなドラマを評議委員会ビデオ演劇で仕込めたのにとか後悔しまくってたぞ」

「隠しといてよかった」

 なんだか落ち着いてきた。A組は確かに自分のクラスではあるけれども、本当の意味でほっとする瞬間が実は少ない。仲が悪いわけでは……一部を除いて……決してないのだが、こうやってしょうもない話をして笑い合い、肩から余計な力が抜けるということがほとんどない。今も羽飛と話をしていなかったら、もやもやしたものをずっとかかえてA組に戻らざるを得なかったと思う。


「立村くん、ここにいたんだ。探したんだよ。それともうひとりいるね」

 背中から声をかけてきたのは、振り向くまでもなく美里だった。ひょいとふたりの間に顔を突っ込んだ。三人並んで階段を降りた。羽飛が美里の顔を覗き込みげんこつを鼻の前につきだしている。

「どーだ、まいったか、うちのクラスすごかっただろ!」

「悔しいけど認めるわよ。あんた付き合い悪くなったなと思ってたけどあれだけ盛り上がっちゃったらもう、最低でも学年優勝は決まりよね」

「清坂氏のとこは?」

 上総が尋ねると美里は首を振った。空元気を出しているようだった。

「良くも悪くもあんなもんじゃないの。可も不可もなくって感じ」

 美里にしては珍しくクールな口調だった。こういうクラスイベントで美里が活躍しないというのは上総にとって「ありえない」ことでもある。

「でも、練習してただろ」

「まあね。つくづく中学時代のあの情熱はどこ行っちゃったのかなって思うな」

 遠い目をする美里にこれ以上突っ込むことはやめることにした。上総が黙り込むと羽飛がすぐにからかい口調で、

「もう合唱コンクールなんぞ過去過去。次は学校祭どうなるかってことだなあ。もううちのクラスなんてな、学校祭のクラスイベントどうするかで真剣に話し合い始まってるぞ」

「早いね。立村くんとこは?」

 問われた。学校祭なんてそんな、はるか先の未来に思える。反射的に答えた。

「うちのクラスはそれ以前に、今日歌いそこねた自由曲を歌わせてもらうべきか否かで話し合いすら始まってないけどな」

「え、なにそれそれ」

 思った通り食いついてきた。羽飛にもそういえばまだ話していなかった。ふたり興味津々といった顔で上総を柱に追い詰める。今日は責められてないので平気で話すことにする。

「うちのクラス、自由曲結局一小節も歌えなかっただろ。肥後先生がそれはあまりにもあんまりだから、全クラス終わったあとで賞から外れた形でもいいなら歌っていいって言われたんだ」

 もちろん野々村先生からの伝言ということは割愛する。

「うわあ、肥後先生気が利くね」

「本当ならそうしたほうが俺もいいと思う。けど、今、宇津木野さんに付き添って関崎と古川さんが病院に行っているし、しかも関崎は指揮者だろ。いつ戻ってくるかわからないし、指揮者がいない中で無理やり合唱というのもな」

「まああれだ、うちのクラスみたいに元評議が三人も揃っているんだったら話は別だがなあ」

 羽飛がしみじみつぶやく。言いたいことはよくわかる。

「万が一難波がインフルエンザで寝込んでも天羽がいる。天羽が急性アルコール中毒で病院に運ばれても更科がいる。更科が不純異性交友で……」

 無言で美里が羽飛の額を叩いた。こちらもつっこみたいことはわかる。

「とにかく評議三人いれば一人くらい倒れてもなんとかなると、そう言いたいわけだよな」

「でもそうだね、私たちの頃って男子評議は全員指揮の特訓してたもんね」

 中学の合唱コンクールにおいては男子評議が指揮者を承ることに決まっていたから、それなりに特訓はされた。あの三人ももちろん経験者だ。


「いいこと思いついた!」

 突然美里が手を打ち上総を指差した。

「それならね、立村くんが指揮者になればいいよ。それが一番いい」

「はあ? 美里何無茶言うんだあ?」

 いきなりの発想に羽飛が戸惑い顔をしかめる。

「伴奏いなくなっちまったらどうするんだよ」

 上総が問いかけようとするのを美里は首を振って留めつつ、

「最後まで聞いてよ。つまりね、立村くん指揮やったことあるでしょ? 評議だもん」

「確かに」

「それなりに練習したよね? 少なくとも難波くん程度は」

「たぶん難波よりは、できるかもしれない」

「俺もそれは認める。中学でうちのクラスの指揮をしていたお前はあの瞬間のみ輝いていたぞ」

 羽飛も力強く肯定する。何が「あの瞬間」なのかは聞き流す。

「それに立村くん、伴奏でピアノ弾いてるから曲のふくらましかたとかそういうのはだいたいわかるじゃない?」

「まあ、それは確かに」

 美里の言いたいことが長い付き合いのせいか少しずつじんわり染み渡ってくる。羽飛が首をひねっているのとは別に、もしかしたらこういうことなのか、という芯のようなものが自分の中に刺さってくる。ちくちくと刺激してくる。

「だったら立村くんが指揮者代わりにやっちゃえばいいの。どうせ即席なんだから間違ったりしても文句言われないよ」

「ちょい待て、美里、立村いなくなっちまったらA組の伴奏いなくなっちまうだろ。まさかアカペラでやれってのか」

「違うってば! 立村くんならわかるよね、ここから先」

 まだつかみかねているらしい羽飛を適当にあしらい、美里は小声で囁いた。三人にしか聞こえない程度の低い声で、

「伴奏やりたがっている人いるじゃない、疋田さん。あの子に押し付けちゃえばいいのよ。だってひどいんだよ。合唱コンクール一週間を切ってるのにね、伴奏やっぱり私たちやるから立村くん降りてって要求してるんだよ? あったまくるよね! そう思わない?」

「立村、んなことあったのかよ、ひでえなあ」

 上総は黙っていた。美里と羽飛のやり取りだけで十分答えが糸巻きされてくる。

「そうなのそうなの。あんまりひどい言い草だったから私も立村くんのことアピールしといたけど、そんなにやりたがってるんだったらはいってぽんって弾いてもらえばいいのよ。どうせ暗譜してるんでしょ。楽譜なら立村くんが私たちのあげたノート疋田さんに見せてあげればいいのよ。いやな顔するかもしれないけどその時はちゃーんと言い放ってあげればいいの。ちゃんと努力している人間に対していきなりいいとこどりしようとするなんて最低だとかなんとかね。そのくらい言ったっていいと思うよ」

「すげえしっぺ返しだなあ。けど、立村、お前それはいくらなんでもあれだろ」


 美里の言葉は半分以上カットして聞いていた。

 必要な言葉だけを拾っていた。

 上総は指を数えた。これから体育館に戻って二年の合唱を聴く。そのあとで給食、最後に三年の合唱。そのあとだとだいたい二時間ある。その間に関崎が戻るかどうかが読めない。こずえも同様だ。もし誰も戻ってこなかったとしたら……確かに。

 ──あと二時間から三時間、か。

 決断にはまだ時間がある。ひとり静かに考える時間は、体育館でなら、ある。


 鐘が鳴った。美里と羽飛に手を振りそのまま一年A組廊下に整列した。先頭を率いるのは評議委員の藤沖で自分は最後尾だった。ひとりで考えるには一番いい位置だった。これから一時間弱、ゆっくりと頭の中を整理することにする。

 ──清坂氏、ありがとう。

 自分ひとりでは決してたどり着けない答えだった。あの日、美里が上総の援護射撃をしてくれたことにただ感謝したかった。いつもそうだった。上総がつまづきそうになるたび、美里はいつもそばで手を差し伸べてくれる。中学時代からずっとそうだった。 


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