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その十七 歌い出し(4)

 野々村先生はその他いくつか教室待機に関する注意を与えた後、教室を出て行った。他クラスの担任だけありみな黙って聴いていたものの、扉が閉まるやいなやすぐに激しいざわめきに教室中が満たされた。今まで押さえていたものが溢れ出したようだった。

「まじ? まじでまた歌わねばなんねえの? もういいじゃんか」

「なんか気抜けたしねえ」

「どうせ優勝狙えねえんだったら何もしなくてもいいじゃねえの」

 男子連中のささやきはほとんどが「もういいから早く帰ろうぜ」の一言に集約されているようだった。それなりに練習していたけれども、それほど勝ち負けにこだわりはない。むしろ関崎の一途さに引っ張られて、あいつの顔を立てるためにだけ頑張ってきてやっただけ。そんな雰囲気だった。

 ──なんだか関崎や古川さんがこの状況見たら泣くよな。

 上総はもう一度自分の机に座り直した。給食時間の時にいったん椅子を持ち帰ることになっていて、午後もう一度運びなおすことになっている。どちらにせよ体育館に戻らねばならないことはわかっている。

 ──それまでに関崎たちも戻ってくるんだったらいいんだけどな。

 一応、野々村先生に頼んだ通り昼休みまで相談する時間を稼いだ。評議のくせに藤沖が何も発言しなかったから仕方ないことなのだが、本来なら体育館に戻るまでの間に歌うべきか否かの話し合いを持たないとまずいのではないだろうか。関崎とこずえのふたりが戻ってくる前に結論を出したくないという気持ちが藤沖にはあるのかもしれないが、もう時間がほとんどない中こんなとろとろしていていいものか。苛立つ。

 ──俺が話しているところ見てるんだったらさっさと話を持ち出せばいいのにな。

 

 女子たちも、疋田さんが少し落ち着いてきたこともあってみなひそひそと語り合っている。話の内容はほとんど聞こえない。ただ男子たちとは違い、それなりに合唱をもう一度行うことについては考えてくれているようだ。話の端々に、

「宇津木野さん戻ってきたらもう一度、歌いたいよねえ」

「でも、クラス全員いないのはなんかねえ」

「関崎くん戻ってこないかなあ」

 ──結局関崎かよ。

 結論、いつのまにか女子たちの間で関崎はヒーローである。しかも、倒れた女子へ自分の仕事を投げ打って駆け寄り王子のように手を差し伸べたというドラマまで演じている。歌声はマイスタージンガー、もうここまで合唱コンクールの王子として完璧な奴はいないだろう。

 ──ここにいるのが関崎だったらもっとあっさり話が片付いただろうにな。関崎のことだからすぐに藤沖を説得して、「さあ早く参加しなおそう!」とか言い出して練習を再開するかもしれない。そのくらいのパワーを持っている奴だし、逆らう奴もほとんどいないに違いない。

 しかし本当にこんなぐたぐた話していていいのか。休憩時間まで、あのふたりが戻ってくるまで何も考えなくて本当にいいのか。

 

「藤沖、これからどうするつもりでいる?」

 しびれを切らしてしまった自分の負けだ。机の上の座り心地もよくなくて、上総は滑り降り藤沖の席に近づいた。めったにないことだけに、周囲がざわめいた。上総と藤沖との不仲が中学三年後期から続いていることは誰もが知っている事実。一学期に多少のゆらぎがあったとはいえ、現在はつかず離れずの微妙な間隔を保っていた。

 藤沖は両腕を組み、上総の顔をじっと見据えた。

「合唱コンクールのことか」

「さっき野々村先生が話していたことだけど、話し合い、しなくて構わないのか」

 できるだけ穏やかに話しかけたつもりだった。置かれている自分の立場はもちろん承知している。上総なりに藤沖への礼儀も保ったつもりだ。もともとこいつの性格は嫌いではなく、中学三年後期のあの事件がなければ普通の友だちでいられただろう。今はそれに輪をかけて面倒な後輩事情が関係しているため、多少立場が逆転しているところもあるがそれはそれ、これはこれ、だ。

 黙って俯く藤沖に、上総は畳み掛けた。

「先生にも話した通り、まだ指揮者の関崎も古川さんも戻ってきていない。宇津木野さんの体調がどうなのかも心配だよ。けど、せっかく肥後先生が提案してくれたことだから一度はみんなの意見、聞いたほうがいいんじゃないかと思うんだ」

「答えはお前が言っただろう。関崎がいない。指揮者がいない。お話にならない」

 上総も承知している事実を藤沖は声ガラガラのまま答えた。

「合唱コンクールはクラスの団結を目的としたイベントだ。今のようにクラスメートが三人も欠けている状態で歌う気になれるか? 俺はなれない」

 少し不満そうな声がちらほら聞こえる。男子からも、女子からも。

「それに関崎も、宇津木野を助けるため結果的に指揮台から降りてしまったことになる。あいつの性格を考えればきっと悔しい思いをしていないわけがない」

「関崎は、きっとそうだろうな」

 相槌を打った。藤沖のそばで他の男子たちも、

「関崎が一番燃えてたからなあ」

 しみじみ思い出話のように語る。藤沖はその相手たちに頷いてみせ、

「あいつがもしどうしてもやりたい、歌いたいと言い張るのなら俺も考えないことはない。だが、その磁石ともなる関崎がいない以上、今の面子で歌うことに意味はない」

「でも、決を取るくらいは必要なんじゃないかな」

 やんわり、できるだけ感情を押さえて問いかけてみる。藤沖は顔をしかめた。

「立村、お前そんなに伴奏したくてならないのか。伴奏最後まで済ませないと気がすまないのか」

 責め立てるような口調に切り替わる。思わずひるんだ。弱いところに刺さる。教室内のおしゃべりが一瞬やんだ。それをバックにして藤沖は問い詰めてくる。

「あえて何も言わないでおいたが、宇津木野が倒れ、関崎が飛び降りた段階で指揮者は消えたのだから伴奏者であるお前もやめるべきだったはずだ。なぜやめなかった」

「それが伴奏者としての責任だと思ったからだけど」

 言葉弱く言い返した。藤沖は唇を歪めて笑い、すぐに怒りあふれる目を見せた。

「人の命よりも、伴奏が大切なのか」

「そういうわけじゃないよ」

「いろいろ意見はこれから出てくるだろう。関崎は確かに指揮を投げ出して合唱をむちゃくちゃにした張本人かもしれない。倒れたのを無視してタクト振るという選択肢もあいつにはあっただろう。こっそり倒れた生徒を先生たちが連れて降りてあとはそのまま知らんぷりして歌うという手だってあっただろう」

 ──何、こいつ攻撃してくるんだろう?

 突き刺さる言葉なのが、上総には悔しい。言葉がない。

「だが、あいつの性格上目の前でぱたんと頭を打って倒れた同級生を無視して指揮し続けるなんてことはできなかったわけだ。あいつにとって一番大切なことはなんなのか、それを考えれば答えはひとつ。人の心がわかる奴なんだ、あいつは」

 ふと周りを見渡すと、女子たちが大きく頷いている。いやな予感がする。

「合唱をぶち壊す代わりに、関崎が選んだのは人の命だ。宇津木野の容態が心配だが、少なくともあいつがすぐに気づいた分、応急手当も早くすんだに違いない。関崎は合唱を続けること以上に、クラスメートの危機を救う方が最優先だと判断した。これは指揮者としては失格かもしれないが人間としては当然の行いだろう。そう思わないか」

「否定はしない、関崎が悪くないとは誰も言ってないだろ。俺が言いたいのはそんなことじゃないって」

「一生懸命練習した成果を見せびらかしたいがために、倒れた奴がいて合唱になんかならない状態のなかひとり楽しく弾き続けるような奴と関崎を一緒にされたくない。俺も人のことは言えないが、少なくともこんな歯抜けの状態の中せっかくチャンスをもらえたのだからとスキップして合唱コンクールラストに賭けるような気持ちにはどうしてもなれない。そう感じているのは、まともな神経を持つ奴ならほとんどそうじゃないのか」

 そこまで一方的にしゃべり続け、藤沖はふと、力を抜いたようにつぶやいた。

「もっとも、あいつが戻ってきてやろうといえば、俺も考えを改める。だが、立村、お前の自分本位な発想だけは、絶対に受け入れられない。お前はただ、『モルダウの流れ』を自分の中で完成させたいだけであって、クラスメートのために弾きたいとは全く思っていないはずだ」

「それはさすがに言い過ぎだろ、藤沖、それは誤解だって」

 言い募る上総を藤沖は切り捨てた。

「どちらにせよ、決を取る必要はない。みな今は、宇津木野の回復と、関崎の判断を待つのみだ。俺はそれに従う。指揮者は関崎だからな」


 みな、顔を合わせつつも納得した表情でまたふだんのおしゃべりに戻っていくのがわかる。男子連中も、「おい立村にそれはまずいだろ」「こいつまじで練習してたんだぞ、わかってやれよなあ」とかかばってくれる奴もいる。もっともそれが嬉しいと思える程上総もプライドを捨てていなかった。無言で自分の席に座り直し、藤沖にぶつけられた言葉を一言一句噛み締めるだけだった。

 

 弾けなかった「モルダウの流れ」の旋律がまだ、耳に響いている。

 自分の中では完成できなかったその音色。

 ──そうだよな、見抜かれてるよな。



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